Deviance World Online エピソード6 『眠りより醒める』
夕暮れ、異変に気付く者はいない。
いや、気づく存在は一人はいた。
だが彼が、それを知らせるわけもない。
ゆえに、誰も知らずに水面下で事情は進行している。
「綺麗ね、これが風情かしら?」
「知らん、侘び寂びなんざ受け取り手次第で変わり続けるもんだ。その美しさは手前だけのもんでしかねぇ、儂に理解できねぇな?」
「ふぅん、なら綺麗なのは間違いないわね」
ロッソはそう呟き、白米から作り出した日本酒モドキを口に含む。
人は価値を食らう生き物だ、そう思うロッソは手に持つ酒の味を正確に味わう気がない。
けれども、確かにその味は美味しいと思えた。
それは結局、その酒に価値を見出したからだろうか。
もしくは価値がある場でのんだから、価値を感じたのか。
いいや、何でも構わないだろう。
ロッソにとって、この一瞬は確かに価値があったのだ。
「村正、貴方にいくつか聞きたいことがあるの」
「へぇ、なんだ?」
「貴方はどこまで、貴方の目標に至っているのかしら」
「なんだ、そりゃまたけったいな」
ほろ酔い、というほど酔ってはいない。
VRCで酔うことなどできない、そう錯覚することはあっても錯覚の領域を出ることはない。
けれど、けれども顔を仄かに赤く染めた村正はロッソの質問に対して眉をひそめた。
どこまで、目標に至っているのか。
そんな質問、答えは一つだ。
全く、道半ばでしかない。
そう答えるのが正しく、また絶対的な正解でもある。
そう判断し、村正は口を開こうとして。
けれど、閉じた。
「やっぱり、貴方。まさか完成させた、なんて言わないでしょうね?」
「ははは、まさか。嗚呼、まさか」
「じゃぁ、なんで即答できないのかしら?」
「……まぁいいか、別に手前に明かしても」
村正は手元の焼酎を軽くあおり、そして視線を彼方に向けた。
至っている、村正は確かに至っている。
少なくとも、最も自分に厳しいと自覚がある村正がそれでもそう思考せざるを得ないほどに。
村正は、究極の一振りを完成させてしまっていた。
「話すと長くなる、薄々と自覚し始めたのはネロのあの剣を見た時だった」
ネロ、ネロ・クラウディアが用いるフランベルジュ。
名を、トラゴエディア・フーリアだったか。
村正はその刀を見たとき、確かに一つの極限を知った。
「儂の考えだ、決して正解じゃねぇだろう。けれど、儂は確かに心象世界を知っている。すくなくとも、その心象世界をこの世界に展開する条件を」
「へぇ、それは何かしら」
「鍵だ、自分の心を現実に開くための」
境界とは、世界である。
誰しもが内心に秘める秘境、具体的な実体なき世界。
理屈に起こせば起こすほど、理屈からは崩壊してゆく理論そのもの。
常、変わり続ける認識でできた世界こそが心象世界。
「心象世界は、いわば絶対的自己は自分自身に対する認識によって形が変化し続ける。それを言葉で表現するにゃぁ限界限度があるってもんだ、ロッソ。手前は流れる水を具体的な形で表現できるか?」
「無理ね、いえ。不可能ではないのかもしれないけれど、具体的な回答は難しいわね」
「心象世界も同じだ、性質としちゃぁ水とそうさして変化はねぇ。だからこそ、形のない代物が形を作るなんざ考えもしなかった。ネロの剣を見た時も、在れが常世の代物でないなんざ考えもしていなかった。けれど、黒騎士との戦いの中で、儂は一つの答えを得た」
魂魄刀・千子村正。
それは確かに村正が至った極地であり、心象世界の鍵であり。
そして村正の心象、その世界そのものを一刀に圧縮したものだ。
「儂が生涯、今までの総てを用いて作り上げた一振り。そいつを儂の完成とせずに、いったい何を完成と定義すりゃいい? いったい何を究極と定義すりゃいいんだ」
それは、彼の迷いであり慟哭である。
究極、完成とはクリエイターの最大の敵であり目標だ。
流れる水を流れるままに、刃と成す。
そんな偉業を達成した、達成してしまった村正はその先を見つけられていない。
「何だ、結構つまらない話ね」
「だろうな、だが大きな問題だ」
それ以上に語るべき言葉はない、あるいは語るべき内容などない。
以降はひたすらに無言だった、特に語るわけでもなくただ無言。
縁側から月を見て、静かに酒をたしなむだけの時間。
「ああ、清酒は良いな」
「苦いほうが私は好きなんだけど?」
「意見の相違、ってやつだな」
だからこそ、気楽に雑談でき。
時間だけが、無為に過ぎてゆく。
しばらくして村正がログアウトした、次にロッソも。
現実世界でもよい時間なのだ、健康的な生活を送るのならばやはり適切に睡眠をとるべきというのは語るまでもない。
誰もいない屋敷、ただ蛙と虫の羽音が聞こえながら。
夜明けまで、そこには誰もいなかった。
* * *
黒き魔女、モルガンはワルプルギスの中で黒狼のログインを待っていた。
あるいは、彼の真意を推し量れずに戸惑っていた。
「なぜ、何故村正と態々敵対する必要性があるのか。双方にとって不利益なはずではないでしょうか? ……どう思います、ネロ」
「うむ!! 良いと思うぞ?」
「適当な返事をどうもありがとうございます、まったく参考にできませんね」
モルガンは呆れ、そう言葉を綴れば視界の奥に見える影を知る。
一人の男、黒狼だ。
彼がネロとモルガンに向けて、手を振っていた。
モルガンは一息つく、そして眉を顰め語気を強く。
あからさまに怒っているという見た目で、黒狼に詰め寄る。
聞くべきことなど、ただ一つだ。
「何の目的で、私に汚れ役を着せたのか。ぜひとも伺いたいものです、ええ」
「あの説明以上のことはない、とはいえ強いて言うなら俺からの挑戦だな」
「挑戦? つまり狙いはそれだけでは、無いと」
「ああ、勿論。俺はこの世界で三人の究極を知っている、優劣を語るに及ばない極みに立ったバカヤローだ。一人目はレオトール、レオトール・リーコス。戦闘能力においてアイツに並び立つ男はいない、それはきっと今後永久にだ」
黒狼の言葉に、モルガンは一つ思案する。
今後、永久的に?
全く馬鹿げた言葉だ、永久や無限など存在しないのに。
それは歴史が証明している、だからモルガンは口をはさむ。
「永久に? 面白い言葉ですね、在りもしない永久とは」
「少なくとも個人であのレベルに到達するのは今後、少なくとも直近100年は存在しないだろ。肉体を得たからわかるが、あいつが真にヤバい領域はその戦闘方法じゃなく魔力制御だ。もしも、もしも魔法や魔術を使えるのならまず間違いなくオマエの数倍厄介で強い魔術師になれただろう」
「私以上? 笑わせてくれます、それは私に対する侮辱か彼への過大評価に違いありません」
「まー、過大評価なのは違いない。使えないモンは使えねぇからな、だが……。嗚呼、だが可能性としてアイツは理論上使える最強の魔術を持っていた」
水晶大陸、レオトールが用いた最強のスキルであり。
そしてその第一段階は、『無限に等しい魔力の生成』と判明している。
そしてその魔力にはレオトールの意思に関係なく、等しく属性が組み込まれていた。
破壊不可能な水晶を生成する、水晶属性を。
「モルガン、認識をアップデートしたほうがいいぞ。お前がルビラックスを持ち、近接職の実力を鼻で笑いながら魔女の座に胡坐をかいているのなら俺はお前を使い潰す。今回のように、な?」
「そうですか、長々と結構。それで、二人目は?」
「アルトリウス、あいつはヤベェ主人公補正を持ってる。多分盤面が動き出した後に攻略を始めたら、あいつは窮地に駆け付け勝利を収めるね。俺も同類だからわかるんだ、あいつは究極の主人公補正を持ってる」
「なんですかソレ」
半分呆れ笑いを起こしながら、続きを促すモルガン。
話半分で笑い飛ばしている、そんな不確定なものを信じる気には到底なれない。
だが黒狼は半笑いでありながらも、その口調は真剣だった。
「別にいいさ、どちらにせよ俺の中のプロットには変更なんてねぇ。勝つか負けるかはいまだ不明だけど、ジェーン……。言いずらいな、なんか強制的に音声が置き換わってる……」
「そのスキルを用いれば、確実な義正を果たせるというのならば結構」
「そう? まぁ、ここから本題。三人目は村正、あいつの究極は分かりきってるだろ?」
「ええ、ゆえに気になるのです。なぜ、こうも敵対を?」
究極、完璧、完全という言葉は軽くない。
だからこそ、黒狼のこの発言は行動と矛盾している。
すくなくとも、そのように思えるのだ。
「簡単だよ、俺は至ってるやつに用はねぇ。前者二人は至っていながら道半ば、あるいはソレは本筋じゃねぇ。結局、その二人は他人評価の至っているだ。けど村正は違う、あいつは自分も確信できちまってるんだよ。究極に至っている人間は好きだ、好きに決まっている、大好きだ。けれど至ったことに確信をもって己惚れてる奴に用はねぇ」
「それはまた、随分と厳しい行動ですね」
「ああ、だからこれは俺の自己満足だしお前らに強制させてねぇだろ?」
「最初から貴方に隷属する気はありませんが、確かにどちらを何を選んでもよいとしましたね」
モルガンは息を短く吐き、そして眉間を軽く押さえれば。
奥で踊っているネロを魔術で引き寄せ、その頬をムニムニする。
いい気はしない、黒狼の手のひらで踊っているようで。
けれどその行動が結果的に、自分の益になるのならば飲み込むのが道理だろう。
特に、このパーティならば。
「そういや、最近ネロに嫌われている気がするんだよなぁ……。前はすぐに俺の背中に飛び乗っていた様な……、気がするんだけど?」
「気のせいだぞ!!」
「へぇ、本当に?」
「うむ、それとも余の言葉を疑うというのか」
まさか、そう言い踊る様に部屋を出ていく黒狼を冷めた目で見る女が一人。
呆れ首を振りつつモルガンは、ゆっくりと手元の魔導書に視線を向ける。
記載されている内容は黒狼があの地下で発見したソレ、機嫌を収めるためのエサというのは分かっているが実際に興味深い内容なのは間違いない。
記録自体は100年以上も前の代物、秘匿を破り内容を見れば基本的には記録書だった。
だが、とある法則性を見つければそこに記されている内容は一変する。
「邪神の真実と黒騎士が秘匿した最奥ですか、黒狼も解明したからこそこの事案を発生させているというわけですね……。しかも改竄していますか……、ふむ……? 改竄内容は……。黒騎士の秘匿した最奥、そして邪神についての項目ですか。どちらも深堀しないほうが良さそうではありますね、前者は彼の都合でしょうが後者は間違いなく善意で封印しているように見える」
明らかに封印を施した時期が異なっていた、黒騎士の内容は最近ではあるが後者。
邪神についての記載は最低でも一か月は前の内容、ほぼ確実に発見したそのタイミングで封印している。
しかもその封印には3つの様式で封印が施され、都合が悪い以上の何かがあるのは間違いない。
そして彼のビルドから考えれば、おのずとその内容も推測できる。
「神となんらかの取引をしていますね、推測するにアステカ神話の神が一柱。ギリシャ神話のアルテミス、ここらへんだけでしょうか。後者は我々の目前で死亡したので前者が怪しいですね……、あるいはまったく別の何かか。どれもこれも、困り物です」
モルガンは一頻り推測し、そのまま本を閉じる。
識ると言う事は、知ることではない。
理解し解釈することこそが重要であり、だからこそ黒狼の意図を識ったのだから敢えて見るのはただ意図があることを知っただけに過ぎない。
「いずれにせよ、今日はここまでにしましょう」
その言葉と共に、モルガンも消える。
少なくとも盤面が大きく動く事は、まだないだろう。
何せ黒狼が碌に戦えないのは、間違いないのだから。




