第3話 女の子を押し倒すなんてベタな展開
駅前のスーパーで買い物をしてアパートに帰ると、雫後輩は自分の部屋を通り過ぎてしまう。そのまま、当たり前のように俺が自分の部屋の鍵を開けるのを後ろで待っていて、なんとも言えない気分になる。
許可したし、いいんだけど。
部屋のドアを開けて入ると、雫後輩も続く。
「お邪魔するね」
「はいはいどうぞ」
やや投げやりになりながらも招き入れる。
同棲しているわけでもないのに、一緒に帰ってくるってのも変な感じがする。友人が遊びに来たと思えば……と、納得しやすい状況に当てはめようとしたが、家に他人を呼んだことがないので上手く想像ができなかった。
高校にもなると、家に呼ぶ機会もないよな。
俺は近くに引っ越したが、高校となると通学距離は延びるのが一般的だ。自転車どころか電車通学も当たり前になって、自分の部屋に学校の友達を呼ぶというハードルが物理的に難しくなる。
そう考えると、アパートの隣室というのは家で遊ぶには、これ以上ないほど適しているのかもしれない。時間帯が夜で、男女という部分を除けば、だが。
「それじゃあ、さっさと作るよ」
「手伝いは?」
「まだいいよ。あとでお皿とか並べてもらおうかな」
手洗いうがいをして、エプロンをした雫後輩に手伝いを申し出るとそんな返答をされる。
皿って、子ども扱いだった。
学校の先輩で、この部屋の家主なのに。
とはいえ、料理は得意じゃない。
邪魔したら悪いのでローテーブルの前で小さくなっておく。なにもしないことこそ、最高の手伝いだと誰が言ったか。あ、俺の母親だとなんだか悲しくなる。俺はそんなに邪魔か。
膝を抱えてしばらくすると、キッチンの方から「テーブル拭いてー」という声が届いてくる。ようやく出番かと意気揚々と立ち上がって、さっとローテーブルを拭く。
一瞬で終わってしまった。やっぱり子どもの手伝いだ、これ。
「できたよ」
と、雫後輩が大皿に盛ってきたのは肉じゃがだった。
添え物のほうれん草のおひたしなんかもあって、健康面にも気を使っているのだろうか。
相変わらず俺の家のテーブルではギリギリだけど、どうにかお皿を並べきる。お味噌汁から、と思ったが肉じゃがが気になったのでそちらから貰う。
味の染みたじゃがいもがほろりと口の中で崩れる。熱い。
「でも、美味い」
「でもってなに?」
疑問を口にしながらも、やっぱり褒めてもらうのは嬉しいのか雫後輩の口元が綻んでいる。
「やっぱり料理上手いよな、誰かに教わったりしたのか?」
「……うん、お手伝いみたいな形だったけど」
やや言いづらそうにしながらも、雫後輩が緩く頷く。
あんまり触れてほしくなさそうなので、口をほうれん草で塞ぐ。美味い。
手がとまらないくらい絶品だったが、量が多かったからか肉じゃがが余ってしまった。山盛りだったもんな、と思っていると、キッチンに行っていた雫後輩が戻ってくる。
その手にはタッパーが乗っていた。
「明日のお弁当にでもしようか。朝、渡すね」
「なに平然と昼まで侵食しようとしてるんだ?」
夜だけでも抵抗があるのに、昼までなんてとんでもない。お隣さんからお裾分けならともかく、学校の弁当まで作ってもらうとかもはや意味がわからなかった。
言ったら、雫後輩は俺を見て、余った肉じゃがを見る。
「でも、勿体ないよ?」
「……わかっててこの量にした?」
「まさか」
タッパーを膝に置いて、彼女は大げさに手を上げる。
「煮物は量ができちゃうものだよ」
「そういう……ものか?」
「カレーもそうでしょ?」
そうかも?
確かにこの前、カレーを作って雫後輩にもあげた。なら、彼女の言っていることは嘘じゃないのだろうか。いやでも作ろうとすれば人数分作れない?
むむっと唸るくらい考えても、料理なんてほとんどしない俺にはわからない。カレーの野菜すらすでに切られてパックになった物を使ったしな。包丁の使い方すら怪しいぞ、俺は。
ネットで調べてやろうかと思ったが、「これ、詰めといて」とタッパーを渡されてしまう。それくらいやるが、なんだかなぁなぁにされて気分になって、唇が尖る。
ご飯を食べて、ほっと一息……というわけにもいかず。
洗い物をしてようやく部屋でぐだぐだする。日が変わるにはまだ早いが、夕飯を食べるには遅かった。宵の口というにも遅すぎる。
そろそろ帰さないと。
正座で白湯を啜ってのんびりしている雫後輩を窺う。このまま居着きそうな腰の下ろし方だ。男の部屋でその慣れ親しんだ空気を出すのはどうかと思う。
やっぱり意識されてないのか、男として。
意識されたいかというとそれも違うが、かといって落ち着かれすぎるのもどうかと思う。
納得できないものが胸の内で渦巻いて、じーっと見ていると唇をもにょっとさせた雫後輩がこっちを向いた。
「頬に穴が空きそうなんだけど……なに?」
「なにかと問われると、なんだかなーってなる」
「寝てるの? 頭が」
かもしれない。
学校とバイトで疲弊して、お腹は一杯だ。眠たくなる条件は揃っていて、頭が回っていないのかもしれない。だから、これから行うのはきっと眠いからで、普段の俺ならしないことだ。
そんな言い訳を心に置いて、ちょいちょいと手招く。
「?」
不思議そうに瞳を瞬かせた雫後輩が、素直にローテーブルを回って俺の前でちょこんと正座する。
「じゃあ、手出して」
「あの……酔ってる?」
「酔ってる」
「訊いといてなんだけど、お酒は出してないからね?」
困惑する雫後輩に構わず俺は「ん」と手を出す。
差し出した俺の手を見て、どうしようか悩んだように雫後輩は手を中途半端に浮かせたけど、最終的にはいいかというノリで重ねてくれた。
俺が言ったこととはいえ、どうしてこうも無防備なんだろうか。拒絶されても仕方のない要求なのに。
そう思いつつ、彼女の手に意識を向ける。
触れるひんやりとした手。
その白さから雪みたいだなと思うこともあったが、こうして触れると間違いなかったと実感する冷たさだった。
雫後輩の手を両手で包む。
僅かに震えたのを感じて顔を上げると、さっと琥珀の瞳が逃げていった。
ぼそり、と雫後輩が消え入りそうな声で言う。
「これは、だから、……なんで?」
「ドキドキするかなーって」
「……い、意識してほしいの?」
「わかんない」
本心から言うと、「ほんとなんなの……」と愚痴るような言葉を拾う。
彼女にとって前フリもなく、交通事故みたいな突然さだ。困惑するのも無理はないが、俺からすればずっと気にかかって胸につかえていたものだ。
大した怪我じゃなくっても、指を切って血が出れば気にはなる。
それを少しでも払拭できたらと名瀬の真似をしてみたが……はたしてこの行為に意味はあるのだろうか。
「んー?」
「そんな見ないでほしいんだけ、ど?」
雫後輩は頬どころか鼻先まで赤くなっている。
目がぐるぐるして、動揺もしている。
でも、これって男として意識してるのと関係ある?
俺の抱える違和感ってこういうこと?
目的地が曖昧なせいか、辿っている道程が正しいのか判断できない。確かに照れてはいるけど、俺の求めてる答えとは違う気がする。
「駄目だ」
ゆるゆると首を左右に振る。
「……、なんで急に手を繋がれて嘆かれてるの、わたし?」
まだ頬は赤いままだが、雫後輩は拗ねたように下唇を突き出す。
この子から見れば理不尽極まりないだろうからな。
「悪かったよ」
謝って、手を離して、立ち上がる。
ただそれだけを1度にやろうとして失敗してしまった。
「あ、華せん――」
雫後輩が呼ぶ声は途切れて、視界が傾く。
自分の考えばかりに意識が向いて、雫後輩側からも手を握っているのに気づいていなかった。手を離したつもりが繋いだままで、そのまま立ち上がろうとしたせいで腕が彼女の方に引っ張られる。
立とうとした半端な姿勢も悪かった。バランスを崩して、前に倒れる――座っている雫後輩の方へ。
『やば』と思ったのは、視界いっぱいに驚いた雫後輩の顔が迫ったときで、手遅れになってからだ。
カメラを転がしたように視界が回る。
暗転して、ごちんっとぶつかったおでこが痛い。
「つーっ、すまん。大丈夫……か?」
と、ぶつけてチカチカする目を開けると、雫後輩が倒れていた。
これでもかって目を見開いて、俺の下で。
どうにか四つん這いで耐えて、雫後輩を潰さずに済んだが、この体勢はいろいろとマズい。完全に押し倒している格好になっていた。
こういうことが現実にあるんだな。
痛みが意識を明瞭にして、割りかし冷静な頭がそんなどうでもいいことを考える。
本当ならこれで照れたりするもんなんだろうけどなぁ。
1番意識してないのは俺なのかもなと思いつつ、「すぐ退くから」と立ち上がろうとして、雫後輩のこぼれるような呟きを聞いてしまった。
「おばぁ……ちゃん?」
ピタリと起き上がろうとした体が固まる。
彼女の顔の横から浮かした手で、自分の顔に触れる。
……祖母に似ているってこと?
雫後輩を押し倒した体勢のまま、衝撃的な事実を知る。
もしかして、とも思う。
俺っておばあちゃんの代わりだったりするのか?
それなら異性として意識しないのも、やたら無警戒で距離が近いのもわかる……わかるが。
まさかなと否定するも、どうしても拭いきれないものが心の表面に油のように残った。
◆第9章_fin◆
__To be continued.






