71話 天はともかく、天戸の怒り
◇◇◇
雨は世界中余すことなく降り注いでいるらしい。
今のところ一ヶ月間。
実際にはこれをいつまで続けるつもりなのだろうか?
何を考えているのか知らないが、これだけ雨が降れば農作物は全滅だろう。
何がしたいのだろう?
例えば、『世界を支配する』と言ったって全体の1%しか残らない世界を支配して満足なのだろうか?
段々腹が立ってきた。
「……それなら自分ひとり支配して満足してろってんだよ」
怒りがボソリと口から出た。
「独り言?相槌いる?」
ゴウゴウ降りの雨の中、ポケットに手を入れて歩いている天戸と俺の回りは球体に雨が弾かれている。
天戸の言葉を無視して歩いていると、その範囲が段々狭くなってきた。
「こら。無視すんな」
「てめぇ、幼稚な嫌がらせすんな。独り言だよ。相槌いりませんよ」
「あ、そう」
返事をしたことで満足したようだが、障壁の範囲が狭くなった。
今までは半径3メートルはあったが、急に少し大きい傘くらいの範囲になってしまった。
「返事しただろ。戻せよ」
「……嫌よ。疲れるもの」
疲れる?天戸が?と思ったが、そういう先入観や思い込みはきっと良くない。体調が悪いのかもしれない。
そう言えば、いつも何かを食べている天戸がこの国に来てからまだ何も食べていないのではないか?
俺は心配そうな顔で天戸を覗き込む。
「大丈夫か?体調悪いか?それとも空腹か?」
「そうね。お腹は空いたけど……、のんびり食べている場合じゃないもの。早く救って、ゆっくり朝ごはん食べよう」
体調が悪いわけじゃないなら良かった。
「そうだな。自分の家で食べろよ?」
「どこで食べようと私の勝手でしょ」
いやいや、その理屈はさすがにおかしくないですかね、天戸さん。
「じゃあ俺もお前の家で食うわ」
俺の言葉に一瞬驚いた後で、天戸は挑発的に笑った。
「言ったね?私起きたらママにすぐ言うから。今日杜居くんがご飯食べに来るって。あんまり汚い格好で来ないでよね」
「はぁ!?いかねーよ、何言ってんのお前」
「何言ってんのって、あなたが今自分で言ったんでしょ?私の家に食べに来るって。いつもご馳走になってるからママも喜ぶと思うわ」
「いやいや、いかねーよ?言葉の綾と言うか、売り言葉に買い言葉ってやつだよ」
天戸は不機嫌そうにじっと俺を見る。
「……男に二言は無いんじゃないの?」
出た、男女差別の最たるもの。
「普通にあるよ?人は常に最新の状態にアップデートしてんだから、言葉だって当然翻すよ」
「……怖じ気付いたの?」
「安っ」
見え透いた安い挑発に乗る理由など無い。
「何が安いのよ。意味わかんない」
お前のその挑発が完全閉店売り尽くしセールばりの安さだよ、と言おうとしたが、こっちも別に喧嘩を売りたいわけではないから心の中で留めておくことにする。
「……とにかく、ママには言っておくからね。来なかったら悲しむと思うから。好きなメニューは?」
こんな所まで相変わらずのごり押しパワープレイかよ。
「……キャビア。フォアグラ。トリュフ。松茸」
俺の答えをバカにしたようにクスリと笑う。
「それメニューじゃなくて食材よ?ただ高そうな食材並べただけじゃない。しかも小学生が思い付くような」
「うるせぇ」
「ねぇ、本当は?何が好きなの?」
そんなのんきな話をしているうちに城が視界に入った。
豪雨で視野は10メートル程だ。
つまり、城はもう目の前にある。
「はいはい、お城につきましたよ。下らない話は終わり。集中集中」
天戸はしつこく俺を睨んだが、さすがに切り替えも早い。
一度ため息を吐くと臨戦態勢に入る。
「……下らないかを決めるのはあなたじゃないわ」
「そりゃ失礼しました。そうだな、会話ってのは二人でするもんだ」
どちらか一方が下らないと切り捨てるのは些かアンフェアか。
「あー訂正。その話は後回し。後はいつも通り振るまえばいい。やましいやつは勝手に馬脚を現す」
「後回し、ね」
天戸は満足そうに頷くと、ツカツカと城門に近づく。
門番と思しき二人の兵は天戸の姿を見て身構える。
「……何用だ?」
「私は『異界の勇者』天戸うずめ。この世界を脅威から救いに来ました」
「異界の勇者!?」
明らかに気配が戦闘態勢になった事は俺でも感じ取れた。
次の瞬間、門番二人の槍と剣と兜と鎧はゴトリと音を立てて雨に濡れた石畳の上に落ちた。
「この世界を脅威から救いに来たの。通せない理由があるの?」
勿論天戸の戦乙女の襟巻きだ。
恐らく熟達の兵士であろう門番達でさえも、何が起こったのか全く把握できていない。
当然、俺も見えていない。
通常の想像力のある人間ならば、同じ事が自身の身体に起こり得た事は容易に想像できるだろう。
ファサっとマフラーをたなびかせると、『ひぃっ』と声を上げて身を守る門番達。手で体を隠したところで無駄なのだが、これは反射なのでしょうがないのだろう。
毎度おなじみマフラー椅子に座ると、天戸は腕を組み冷たい微笑みを浮かべて門番に言う。
「何回も言わせないで?世界を救いに来たの。30秒待つわ……王様とお話できる?」
うーん、世界を救いに来たやつのセリフと表情じゃないな。
「……しばし待たれよ」
「30秒」
右の門兵は大急ぎで城へと消えていった。
天戸は腕を組んだままチラッと俺を見た。
「杜居くん、カウントお願い」
「俺っすか」
返事を待たずに天戸は目を閉じた。
「にじゅうく~にじゅうはち~」
「遅いわ」
「にじゅうなな~にじゅうろく~」
「いいわ、その調子」
「……黙れよ、何様だよ」
「ほらほら、数えて」
「にじゅうご~」
残りカウントが3になったところで、息を切らせて門番は戻って来た。
「……おっ、お待たせしました。ご案内……いたします」
◇◇◇
先ほどの門兵に替わり身綺麗な文官と思しき初老の男性が俺達を案内する。
天戸も案内の男も一言も発しない。
初老の文官は何も言わずに天戸を先導して、天戸も何も言わずに着いていく。
この空気感は何だろう……?
陸上競技のピストルが鳴る直前のような?
ボクシングのゴングが鳴る直前のような?
居合の達人同士が間合いに入る瞬間のような?
俺にはわからないけれど、多分ほんの少しだけわかる。
二人ともカツカツと音を立てて先を行く。
恐らく双方ともに自分は相手より遥かに強いと思っているから、相手を招き入れるし容易についていく。
無駄に荘厳な階段を上ると、一番高いところに太陽のレリーフを彫った重厚な扉が見えた。
あの扉の向こうに王か何かがいるのだろう。
階段を上り切り、老人が扉に手を掛けた瞬間――、
目の前にパリッと放電を見たかと思うと、階段全てを覆いつくす激しい雷の柱が屋根を破り俺達を襲う。
ワンテンポ遅れて激しい落雷の音が響く。
俺と天戸の足元以外の階段は崩れ落ち、初老の老人は炭となり、やがて崩れた。
天戸は表情を変えず、マフラーで俺を掴んだまま扉に手を掛ける。
ギッと扉を開くとそこは王の間だった。
広間には十歳に満たない様な少年が玉座に座り、その傍らには20代中頃くらいの女性魔道士が付き従っていた。
魔道士は扉から天戸が出てきたのを見て驚きを隠せなかった。
「……無傷?」
天戸はツカツカと赤絨毯を進む。
「あぁ、あなた?さっきの静電気魔法。ふふ、ビリってしたわ」
王は魔道士を信頼しているのか、全く状況がわかっていないのかきょとんとした顔で魔道士を見る。
魔道士は震える手と口でまた何か魔法の詠唱を行う。
「世界に雨を降らせているのはあなた達なの?」
天戸の問いに答えずに魔道士は詠唱を続ける。
「何故そんなことをしたの?どれだけ多くの人が亡くなったと思う?」
きわめて穏やかな口調で問いながら、天戸はゆっくりと進む。
「さっきのお爺さんは何で殺したの?お爺さんは知っていたの?」
それを聞いて王はハッと魔道士を見る。
あの初老の老人を巻き添えにしたのは魔道士の独断だったらしい。
「ジィを殺したの?……何で?!」
女魔道士は苦虫を潰したような顔で王を見ずに答える。
「……王!賊の言葉に耳をお貸し召されるな!」
「言葉を遮るのはやましい事がある証拠よ。覚えておくといいわ、王様。……次があるならね」
「黙れっ!極大轟雷旋風華……」
魔法を発動しようとした瞬間、女魔道士の両手と首がその身体から離れる。
「ほら、遮った」
目を見開いた女魔道士の頭部がゴトリと音を立てて王の間を転がって数秒経つと、俺達の身体を光の粒が包む。
天戸は振り返り俺に微笑む。
「お疲れ様。今日、言質取ったからね」
今日、……天戸の家に飯を食いに行くというあれか。
「……行けたら行くわ」
「それ絶対行かないやつじゃない」
帰還準備の126秒。
俺の視界の端には首の離れた魔道士の死体と、その傍らに立ち尽くす少年王の姿があった。
そして、少年王は懐から短剣を取り出すと声を上げて天戸に向けて突撃してきた。
「あぁぁああああああ」
天戸は視線もやらず、避ける気配も無い。
気が付いていないはずはない。
天戸は全方位視界を持っているし、耳だってずっといい。
ギリギリで弾くか避けるかするはずだ。
いや、そもそも障壁がある。
平気に決まってる。
だから避けないんだよな?!
後何秒だ?!
「天戸!」
気が付いたら前に出て天戸を引き寄せていた。
「!」
ドッ、と腹の辺りに短剣が突き刺さる。
痛みに顔が歪む。
◇◇◇
目が開くと、青空が目に入った。
カーテンを閉めずに眠っていたようだ。
『おはよ』
天戸からのメッセージが届く。
『おはよう。何のつもりだあほ』
『……ごめん』
文字で問い詰めるのはあんまりいい気がしないから止めておこうと思った。失敗したときのフォローがしづらいからな。
『ママはお昼ご飯に待ってるってさ。またね』
『おい』
そして天戸からの返信は途絶えた。




