おやすみ。
2階、階段上がってすぐそこ。
本がたくさんある、あやのんのお父さんの部屋。
客用の布団を寝室から引っ張ってきて、いっちがアルバムと一緒に持ってきたまくらと共にそれは引かれた。
まくらが変わると寝れない人なんだね、いっちは。
「東町君はこの部屋ね」
「お邪魔します……」
「ふふっ、そんな緊張してたら眠れないわよ」
「この部屋に布団あるの凄い違和感~!!」
「パパも私達の居る寝室で寝るものね」
「あっ、やっぱりそうなんだ〜」
「じゃ、じゃあおやすみ……」
――パタン。
静かに扉は閉められ、いっちの姿は見えなくなる。
そんなわけで、わたしたちは少し離れた寝室へ。
「すー……」
ちっちゃい電球が微かにそこを照らす中で、わたしたちも布団に移動。
かのんちゃんは既に寝息を立てていて、もう朝まで起きることはなさそう。
間違ってもいっちの部屋で寝るなんて事はないよね。うん。だよね?
「「すー……」」
「ほんと姉妹だねぇ……」
寝床に着いた瞬間、寝息を立てるあやのん。
ダンスで疲れたから……とかじゃなく、いつもこうなのだ。充電が切れたみたい。
しかも朝まで全然起きない。寝不足とか無縁なんだろうなぁ……。
二人並んで、そっくりで整った顔。
それを少し眺めて、ちっちゃい電球を消して。
身体を包む布団の感覚。まぶたを閉じる。
中学からよく泊まった寝室だけど……。
「……んん〜……」
なんだか、眠れない。
寝心地が悪いわけじゃない。物音がしているわけじゃない。
今日は体育でダンスもあったし、疲れていないわけじゃない。
「……」
ちょっと喉乾いちゃったかも……。なんでだろう?
手元、携帯を手繰り寄せる。
液晶の光で、足元を照らす。
物音を立てないよう静かに、静かに。
そのまま一階へ。電気のスイッチは……あったあった。
——パチッ
「みず……」
明るくなった視界でフラつきながらも、冷蔵庫にいれていたわたしのミネラルウォーターをぐいっと。
なんか、もうわたしの家みたい。
《——「おっ、それ“山の恵み”だ。美味しいよね」——》
そういえば、いっちは天然水マニア? だったかな。
家に行った時、大量の水が置いてあったし。
飲んでるミネラルウォーター、全部の味を知っていた記憶がある。
《——「水に味なんてあるの……だって? まず俺達が飲んでる飲料水は、水以外にミネラルっていう……カルシウムとかマグネシウムとかの成分が入ってて、その量で味は変わるんだ。日本は軟水って言ってミネラルが少ないものが多いから口当たりが良くて、スッと入って飲みやすい。逆にミネラルが多い硬水なんかは逆だったりして、独特ののどごしがあって好きな人には好きだと思う。つまり、塩味とか甘味、旨味といった“味”とは違う、水でしか味わえない“味”ってのがあッ」——》
話してる途中かのんちゃんに激突されて終わったけど……。
ほんと、いっちは変わってる。
だからこそ——あの、いっちのアルバムを見た時は意外だった。
普通の家庭というか。髪の色もご家族全員奇抜じゃなかったし?
妹さんとお母さんが茶髪だったぐらい。
「……あ」
と思ったら、リビングの机にあった。
いっち仕舞ってなかったんだ。
さっきは、いっちが高速でめくっていったからじっくりとはあんまり見れなかったんだよね。
そんな恥ずかしがらなくても……って、わたしが言えないか。
……妹さんと映るその写真。
思い出す、電話の声。
《——「本当にあの兄とお友達なんですね」——》
《——「失礼しました。ぜひお話したいです」——》
いっちへの口調とは全く異なる、大人びたそれ。
中学生って聞いて驚いた。自分が彼女の頃なんて……恥ずかしい!
ちょくちょく、いっちへの棘があるけど。
兄弟なんてそんなものなのかな。
わたし、ひとりっ子だから分かんないや。
「……さっき見たし、良いよね」
一人しかいない広いリビング、無造作に残されたそれを開く。
カメラを向けられ泣く黒髪の彼。
かけっこで転んで泣いている彼。
お母さんと手を繋ぐ、顔を背けた小さな彼。
《——「あー。後は妹の写真しかないね」——》
そして、そこからはいっちの言うように写真が少なくなった。
茶髪の彼女……妹さんのものばっかり。
でも。
あるには、あるのだ。
「っ!」
一人。
カメラへ目線が無い事から、こちらへ気付いていないとわかる。
ひたすら宿題らしきものをする彼。小学生……高学年ぐらいかな?
そしてその横の写真は、遠足かなにかで……たくさんの友達に囲まれてピースサインをする妹さんの姿。
当然そこに彼は居ない。
「……これも」
また一人、本を読む小さな彼を隠し撮った写真。
そしてその横、友達に囲まれて誕生日パーティー? っぽいのをしている写真。
まるで対照的な姿。昼と夜。太陽と影。
輝く妹さんと……影に居る兄。
めくっても、もう二人が一緒に居る写真は出てこない。
もしかしたら、そういうのは別のアルバムにのってるのかもしれないけど——
「!」
でも。
最後の最後。
そのページには、まるで“そこだけ抜き取った”かのように真ん中だけ空いていた。
「——初音さん、起きてたんだ」
「わぁ!?」
「だ、大丈夫ですか」
「うっうん」
背中、掛かる声。
アルバムを置いて振り返ると、パジャマ姿のいっちが居た。
「携帯どっかに忘れちゃって。アラーム設定したままでさ……この家にあるのは確定なんだけど」
「あはは〜。それは大変なことになるね」
そう言う彼。
やっぱりかのんちゃんには優しい。
手元、そこにあったいっちの携帯を手に取る。
「うん。朝五時にかのんちゃんを起こすわけには、ね。うん……」
「はい。いっちの携帯ってこれでしょ?」
「ど、どうも」
さっきから、いっちの目線が定まってない。わたしのパジャマとそれ以外を行ったりきたり。
……そんな風に見ないでよ。ふつうに恥ずかしい。う、嬉しいけど。
「あー。あ、アルバム。初音さんって、昔は髪の毛長かったんだね」
「? 意外だった〜?」
「い、いいや。初音さんといえばその髪型だったから、驚いて」
「あはは、中学途中まではロングだったんだけど……ばっさりいっちゃった」
「そうなんだ」
昔はあやのんとお揃いにしていた。
でも、いつからか彼女と比べちゃうわたしが居て——衝動的に切っていた。
バスケもあるし、結局切ることになったんだけど。
「周りからは失恋した? とか邪推されたよ〜」
「ははっ、まあそんな感じだよね。いきなり髪切るって」
「うん。へ、へんかな?」
「俺はもう、初音さんといえばその髪型だし。似合ってると思う」
「っ……そっか」
あの時は凄い揶揄われたけど。
いっちがそういうなら、切って良かったかな、なんて。
短くなった髪の先、手でいじる。
「……わたしもいっちといえばその虹色! でも、いっちの家族さん達は知らないんだよね」
「うん。ほんと、どうしたもんかな」
「わ、わたしは——」
「?」
「いっちの虹色、良いと思うから……家族に何か言われたら、応援するから」
「えっ本当に?」
「う、うん」
彼が困るなら。
わたしは、出来ることなら何でも。
大事な友達だから。また、何処かへ行ってしまう前に――
「ありがとう。頼りにしてるよ」
深夜、響く彼の声。
普段と違う彼の姿。
今更、しっかりと見てしまう。
「っ、うん」
意識したら駄目だと分かっているのに。
初めて見る無防備なパジャマ姿。
首元、ちらっと見える鎖骨。
靴下も履いていない、ズボンから覗く裸足。
いつもは見えない、いっちの身体。
「じゃあ、おやすみ。初音さん」
「……うん。おやすみ」
これから彼は、わたしと同じ屋根の下で寝るのだ。
10mに満たない。歩けばすぐそこの場所で。
ドアを開ければ、もう――
無防備な姿で。
一人で。
横になって。
一晩中、彼が居るのだ。
「おやすみ……」
もう一度、そう口にするけれど。
今日はきっと“おやすみ”はできない。
「……」
二階へ戻る彼の背中を眺めて、また変になっている自分に気付いた。
「みず……飲まなきゃ」
冷蔵庫、また手を伸ばす。
今のわたしには、よく冷えたそれが必要だ。
喉が渇く理由が、ようやくわかった気がした。




