第386話「百戦錬磨、歴戦の勇」
「これは……」
ライル・ハイウインドの身体から白い光の粒子が溢れてくる。
両手の拳を強く握り締めると、そこに痛みはなく、優しく、柔かく、暖かな温もりが返ってきた。
記憶の中にある1つの感情が、それを
思い起こさせた。
「母の温もり……なのか?」
小さな頃の情景がふわりと目の前に広がる。兄と弟に挟まれ、くしゃくしゃに笑った父に頭を撫でられながら、穏やかに微笑む母に抱き寄せられている自分たちがいた。
手を伸ばしても、脚を踏み出しても、
それは近づくことはなかった。
ぐっ、と拳を握る。
情景は緩やかに、僅かな温もりを残したまま消滅していった。
「立ち止まりやしないさ……父さん、母さん。俺は、レオンを助ける。
みんなで──!」
心に空いていた穴が、塞がらなかった深い傷に情熱が灯る。
ライルは決意を新たに、仲間たちへと振り返った。
「次は俺が行くべきだろう。奴には少々腹が立っているからな」
ルキウスが脚を踏み出すと、ライルへと隔たりは既に消えていた。
2人は互いに入れ替わるように進み、そして、その場を後にした。
〈ククク……さて、そなたに対して戦いに出す者は既に決まっている〉
弓兵に向けられたその言葉には悪戯心のようなものが潜んでいるような気がして、思わず眉根と視線を細める。
父と母は自分以上の実力を持っていないことは知っている。
そして、親しき友人たちは全員がマナ使いであることも理解している。
ライルと同じで、弟のルシウスが出てくるかもしれないとも感じているのだ。
ぽつりと、額から零れ落ちる汗を合図に、彼の眼前、視線の先から溢れ出る光から、すん、と前に進み出る影があった。
「……この、男は!」
筋骨隆々のプラチナブロンドの髪を靡かせる壮年の男性が姿を見せた。
屈強な肉体と、鋭い眼差し、威風堂々とその場に立ち止まった男は、ルキウスを双眸に捉え、次にライルを視た。
そしてしばらく、彼は合点がいったのか。
「がははははは!!!
そうかそうか!!!大きくなったものだなぁ!!!ライルよ!!!」
とたんに、大男は豪快に、それこそ
この場一帯を包み込むように大きく笑った。
「……俺のことを知っているんですか?」
臆せずに、ライルは疑問を壮年の戦士に投げた。
「んん?俺を忘れたか!?まあ無理もあるまいな、お前たちが生まれた時しか会ってないんだからなあ!」
少なくとも、レオンとライルがこの世に生を受けたことを知っている。
なんとなくではあるが、全員が、この男が何者なのか、わかったような気がした。
「では名乗ろう!
俺はギルザ、ギルザ・ハイウインド!レーヴェの父親であり、お前たち三兄弟のお祖父ちゃんだ!!」
「お、お祖父ちゃん……!?
父さんからウクバールで死んだと聞いていたが」
「あぁ、まあ死んでおるようなもんさなあ。可愛い弟子も、部下たちも大勢死んで、背を預けていた弟も、愛した妻さえも戦火に巻き込まれてしまった。今も廃人同然よ」
そう、この男こそウクバール戦線で
戦い続け、レーヴェとデイヴィッドに続いて生き残った戦士の1人だった。
彼はあまりにも深すぎる傷を負ったがゆえ、世を捨ててひっそりと今どこかで暮らしているらしいのだ。
そんな男が、全盛期の姿で現れたのだから、ライルは驚きを隠せない。
「お祖父ちゃん……!聞いてくれ!
父さんと母さんが──」
ライルははっとした。
目の前にいる男は鏡像。偽りの存在なのだ。決して本人などではない。
ライルは、それ以上の言葉を紡ぐことはしなかった。
出来なかった──
「まあ良いか……さて、目の前の弓兵よ。お前さんが俺を喚んだのか?」
〈否、私がそなたを呼んだ。
ルキウスの中に眠る力を目覚めさせる為に〉
背後の気配に一瞥しつつ、ギルザは
顎に手を添える。
「ほぉ……ちょこざいな……まだ戦争は続いているとでも言うのか?」
「いえ……今、人同士の争いは水面下での睨み合いの最中です。
邪神復活の兆しが見える今、戦争は愚策と考えている連中が多いのかもしれません」
だんまりする魔境に代わり、ルキウスが状況を答えた。
「なんとっ!?邪神が復活するというのか!?可愛いライルよ、賢い我が息子のレーヴェはどうした!?」
「お祖父ちゃん、それが……父さんと母さんは行方をくらませたんだ。
レイに聞こうとしたけど、ショックでなにも覚えていないって、俺もその後、何かに囚われたみたいに狂ってしまって……代わりに、レオンが1人で──」
レオンという言葉を聞き、ギルザは
目を開き、大きく唇と身体を震わせた。
「レオンが……レオンが独りで戦っているというのか!?俺やレーヴェの
代わりに!?」
魔境の中座するこの空間が激しく揺れ、震えはじめる。
「そこな青年、悪いが急用が出来た!
俺は可愛い孫を助ける為にここを出るぞ!」
〈無駄だ〉
「なにおう!?」
〈この世界は私の支配下にある……
鏡像、ニセモノであるそなたがここを出ようなど不可能なのだ〉
「どおりで身体が自在に動くと思った……!
おのれ、身内以外の誰かの下に付くなど二度とごめんだというに!」
だが、何もせんよりマシよ!!
と、ギルザは身体全体で大きく呼吸をして、左手の指先をちょんっ、と小突いた。
その指先と隔たりの壁とが接触すると亀裂が細かく入り、突風とともにそれは破壊された。
「なんと……!」
「がはははは!よぉし!待っておれい!可愛い我が孫よ!ライル、お前も来い!一緒に行くぞぉ!」
「ま、待ってよお祖父ちゃん!
俺たちみんなが試練をクリアしなければ、ここから出ることはできないんだよ!」
勇猛果敢、勢い盛んにこの場一帯を破壊しようとしたギルザをどうにかして思いとどまるように口を紡ぐ。
「けっ……なら魔境とやら!
俺をこの青年の引き合いに出したのは失敗だったな!」
〈なに……?〉
「俺がまとめてこの子たちの面倒をみる!一流を越えた超一流になるまで、みっちりとな!」
魔境ははぁ?と声を荒げた。
これまで、淡々とした声色を浮かべていただけに、その反応が珍しく、ルキウスも他のみなもぽかんとしている。
「俺が外に出れないというなら、外に出ても失われぬ力をこの子らに付けさせるまでだ!」
〈そんな横暴が赦されると思うか!〉
ギルザの身体を、色彩の無い腕が絡みついていく。
言うことを聞け、大人しく従えと、
少々強引に自らの鞘に収めようとして、魔境は焦っているのだ。
「俺が赦す!!!!」
しかし、そんな強引さを、それ以上の傲慢さで返す。
ギルザは縛り上げられている腕を無理やり引き千切り、投げ捨て、叩き付け、踏み潰し、噛み千切った。
「ぺっ、ぺっ──!
ん、どうした若人たち。お祖父ちゃんは怖くないぞ?」
魔境はビクビクと小刻みに震えていた。痛みとその衝撃は、腕だけだった使い魔を通して伝わっているらしく、声を上げる代わりにカタカタと音を奏でるしかない。惨めな抵抗であった。
「伝説の戦士に鍛えてもらえるとは光栄です!」
「おう、見たところライルはひと皮剥けているようだな。だが、俺はその青い果実を必ず実らせてあげよう!
もちろん、君たちもだ!俺に遠慮なく向かってこい!」
ん……?とギルザは端っこで縮こまっているユーゼフを見つけると、ルキウスたちにしばし待てと手で示し、にちゃぁと笑みを浮かべてずんずんと進んでいった。
「おう青年よ、何を落ち込んでおる……?
このお祖父ちゃんに話してみなさい」
隣に同じ様に体育座りをして、肩に手を置きながらギルザは微笑みかける。
彼はユーゼフのお祖父ちゃんではないのだが、とライルは歯噛みしながら、祖父がなんという言葉で慰めるのか興味があった。
「リルルちゃんに嫌われたんご……」
ギルザは顎に手を添えたまま、ユーゼフの言葉を受け止めた。
周囲を観察していると、ライルが頭を指でポリポリしながら、己の孫よりも二周りも下の少女を目で指した。
二十年以上の間がありつつも、孫と祖父の阿吽の呼吸は上手く重なり、ギルザはより深く笑みを浮かべながら納得した。
「わかるぞ、俺も君と同じ頃はそうだった。その子と同じくらいの歳の子に心奪われたこともある」
「それマ?」
「マ」
顔を伏せていたユーゼフ、その周囲を漂っていた人魂もかき消え、彼は顔を上げる。ギルザもマジ中のマジと本音で答え、共感する。
「わかる?お祖父ちゃん!この俺の想いが!」
「おう、わかるぞ青年よ!
その苦悩、心の傷、簡単には解決できないよな!」
「ほんそれ!いつもイングラムイングラムって……俺が助け出したかったよ」
「そうだな。惚れさせるにはやはり颯爽と現れるのが最高だよなぁ」
ギルザはうんうんと頷きながら共感を続け、数十分のうちに、ユーゼフはメンタルを回復させた。
「いや、お祖父ちゃんありがとう!
俺、強くなってリルルちゃんと結婚しゅりゅ!」
「おう!お祖父ちゃんは応援しているぞ!」
ユーゼフもやる気になったところで、ギルザはわはははっ、と大きく笑い、真ん中に突っ立った。
ライルはこっそりと耳打ちする。
「あいつと同じ癖を持ってるってホント?」
「フッ──」
ギルザは指で鼻をこすり、人差し指を立て、にこやかに微笑む。
「ウ・ソ☆」
「なぁんだ〜、嘘かぁ〜、そっかそっかぁ」
内緒だぞ?とライルに耳打ちし返して、シュラウドたちと同じ立ち位置に戻った。
「よぉし!若き戦士たちよ!
お祖父ちゃんに思いの丈をぜぇんぶぶつけてきなさい!その強さ、俺が引き出してあげるからな!」
「ふむ、ウクバールの戦士直々の指導とは、我らにとって、良き特訓となろう!」
「あぁ、俺も楽しみだ……!」
ライルたちは構えると、一気に踏み込む。それぞれが、晴れ澄んだ心意気で英雄へと挑んでいく──
過酷な試練の第一歩が、始まった。




