悪魔(4)
「志茂部君、『劣悪な条件』とは人聞きが悪いじゃないか」
布瀬川校長が異議を申し出る。
「澪葉の言うとおりに出産を認めさせて、全7階の住まいまで提供し、さらには食事まで私が出していたんだぞ。至せり尽くせりではないか」
果たしてそうだろうか。
僕は、先ほどまで一緒にいた澪葉さんのやつれた姿を思い出す。骸骨のように痩せ細り、血色も悪く、決して衣食住が満ち足りているようには見えなかった。
「円形校舎の幽霊」と見誤られるほどの容姿だったのだ。
やはり、舞泉さんがその点を指摘する。
「よく言ったものだ。澪葉は、基本的に、狭い地下室で暮らしていた。そして、与えられていた食事も、極めて粗末なものだったのだろう?」
そうだったのか。地下室で見た布団は、澪葉さんの寝床だったのか。
そして、小机に置いてあったビスケットと水が、澪葉さんに与えられていた食事だったのである。
地下室の光景を思い出すだけで、澪葉さんが人間として扱われていなかったことがよく分かる。
「勘違いしないでくれよ。澪葉が地下の踊り場で寝起きしていたのは、私の指示ではない。澪葉の希望なんだ。私は円形校舎全てを澪葉に与えたのに、澪葉は、なぜかずっと狭苦しい地下の踊り場で生活していたんだ」
踊り場、ということは、あそこはあくまでもエレベーターを乗り降りするために作られたスペースに過ぎないということだろう。
「澪葉は、それくらい他の生徒の視線を恐れていたのだろう。澪葉は責められぬ」
たしかに円形校舎には、カーテンが閉められているとはいえ、窓がある。
すぐそばを知り合いが素通りする環境は、隠居している澪葉さんが心穏やかに過ごせる場所ではない。
「食事だって、澪葉があまり欲しがらないんだよ」
「澪葉を、そのような精神状態に追い込んだのは、悪魔、お前だ」
たしか澪葉さんは、お腹の中の赤ちゃんに栄養を与えられなかったのは自分のせいだ、と悔いていた。
それは、舞泉さんの言うとおり、澪葉さんの精神が乱れていたからであり、それは、最初の原因を作った布瀬川校長のせいにほかならない。
「舞泉君、是が非でも私を悪者扱いしたいようだな。少なくとも、澪葉は私に感謝しているはずだ。私は、澪葉の『無理な願い』を聞き入れた恩人なんだ」
「澪葉は知らないだけだ」
「知らない? 何をだ?」
「悪魔、とぼけるな。澪葉のお腹の子を殺したのはお前だろ?」
舞泉さんの指摘は、恐ろしいものである。
布瀬川校長は、澪葉さんに子どもを産ませるために匿っておきながら、澪葉さんの子どもを殺害したというのだ。
しかし、それは、澪葉さんの話と矛盾している。
「舞泉さん、澪葉さんは、お腹の子を早産によって失ったんじゃ……」
「シモベ君、澪葉の食事は全て悪魔が管理していたんだ。意図的に早産をさせることだって可能だ」
「……どうやって」
「食事や飲み物に、陣痛を促進させる薬を混ぜたのだ」
なるほど。たしかにそういうことは可能かもしれない。しかし――
「どうして布瀬川校長は、そんなことをしたの!? 澪葉さんに出産させることに同意して、円形校舎を与えたんじゃなかったの!?」
舞泉さんが、呆れたように言う。
「お人好しが過ぎるな。澪葉も、そしてシモベ君も」
「どういう意味?」
「悪魔は、最初から澪葉に子どもを産ませる気などなかったのだ。悪魔の狙いは、誤って妊娠してしまった澪葉を監禁し、マインドコントロールをすることにあったのだ」
マインドコントロール?
「悪魔は、澪葉を孕ませたことを、自らの家族にも、社会にも知られぬわけにはいかなかった。ゆえに、澪葉を黙らせる必要があった。言い換えれば、澪葉を意のままに従わせる必要があったのだ」
「意のままに従わせる……」
「そのためのマインドコントロールだ。子どもをダシにして、澪葉を円形校舎に監禁し、悪魔以外の者と接触させないようにする。そのようにして、澪葉を精神的に支配下に置く」
舞泉さんは、澪葉さんに、「悪魔に操られている」と言っていた。それは、このマインドコントロールのことだったのか。
「そして、澪葉が正常な判断能力を失い、自己の言いなりになったところで、お腹の中の子どもを殺したのだ」
あまりにも酷い。それだと、家族まで捨てて子どもを守ろうとした澪葉さんがあまりにも不憫である。
「澪葉がマインドコントロールにかかってしまった何よりの証拠は、子どもを亡くした後も、澪葉が円形校舎から出られなかったことだ」
言われてみるとそうである。子どもが死んでしまえば、澪葉さんには、これ以上円形校舎で身を隠す理由はないはずだ。
しかし、実際には、澪葉さんは円形校舎の中に居続けた。
そして、僕たちが説得することで、ようやく外の世界に連れ出すことができたのである。
「おそらくだが、子どもを亡くした澪葉は、悪魔に抱かれることを求めたのだろう? なあ、悪魔」
「……よく知ってるな」
「マインドコントロールにかかった澪葉は、悪魔との子どもを産み育てることこそが自らの生きる道だ、と錯覚したのだ」
自分を不幸のどん底に突き落とした悪魔に、次の子を孕ませてもらうことを求めるだなんて、到底、正常な心理状態ではない。
澪葉さんは、そこまで「操られて」しまっていたのである。
「まあ、断ったがな。正直、今の澪葉には勃たないんだ。俺が今抱きたいのは……」
「黙れ。悪魔」
舞泉さんが、ナイフより鋭い目つきで、布瀬川校長を睨みつける。
舞泉さんが、子どもの死は澪葉さんの責任ではない、と繰り返し言っていた理由がようやく僕にも分かる。
澪葉さんは、悪魔に人生を踏み躙られた、可哀想な被害者にほかならないのである。
「マインドコントロール」とかいう単語を出すとそれっぽくなるかな、と思いまして……
昨日が1日での最高PVでした。ありがとうございます。
個人的には、書きにくいところは全て書き終えた気がするので、この後は悩みなく書ける気がしています。
月内完結が絶望的な状況ですが(サボったからというより、思ったよりも長くなってしまっているから)、今後とも精進します!




