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贖罪(1)

「遼、あの女には十分気を付けろよ。じゃあな」


 貴矢は、スパイクと脛当ての入ったナップザックを片方の肩に掛け、足早に教室を去る。


 「これから舞泉さんと調査に向かう」と伝えた際には、部活を遅刻してでもついて来る気満々だったのに、梓沙の名前を出した途端、この変わり身である。



 石月さんは、「野々原君には、梓沙さんがいる」などと言っていたが、やはり単なる思い込みだ。


 貴矢は、梓沙のことを露骨に避けているのである。



 まあ、いずれにせよ、貴矢がついて来ない方が、都合は良いだろう。

 ファミレスの時のように痴話喧嘩が勃発して、梓沙から訊きたいことが訊けないのでは困るのである。




 千翔高校には、体育館が2つある。


 「西体育館」と呼ばれる、そのうち規模の小さい方の体育館が、新体操部の活動場所であった。



 舞泉さんとは、西体育館の入り口で待ち合わせをした。



「我はここに来るのは初めてだ」


「僕も。ほとんど授業では使わないからね」


 西体育館は、主に部活動のために使用されており、特定の部活以外の生徒は、基本的に立ち入る機会はない。


 体育館の扉越しに、高らかに女性の声が聞こえる。


 今、中で練習をしているのは、新体操部なのである。「秘密の花園」といったところだ。


 男子である僕が立ち入って良いのだろうかと躊躇していると、舞泉さんが、何の躊躇いもなく扉を開け放つ。



 ここはひとまず舞泉さんに任せることにしよう。



 不審者と間違われないよう、僕はなるべく体育館の中を覗かないように心掛ける。


 入り口に背を向けて待っていると、舞泉さんが、狙いどおり、梓沙を体育館の外に連れ出した。



 可愛い――と不覚にも思ってしまった。


 白のレオタード姿の梓沙は、まるで妖精のようだ。


 顔が小さく、小柄だが手足が長く、スタイルは抜群だ。出るところがしっかりと出た身体で、ハッキリ言って、目の遣り場に困る。


 もとより、超面食いの貴矢が目を付け、交際していた相手である。


 ルックスレベルは超一級品なのである。



「取り巻き君も一緒なのね。ご苦労様。あと、貴矢は? あのクズは今日はいないのかしら?」


 この妖精は、ティンカーベルのように口が悪い。



「今日は貴矢は誘わなかったんだ」


「それは得策ね」


 本当は誘って断られているのだが、その事実は知らぬが仏だろう。



「梓沙、練習を邪魔して悪かったな」


「いえいえ。あなた、お名前は何て言うんでしたっけ?」


「我は舞泉美都という」


「じゃあ、美都ちゃんって呼ぶね。あなた()悪い人じゃなさそうだし」


 貴矢の「取り巻き」の僕や、ファミレスで貴矢を擁護した石月さんは、おそらく梓沙の中では「悪い人」認定されている。



「時間が全くないわけじゃないけど、大会が近いの。だから、美都ちゃん、手短にお願いね」


「うむ」


 大会が近い、というのは、なんとなく雰囲気からも伝わってくる。


 体育館からは、先ほどから絶えず掛け声が聞こえているし、梓沙がレオタードを身に纏っているのも、本番さながらの格好ということだろう。



「梓沙に訊きたいことが、大きく分けて2つあるのだ。まずはこの前ファミレスで訊いた……」


 「ああ!」と大きな声を上げ、梓沙が舞泉さんの話を遮る。



「三枝澪葉のことでしょ? 私、あの後すぐに調べたの! でも、回答をなかなか聞いてくれないから……」


「すまない。我が声を掛けるのが遅れてしまい……」


 梓沙が、三つ編みを揺らし、首を振る。



「ううん。悪いのは美都ちゃんじゃない。……貴矢よ! 美都ちゃんと違って、アイツは私の連絡先を知ってるんだから、アイツが私に進捗の伺いを立てるのが筋じゃないの!?」


「いや、三枝澪葉について調べているのは、貴矢というより我々で……」


「アイツ、本当に失礼よね! 他人をこき使いながら、そのまま放置だなんて!」


――ダメだ。貴矢について考え始めた梓沙は一人でヒートアップしてしまい、舞泉さんの話を聞いていない。



「アイツ、釣った魚には餌をやらない冷酷男なのよ。そういえば、この前の『のほほん系お嬢様』は大丈夫?」


「小百合のことか?」


 絶対に石月さんのことである。



「小百合は、貴矢と上手くやってるぞ」


「そんなわけないじゃない! あの子は貴矢に騙されてるだけなのよ! 貴矢は絶対にあの子のことを不幸にするわ!」


「おい! 梓沙! いい加減にしろ!」


 悪口を言われている張本人の声がした。


 振り返ると、ナップザックを肩に提げた貴矢がいる。


 おそらく、僕と舞泉さんが梓沙に会うと聞き、一度は怖気付いたものの、結局、気になって西体育館まで来たのだ。



「黙って聞いてれば、俺のことを好き勝手に言いやがって!」


「アンタ、ゴキブリみたいにどこからともなく現れるのね!? というか、私の言ったことは全部事実でしょ! 何か反論でもあるの!?」


「反論ならいくらでもある!」


「じゃあ、言ってみて?」


――ヤバい。また始まってしまった。


 このままだと、僕と舞泉さんが梓沙から訊きたい話を訊くことができない。



「まあまあ、2人とも、少し落ち着いて……」


「取り巻き君、余計なことはしないで!」


「遼、ちょっと黙っててくれないか?」


 せっかく仲裁に入ろうとしたのに、両当事者に制されてしまった。


 このまま戦況を見守るほかないのだろうか。



「梓沙、お前、俺のこと『釣った魚に餌をやらない』って言ったよな?」


「ええ。事実でしょ」


「いや、間違っている! 俺は付き合った女性には誠心誠意尽くすタイプなんだ!」


「はあ!? どの口が言ってるの!? 私に対して、あんなに酷い仕打ちをしておいて!」


「酷い仕打ち? そんなのした覚えはないぞ? 俺は、梓沙にも誠心誠意尽くしてきたのに、梓沙が突然、一方的に俺をフッたんじゃないか!」


 完全なる痴話喧嘩である。頼むから、今ではなく、別の機会にやって欲しい。



「そんな、私が何の理由もなく交際相手をフるわけないじゃない! アンタ、5月3日のことは忘れたの!?」


「5月3日? 先々月か?」


「違う! 2年前よ! 私とアンタが付き合ってた時の5月3日!」


「5月3日……こどもの日か?」


 いや、憲法記念日である。



「……その様子だと、何も覚えてないようね。つくづく最低な男! もう頭に来た! バイバイ!」


 そう言って、梓沙は、大股で体育館へと戻って行った。バシンっと扉が強く閉められる。



「……はあ、誰かあの女の癇癪を止めてくれよ……」


 貴矢が大きなため息をつく。



 もちろん、貴矢に同情するところがないわけではない。


 しかし、今は同情している場合ではない。


 このままだと、梓沙から大事な情報を聞き出すことができないのだ。



 僕と舞泉さんは、異口同音に貴矢を叱りつける。



「貴矢、さっさと梓沙に謝って来い!」


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― 新着の感想 ―
[一言] そうだそうだ! ここは男が折れるべきだ(# ゜Д゜)
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