崖
祥子さんは立ち上がったものの、本邸にいるため、入水自殺の現場に同行することはできない。
それでは、単なるポーズとして立ち上がったのかというと、そうではなかった。
祥子さんがスクリーンに映し出された画面から消えて数分後、今度は祥子さんの声が、海の家の出入り口付近から聞こえたのだ。
「待たせたな。私について来い」
本物の祥子さんが海の家まで駆けつけた……わけではない。
それは祥子さんではなく、プロペラの付いた黒い飛行物体――ドローンだった。
「祥子……ちゃん?」
「左様」
「顔も胸もお尻もないけど……」
どうやら貴矢は、女性は、顔と胸とお尻で構成されていると考えているらしい。
遠くない未来にフェミニストから袋叩きにされる見解だ。
「しかし、私は、カメラによってみんなを見ることもできるし、マイクからみんなの声を聞くこともできる。スピーカーを使って話すこともできる。それに――」
ドローンは、僕目掛けて急加速する。
ぶつかる!――
「うわあっ!」
僕が悲鳴を上げてのけ反ったところで、ドローンは急旋回し、僕の鼻先を通過していった。
「このように、私の操作によって、自由に飛び回ることができるのだ! アハハ!」
またしても祥子さんにやられてしまった。
祥子さんの中での僕の立ち位置は、明らかに「おもちゃ要員」なのである。
「でも、やっぱり祥子ちゃんの顔が見えないと寂しいよ」
「野々原君、仕方あるまい。私は本邸の『操縦室』にいるのだ」
石月家には余計な施設があまりにも多い気がする。
「祥子ちゃんの顔……」
そうだ! と貴矢が声を上げる。
「ドローンに、このスクリーンを吊り下げれば良いんだ! そうすれば、ルックスも祥子ちゃんになるじゃないか!」
「野々原君、名案ですね!」
「待て待て。野々原君、それに小百合まで!」
ドローンから慌てた声が聞こえる。
「たしかにスクリーンは薄くて軽いから吊り下げることは可能かもしれないが、プロジェクターがなければ映像は映せないぞ? 無論、飛び回るドローンに、プロジェクターで映像を映し続けるなんて不可能だ!」
「たしかにそうですね……」
「それに、私は自由に飛び回りたいのだ! 何にも縛られたくない!」
ドローンはその場でクルクルととんぼ返りをする。小回りはかなり効くようだ。
僕らは祥子さん――ドローンのガイドによって、澪葉さんが入水自殺をした現場へと行脚することになった。
当然だが、現場は遠浅の海水浴場ではない。
祥子さん曰く、「このビーチにはもう少し入水自殺に適した場所がある」とのことであり、そこまでは1kmほどの距離があるという。
なお、ドローンの防水性能はバッチリのようで、小雨での飛行は問題ないらしい。
「そういえば、昔、澪葉と一緒に山登りをしたことがあってな」
祥子さんがふいに思い出話を始める。
「とても楽しみにしていて、オヤツも準備していたんだが、当日想定外の事態が起きてな」
「想定外の事態?」
「ああ。朝起きてテレビを見ていたら、なんと、星座占いで、私の星座がビリだったんだ」
「……それがどうしたんですか?」
「志茂部君は星座占いでビリでも平気なのか?」
「……はい。ほんの少しだけテンションは下がりますけど」
星座は全部で12種類しかないのだ。平均して12日に1日はビリになるんだから、その度に落ち込んではいられない。
「ほんの少し!? 私の場合は、テンションが地の底まで下がってしまい、その日はなるべく外出しない」
ということは、まさか――
「澪葉さんとの山登りはドタキャンしたんですか?」
「まさかそんなはずはないだろう。私は約束どおり山に向かったよ」
「……それは良かったです」
「ただし、ドローンでな」
――それはあまりにも酷過ぎる。
山登りは、自分の誕生日以上に、リアル参加が求められるだろう。山登りのドローン参加など、参加したうちに入らない。
ともに汗を流し、疲労を共有して、はじめて「一緒に山を登った」と言えるのである。
「そういえば、その時、澪葉も、野々原君と同じことを言っていたな」
「俺と同じこと?」
「ドローンにスクリーンを吊り下げられないのか、って」
それは切実な提案だろう。
ドローンと一緒に山登りなどあまりにも切ない。
せめて祥子さんの顔が見たいという、澪葉さんの気持ちはよく分かる。貴矢の下心とはまるで違っている。
そんな雑談をしていたら、あっという間に入水自殺の現場に到着した。
祥子さんがいると(実際にはいないのだが)、場が盛り上がり、時間の経過がとても早い。
澪葉さんの入水自殺現場は、崖だった。
舗装された車道に面しているほかは、人間の手が加わっている様子はなく、周りには民家もなければ街灯もない。
まさしく自然状態の崖なのだ。
「こっちだ! ついて来い!」
祥子さんの操作するドローンが、ピュンと海の方へと飛んで行く。
舗装された道路から一歩海の方へ向かうと、そこは岩盤である。注意して歩かないと転んでしまいそうだ。
雨で濡れて滑りやすくなっているので尚更気を付けなければならない。
リアル参加組は、ドローンのようにはスムーズに進めなかった。
「早く早く!」
祥子さんは足場の状況を知ってか知らずか、不必要に僕らを急かす。気にしないようにしよう。
車道から70mほど進んだだろうか。
ようやく崖の端へと辿り着く。
祥子さんはドローンの強みを生かして、崖の先の空をクルクルと旋回しているが、僕らはそういうわけにもいかない。
誤って落ちないよう、恐る恐る崖の下を覗く。
「ひえぇ、ここから落ちたら無事じゃいられないよな」
貴矢の感想は正しいと思う。
崖は海面まで約50mほどの高さがあり、しかも、ねずみ返しになっている。
そして、目下の海は、海水浴場で見た穏やかな様子とは異なり、ザブンと荒波を立てている。同じ海なのだが、同じ海には見えなかった。
加えて、崖の真下にはゴツゴツした岩がたくさんある。飛び降りたら、そのどれかに身体を打ちつけてしまうに違いない。
「澪葉はここから飛び降りたのか」
舞泉さんは、岩盤に膝を立て、前屈みになって崖の下を覗き込む。大した度胸である。臆病者の僕には真似できない。
「左様だ。靴を脱ぎ、スマホを崖に置いて、制服のまま飛び降りたらしい」
僕はその状況をイメージする。
飛び降りる際、澪葉さんにも相当な覚悟がいたと思う。
そこまでして自分の命を断ちたかったということだろうか。
これまでの僕の人生も決して順風満帆ではなかったが、そこまでの気持ちになったことはかつてない。
当時の澪葉さんはどれほど追い詰められていたのだろうか。
想像するだけで胸が苦しくなる。
「ここで飛び降りたら、死体はおそらくすぐに崖の下の岩場に流されるだろうな。祥子?」
同じ場面にありながら、舞泉さんが考えていたことは、僕とは全く違っていた。
「水流を考えたら、美都ちゃんの言うとおりだろうな。しかし、実際には死体は見つからなかった」
「遺留品は? たとえば制服のボタンとか」
「鋭いな。まさに制服のボタンが崖下の岩場に流れ着いてたよ。ただ、海から見つかったのはそれだけだ」
「念のために訊くが、澪葉が飛び降りたというのは紛れもない事実なのだな?」
「ああ。飛び降りるのを見た、という目撃者の証言がある」
「なるほどな……まさに死体は消えたというわけだな」
舞泉さんはそう言うと、信じられないことに、ニヤリと笑った。
なお、ちょうど今年あたり、飛び回るドローンにプロジェクターで映像を映し続ける技術が開発されたらしいです。




