第2話 他人の夢のために努力する彼女
「里波、ヒモなの?」
放課後。
クラスの友人にそんなことを言われた俺は、どんな顔をするのが正解なのか。
驚愕か、呆れか。
「あのぉ……振り上げた拳を下ろしてもってもいいでしょうか?」
殺意だったらしい。
帰りのホームルームを終えて、静かになっていく教室。殺人には持ってこいだなと思う。怖い笑顔もやめてというので、内心は一旦棚上げにして、目を眇めて友樹を睨む。
「なんだ急にヒモって。お前の首をくくればいいのか?」
「殺意消えてないんだけど」
棚に収まりきらなかったらしい。
「で、なに?」
「なにって、昼休みに雨下さんが来てたじゃん?」
「そうな」
「奢るって言ってたでしょ?」
「奢られてないが」
「ヒモかなって」
「奢られてないがっ」
わかりきっていたやり取りだったが、わかっていても平静を保つのは難しいようだ。友樹を殴りたい気持ちが抑えられない。
「いいなー、美少女のヒモとか。男の夢だろー」
「うっさいあっちいけ穀潰し」
人の机で項垂れるアホを羽虫のように追い払う。
ちぇーっと悪態をついた友樹が教室から出ていくのを見届けて、バタッと机に倒れ込む。こうなる気はしていたが、精神的負荷は予想以上に大きかった。
「ヒモって、バイトしてるし、まだ学生なんだけど」
誰かヒモの定義を教えてほしい。
はぁ、と小さくため息をついて昼休みの出来事を思い出す。
わざわざ上級生の教室まで来て『お昼を奢る』なんて言い出した雫後輩。朝っぱらから渋沢さんを渡そうとしてきたときから嫌な予感はしていたが、こうも人の目があるところでもやるとは思っていなかった。
見事なフラグ回収だ。
寝起きだったとはいえ、不用意な発言をした朝の俺を呪いたい。
「……ぜったい噂になってるよなぁ」
机で頬を潰しながら、嫌な想像に顔がくしゃる。
正直、直接的に言ってきた友樹はまだマシだった。否定できるし、まだ冗談の類として扱える。ただ、これが1歩教室を出ると収拾がつかない。
もともと雫後輩と付き合っているなんて噂になっていたくらいだ。
話題性のある恋バナに、スキャンダルまで足される。帰ってきた頃には蛇に足どころか、どんな化け物になっているか想像もしたくなかった。
学校に登校したくなくなる。
「ふひっ」
おかしくもないのに変な笑いが漏れる。
もはや末期だ。
「そもそもどうして雫後輩はあんなこと言い出したのか」
俺の花屋を手伝うって。
それが応援してるよ、という気持ちだけならなにも問題はないし、俺もありがとうで済ませられた。それがいきなりの現ナマだ。狼狽える俺の気持ちもわかってほしい。
別に植物園のときも普通だったと思うんだけど。
「なにが雫後輩の琴線に触れたのか」
まるでわからなかった。
あー、と突っ伏してうだうだしていると、肩をちょんちょんっと突かれた。まさか、雫後輩か? なんて肝がヒヤッとしたが、顔を上げた先にいたのはクラスメイトの女子だった。
「なに?」
「お迎えが来てるよ?」
と、そういう彼女の瞳は好奇心で輝いている。
首を倒すように彼女が指差す入口を見ると、学生鞄を持った雫後輩が片手を上げて楚々として手を振ってきていた。
「今度、馴れ初めを聞かせてね?」
「ははは」
あるかそんなもん。
◆◆◆
構われると鬱陶しく思うが、いざ話かけてこないと不満に思う。
いまの俺の心境はそんな面倒くさい構ってちゃんに似ているのかもしれない。
けど、抱いている感情は不満ではなく不安だったが。
「人気な花、ですか? 夏はやっぱり向日葵ですね。紫陽花なんかは品種によって色も多彩ですし、土壌でも変わります。天然の理科実験みたいで楽しいですよ?」
「なるほど」
店先で店長から花について教えてもらっている雫後輩が、ふむふむと一生懸命メモを取っている。バイトとして働くようになってから1ヶ月と半分ほど。
そろそろ新人というタグも外れてくる頃合いだが、さすがに店で売られている花の種類を全部覚えるなんて到底無理な話だ。1年以上働いている俺ですら無理なのだから。
さすがにレジは手慣れてきているが。
それに学生バイトだ。覚えられるに越したことはないが、働くとしても高校3年の始めくらいまで。受験勉強だ就活だと忙しくなれば、バイトとて辞めるしかなくなる。
指示された仕事がちゃんとできる。それだけで十分だと思うんだが、なにやら客がはけて手隙になったタイミングで、雫後輩が店長から教えを請い始めたのだ。
昨日までなら『頑張ってるなー』で済んだ話も、朝から変わった態度を目にしているから疑ってかかってしまう。
俺とは関係ない……と思いたい。
「華さんは幸せものですね。夢のために一緒に頑張ってくれる彼女さんがいて」
「もう少し夢を見させてくださいよぉ」
思いたかったが、戻ってきた笑顔の店長にあっさり現実を突きつけられて、レジ中で嘆くことになった。
もはや彼女じゃないと否定する気力もない。
「嬉し泣きですか? このぉ、幸せ者め! 羨ましいですぞぉ!」
「そんなんだから結婚できないんですよ」
「で、できますしぃっ!? しようと思えばいつでもできますしぃ! ただ、私に見合った相手がいないだけなんですから!」
あまりにもウザかったので皮肉で返したら、なんか余計に鬱陶しくなってしまった。
結婚相談所に出してる条件が高収入イケメンかつ自分は専業主婦な、『結婚できないのは男に見る目がないから』みたいなことを言っている。
実年齢はともかく20代でかわいらしい女性に見えるのだから、本人の言う通り相手さえ選ばなければ結婚できそうではあるが……この人、恋よりも仕事に生きてるからなぁ。
結婚したいというのも、口先だけな気もする。
「店頭見てるんで、店長はさっさと配達の準備してください」
「はーい」
さらっと切り替えて奥に引っ込む。
愉快な店長と思っていると、雫後輩がメモを見ながら戻ってきた。
「花の種類を覚えるのは大変ですね」
「……一応訊くけど、なんで急にそんな頑張ってるの?」
途端、きょとんっとする。
「華先輩の手伝いになるかなって」
「そうですか」
嬉しさと戸惑いが同時にあって、素直に喜べない。
◆◆◆
「お疲れ様でしたー」
「お疲れ様です」
バイトを上がって、雫後輩と揃って店を出る。
5月中旬。
夏が近づいてきて陽は延びているが、バイトの終わりはいつも真っ暗だ。
住んでるアパートが同じだから。
そんな理由でいつも一緒に帰っているが、今日に限っては「少し買い物していくから」と雫後輩が別れようとする。
「ほーん、買い物」
「そう、買い物」
ならいいか、と暗い中送り出すほど薄情ではない。
身近で事件があったとは聞かないが、それでも女子高生が夜歩きはなにがあるかわからないものだ。
買い物くらい付き合う甲斐性はあるが……。
「なに買うの?」
「食材を」
なるほど食材。
そう思ってじっと見ていると、つーっと雫後輩の目が泳いだ。
「……華先輩の夕食も作れたらって、思ったの、かも?」
「逃げ道を残すな」
押しかけるつもり満々の癖に。
やりすぎているという自覚はあるのか、きまり悪そうに俯く。
ちらり、と上目遣い。
「だめ?」
「それやったらなんでも許されると思うなよ」
かわいいけども。
はー……と長く息を吐く。
「せめて理由くらい訊かせてくれ」
話はそれからだ、と目を細めて訴える。






