08りんごの木は全てを知っている
「焼けた焼けた」
職員室の先にある部屋に通された三人は、エビを食べていた。エビを焼いていたらいつのまにか普通の中火になっていき「もう少し頑張ってよ」と鼓舞したところ「魔力がもう、ない」と疲れた顔で言うから勘弁しておいた。
何か聞いたそうだったのに、炎が鎮火する頃にはエビを渡したら無言で食べ出したのでやっぱり食べたかっただけなんだと思ったグラニエスは悪くない。
グラニエスたちは炎が消えたからと今更先生っぽさを醸し出す教師陣に連れられて、この部屋に通された。
ここがどこかなんて、どうでもいい。グラニエスと商人の子は談笑しながら焼き加減について話す。
「この香辛料、合う」
「高温で焼き上げることによって、中がとろりとなってますね」
「カルヴァはどの香辛料がいい?」
さっきから、ハイライトが消えた瞳で咀嚼している。元気出せばいいのに。せっかく、美味しいエビをご馳走しているというのに。
「グラニエス、お前、ここがどこかわかってるのか?」
「ん?スタッフルームか……先生たちが賄いを食べるために気を利かせた部屋かなって」
「副校長室だ」
間髪入れず、被せるように言われた。ジョークなのに。
「ふーん」
「ふーんじゃない。お前こそ休学を言い渡されるぞ」
「ワタシですか?平気です。推薦状は我が国の王からなので、そんなに簡単にいきませんから」
「は?王?」
カルヴァは思っても見ない王侯貴族の言葉に目を剥く。
「この子、確かかなりの高位貴族だから。でも、遠い国だし、小さいっていうから親類縁者が貴族となると少ないんだって」
「ってことは、父親は当主か?当主がスパイス商人ってどういうことだ」
どういうこともなにも、高位貴族だからこそ世界を回ったり、国を調べるために、ついでに商売をして馴染んでるだけだろうと首を傾げる。
「国が違えば、やり方も違うってことだよ、ね」
「はい!」
「その、さっきからのネ、をやめろ」
息が合いすぎてグラニエスが二人以上になったようなもので、心の中のツッコミが間に合わない。グラニエスたちがのほほんとグルメについて語り合って。副校長が推薦状を確かめてからすっ飛んできたので、国に帰されることなんて万に一つもなかった。
「……エス」
ふわり、と意識が急に引き戻される。
ゆるりとゆすられて、また一つ深淵の中から揺り戻されていく。まるで夢から覚める前だ、と感じて。目をパッと開けた。
「……だれ」
「寝ぼけてるのか」
ここは、どこだろうと周りを見ると高価な調度品が並ぶ豪華な部屋。
「ん……カルヴァの、お兄さん?」
「兄弟はいない。いたら喜んで爵位を譲ってたな」
楽しげに笑う男はカルヴァを大人にしたらこうなるという、凛々しい顔をする。そこにきて漸く、あれが過去のことだったと思い出す。
グラニエスとカルヴァはあのあと、色んなことがあって婚姻したのだ。今はこの侯爵邸に住んでおり、グラニエスはグラニエス夫人になっていた。
寝ぼけてしまって、うっかり過去の夢を見たこともあって混乱したみたいだ。
そこまで考えていると起きたてだからなのか、カルヴァが顔に優しく触れてきて、それがなにを意味するのかと伏せて思い出した。
「待って。私の中ではカルヴァはまだ学生だから。それは早い」
「そうか。おれはお前を結婚可能な妻と思ってるから、関係ない」
笑みを浮かべて、彼は図太さを発揮してしまう。育てすぎた弊害だな、とよそ見をする。学生の時を夢で見た分、今の甘さが強い。
「今日は果樹園に行く日だろ」
炎侯爵と呼ばれて久しい男が目を深くゆらめかせて、予定を教えてくる。そうだった。今日はもぎりに行く日だ。
「行かないと。あなたの焼きたてりんごを食べられる日でもあるし」
「はは……!ああ、学生のときよりうまく焼ける自信もあるから、任せておけ」
カルヴァはちろりと指先で器用に炎を出す。学生のときには考えられないほどの絶妙な加減。
「りんご庭園まで徒歩で行くか?」
昔のことを当てこすられて、流石に無茶と言うしかない。侯爵家にも移植したりんごなどがある庭園は広く、距離も遠い。
仮にそこまで歩けても、見て回るのに一日中ずっと歩かなければいけなくなる。
「子鹿侯爵夫人って呼ばれるな。ふ」
筋肉痛を示唆される。りんご夫人という異名でも呼ばれているので増えることになるなと、困った。
歩き続けると周りも困るのでは?と偲ばれる。手を出されてエスコートされるグラニエスはそのまま起き上がると、伸びをした。
りんご庭園に向かうと馬車から降りて、カルヴァの手に手を重ねて降りる。目に入るのは広大な敷地。すごい、本当にいつ見ても。あそこからあそこまで侯爵領の一部だ。
鉱山を主にしていたけれど、安い土地を唸るほどの資産で買い取ってくれた。雇用も生まれるので黒字だ。鉱山だけではグラニエスを満足させられないと、カルヴァは張り切っていたことを思い出す。
「あ!」
「来たわ、夫人」
雇用されている人たちがこちらに気付いて手を振るのでこちらも、振り返す。男爵家から移った人もいるし、あちこちから来た人もいる。そこに国の境目はない。
カルヴァは相変わらず小さく振るのでグラニエスが甲斐甲斐しく手を取って振らせて上げる。恥ずかしがってはいなさそうなのに、いつになっても小さい幅だ。
りんご庭園に入るとりんごの甘酸っぱい香りが風と共に香る。
「準備できてますよ」
「ありがとう」
「ありがとう」
二人は用意された場所に行く。そこは立派な火おこしができる広さのある、周りになにもない空き地。
そこにはたっぷりのりんごがゴロゴロと積まれている。周りには関係者が待ち侘びている様子で声掛けしてきたり、お皿を持っていたり。
「炎侯爵様!私のをいっぱいカリカリにしてくださいっ」
小さな子供が元気いっぱいに主張する。周りの大人たちは笑ってそれがいつものことだと受け止めている。
「いいぞ。たくさん食べていけ」
カルヴァが得意げに炎を出し始めると皆は拍手したり、焼いて欲しいものを持ち寄り出す。
グラニエスはいつものようにりんごに砂糖を絡めては配ったり袋に詰めたりする。水分が蒸発していく音に耳を澄ませていると、カルヴァが顔を覗き込んでいることに気付く。
「どうしたの?」
目を丸くして問いかけると、手を顎に乗せてリラックスしている表情をする夫が、穏やかに唇を動かす。
「初めて会った時のことを思い出してな」
「ああ。あなたが座り込んで寂しさに打ちひしがれていたところを、りんごを差し出して『お食べ』ってやった出会い?」
なかなかにドラマティックだった。
「違うだろっ」
声と共にブオッと炎がひと段落上がる。
「勝手に記憶を改竄するな」
ため息を吐いて、こいつは、という顔を浮かべる男に笑った。
「うそうそ、ちゃんと覚えてる。火が付かないし、タイミングよく火が現れたから小躍りしてたときね」
「嫌な記憶のさせ方してるな……」
そんなことだろうとは知っていた様子のカルヴァ。こちらの性格を熟知しているだけはある。
「あの時、おれは孤独とは無縁になってたけどな」
楽しそうに頬を上げて、ゆるりと口角を上げる彼から、陰鬱とした気配はどこにも見当たらない。
それでいい。そういう顔が見たかった。苦しさも辛さも一人の寂しさも。子供が浮かべるべきものではなかったから。
「私も、グラニエス侯爵夫人になるとは思わなかった」
「そうか?そうでもないがな」
誇らしげに、自慢げに唱える男は上機嫌に焼き終えたりんごを皿へ移す。
「ありがとう!炎侯爵様」
先ほどの子供がお礼を言いにこちらまで来た。それに彼はこの世で一番の幸せ者だと言わんばかりに目尻を下げる。
「砂糖の付いた指も美味しいから、大人に隠れて舐めるんだぞ」
「うん!」
パタパタと去る子供を見送り、こちらを見た彼はイタズラを成功させた目の色を浮かべていた。
「忘れてるのかと」
「忘れてなかったな」
くすくすと笑うカルヴァ。スクリと立ち上がり、手を差し伸べられた。グラニエスもこの手が、どれほど自分を大切に扱うか知っているのでいつものように重ねる。
庭園をゆっくり歩き出す二人にはたくさんの人がいて。皆は笑顔で笑いかける。炎を怖がる人なんて一人もいない。
「グラニエス夫人!炎侯爵様!」
誰かが今日も呼びかけるのを、夫婦はお互いを見合ってから応える。
「はーい!」
つやりとした赤い果実が、光に照らされて庭園を彩っている。
二人の出会いから未来を見守るように。
最後まで読んで頂きありがとうございます。星の評価も是非お願いします




