Deviance World Online エピソード6 『そして尚』
状況は急激に悪化している、それも村正の知らぬところで。
思わず歯噛みする、だからこそ冷静にもなれた。
いや違う、さっきまでの謎の焦りが消え始めていたのだ。
村正を突き動かす、謎の焦りが。
「待ってください、殺しつくす? 一体何を?」
「……どうやら、情報のすり合わせが必要なようだ」
「そうできれば最善ですが、どうもダメらしい」
村正が剣を下ろし、ガウェインが空を睨む。
直後に空間がゆがみ、おおよそ常世のものとは思えない魔力があふれ出している。
恐らくは、滅びか。
「誤解を解かなければ後が怖い、けれども」
「ありゃ、放置はできやしねぇ。放置をすりゃ、この山一帯丸ごと飲み込むだろうよ」
「レイドボス、あるいはレイドボス級か。見ているだけで、足が震えそうです」
だが、逃げる道理もなければやる気もない。
敵がいるのだ、一切合切切り伏せるのが歩むべき道だろう。
状況は徐々に深刻化している、それは予感ではなく事実だ。
周囲の光景が刻一刻と変化し、理解を超える異常が発生し始めていた。
世界が、天蓋に包まれている。
黒い、真っ黒な天蓋に。
「先を急ごう、それが儂の出来うる最善か」
自分の中で確認するように、歯をかみしめながら告げれば刀を握る。
嫌な予感が肌を刺す、空気が悪化し続けていく。
理由のない焦りは心を蝕み、絶えぬ炎を小さくする。
それこそが不安だとも、わからずに。
「あら、もう行くの?」
「手前、何用だ?」
焦燥感はない、ただ漠然とした不安が押し寄せる。
故に聞き逃さなかった、彼女の言葉を。
ロッソの軽薄としていながらも、確かに告げた愉悦混じりの口調を。
「何用って、聞くまでもないでしょ? 野次馬として来ただけよ、既に私は無力化されてるしソレに……。もう全部手遅れじゃない、間違いなく」
刀に、手を伸ばす。
煽っている、半ば楽しそうに。
悪意と欺瞞に満ちながら、確かに愉悦を見出している。
なぜ、何故か。
いや問う必要などない、既に答えは出ている。
「手前ぇ……、まさか手前が仕組んだんじゃねぇだろうな?」
「まさか、ふふ? まさか。仕組んだのは私じゃないわ、けど現状を一番理解しているのは貴方と同類の私だと思うけど?」
「その、手前の湾曲した物言いは嫌いだ。はっきりと、物申せ」
「なら単刀直入に言おうかしら? 貴方、心象世界を開けなくなったでしょ?」
刀に、腰に挿した刀を抜く手が止まる。
冷や汗が出る、狼狽し数歩後ろに下がる。
横で疑問を示しているガウェインの様子を見る暇などない、一体いつから露呈していた? その事実は。
一体いつから、村正が魂魄刀『千子村正』を使えないと見抜いていた?
息が詰まる、過呼吸になる。
そうだ、村正はあの刀を。
己が心象を凝縮し、僅か一振りの頂に至ったあの魂魄刀を握れない。
つまり言い換えれば、村正は既に諦めている。
完璧に当たるという、事象を。
「……ガウェイン、先に行ってろ。儂は、話を付けねばならん」
「しかし……」
「すぐに向かう、これは儂の根底の話だ。ここで話さなくば、おおよそ先に進めん」
息を整える、一体いつから露呈していたというのか。
あの時、血盟を作り上げた時に誓った完璧究極或いは至高に至るという目標にして誓い。
ソレを達成できなくなっていたという形を、一体いつから。
ガウェインの背を眺めながら、村正は奥歯を噛み締める。
ソレは、唯ひたすらに困惑と動揺から来る行動だ。
「さて、続けましょ? どうせもう手遅れなんだし」
「話せ、今すぐに」
「そう焦らないでよ、時間に余裕はあるわ。まずは何時から気がついたか、だっけ? 答えは最初からよ。貴方があの時、魂魄刀を作り上げ貴方が至った頂を見た瞬間から理解したわ。つまりは、結論として貴方は満足したんでしょ? その不出来な傑作に」
その通りだ、あの瞬間に村正は納得し満足した。
村正の心象世界、村正の在り方。
ソレは善でも悪でも定義不可能な、一つの完成。
自分総ての可能性を内包した、完全な境界の成立。
これまで創り上げた幾千万の、これから作り上げる幾千万の刀の可能性を内包した唯一振りの最高品。
故に満足した、満足せざるを得なかった。
至った頂の、あまりの高さに。
「かつての貴方ならば、なんて言わないわ。過去の貴方に失礼だもの、ただ今この瞬間に至っている貴方の愚かを教えてあげる」
心象世界とは自己の規定、自分の在り方を固定し魂の内在に存在する世界の形を唯一にする。
言い換えれば、だ。
言い換えればその中に僅か一欠けらの疑心でもあれば、その時点で心象は成立しない。
自分自身の内心を絶対的であると規定するからこそ成立するのであり、その絶対性が揺らぐことがあればその時点で心象世界が成立することはないだろう。
つまりは、村正は疑っているのだ。
もはやこれ以上は存在しえないと、もはやこれ以上は自分に作成できないと。
「完成を自分の中で作ること、ソレこそが貴方の愚かであり失態。恥ずべき愚行そのもの、理論値を出した程度で? 理論上を走った程度で至った? 馬鹿を言わないでよ。理論値を出したのならば、その理論値こそが次なる壁よ、昨日の自分こそが今日の敵、最大の難敵こそが己自身。三流ですら理解している常識、ソレを今更私に問わせるその愚かさこそ恥じてほしいわね」
嗚呼、怒りが渦巻く。
激情、これこそが激情だ。
なんて腹立たしい、なんて愚かしい。
余人ならば、唯人ならば仕方ないで済ませられる結論であっても。
否、そうだからこそより腹立たしい。
そうだ、当たり前の話だ。
いつから至ったなんて傲慢を、いつから至ったなんて怠惰を容認した?
一言も返す言葉がない、一切の動く腕がない。
「……そうかい、嗚呼。そうだろうな、確かに儂は。違う、俺は見当違いの物事を見ていたらしい」
「あら、良い目になったじゃない。少なくとも、さっきまでの詰まらなさそうな正義感を宿したような目は消え去ったわね」
ロッソの言葉を、話半分に聞く。
いや、正確に言おう。
ロッソの言葉すら、今の村正には届かない。
心象世界、それは自分の在り方を規定し世界の狭間に自分だけの境界をつくる技術である。
ゆえにその世界の質量に僅か一時だけでも対抗できる質量が必要であり、結果として精神の。
より仔細に言えば、その人間の在り方にして魂の形状は異形となる。
後天的に覚醒した存在ならば、ともかく。
村正は先天的な覚醒者であり、人間の形をしていた精神の形状は『剣聖』柳生によって形成されたもの。
その在り方を、人間としての精神の形状を。
今、ここに棄てる。
「『焔を宿し』」
ソレは、意図せず口にでた詠唱だった。
彼の人生の総てを物語る、言葉にできない思いだ。
年数を数えることに意義を見出さず、刀剣にささげた一生を唄う歌であり。
ただ確かに、その技法は神域に至っている証明でもあって。
「『我が身を投じ』」
それでも依然、たどり着かない。
それでもまだ満足足りえない、自分の生涯すべてを捧げてなお満足行くはずがない。
すべてだ、目に見える衆生万物三千世界。
常世にありし、ありとあらゆるモノを捧げてなおも到達できないその高みへ。
この生涯を捧げ、己が未来と魂魄を捧げたどり着こう。
「『幾重に鍛えた玉鋼』」
それでなおも、たどり着かない。
まだ足りない、この世界が焦土と灰燼に飲まれてなおも。
村正の全身から滾る炎が、周囲を飲み込みつくしてなおも依然不足だ。
であれば、であるのならば。
何を捧げるべきか、決まっている。
「『宿業を以て、此処に成そう』」
ならば、前世の業すら捧げてしまおう。
悪意と怨嗟、自分に係る全ての柵を力としよう。
あまねくこの世の総てを捧げ、地獄と辺獄を成立させよう。
そうして、究極の刀を創り上げよう。
「『此れなるは、古今無双の妖刀なり。魂魄刀【千子村正】』」
視界が開け、森から出る。
はるか遠くのすぐそこに、一つの黒い影があった。
ニタニタと笑うように体を震わせ、うずたかく積みあがった魔物の山を踏みつける。
鬼たちの、死体の山を。
その頂点に、二本の聖剣を突き刺しながら。
静かに激情に飲まれ、怒りすら消え去った村正を見つめつつ。




