第2話 side.雨下雫 もう異性としてしか見れない
知らない男女の写真が並んで、鼻をつく線香の香り。白い花がやけに目を焼く。
ただ、なによりも覚えているのは、わたしの手を強く握って、歯が折れそうなほど食いしばっていたおばあちゃんの顔だった。
当時、わたしは幼稚園の年少で、記憶なんて朧気だ。
正直、小学校のできごとすら曖昧で、それより以前の両親のお葬式のことを覚えているのはよっぽどおばあちゃんのことが印象的だったからだと思っている。
わたしにとって家族とは、おばあちゃんとイコールだ。
両親の遺影は実家にあるけど、その顔を見ても自分の家族という気持ちにはならなかった。薄情だとは思う。でも、記憶にないのに『これがあなたの両親です』と言われたところで、そうなんだと認識を改めることできない。
血は水よりも濃いなんて言葉があるが、記憶の伴わない血はただ血としてしか認識できず、そこに思い入れもなにも感じることはできなかった。
その点でいえば、おばあちゃんとは血は繋がっていて、育ててもらった記憶もある。
だから、わたしにとって『家族』とはおばあちゃんのことだった。
そんなわたしの家族は……端的にいえばお金に厳しい人。
――お金に関してはキッチリしな。
1円だろうと貸し借りはするな、貸したなら死んでも取り立てろ。
わたしが友達に駄菓子を買うのに10円貸したーと言ったら、家まで押しかけて相手の両親の前でキッチリ返させるほどだった。見事に、もしくは当然とばかりにわたしは友達を失くしたわけだが、特におばあちゃんを恨むことはなく、そのときの言葉だけを覚えている。
――金の切れ目が縁の切れ目なんて言うがね、金が間に挟まった時点で縁なんてとっくに切れてんのさ。
そう吐き捨てるおばあちゃんを見て、子どもながらになんかあったんだろうなーと思っていた。
あとになって、両親が家を買うのにおばあちゃんから頭金を借りていたというのを知る。バツが悪くなったのか、それきり両親は顔を見せることなく、最後の対面が葬式だったことに思うところがあったんだと思う。
さすがのおばあちゃんも、地獄まで取り立てにはいけなかったらしい。
そんなおばあちゃんに『幸せになりな』と言われて上京したわけだが、幸せとは一体なんなのか。はて? と疑問は尽きない。
わたしにとって幸せとは『家族との生活』だった。
でも、ひとり暮らしになると成立しなくなる。
おばあちゃんの言うことは極力守ってきたが、こればかりは難しい。
かといって、実家に戻ったところで意味はなく、さてどうしようと思っていたときに華先輩と出会った。
最初はただの優しい隣人。
困っていたときに声をかけて助けてくれた人だった。田舎では困ったら助け合うのが普通だったから、当時は当たり前のように感じていたが、都会ではそんなこともないらしいと生活していくうちに知っていく。
とりあえず、落とした財布は戻ってこない。
都会の冷たさに泣きながらも、華先輩だけは折に触れて世話を焼いてくれた。
アパートの隣室だからとか、同じバイト先だからとか、接する機会が多いのもあるだろうけど、気質も十分にあると思う。そうでなければ、水が出ないと困っていたときに声なんてかけない。
そんなところに居心地のよさを感じていたが、おばあちゃんに似ていると感じたのは植物園デートの朝。朝食を終えて、華先輩と皿洗いをしているときに彼が口にした言葉だった。
『そこはキッチリしよう。というか、したい。お金について。こう、なんかモヤッとするし』
お金の大切さをしかめっ面で語る横顔に、一瞬だったがおばあちゃんの面影があった。
それがキッカケだったのか、はたまた最初から無自覚に『おばあちゃんの面影』を誰かに求めていたのか。
そこからは、華先輩のおばあちゃんに似ているとこを探しては、繋ぎ合わせていった。
チグハグで、いびつ。
なにもかもが違うのに、ちょっとした優しさにおばあちゃんを感じて安らぎを覚えていた。そんな彼が語る『幸せの形』は、おばあちゃんの残した『幸せになりな』という言葉と似ていて、そこにわたしの幸せもあるんだと確信した。
……そう思っていたんだ、昨夜までは。
「わたしが感じていたのは、華先輩への好きって気持ちだった……!」
押し倒されて、異性を強く感じた。
その瞬間、わたしの見ていた『おばあちゃんの面影』は綺麗さっぱり消えて、残ったのは彼のそばにいるのが好きという気持ちだけだった。
最初からわたしの中にあったのは華先輩への好意で、それを『おばあちゃんに似ているから』という理由と勘違いしていただけ。
とんだ取り違い。
そんなことあるのだろうか、普通。少女マンガの主人公だって、髪の毛に芋けんぴはつけてもこんな取り違いしない。いや、芋けんぴだって普通つけないけど……!
おばあちゃんと確認するように零したときの華先輩の顔!
自分が呼ばれたなんて認識はなく、ただただ驚愕と疑問で困惑していた。当然だ、だっておばあちゃんとは関係ないのだから。そもそも似ている探しをし出したら、人間どこかしらは似るものだ。
目と鼻と口がおんなじだ。
「あぁうあぅあがばっ」
喉からやばい声が漏れる。
人の声かと自分で自分に疑問を持つ。映画のエイリアンみたいだ。
恥ずかしい、泣きたい。むしろもう泣いている。
バタンバタンッと足でベッドを叩く。
1階でよかったと僅かに残った冷静な部分が思うくらいには、加減のない蹴りだった。
一頻り暴れて、でもしょうがないでしょ? と言い訳する。
弱っていた。心が。
なんならいまだって弱っている。ふにゃふにゃだった。
人生をやめたくなるくらい嫌なことがあって、そこにふって湧いた幸せがあれば縋るに決まっている。
……縋った先が高校の先輩で、おばあちゃんと似ているからなんて理由なわけだけど。
羞恥と冷静を繰り返して、頭がどうにかなりそうだった。
寝てないせいか、思考もまとまらないくらい頭が重いのに、目だけはやたら冴えている。
ぐでっと脱力して、押し付けていた枕から僅かに顔を上げる。
「……これからわたしは、どうすればいいの?」
始まりから目を覆いたくなるような初恋は、前途多難なんて言葉じゃ言い表せないくらい道なき道だった。






