『8:25』
キーンコーン――
体育は終了。
授業以外はできるだけ教室に入りたくなくて、すぐに図書室へ駆け込んだ。
授業開始ギリギリになったらそこへ入る。
6限、HRが終わればすぐに帰宅。
誰からも、今は視線を浴びたくなかった。
「っ」
制服を脱いで、着替えて……座り込む。
ずっと、心の奥底にあったモノ。
初音さん、如月さん、椛さんに夢咲さん、柊さんも。
全て女の子だ。
異性。
同性ではない。
彼女達から見て、俺はどう見えているのかと。
《――「あの“五人”で満足出来ないのかよ」――》
そして、“それ以外”から見てどう見えているのかと。
……当然、そんなの決まってる。
“普通じゃない”。
髪が虹色なのも、学年一位のテスト順位も。
この、創作ダンスも。
《――「狙ってるぞアレ」――》
でも俺は、そんな“それ以外”の目は気にならなかった。
なんでかと言えば――五人の彼女達は、俺と仲良くしてくれたから。
テストの勉強会も。波乱だった合コンも、山遊びも、カラオケから初音さんも連れ出した時も。
色んな事があって、彼女達と遊んで――笑った記憶がある。
楽しかった。
友達として――ずっと、このまま。
でも。
そうは、ならない。
《――「……おう」――》
最近の、夢咲さんと柊さんの反応も。
《――『ごめんね 今日からあやのんとダンスの練習するから』――》
最近、露骨に距離を取る初音さんも。
当然、その親友の如月さんも。
《――「お休みに遊んだりしても大丈夫、ですよね」――》
同性の友達ができた椛さんも。
その、常識に。
きっと――この“異常”に気が付く。
「……」
嫌でも想像してしまう。
金曜日――ダンスの発表の後。
俺から離れて行く、五人の彼女達の事を。
「……っ。くそ……」
自宅、時計の音が鳴り響いている。
イヤホンを耳に突き刺しても、それは消えない。
最悪な未来も、当然このまま。
それは既に、明後日に迫っているけれど。
この針の音をかき消す為に――俺は、家を出た。
衝動的に。
欠かさず身に付けていたニット帽を、忘れた事に気付いたのは電車に乗った後だった。
☆
《――♪》
暗闇を刺す光線に、流れる爆音のミュージック。
今はそれが心地良い。
居心地が良すぎて、逆に怖い。
一人でいる事が、おかしくない場所だからだろうか。
「――っ」
基本のステップを刻みながら、音の波に溶け込んでいく。
……気付けば一時間は経っていた。
自分でも少し怖いほど、のめり込んでいた。
ずっとこのままで――そう願うものの、そうは言ってはいられない。
明日も学校だ。
帰って……授業の予習をしないと――
「――やっほー★」
なんて。ひとしきり踊って、帰ろうかなと思った時だった。
シックな黒のワンピースに身を包んだ――ずっとここで声を掛けてくる女の人。
羽織さんだった。
正直、今会いたくなかった。
全てを見透かされそうで。
「なんかあった?」
「っ!?」
……やっぱりこの人怖い。思考を読まれている気がする。
雰囲気もなんか重圧感? あるし。
「そんな驚かんでも。顔見ればわかるかな。顔見なくてもわかるけど」
「……そうですか」
「うん」
不思議な人だ。
前は怖い印象しかなかったけど、今は優しい雰囲気を受ける。
海の向こうの母親も、きっとこんな風だった。
「抱え込んじゃダメだよ、そういうの」
「……はい」
「人ってのは、落ち込むと視野がどんどん狭くなるからねー」
「……」
「ちょっと、聞いてる?」
「はい」
「もー。とにかく誰かに話してみな、友達でも誰でも」
「……はい」
その友達が離れて行っている――とは言えなかった。
「赤の他人でも★」
「いやいや……」
「キミには居るでしょ、たくさん。聞いてくれる人が」
「え」
「もちろんこのハオさんでも——」
「――オーナー! 〇×の社長さんがVIP席で呼んでます」
「あっ……結構急用? 今はちょっとなー」
「例の新事業の話したいらしく……」
「ああ……マジか」
……これ聞いてていいの?
「ごめーん、呼ばれたからまた今度ね!」
「は、はい」
その疑問が解決する間もなく、人込みに消えていく彼女。
オーナーだったのかよあの人。道理で怖いわけだ。
「帰ろ……」
ああ。なんか、ここにきて一気に疲れが来た。
帰ったらすぐに寝よう。
スレ住民に相談しようかなと思ったけど……安価で決めた趣味でこうなったと思われそうで止めた。
それに。
友達全員女の子なんて言ったら――住民すらも、離れて行ってしまいそうで。
《――「君には居るでしょ、たくさん」――》
その言葉の意味は、未だに分からない。
☆
そして、翌日。
朝。
また、HRギリギリで教室に入る。
――瞬間。
「アイツ、クラブ行ってたってマジ?」
そんな声が、俺の耳に入って来た。
背筋に冷たい汗が流れた。
「……ぇ」
おかしいと思った。
明らかに、この場所に来るまでに、いつも以上に視線を感じたから。
男子だけじゃない。女子からも。
テストで学年一位になった時とは――今回は、明らかに“質”が違う。
――「なんか出てくるところ見たらしい」「会員制のとこ」「やっぱり“そういう”人なんだ」――
全く気付かなかった。
あの時、誰かに見られてたなんて。
校則じゃもちろん禁止なんてされていない。
デイタイムの入場は、高校生でも全く問題ない。
でも――抱かれるイメージはきっと、最悪だ。
それこそ、あの場所を知らない者なら。
いや、知っているならなおの事か。
「はは……」
思わず乾いた笑いが零れる。
本当に、転がり落ちる様に。
金曜のダンス発表なんて、もはや関係ない。
それを待つまでもなく――俺はもう、一人だ。
ぎこちなく椅子を引く。
ああ、悪戯はされてないか……それならまだマシだ。
「おい、東町」
「と、とーまち――」
もしかしたら彼女達がそこにいたおかげかもしれない。
机、荷物を置いて逃げようとしたら……隣の二人が声を掛けてきた。
珍しく、途切れた声。
自分の指を弄る柊さんなんて初めて見た。
……心配してくれてるんだろうか。
なら、それをするなら彼女達自身の方だ。
「俺に、話しかけないで」
その優しさを嚙み締めて、彼女達に言った。
震えた声なのは勘弁してほしい。
本当は大丈夫じゃないけれど――彼女達まで、この視線を浴びて欲しくない。
大事な友達だから。
これからは……もうそうじゃないかもしれないけれど。
☆
☆
バスケ部、部室。
そろそろ暑くなっちゃって、制汗スプレーが必須になっちゃった頃。
今日の朝練を終えた時だった。
「先輩やばいっす」
「……え」
「東町? さんでしたっけ。運動部の男子の間でめちゃくちゃ出回ってます」
「な、なにが?」
「あの人、クラブ通い? してるらしくて。とにかく女の子をその……食いまくってる奴、みたいな」
「え……」
明ちゃんが、こそこそと耳打ちする。
そんなわけない――いっちが、そんな事できるわけない。
クラブに行ってる事は知ってる……あの二人との会話で。
ばかな男子が、言ってるだけだ。
多分……嫉妬もあるだろう。
「なに、それっ」
「わ、わあアキに怒らないでくださいよう!」
「桃……大丈夫なの?」
「吹雪まで! いっちがそんな事出来る訳ない!」
「えぇ」
「でも、そこら辺じゃ凄い噂なってます」
「……うそ」
「ほんとです……もう、学校中で」
「えっ」
「マジで一瞬です。噂ってすごいっすね」
……なんで。
そんな信ぴょう性もない、意味不明な噂が。
「も、桃先輩が過去イチ怖いっす……」
「ちょっと桃、落ち着いて」
「……っ」
ずっと気持ちを整理出来なくて、話せていなかったけれど。
今はそんなこと言っていられない。
すっと、冷静になっていく。
最悪の未来が見えた気がしたから。
彼から逃げていくがあまり、彼の顔を見れていなかった。
一番見なくちゃいけない時に。
□
もも『学校、変な噂流れてるけど気にしないで』
もも『今日、一緒に帰らない?』
□
「……」
打ってから、不安が募る。
一番の心配はこの噂を、いっちがどう受け止めるか。
……わたしから離れて行くことだけは、絶対にしてほしくない。
体操服の裾を掴んだ。
汗が、じっとりと手に付いた。
☆
休み時間――席を見れば彼は居ない。
昼休みも。6時間目が終わっても。HRが終わっても。
まるで消えた様に、教室から居ないのだ。
《——「すいませんっ! と、東町君の事、なっ、何か知りませんか?」——》
あやのんといっちを探していたら、詩織さんが初めて話しかけてきたけれど。
《——「メッセージも、返ってこなくて……図書室のいつもの場所にも……どこに居るんでしょうか」——》
そう言う彼女も。近くの席の柊さん達も、どこか浮かない表情で。
きっと、誰も彼と話せないまま時間は過ぎて。
そして。
今。夕方、ようやくその返事が来る。
□
東町一『ごめん』
□
たった、その一言だけ。
それ以降――何を打っても、返事は来なかった。
☆
☆
一限、二限、三四限。
いつもの様に授業を受ける。
休み時間は人気のない自習室に逃げた。
図書室の自習スペースは目線がある。テスト前じゃないとこんなところ誰も使わないから助かった。
昼休み。
ご飯も食べずに、ひたすら自習室。
知らない生徒がちょっと居たけれど、その壁に隠れる様に黙々と励めば、時間はすぐに過ぎて行った。
五限、六限。
HRを終えて――家へと向かう。
「……ふー」
誰とも喋らず、今日を過ごして。
駅のホームで息を吐いて。
なんだ、全然平気じゃないか。
大丈夫。
“元”に戻っただけだ。
――「ねえ、アレ」「あの人ヤバいらしいよ」「高校生でクラブ通いとか――」
「…………」
イヤホンを着けて、やがて来る電車に乗り込む。
揺られ揺られて最寄り駅。
降りて歩いて家に到着。
「疲れた」
教材を取り出し、勉強机に座る。
何かを忘れる様に、頭に詰め込んでいく。
消えない。消えない。
その視線が。
その声が。
彼女達が、離れて行く光景が。
「――っ」
明日。
俺は一体どうなるのだろうか。
ダンス発表で――笑われるのだろうか。
わざと手を抜く? ……それは絶対に嫌だ。
ここまで来て意地を張る自分に驚く。
「……っ」
もう、分からない。
なにもかも。
この先、全てが暗闇に閉ざされたみたいに重苦しい。
詰め込んでいる英単語は、この状況を助けてくれない。
それでも――まだ気が楽になった。
勉学に逃げるこの今が。
……同じだ。あの時と。
変わる前の黒髪の自分。
俺は——何も変わっちゃいない。
☆
「……」
金曜日。
目が覚めたら、朝の3時だった。
二度寝する気も起きず、ひたすらに勉強。
5時になったらジャージに着替えて、公園にて日課になった鉄棒を終えて。
朝6時。
料理する気が起きなくて、朝には適当な菓子パンを食べて。
7時。
今日の授業科目を確認、鞄に教材を入れて。
制服の袖に腕を通す。
髪を櫛で整えて――そうしていたら家を出る時間。
7時半。
靴を履く。
扉の取っ手に掛けた手が、震えていた。
8時。
玄関、座り込む。
足が震えていた。
8時10分。
靴ひもを何度も結びなおす。
結局それを解いて、リビングに戻った。
頭が、ズキズキと痛い。
呼吸が、上手く出来ない。
「っ」
8時20分。
玄関でもう一度止まる。
ラストチャンスはとっくに逃した。
もう、遅刻は確定だ。
それでも――まるで己を守るかの様に――この足は動かない。
動けと思えど動かない。
目の前の扉が、馬鹿みたいに遠く思えて。
《――「見ろよアイツ」「勉強出来るからって何してもいいわけじゃねーよな」「あの噂ってホントなの?」――》
誰もいない玄関。
昨日の、聞きたくない有象無象の声が聞こえてくる。
《――「うわっ来たよ」「どんな神経してんだろうな」「結局見た目通りだったね」――》
今日も、きっとそれは聞こえてきて。
そしてその声は、五人の彼女達にも聞こえる訳で。
それなら――それならもういっそ。
「……はは」
やっぱり、俺はなにも変わっちゃいない。
変わると誓ったあの時から。
逃げて、逃げて。周りの視線が気になって仕方なくて。
結局今――地面の底だ。
「っ」
制服のまま布団に潜る。
気持ち悪いぐらいそこは心地が良い。
まるで逃げる自分を迎えてくれる様だった。
携帯、その電話番号を打ち込んだ。
先生の声が聞こえた。
「東町です……今日、頭が痛くて。すいませんが休みます……はい、また経過は連絡します……大丈夫です」
電話を切る。
これで、良かったんだ。
朝の8時25分。
逃げる様――俺は布団の中に潜り込んで。
聞こえるはずのない時計の音が、俺を馬鹿にするように響いていた。




