32・昔のことは昔のこと
朝。
「うっし……そろそろ行くか」
準備を済ませ、家を出た瞬間であった。
「……(朱里)?」
声には出さない。
しかしその姿を見て、一瞬呼吸が止まってしまった。
何故なら……家の門扉のすぐ前で朱里が立っていたからだ。
「…………」
朱里は口を閉じて、じーっと俺を睨んでいる。
怖っ……!
ホラーかよ!
しかしこいつにはもうなにも言うことがない。なにを考えているのかも分からない。
ゆえに朱里を無視して、横を通り過ぎようとした時であった。
「……わたし、諦めませんから」
彼女がそう耳元で囁いてきた。
そしてそれが終わると、俺よりも早く走り去ってしまったのだ。
「……諦めない?」
もしや喫茶店での一件をまだ根に持っているということか。
全く。逆恨みも甚だしい。
俺にとってはあの一件はもう終わった話だ。朱里と今更どうこうしようとは思っていない。
どんどん遠くなっていく朱里の背中。
「あ……」
肩にかけているバッグにストラップを付けている。
醜悪なストラップだ。
あれは……。
「確か、あれは俺が昔に渡したストラップだよな」
思い出す。
そう、あれはまだ俺達がまだ小学一年生の時であった。
あの頃はまだ朱里と仲良くしていた。
そのせいで周囲からは『付き合っている』などと噂されていたな。
悪い記憶だ。
そんなある日。
朱里の誕生日がきた。
俺は彼女にあのストラップをプレゼントした。
『これ、誕生日のプレゼント』
なんて言いながら。
俺は照れくささも感じながら、朱里にあのストラップを渡した。
家族と旅行中、お土産屋さんで買った……というまでは覚えているが、具体的な場所までは覚えていない。
なんであんな可愛くもないストラップなんて、渡そうとしたんだろうな。
ストラップを朱里に渡すと、
『こーんなのしかくれないの? ぜんぜん可愛くないじゃん』
と口を歪めていた。
せっかくのプレゼントだというのに……。
この頃から、口を開けば憎たらしいことを言っていた。
しかしその時の朱里がいつもと違ったことがある。
彼女はそのストラップを手に取ると、
『でもありがと。嬉しい』
と大事そうに、自分の胸の前でぎゅっと握った。
なんだかんだで喜んでくれた。
そう感じた次の瞬間、俺はとんでもないことを口走っていたのだ。
『あかりちゃん。ぼくのお願い、聞いてくれる?』
『なに?』
『ぼくと……大人になったら結婚してください!』
と。
今思えば、自分のことながらおませなガキである。
そう……あの時の俺は、朱里と仲が良いだけではなく、彼女のことが好きだった。
朱里は幼い頃からお人形さんみたいに可愛かった。
クラスでもモテていた……ような気がする。
そんな彼女と幼馴染であることが、ただただ誇らしかった。
だから求婚したのだ。
朱里はそれを聞き、少し考えて、
『仕方ないわね。ゆうはわたしがいないと、なーんにもできないからね。わたしがお嫁さんになってあげる』
と笑顔で言った。
「懐かしいな」
走り去った朱里の姿はもう見えなくなってしまっている。
朱里はもう昔のことを覚えていないだろう。
昔の彼女は口は悪いものの、まだ可愛げがあった。
だからこそ俺は彼女に惹かれた。
しかし……今となっては見る影もなくなった。
「ほんと……なんで俺はあんなことを言ったんだろうな。自分が恥ずかしい」
苦虫を噛み潰したような気分になる。
どうして彼女は変わってしまったんだろう?
昔のように戻りたい……とは思っていない。
何故なら、今の方が何十倍……いや、何百倍も楽しいからだ。
しかし俺が求婚してから、だんだんと朱里のワガママさっぷりは増長していったように思う。
俺のせいだろうか?
そう思いかけるが、すぐに首を横に振る。
「あいつがあんな性格になってしまったのは、あいつ自身のせいだ」
朝から嫌なものを見てしまった。
俺は朱里のことを決して許さない。
たとえ朱里が謝っても、昔のような関係に戻ることは二度とないだろう。
そんなことを思いながら、俺は学校に向かって歩き出した。




