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-【事実彼女】- 隣に越してきた1番人気の新入生はただの“後輩”なのに、なぜか俺の『彼女』だと勘違いされている。  作者: ななよ廻る
第3章

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第3話 洗い物を並んですると同棲っぽいという話

 リビングとキッチンを隔てた扉の向こうから、調理の物音がする。


 トントンッと包丁で切る音。

 ジャーッと水が流れる音。


 俺の部屋から、俺以外の生活音がすることに違和感があって、ローテーブルの前であぐらをかいていても落ち着かず、膝が上に下に揺れる。


「女の子が自分の部屋で朝ご飯を作ってくれるのは、男の夢なんだろうけど」


 彼女でもない、それも後輩かつお隣さんが相手と思うと、素直に喜ぶこともできなかった。

 そういう相手じゃないのだから。


「待っててと言われても」


 やってもらっているのがムズムズする。

 どうにも気になって、心のそわそわのままに立ち上がった。音を立てないようにドアノブを捻って、ゆっくりと開ける。


 ドアの隙間からそーっと覗くと、紺色のエプロンをつけた雫後輩が丁度味噌汁の味見をしているところだった。


「うん、大丈夫そう」


 お玉から口を離して、頷いている。

 その姿がやけに板についていて、普段から自炊をしているのが窺えた。俺も簡単な料理ならできるけど、だいたいはコンビニやスーパーのお弁当で済ませてしまう。あと、カップ麺。


 なにが楽しいのやら、鼻歌混じりに料理をする後ろ姿は彼女が家に来て料理する姿そのままだった。実際の関係とのズレもあるが、これまで体験したことがない状況をどう受け止めていいか迷う。


 喜んでいい……のか?


 苦心していると、さすがに見られていることに気がついた雫後輩がこっちを見て、ドキリと心臓が跳ねる。むっ、と眉尻が吊り上がって、気まずくなる。


「なにしてるの、君」

「……なにか手伝う?」

「いいよ。集中できないから、見ないでって言ったのに」


 もうっ、とお玉片手を持ち、腰に手を当てる。


「鶴の恩返しかよ」

「羽は毟ってないかなー」


 笑いながら、意味深に髪を弄り始めるので、そのままパタンッとドアを閉める。

 味噌汁に髪の毛が浮いてないことを祈ろう。


「お待たせ」


 気になりつつも、そわそわうろうろ待っていると、雫後輩がエプロン姿のまま戻ってくる。その手には箸や茶碗があって、俺も慌てて運ぶのを手伝いに入る。


「ありがと」

「……用意してもらったのは俺だから」

「でも、ほら。言いたくなるよね?」


 わかるけども。

 そんなやり取りをしつつ、ローテーブルの上には朝食が並ぶ。2人で使うことを想定してなかったから、テーブルはだいぶギリギリだった。隙間がほとんどない。


 白米に焼き魚、卵焼きとサラダと彩りがいい。味噌汁を作っているのを見たときからなんとなく想像していたが、わかりやすい和食だった。


「朝、こんな食べるの久々かも」

「ダメだよ、朝こそちゃんと食べないと。1日のエネルギーなんだから」

「お母さん」

「ママって呼んで」


 くすくすと雫後輩が口元を隠して上品に笑う。


 どんなやり取りだ、これ。

 気のおけない相手との会話みたいだ。いつもなら気にしない他愛ない雑談も、自分の部屋でとなるとおもむきが変わってくる。妙に意識してしまう。


 思春期の中学生か。


「どうかした?」

「経験のなさが浮き彫りになって、枯れた青春を送ってたんだなと」

「……? そうなんだ」


 わかってない相槌だった。

 俺自身なにが言いたいのかわかってないが、とりあえず同意しておこうというのが伝わってきた。


 微妙な空気を誤魔化すように、「いただきます」と両手を合わせて口にする。ひとり暮らしになってから、気づけば口にすることも減っていた食事の挨拶。朝食を作ってもらうのといい、今日は朝から久々が多い。


「召し上がれ」


 雫後輩に促されて箸を取る。

 さて、なにから食べようかと朝食を見渡す。卵焼きかなーと、焼き加減の丁度よい黄色い卵に惹かれたが、さっき雫が味見していた味噌汁が気になる。


 お椀を取って、口をつける。

 ……つけようとして、とまった。


 じーっと見つめてくる琥珀の瞳が気にかかる。


「飲まないの?」

「飲むけど……雫後輩は?」

「うん、あとで」


 いつだ、それ。

 注視されながら食べるという落ち着かない。どうにか雫後輩の意識が逸れてほしいんだけど、いつまで経っても箸を持とうとすらしなかった。


 雫後輩も気になるんだろうけど。

 仕方ないので先に折れて、味噌汁をずずっとすする。出汁の効いたいい味だった。たまに飲んでるインスタントとは風情が異なる。


「どう、……かな?」

「美味しい」

「…………そっかぁっ」


 肩から緊張が抜けたように、雫後輩がはふっと息を吐いて腕を支えにして後ろに仰け反った。


「緊張してたのか?」

「それはそうだよ」


 恥ずかしさを誤魔化すように、彼女は下唇を突き出す。


「男の人に初めて食べてもらうんだ、緊張の1つや2つする」


 エプロン姿で正座をして、雫後輩が恥ずかしそうに俯いている。膝の上でエプロンの裾をぎゅっと握っているのがなんともいじらしく、台詞と合わさってなんともあざとい。

 わざとやっているのかと訊いてみたいが、訊いたところで『なにが?』と首を傾げられるのがオチだろう。


「和食なんだな」

「洋食がよかった?」

「どっちでも……」


 と、言ってから、これじゃあ雫後輩が作る料理に興味ないと言っているみたいだと思い訂正する。


「朝ご飯は食べなかったり、フレークとかで済ませちゃうから。どっちでも嬉しくはある」

「やっぱりママになるしかないのかな?」


 さっきのネタをまたこすられる。

 こすられるようなことを言った俺が悪いが、話をズラす方向性を間違えたか。


「おばあちゃんが和食が好きだったんだ。お米を食べなさいって、あと卵」

「なんか、あれだ。田舎のおばあちゃんって感じ」

「なにそれ」


 笑われてしまった。

 だって、そんな感じだったから。


 自分の語彙力のなさが少し恥ずかしくなる。


「でも、うん。そんな感じだね」


 田舎を思うように雫後輩が呟いた。

 その声はどこかしっとりしているような気がして、ホームシックにも似た感情を匂わせた。


 高校1年生。今年の春から初めてのひとり暮らしだろうし、寂しくもなるか。


 卵焼きを1つ摘み、口に放り込む。

 ネギの感触と出汁の味が口の中に広がる。


「今日はデートなんだし、しっかり食べないとな」


 デートと認めるようで癪だったが、その甲斐があって雫後輩がきょとんっと目を丸くする。じっと見つめられ、なんだかバツが悪くなっているとくすっと笑みを零された。


「そうだね。“同棲してる彼氏”との初めてのデートだから、ちゃんと食べて元気をつけないと」

「……それ、やめない?」

「やめない」


 すげない返事だった。

 ただ、その顔に笑顔が戻っていたので、安心してご飯を食べれるというものだ。


「体が重い……」

「綺麗に食べてくれたものね」


 お皿の上は空。

 米1粒とて残さなかった。


 朝は軽くしか食べないから、しっかりお腹を満たすということになれていなかった。久しぶりに朝からいっぱいになったお腹は、驚いているように活動が緩やかで、消化には時間が掛かりそうだった。


 このまま転がりたい。牛になってもいいから。

 とはいえ、作ってもらって片付けまで任せるわけにはいかない。


 雫後輩の分も皿を重ねてよっこらせと立ち上がると、彼女もパッと跳ね上がる。


「わたしがやるよ」

「作ってもらって洗い物までさせるのは、俺の居心地が悪い」


 ピシャリと手伝いを跳ね除けたが、雫後輩は立ったまま座ろうとしない。

 考えるように瞳を上に動かして、「なら」と妥協案を口にする。


「一緒に洗い物をしよう。うん、それがいい」

「キッチンそんな広くないけど」

「君が洗った食器をわたしが拭く」


 想像する。

 ……なんか、余計に同棲っぽくてあれだった。どうあれよくない。


「ぽいって思った?」

「思ってない」


 置いていこうと思ったが、そのままあとをついてくるので、仕方なく雫後輩が言った通り一緒に洗い物をすることになった。


 スポンジに洗剤をつけて、水を流したまま洗っていく。

 あぁっ、と嘆くような悲鳴が隣から聞こえてきた。


「そんな、水を流しっぱなしでもったいない」

「……俺んちだから、好きにさせてな?」

「でも、さー」


 自分の家でなくても気になるらしい。

 仕方なく水をとめて、先にスポンジで洗っていく。隣から悲鳴のような声は消えたが、もったないに釣られて思い出したことがある。


「食材、雫後輩の部屋から持ってきたけど、あれ、いくらだ? 払うぞ」


 普段、食べてもフレークとかコーヒーだけの俺の冷蔵庫に、魚やら卵といった食材があるわけもない。夜とて弁当なのだからさもありなん。


 なにもないうちの冷蔵庫を見て浮かべた雫後輩の顔は早々忘れないだろう。

 とっても残念そうな顔をしていた。


「いいよ、あれくらい。セールで買ったものもあるし、そこまで高くないから。1人分も2人分も変わらないから」

「そうなのか?」

「そうそう」


 こくこくっと頷かれる。

 それならいいのかと一瞬納得しかけたが、でもなぁと納得がとまる。


 好意をそのまま受け取受け取っていいか、少し悩んで……やっぱり払うことにする。


「いや、そこはキッチリしよう。というか、したい。お金について。こう、なんかモヤッとするし」


 ぎゅっぎゅっと茶碗をスポンジでこする。

 ひとり暮らしというのもあるが、お金は大事だ。それは身に染みている。たとえ、ちょっとした金額だったとしても、適当に済ませたくはなかった。


 今後こそ水を流して、泡立った皿を洗っていく。

 そのまま濡れた皿をノールックで隣に渡すが、なかなか受け取ってくれない。


 ん? となって、顔を横に向けるとどうしてか瞳を大きくして、呆然と俺を見つめていた。


「なに?」

「……ううん、なんでもない」


 首を小さく左右に振って、雫後輩はお皿を受け取る。

 なんでもないって感じでもなかったんだけど。


 どこか遠くを見るように壁を見つめて、ゆるゆると皿を拭く。

 半分眠っているような、そんな雰囲気がして、そのうち皿を落とすんじゃないかと気が気じゃなかったが、どうにか最後まで拭き終えることができた。


  ◆◆◆


 元気がなくなったのかと思っていたが、そうでもないらしい。


「じゃあ、行こうか。デート」


 そういって、玄関で靴を履いた雫後輩が、笑顔で振り返る。

 長い黒髪とスカートがふわりとひるがえった。



  ◆第3章_fin◆

  __To be continued.


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