第1話 土曜日の資格勉強中にかわいらしい青春が訪ねてくる
「資格の勉強なんてしてたんだね」
バイトが終わって店を出た途端、雫後輩にそんな質問をされた。
まるで待っていたかのようで、参考書を見たときから気になっていたのかもしれない。それなら仕事中でも訊けばよかったのにと思うが、公私をわけているのだろうか。
いやでも普通に話してたしなぁ。
なんでだろうと思いつつ、せっかくの帰り道の話題なので乗っかることにする。
「いずれは……とは考えてるから、口だけにならないように準備くらいはな」
「花屋の開店準備だよね」
穴埋めをするように言われて、「……そうだけど」と渋い声が出る。
将来の展望を語るのは気恥ずかしいので避けたのに、そんな俺の気持ちを顧みてくれない。いいけどさ、雫後輩は知っているから。いいけども……と、それでも引っかかるのは感情の問題だろう。首筋がむずむずする。
首の裏をかきながら、言い訳のように口が動く。
「あくまで資格の勉強だから」
「そのフラワーデザイン? の資格を取ればお店を開けるの?」
「いや関係ない」
バッサリ否定すると、目を丸くして「ん?」と考えるように雫後輩は眉根を寄せる。
「関係ないんだ」
「なくても開店はできるけど、技術として持っていた方がいいって話」
「んー」
歩きながら、雫後輩がすっかり暗くなった空を仰いだ。
「それは車の運転に免許はいらないけど、取得する……みたいな?」
「いや、いるだろ免許。捕まるぞ」
「なら、カフェを開くのに調理師免許は必要ないけど、あった方がなにかとお得ということ?」
「近くなった……けどなにその例え」
「イメージしやすいから」
しやすいか、その例え。
聞いてるだけで、逆に混乱するんだが。
「じゃあ、これからフラワーなんとかの資格を取るために勉強だね」
「資格の情報量が下がった……」
あんまり興味ないのか、こいつ。
「まぁ、資格自体は持ってるんだけどな」
「……?」
暗がりでもわかるくらい、雫後輩の顔が“わからない”とぽけーっとしだす。
わかってないなというのが見てわかる。所謂『わかった!(わかってない)』状態。この説明だけだとそうなるとは思ってたけど。
「3級持ってて、今度取りたいのは2級なんだ」
「あ、そういう」
ようやく納得がいったらしく、雫後輩の頭上で理解の電球が点いた。
「大変なんだ、花屋を開くのも」
「お店を開くってそういうことだろ」
花屋であれカフェであれ、自分のお店を持つというのが簡単なわけはない。生活の保証もなく、1年経たずに潰れる店もあると耳にする。
「それでもやるんだ」
「好きだからな」
結局、行き着く先は感情なんだろう。
好きだからやる。
嫌いだからやらない。
ただ、それだけ。そこに言い訳のような理由が乗っかっていって、本質を見失うこともあるけれど、労苦を乗り越える原動力はいつだって感情だ。
「そっか」
雫後輩が横断歩道の前で立ち止まって、くるりと振り返る。
「なら、わたしも応援しないと」
「……なんで?」
思わず訊いてしまった問いかけ。
すぐに口にしたことを後悔したけど、彼女は微笑むだけでなにも答えはしなかった。
よかったような、もぞもぞするような。
複雑な心境というやつだった。
「ひとまず今夜はわたしが夕飯を作るよ。精をつけないとね、精を!」
「年頃の女の子が精精って言うもんじゃありませんよ」
「なんで?」
きょとんと、無垢な瞳で『なんで?』返し。
本当にわかってないのか? それともからかってる?
女心なんてわからない俺には、雫後輩の心なんて読めない。だから、彼女を真似して意味深に笑うだけに留めて、肩をすくめて青になった信号を渡る。
◆◆◆
学業に勤しんで、バイトをして、家でも資格の勉強。
「癒やしがねー」
広げた参考書とノートの上で撃沈する。
せっかくの土曜日。しかし、今日は午後からバイトがある。はたしてこの状況を休みと言っていいのだろうか。スマホが鳴る。見ると、友樹からで『カラオケちゅー♪ 里波もどうですかー?』と、クラスの男女数人で騒いでいる写真が送られてくる。
「……死ね」
自身との明暗に思わず本音がこぼれる。
さすがに送りはせず、『午後からバイト』と打って、ドクロのスタンプと一緒に送り返した。見れば、スマホの時刻はまだ朝の9時過ぎだった。休みとはいえ朝っぱらなにしてんだ。
「あー……だるい。ちょっと休憩」
背中から倒れる。
丸い電灯と白い天井を見上げる。
高校生らしさとはなんなのか。遊ぶことか、勉強することか。将来のためとはいえ、10代の青春を浪費しているような感覚があって、時折こうして立ち止まって考えてしまう。
人生に正しさなんてないのはわかっている。
それでも、あっちの方がよかった、こっちがよかったと考えるのをやめられない。
「とりあえず、今度会ったらしばこう」
腹立つ友人の笑顔を想像で殴ると、呼び鈴が鳴った。
この時間帯。誰か、なんて考えない。億劫になりながらも体を起こして、玄関を開ける。そこには当たり前のように雫後輩が立っていて、「おはよう」と笑顔で挨拶してきた。
「おはよう……って、なんで鞄?」
「あぁ、これ?」
雫後輩が掲げたのは学生鞄。
また朝食でも作りに来たのかと思ったが、違う雰囲気を感じる。
だぼっとした灰色のパーカーに学生鞄は不釣り合いに見える。裾の先から白い太ももが覗いていて、『下にちゃんと履いてるよな?』と期待と心配でそわそわするような、ラフな格好だった。
揺れるパーカーの裾に誘われていると、雫後輩が屈託なく笑う。
「一緒に勉強しようと思って」
お家で勉強会。これも1つの青春だろうか。






