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第175話 「滅びの領域」

イングラムが船内へ戻ると、なにやら騒々しい。


操縦席に張り付いて前方の風景を、アデルバートが眺めていた。


「どうした、アデル」


「怪しげな雲を見つけた。積乱雲とはまた違う気がするが、用心するに越したことはねえ。ここは迂回する」


アデルバートは機器を操作して緩やかに旋回する。


しかし、積乱雲はまるでそれに対応するように雲ごと移動する。


「馬鹿な、いくら風がなびくといっても船と同じ速度で移動できるはずがない!」


「……何かに騙されている気がするぜ。おい、セリアとルーク。そっちに非常用の手すりがあったはずだ、しっかり掴んどけ!」


医療室に向けて放送すると、アデルバートは急激に速度を上げてその雲を避けようと移動する。


「オイゲンと同等の速さかよ!」


"ふふふっ……"


「……っ!」


頭の中に響いた妖艶な声の主を探す。しかし、それらしき存在は見当たらない。


心臓が跳ねる。皮膚が粟立つ。


だが検討ならば付いている。彼はその名を叫んだ。


「アデル、あの雲は滅雷の紫狐の可能性がある!」


「なるほどな、なら納得だ!イングラム、戦う覚悟は出来てるな!?」


「あぁ……!」


アデルバートはその返答を聞くと旋回をやめ、真っ直ぐに、加速を続けて積乱雲に突撃する。


プリンツ・オイゲンは激しく揺れ動きながらも、装甲を展開して衝撃を吸収する。身体が揺さぶられる。手すりを掴む手に力が入る。


「こりゃひでえ……まるで別世界だな」


雲の中に広がるのは黒と紫の世界。毒々しい色の雲から、吐き出される大量の落雷。


目を焼く光。耳を劈く音。


船内にすら衝撃を走らせるそれは、全員を脅かすのには充分な材料だった。


「ちっ……!肝心の概念が見当たらねえ!それっぽい影はねえか!?」


「いや、まるで見当たらない!」


"ふふっ、手間をかけさせるわけにはいかないわ"


その囁きは、この場にいる全員にはっきりと聞こえた。


優しくも艶のある女性のような声。まるで何か含みがありそうな、怪しげな雰囲気を感じさせる。


そして、どこからか指が鳴る音が聞こえると、イングラム、ルーク、アデルバートの姿が忽然と消えたのだった。


「おっと……!」


船長の消えた操縦器をクレイラが握りしめて旋回する。速度加速のまま雲から脱出するようにプリンツ・オイゲンを前進させる。


「お姉ちゃん!?」


「クレイラ、どういうつもり!?」


「彼女は概念の中で最も神出鬼没の存在。私達は部外者として見られたみたいだよ。現に、ほら……!」


クレイラが機器を操作して、映し出したのは顔面だけの紫色の狐。それが不気味な笑い声を発しながら同じ速度で迫ってくるのだ。


ぞっとする。背筋が凍る。


「今は逃げることだけを考える!3人の救出はそのあと!」


ソフィアはリルルをしっかり抱きしめながらクレイラに頷いた。


◇◇◇


"ようこそ、イングラム"


「貴方が、滅雷の紫狐……?」


宙に浮かんでいるのに、両足は大地を踏み締めているという不可思議な感覚に襲われているイングラム。


重力がない。でも、足裏には確かな感触がある。


周囲には変わらぬ数多の雲と、落雷が音も無く光り続けていた。


そして、目の前にはまるで座禅を組むかのようにして九つの尾をたなびかせている美しい狐がいた。


「クレイラ達はどうした!?」


"ふふ、まだこの領域で彷徨っている頃よ。貴方が私に勝てば、彼女達は開放される。でももし、死んでしまうようなことがあればその時は、ぱぁん♪"


「貴様……!」


拳を握りしめる。怒りが込み上げる。


"年長者は敬うものよイングラム。敬語を使ってちょうだい"


つまらなそうな表情を浮かべながらそうおねだりする紫狐。イングラムは最悪の結果を回避するため、言葉を変えた。


喉の奥に苦い味が広がる。


「……我々が空の旅を始めたことを知っていたのですか?」


"ええ、一番に力を渡そうとしたわ。先に紅獅子に越されてしまったけれどね"


「一番に力を……?なぜそんなことをするんです?」


彼女は笑いながら尾のひとつを分離させ、女性に化けながらイングラムの肩に顎を乗せる。


温かい。柔らかい。息が首筋にかかる。


"面白いから……私はね、空を伝ってやってくる戦士がこれっぽっちも現れなかったから、戦うのはやめようかなって思ってたのよ"


騎士の頬を、生暖かくも痺れるような舌の感触が伝う。


ぞわりとする。鳥肌が立つ。


顔が引き攣ったのが面白かったのか、尾である女性は笑った。


"いい男よね、貴方……死神に魂を売りかけた女には勿体ないわ?"


「ソフィアのことを悪く言わないで貰いたい。彼女は俺の幼馴染です」


声が低くなる。目が鋭くなる。


"そして、恋人かしら?"


まるで頭の中を見据えられたようにそう呟く。彼女はまるで愉しむように、尻尾を次々に分離させ、女体化させていく。


"ねぇイングラム。私は貴方が欲しいわ、私は概念だのなんだの、どうだっていいのよ。ただこの世界で一緒に過ごして欲しいだけ"


前を、後ろを、横を、頭を、全てを尾が化けた人間に寄りかかられる。


重い。息苦しい。体温が伝わる。


それでも、イングラムは微動だにすることなく紫狐を睨んでいる。


「お断りする。俺には助け出したい人がいるんです。その為には力が必要だ、貴方の全てがいる」


"だから、私の物になれば戦わずにプレゼントしてあげるって言ってるじゃないの。わからずやなのかしら?"


身体を這う柔らかな女性の手つき。背中を弄られ、腹部を弄られ、頬を弄られ——それでもイングラムは表情を変えずに、ただ真っ直ぐ睨みつけている。


「そんなことでは意味はない。真に貴女を倒して得る力こそ、本当の意味で俺の力になる」


"……貴方、どうして滾らないの?男の弱いところを弄っているのに、なんで身震い一つ起こさないの?"


「すみませんが、俺は昔から"そういうプレイ"には耐性がありましてね。どれほど成熟な技術を使っても、俺が貴女に堕ちることはありませんよ」


その言葉に嘘はないらしい。イングラムの発言には堂々としたものがある。確固たる自信ゆえか、天性の耐性ゆえかは定かではないが、彼は"その手"に慣れているのは確かだ。いくら身体を弄んでいても反応は全くと言っていいほどの変化がない。


"む……なら仕方ないわね。色香でじっくり堕とすのもいいけれど、圧倒的な実力差で屈服させるのも唆るわ……"


どうやら滅雷の紫狐は諦めて交戦状態に入ったようだ。彼女の身体から漂う雰囲気から、イングラムは理解する。


空気が変わる。殺気が満ちる。


彼に屯していた尾は元ある場所へと戻っていく。


「俺はこっちの方が好みですよ?」


"ふふ、あらそう?それじゃあ、たっぷりと愉しませてもらうわね?間違っても、あっさり死なないでね?"


イングラムは槍を顕現させながら襲いくる雷撃を躱し、神速のひと突きを繰り出す。


彼女は前脚を上げて指と指の隙間でその一撃を受け止めた。


金属が何かに捕われたような音が響く。


「……!!」


イングラムは即座に槍を手放して後方へ跳躍した。滅雷の紫狐が防いだ脚先から、莫大なエネルギーが放射されたのである。


熱い。空気が焦げる。


"流石に避けるわよね、ふふ、これは返すわ?貴方のものだものね"


掴みあげられた槍は先端をへし折られ、攻撃性を欠かれた欠陥品となってしまった。


心臓が冷える。歯を食いしばる。


イングラムは投げ捨てられたそれを見て持ち上げ、使い物にならないと判断すると、元使った槍を消失させて自身のマナで新たに槍を創造した。それはフランベルジュにもよく似た形状で、槍全体が炎のように波を打っているものだった。


「必要ありません。俺にはこれがある……!」


形のない地を蹴り上げ、自分めがけ放射される無数の槍を自身の槍で打ち返しながら距離を縮めていく。


"目には目を、ということ?言っておくけれど、貴方のマナでは私の力には勝てない"


そう、この雲という名の領域は彼女という概念が産み出した副産物。四方に漂う数多の雲も、そこから吐き出される無数の雷も、主人である滅雷の紫狐がひとたび命令すれば、この世界全てがイングラムに牙を剥く。


しかしそれは、イングラム自身でも分かりきっていることだ。


フランジャベリン、創り上げたマナの槍を手にしながら跳躍し、前脚に向かって振り下ろす。


金属が何かに捕われたような音が騎士の耳で響く。


次に彼の目が、光景を映像として映し出した。柔らかな四肢であろう肉体、指と指の間に振るわれた一撃は、あろうことかその二本の指に囚われてしまったのだ。


冷や汗が背を伝う。呼吸が浅くなる。


イングラムの視線の遥か後方に怪しく揺らめく九つの尾は、それぞれの意思で動き出している。槍を肉体から引き剥がそうにもその力は人間の力量を遥かに超えている。どう抵抗しても、手にしている槍は動く気配すらない。


「くそっ……!」


"ほら、ねえ、思い知った?これが私の全てと貴方の全ての差よ?"


まるで子供の悪戯を眺める保護者のように彼女は嗤う。そこに含まれているのは騎士は狐には勝てないという揺るぎない信念と確信だ。その余裕を覆すには、何重にも思考を張り巡らせなければならない。


(さて、この女狐を屠るにはなにが手っ取り早いだろう)


イングラムには他の3人とは違い己を鍛え上げることをしなかった。


ルークは神の剣技をその身に。アデルバートは自身の身を蒼き龍に。ルシウスは紅獅子の概念の力をその身に。それぞれ宿している。それを踏まえるとイングラムには何もないのだ。滅雷の紫狐に対して、有効打を何一つとして持っていない。


喉が渇く。心臓が早鐘を打つ。


「ふっ、無いなら無いでどうにかするさ!」


不敵に嗤うと彼は先の折れた槍を顕現させ、失ってしまった貫くためのものをマナで再構築する。右手の槍は抑えられ、震えてはいるが、左手の槍はまだ攻めの一手を繰り出せる。


「紫電っ———!!」


雷のマナによるブースト、神速以上の亜高速並みの突きが滅雷の紫狐の瞳めがけて繰り出される。


しかし、それらは八つの美魔女によって遮られてしまった。放射線を描きながら振るわれた槍は、鳩尾に繰り出された重い膝蹴りによって地を這うハメとなる。


呼吸が止まる。視界が揺れる。激痛が腹を貫く。


「ちっ……!」


両手と両足を四人の美魔女が拘束する。責めの手を塞がれ、苦悶の表情を浮かべるイングラムは、頭部に乗っかった五人目により地面に頭を伏せ、頭を垂れるような形となってしまった。


いくら力を入れても、動かない。手足が痺れる。


まるで超重量の錘を全身につけられているかのようだった。残りの四人はその光景を嘲笑うかのように彼を眺めていた。


"わかったでしょうイングラム。貴方では私に勝てない。大人しく私の婿になりなさい。そうすれば仲間は返してあげる"


残りの力で精一杯顔をあげ、睨みつける。


歯を食いしばる。唇から血が滲む。


"いやん、そんな顔されると唆られるじゃない"


(手足は効かないが、思考はまだ回る。打開策はある、必ず!)


紫狐は身体を絶世の美女へと変身させ、イングラムの顎下を優しく掴み、自身の唇を舐め回す。


しかし彼は何かを閃いたようだった。


「ふっ———!」


"……なあにその顔、気に入らなっ———"


身体を力ませるイングラム。そして彼の記憶の中に眠っていたある力を心臓と同期させ、羽交締めから自らを解放する。


身体が軽くなる。血が沸騰する。


"——————!?な、なんで貴方がその力をっ!?"


「俺は記憶力がいいものでな。打開策、というよりは強引に力として用いることにした」


彼の身を包むのは、純白の淡い光のマナ。スフィリアでライルと交戦した際に彼の身体に宿った宇宙の概念の力である。これを、自身のマナと結合させ、イングラムは新たなマナとして覚醒させたのであった。


温かい光が全身を包む。痛みが引いていく。力が溢れてくる。

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