72話 まるで異世界
◇◇◇
『ごめーん、今日バ・イ・ト♪ごゆっくり!』
――頼みの綱の淡島に断られた。
淡島を送り込んでお茶を濁す作戦は潰えた。
行けたら行くとしか言っていない。なので、行かなくても構わないはずだ。
そりゃ小学校の時は何度か行ったことはあるが……。
夏休みはもう始まっている。
もさもさと遅い朝食を食べ終え、また部屋に戻ってベッドに寝転がるとピロンとスマホが鳴る。
『ママが杜居くんの好きなメニューは?って』
よく考えたら普通に母親を『ママ』と呼んでいる天戸に気付いて一人で笑ってしまった。
『お父上の事はパパって呼んでんの?』
すぐに返信が来る。
『そうよ。悪い?』
愛想の無い返信と一緒に写真が送られてくる。
ニッコリと笑顔でピースをしているエプロン姿の天戸母だ。
「若っ」
思わず声が出てしまった。
最後に会ったのは小5の頃なのだが、その頃のイメージと全く変わっていないことに驚いた。
艶のある長い黒髪を綺麗な布でまとめて、明るい色のエプロンをつけている。……そして、エプロンの上からでもわかる……、止めておこう。
何故遺伝しなかったのだろうか?不憫でならない。
『キャビアとトリュフは買ってきてもらったけど味わかるの?』
はぁ?マジで言ってるのか、こいつ。冗談がわからないのか?
『マツタケはわざわざ今食べなくても秋の方がおいしいから買ってないわ』
『あ、そうすか』
『どうせ朝ごはん遅いだろうから2時でいい?』
グイグイ来るな、こいつ。
『ママがすごい楽しみにしてる』
『あ、まさか来ないの?』
『……ママ悲しむだろうな』
一度寝返りを打って横になる。
少し考えたけれど、考えても意味が無い事を悟る。
『はいはい、わかりましたよ。お嬢様の頼みとあれば断れませんな』
『ちょっと!ママも見てるんだから変な事言わないでよ!』
うん、知ってる。だと思った。
『じゃあ14時にうずめの家に行くわ』
『いつもそんな風に呼んでないでしょ!』
『はは、照れんなよハニー』
『黙れ!』
時計を見ると11時。
人の家に行くのなんて何年振りだろうか。
少しドキドキするな。
◇◇◇
「うふふ、よかったねぇ。うずめちゃん」
天戸母はニコニコとしながら料理の下ごしらえをする。
親子だけあって顔はそっくりだが、背は娘の方が高い。母は年齢よりもずっと若く見える為、親子でなく姉妹と見られる事がままある。
「別に私は関係無いでしょ。久しぶりだし、ママが喜ぶと思ったから」
「あら、そう。そういうことにしておいてあげるわ。うずめちゃんも何か作ったら?」
ニコニコと母が提案するが、うずめはソファにもたれかかりプイっとそっぽを向く。
「ママが作った方がおいしいもん」
「料理で大切なのは味だけじゃないのよ?」
だいぶ迷って、うずめは少し照れたように母を見る。
「……おいしいって言ってくれるかな?」
母はうずめを安心させるようにニッコリと微笑んだ。
「勿論よ」
◇◇◇
久しぶりに天戸の家の外に来た。
小5の終わりのあの日までは毎日家の前を通っていたのだが、それ以来になる。
記憶の中と相違ない豪邸だ。全くうらやましい限り。
我が母上から言われて手土産にケーキ屋で買ったプリンを買ってきたのだが、浮いた分を小遣いにしようとして少し安いのを買ってきたことを少しだけ後悔した。
空はよく晴れていて、セミの鳴き声が夏っぽさを演出している。
あんまり早く着いて気合が入っているように思われるのも癪なので、敢えて5分後に着いてみた。
ピロンとメッセージが届く。
見なくても天戸だとわかる。なので、見ない。
絶対に俺が既にここにいることは察知しているはず。天戸のセンサーはそんなに甘くはない。
インターフォンを押すと、ピーンポーンと鳴った。
こんな豪邸のインターフォンでもピンポンとなるのが少しおもしろい。もっと荘厳且つ豪奢な音が鳴るといいのに。
銅鑼の音とかいいな。
そんなことを考えていると、インターフォンから声がする。
「は~い、今開けるねぇ」
天戸の声と似ているが柔らかさが違う、天戸ママの声だ。
入り口の門が遠隔で解錠される。
「杜居くん、久し振り~。もっと来てくれていいのに」
「久しぶりっす」
「うずめちゃんも待ちくたびれてるから早く入っておいで~」
「ちょっと、ママ!」
ガチャッと通話が切られたのでそのまま中に進む。
少し進むと玄関があり、玄関からニコニコと笑顔の天戸ママが顔を出して大きく手を振る。
「お~い、いらっしゃ~い」
◇◇◇
何年か振りに訪れた天戸家。
「おじゃましまーす」
まず、玄関が俺の部屋より広い。
玄関の横の何か靴とかをしまうだろう部屋が既に俺の部屋より広い。
「ちょっと、勝手に開けないでよ」
「あら、いいのよ?杜居くん。うずめちゃんも挨拶が先でしょ?」
天戸ママの指摘にぐぬっとなる天戸。
「……いらっしゃい」
買ってきたプリンを天戸に渡す。
「うちのかーちゃんが土産持って行けって。つまらないもんですが。プリン」
プリンがお気に召さなかったのか不満そうに口を尖らせて一応のお礼を述べてくる天戸さん。
「……あ、ありがと」
天戸ママがニコニコとフォローする。
「大丈夫よ、心配しなくてもうずめちゃんの作ったプリンの方が美味しいから」
「誰もそんな心配してない!」
母のフォローに顔を赤くして怒る。
「お前プリンなんか作れるんだ。食う専かと思った」
「……食う専ってなによ」
「食うの専門ってこと」
天戸ママは玄関で話をする俺の背中を押して居間へと促す。
「後少し準備あるから、杜居くんは寛いで待っててね~」
居間はまた異世界のようだった。
オープンキッチンとでも言うのか、なんだかオシャレで開放的なキッチンと、物一つ散らばっていない床。
そして、広い。
この空間に住む自分が想像できないが、天戸が暮らすのは不思議と想像できる。
ソファに座ると、柔らかく、固く、今まで幾つもの世界で座ってきたソファのどれよりも心地良い座り心地だった。




