手錠(1)
「シモベ君、悪魔退治は今夜決行する」
棺に収められた死体を発見した舞泉さんは、すぐにそう宣言した。
東海林先輩から聞いた円形校舎の幽霊の話といい、実際に校庭に埋まっていた死体といい、今日僕が見聞したものは、いずれも僕の理解の範疇を超えている。
その上で、今夜、悪魔と邂逅するというのだ。
目の前の現実は、もはや僕の手には負えないものとなっていた。
他方で、千翔高校で何が起き、これから何が起きようとしているのか、舞泉さんには分かっているのだろう。
だとすると、僕はもう舞泉さんに盲従するしかない。
舞泉さんの指示に従い、僕は棺の蓋を閉めて、棺をまた土に埋め直す。
掘り返した跡を完全に隠蔽することはできなかったが、舞泉さんは、「それで十分だろう」と言う。
そして、僕は、舞泉さんに引き連れられ、1年J組――僕のクラスの教室へと辿り着く。
舞泉さんは、机と机の間をすり抜け、歩いて行く。
そして、教室の窓の前で立ち止まる。
「やはりこの教室からだとよく見えるな」
「何が?」
「円形校舎がだ」
たしかにそうなのである。1年J組の教室は、音楽室の真下の1階にある。
円形校舎の出入り口に、もっとも近い教室である。
「この教室で夜まで時間を潰そう」と舞泉さんは提案する。
僕は、「うん」と頷く。
頷いたあとで、僕は、考える。
舞泉さんは、「悪魔退治」をすると言っていた。
わざわざ円形校舎が見える教室に来たということは、おそらく、悪魔が出現するのは円形校舎だということである。
円形校舎には、幽霊だけでなく、悪魔も棲んでいるということだ。
――いや、幽霊と悪魔、2つは同一なのかもしれない。
いずれにせよ、悪魔が現れるのは夜だということだろう。ゆえに、舞泉さんは「夜まで時間を潰そう」と言ったのだ。
教室の壁に掛けられた丸時計を見ると、今は18時50分である。
千翔高校では、19時までに全ての部活動を終了することになっているので、あと10分もすれば、学校に残ってる生徒はみな帰宅することになる。
我々は、他の生徒が帰宅したのちもずっとこの教室に残り続けるということなのだが、それは大丈夫なのだろうか。
見回りの先生か、警備員に見つかって、大ごとにならないだろうか。
小心者の僕は、そんなことばかり気になってしまう。
これから「悪魔退治」という、さらに大それたことをしようとしているのに。
「シモベ君」
名前を呼ばれたので、声の主を探すと、いつの間にやら、舞泉さんは、教壇に立っていた。
そして、舞泉さんは、僕に見せようとして、何かを掲げている。
それは――
「……手錠?」
「そうだ」
舞泉さんが手に持っていたのは、刑事ドラマなどでよく見る、鉄製の手錠である。
パーティーグッズとして売られているようなチャチいものではなく、しっかりと重みのある、本格的な手錠のように見える。
「……舞泉さん、その手錠どうしたの?」
「拾ったのだ」
「拾った? いつ?」
「今だ」
今拾った、ということは、手錠がこの教室に落ちていた、ということになる。
「誰かが落としたのかな?」
教室に手錠を落とすものなど果たしているのだろうか。
「分からぬ」
ただ、と舞泉さんが口角を上げる。
「これはかなり使えそうだな」
「使えそう」というのは、悪魔退治に使えそう、という意味だろう。
すると、僕らがこれから退治する「悪魔」は、手錠が付けられるような相手だということになろう。
少なくとも、物理的な実体はあるということになろうか。
これから行われる悪魔退治が、一体どのようなものなのか、僕には皆目見当がつかない。
それはやはり危険を伴うものなのだろうか。
僕か舞泉さんが大怪我を負ったり、もしくは、命を落とすようなこともあるのだろうか。
それはとても心配なことである。
――ただ、僕にはもう1つ、大きな心配があった。
「……舞泉さん、無事に悪魔退治ができたら、舞泉さんは、その……」
「なんだ? 我がどうしたんだ?」
僕は、ずっと舞泉さんに訊きたかったことをようやく口にしようとする。
しかし、思うように言葉が出てこない。
「舞泉さんは、僕のこと……」
「ん? シモベ君の話か?」
僕が訊きたいのは、悪魔退治後の、僕と舞泉さんの関係である。
これまで、僕と舞泉さんは、多くの時間をともにしてきた。今みたいに2人きりになることもたくさんあった。
しかし、それは、悪魔退治という目的のためなのである。
舞泉さんが僕にする話は、いつも悪魔退治に関連していた。
最初に話しかけた時も「地球が悪魔に滅ぼされるか」という話をしていた。
次には、本に書かれた「この学校の校庭には死体が埋まっている」という落書きについて相談するために呼び出された。
それから、一緒に「ダウジング」をしたり、石月さんの別邸や、石月さんの貸し切った海の家に行ったり、高校の近くの図書館に呼び出されたり、シャンゼリアに行ったり、円形校舎の前で話し込んだりした。
これらの行動には、すべて悪魔退治という目的があったのである。
仮に悪魔退治が上手くいき、それが終わってしまえば、その目的が無くなってしまう。
僕と舞泉さんが会う理由がなくなってしまう。
早い話、舞泉さんにとって僕は用済みとなり、2人は赤の他人に戻ってしまうのではないか。
僕は、そのことが不安で不安で仕方なかったのである。
ただ、この不安を、舞泉さんに正直に打ち明けて良いものだろうか? 気持ち悪がられないだろうか?
「……舞泉さんは悪魔退治が終わったら……」
「なんだシモベ君、ハッキリ言ってくれ」
「……舞泉さんは悪魔退治が終わったら……どうするの?」
結局、自分でも何を訊きたいのかよく分からない質問になってしまった。
「悪魔退治が終わったらどうする……か」
舞泉さんは、少し考えた後、
「それは、我が決めることではない」
と言った。
「じゃあ、誰が決めるの?」
「神だ」
また神様が出てきてしまった。
僕が元々訊きたかったこととは、だいぶズレてしまったのだが、舞泉さんが言っていることは、これはこれで気になる。
「舞泉さんは、神様の言いなりに動くということ?」
「そうだ」
「神様が舞泉さんに指示を与えてくれるの?」
「そうだ」
「……じゃあ、舞泉さんは神様の声を聞いたことがあるの?」
この答えがイエスであるならば、僕は、舞泉さんが、心か、脳の病気なのではないかと疑ったかもしれない。
しかし、舞泉さんは、「一度も聞いたことはない」と答えた。
「シモベ君、神は人間の言葉など喋らぬのだ」
「だとすると、舞泉さんは、どうやって神の指示を受けるの?」
「解釈するのだ。神の意思をな」
それだと、結局、「神の意思」の名の下に、舞泉さんが、舞泉さん自身の行動を決めているということにならないか。
神様の存在を信じることに、一体何の意味があるのか。
「舞泉さん、神様は本当にいるの?」
「もちろんだ。シモベ君にもいずれ分かるだろう。シモベ君は『聖なるもの』を持ってるからな」
僕は聖なるものを持っている――それは本当なのだろうか。
僕は、舞泉さんと違って信心深くはなく、現に、神様の存在まで疑ってしまっているのである。
僕が聖なるものを持っている、というのは舞泉さんの一方的な勘違いである。
僕が持っているのは、唯一、舞泉さんの淡い恋心だけなのだ。




