第3話 正しい先輩と後輩の関係性
今日の天気は昨日に引き続き曇天だったが、俺の心は晴れやかだった。
これまで感じていた雫後輩の距離感の近さがおばあちゃんに似ていると発覚したからだ。
……いや、1から10までそれが理由? なんて簡単なことだとは思っていない。少なからず、これまで接してきて、普通の先輩後輩の仲にはなっていたと思うし。
そう単純な話ではないとわかってはいるけど、それでも、そうした世間一般的な先輩後輩の線を踏み越えてきた理由はそれだったんじゃないかと納得はできる。というよりした。
だから俺の今日の朝は陽は出ていなくても快晴で、学校のテストも集中して受けられるというものだ。
「「あ」」
うんうん、と胸中で頷きながら玄関を出ると、ちょうどのタイミングでアパートの隣室から雫後輩が顔を出した。制服姿で、登校しようとしているのは間違いない。
そういえば、昨日は会わなかったな、といまさらに思う。
テスト期間中ということもあって委員会はなく、アルバイトも店長が気を遣って休みにしてくれた。
俺としては働きたかったが、『学生の本分は勉強ですよ?』と至極真っ当なことを言われると、そうですね、以外の返事ができなくなる。この世で1番強い言葉は正論かもしれない。
だからか、雫後輩に会ったのは一昨日の夜。
押し倒した……ではなく、夕飯を一緒にした切りだった。
微かな気まずさはある。
でも、それを表に出すと意識しているみたいでなんか嫌だし、なにより気にする必要がないとわかった以上、気軽に接するべきだろうと考えた。
なので、アパートの住人に偶然会ったように……というとそのままだが、軽く手を上げて朝の挨拶をする。
「おはよう」
「……っ」
言ったら、バタンッと扉を閉められた。
あれ? と思っていると、今度は恐る恐るといった様子で開いて、臆病な小動物がするように隙間から覗いてくる。
「おは、よう……ございます」
なぜ敬語。
無防備なほどな距離の近さはどこへ行ったのか。警戒心もあらわに琥珀の瞳が暗がりから見つめてきて、なんだか少し怖い。
初対面以上に、心の距離を感じる。
やたら気安く接してくるけど、親戚の子のように接すればいいと思っていた矢先に予想外の反応に心がざわつく。心は快晴だったのに、さっそく雲行きが怪しくなっている。
これはあれだよな、一昨日の押し倒しを気にしてるん……だよな。
むしろそれ以外に理由を思いつかない。あっても困る。
結局、あのあとはお互い気まずく、ぎこちないまま流してしまった。俺も動揺していたし、雫後輩もたぶんそうだった。日を跨げばどうにかなると考えていたわけじゃなく、ただ単純に心のどこかでいつもに戻れると思っていた。
その結果が、毛を逆撫でた警戒心MAXの猫だ。
正直、面食らっている。
でも、これは俺が悪いなと頭をかく。
考えが及ばなかったとはいえ、あんなことをしでかしてなぁなぁで済まそうとしたのは俺の落ち度だ。
鞄を置く。
びっくりしたように琥珀の瞳が揺れた。
どうにか逃げないよう距離を測りつつ、雫後輩の前――と思われる場所に立つ。
そのまま頭を下げる。
「悪かった」
「え」
驚きの声がした。
当然か。いきなりと言えばいきなりだ。
でも、これは必要な行程だと思い、頭は上げない。
「一昨日の夜……その、不快な思いをさせたから。一応、謝りはしたけど、ちゃんとできてなかったなと思ったんだ。意図したことじゃなくても、あぁなったのは俺が原因だから謝らせてくれ」
ごめん、と言うと「あ、な、え、ぅ」と言葉になってない鳴き声が聞こえてきた。
逆に負担をかけてる気がする。
でも、いまさらここで謝罪を撤回するのも中途半端でよくなかろう。だから、誠心誠意頭を下げ続けていると、「へ、平気、……だから」と震える声でたしなめられる。
「その、あれは華先輩は悪くなくて、むしろわたしが悪かったと言いますか。と、とにかく顔を上げて」
「でも、気にしてるだろ?」
暗に部屋から出てこないし、というとまた「ひぅっ」とうめくように鳴いた。
俺はいま、人慣れしてない猫を手懐けようとでもしてるのか。
「これはそれとは違うと申し上げますか、いやまったくこれっぽっちも華先輩が関係ないかというと100%関係はあるんですけどぉ」
「気を遣わなくてもいいんだぞ。1発、叩くくらいはしても怒んないから」
「めめめ滅相もない!」
雫後輩の声が跳ねている。
さっきからなんかやたら恐縮しているのはなんなのか。押し倒したせいで警戒されているのかと思ったが、なんか様子が違う気がする。
別の理由?
でも、一昨日の件以外は思いつかないんだけどなぁ。
うーん、と廊下を見下ろしながら頭を捻っていると、蝶番が軋むように鳴く。コツンと足音がして、視界の端にローファーの先端がちらりと覗いた。
「こ、れはわたしの責任で、……せい? で。関係あるとかないとではなく、華先輩はなにも悪くないので、とにかく顔を上げてくださいお願いします!」
そうまで言われては顔を上げるしかない。
相手を困らせる謝罪は、ただの自己満足だ。それで謝る意味がない。
だから、下げていた頭を持ち上げる。
隙間から出てきた猫が目の前に立っていて、目を合わせると「……っ」と避けるように目を伏せられてしまった。
露骨に意識されてる。
心なしか頬も赤い。これまでとは180度異なる態度を取られて、『俺は関係ないのか、よかった』と安堵できるほど察しは悪くない。
疑う余地なく俺のせいだよな、これ。
「ほんと、悪いな。このお詫びはするつもりだ」
「華先輩は本当に悪くありませんから」
「でも敬語」
指摘すると、口をもごもごさせる。
言い訳のように「これは、ですね」と呟いて、白い手が唇を隠した。
「なんと言いますか、距離を……そう距離感を測りかねている感じで、決して華先輩を嫌っているとかそういうのではないので、勘違いしないでくださいねっ!?」
新種のツンデレだろうか。
1周回って正統派かもしれない。
でも、そうか。距離感か。
俺と同じようにかはわからないが、それでもあの事故をキッカケに雫後輩も俺との関係を見直そうしているのかもしれない。接触の多さから見誤っていた関係性を正す。
それを少し寂しく思うが、正しく健全な先輩後輩の関係になるのならその方がいいはずだ。
制服の上から二の腕を擦って、挙動不審な後輩を見て、肩の力を抜くように笑う。
「わかったけど、いまさら敬語はやめてくれよ? 背中がむず痒くなる」
「はい、わかりまし……わかる、けどぉ」
もどかしそうにする雫後輩に笑いが込み上げていると、わかりやすい着信音が流れる。デフォルトそのままのメロディで、俺か? とも思って制服のポケットに触れるが、そもそもサイレントモードで音は出ない。
震えてないことを確認して雫後輩を窺うと、慌てて学生鞄からスマホを取り出した。
画面を見て、驚いたように目を丸くする。
「ごめん、ちょっと」
「あぁ、先行く」
残っていても邪魔だろう。
一緒に登校するのかと思っていたので、残念に思う気持ちが僅かにあるが、こればかりはタイミングが悪かったというしかない。
どうせ学校に着いたら今日もテストだしな。
やる気しないと肩を落としてアパートの廊下を歩く。と、後ろから「……え」という声を拾って立ち止まる。
「……おばあちゃんの家を、処分する?」
その声が酷く、悲しそうに聞こえたから。
◆第10章_fin◆
__To be continued.






