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第三十五話

 ピピピ、ピピピ…………


 アラームの音に『彼女』は目を覚ました。


 目を開けた感覚はあるが、空間が真っ暗なのでここがどこか考えてしまった。


 ――――そうだ、ホームだ。


 思い出して、その場所から移動すると決めると、目の前の景色は一瞬にして変わる。


 そこは小さな噴水のある庭園だった。


 広さは四方5メートルほどだろうか。建物の廊下に通じている、いわゆる『中庭』というものだ。


「……ここのハーブは元気だねぇ」


 いつも世話をしている花壇が目に入り、思わずしゃがんで若い葉っぱを指で触る。


 花壇にはミントやレモングラスなどがまばらに生えていた。どれも好き勝手伸びて、手入れをしないと中庭が埋まってしまいそうだ。


「所長の家のハーブはもっと小さかったなぁ……」


 かつて自分が世話をしていた場所は、手の平サイズに育てば良い方。それでも、大事に育てたハーブの葉で『彼』にお茶を淹れるのが楽しみだった。


 指先で触っている植物の輪郭がぼやける。

 それは、自分が涙目になっているせいだとすぐに理解した。


「………………帰りたい」


 思わず呟いたが、『彼女』が望む場所はずっと前に燃え尽きてしまっている。




 ついこの間、世界の様子を映像で見た時は愕然とした。


 世界中が浄化の炎に焼かれて、どこも見分けがつかないほど真っ赤な単一の景色になっていたのだ。


 ――――もう『館長』もいない。人類は完全に“リセット”されてしまったのね。


 浄化が始まって二ヶ月ほどして、図書館の『館長』が亡くなった。


 現在、この図書館には『プログラム』しか居ないので、実質『館長』が最後の人類だったと言える。



 彼の最期は『番号付き』のプログラム全員で見送った。


 今際の時、彼は小さく頷く。


『待っていてほしい…………“巡った”ら、すぐにここへ戻る』


 最後に『館長』が言った言葉を、『彼女』を含む全員がしっかりと聞いた。

 しかし悲しみと同時に、彼らの表情には困惑の色が浮かんでいたのだ。



『館長』が戻るまで、自分たちは“生きている”だろうか?


 浄化が終わり、人類が新たに生まれた頃。

 この図書館に『新しい館長』が訪れるまで、途方もない時間を要することを彼らは解っている。


 ――――気合いでどうにかなるんだったら、私が頑張るつもりなんだけど……


「あはは…………」


 そう思ったら笑い声が出た。

 それと同時に、目に溜まっていた涙もポロポロと落ちる。


「所長も早く“巡って”くれないかなぁ……」


 この時、『彼女』が【永久図書館(ライブラリィ)】に帰還してから、世代が変わるほどの年月が経とうとしていた。



 …………………………

 ………………




 さらに月日が経ったある日。


 かつて『館長』が執務を行っていた部屋が開かれ、そこに『彼女』たち『番号付きのプログラム』が立っている。



「浄化が始まって、俺たちは今日まで『館長』の遺言に従って動いてきた訳だが…………やっと“最後の仕上げ”の段階にきた」


 そう言って頷くと【143】は両手を胸の前に掲げ、そこに両手の平で持てるほどの大きさのガラスの玉を出現させる。


 ガラス玉の中にはまだ何も無い。


「ここに“巡った”先のことを願う。例え俺たちが自分の使命を忘れても、惑星の直しに自然と首を突っ込めるようにな」


 最後の方は何処か皮肉めいた笑いが口の端に浮かんでいたが、すぐに【143】は大きく息を吸って気持ちを落ち着けようとしていた。



「じゃ……まずは、お前な」


 ガラス玉が手から手へと渡される。


「ん? 自分からで良いの?」

「お前なら迷わないだろ。最初なんだから、ちゃんと真面目に言えよ」

「……プレッシャー掛けてくるなぁ」


【143】がガラス玉を渡したのは、眼鏡をかけた少年【472】である。


「何でも願って良いの?」

「言ってしまえば、新しい世界での『自分の立場』だ。ここにいる全員が願ったら……………………いや、なるようになるだろ」


 言いかけて首を振る。

 先の未来は予測してもわからない。



「ふぅ…………」


【472】は小さくため息をつき、ガラス玉をしげしげと眺めてから顔の前にかざした。


「…………新しい世界に願うのは、人類の“賢さ”であり“正しい選択”である」


 ガラス玉がぼんやりと光って、その内部に銀色のリボンのような細い光がゆらゆらと動く。


「【賢者】は人道を護り、整え、導くための手段を介助するものと誓う」


 光が強くなったところで、【472】はガラス玉を顔から離した。


「どう?」

「……【賢者】らしいこと言ったな」

「真面目な話ならこんなもんでしょ。で? 次は【王】?【聖女】?」


「【王】だ。【844】……おいで」


【143】は『館長』が座っていた席の横に、背筋を伸ばして立っていた【844】を呼ぶ。


「…………ーー……」


 返事をしたであろう彼女の口からは、サーサーとノイズ混じりの電子の音がする。




【844】は世界が浄化を始めた時に『想い人』の今際に会いに行った。


 しかしそれには、全てを無に還そうとしている政府の浄化システムに見つからないように、かなりの無茶をして回線をこじ開けなければならなかった。


 結果、無理やりに荒れた回線をくぐったせいか、本人のシステムの一部が欠損して声が出なくなってしまったのだ。現在では直すのは不可能な部分だという。



 最初はそんな彼女に対して、仲間たちはどう扱えば良いか迷った。

 しかし、その戸惑いはすぐに消える。


 本来なら規律に厳しい【143】が協力したことと、前より『妹』として大事にしているのが目に見えてわかったこと。

 そして、ボロボロになっても生還した【844】は以前とは違い、どこか芯の通った凛とした雰囲気を纏うようになったこと。


 全員をまとめるリーダーに変化があったことは大きい。



 ――――やっぱり、兄妹なんだなぁ。


『彼女』は眩しいものを見るように、目を細めてその光景を見守った。


 ガラス玉を【143】から受け取った【844】は静かにそれを見詰めている。その姿はやはり【143】と似ていた。



 ガラス玉に額を付け、彼女は祈るように口を開いた。


「……ーーーー、ーーーー…………ーーー……」


 サーサーと流れる音をしばらく聞く。

【844】の音はどれも言葉として聴こえる声にはならなかった。それでも、彼女が何を願って、何を誓ったのかは誰も聞こうとしない。


 それくらい、今の彼女は新しい世界での【王】としての役目に相応しいと思われている証拠だ。


 ガラス玉の中で、一つ増えた2本の銀色のリボンが揺らめき始めた。


「……………………」


 音が止み、【844】は微笑みながらガラス玉を『彼女』へと差し出す。


「私…………」


 受け取ったガラス玉はずしりと重い。

 それを胸に抱くように持つと、ガラス玉はキラキラと勝手に光り出す。


「【聖女】として誓います…………新しい世界で…………私は…………」



 ――――“リリ、君の幸せを願う”


『彼女』の脳内で、遙か昔に聴いた声が再生され、胸が詰まったように次の言葉が出てこない。


「私…………」

「深く考えるな。好きに言え……『リリ』」

「え?」


 久しぶりに『リリ』と呼ばれたことに、【143】の方を思いっきり振り返る。


「お前なりの【聖女】で良い。せっかく、新しい世界になるんだから自由にすれば良い」


「そうそう。君の自由にしなよ」

「……ーーー……」


 そっぽを向く【143】の後ろで、【472】と【844】が笑って頷く。


「おれは『リリ』なりの【聖女】様が見たい」

「どんな風になるか楽しみですね」


 さらに離れた所で、【655】と【915】の双子が楽しそうに話している。



「…………そっか……」


 胸の中で光るガラス玉を見詰めて大きく息を吸う。



「私……【聖女】は願います。全ての“生命”を癒し、全ての“大地”の豊かさを見守ることを」


 ふと頭に過ぎるのは、小さな子供だった『彼』が成長して仕事に没頭している姿。


 常に忙しく、感情が乏しいことに悩みながらも仕事をしている時に見せる表情は、自分のためだけのものではなかったはずだ。


「私は【聖女】として、みんなの“幸せ”を願う」


 与えられるだけの者でも、生きていればいつかは誰かに与えることになる。


「でもね………………【聖女】だって、みんなに癒されたい。みんなと同じことで“幸せ”になりたいの」


「「「……………………」」」


 全員、目を見開いて『リリ』を黙って見つめる。


「何かあったら、私は絶対にみんなを助ける。だから、みんなも私を助けてちょうだい」


 ガラス玉のリボンが増えて、お互いに絡み合うようにぐるぐると回る。回っているうちに、1本の金色のリボンになって光りだした。


「…………やっと終わったか」

「今の、良いの?」

「良いんだよ。運命はどうあれ、新しい世界になったら俺たちも『同じ人間』なんだから」

「それもそうだね。自分たちは『神』や『女神』じゃない。助けてもらったら、その分以上に頑張ればいいか」


 全員が「そうだね」と呟く。



『リリ』はキラキラと金のリボンが揺らめくガラス玉を、顔の前に掲げて覗き込む。


「あとは…………これ、どうするの?」

「あぁ、これは―――」


 その時、


 ビーーーッ、ビーーーッ!!


 どこからともなく、サイレンが鳴り響いた。



『【惑星】ノ 浄化ガ 完了シマシタ。コレヨリ【再生】ヲ 開始シマス』


 抑揚のない音声に、その場の全員が天井を見上げて静止する。

 数分が経ったくらいで、やっとお互いに顔を見合わせた。


「………………きた」

「とうとう……」

「外、出てみようか……」

「「「うん!」」」


 彼らはすぐにバタバタと走り出した。

 誰も回線を使うことなく、館内の通路をひたすら駆けていく。その間、誰もが顔に微かな笑みを浮かべていた。



 …………………………

 ………………



 今まで固く閉じていた館の大扉が開かれ、彼らは勢いよく外へ飛び出した。



「「「わぁーーーっ!!」」」

「「「おおおーーーっ!!」」」


 ここは昔から変わらない姿をした、図書館の玄関前の庭である。しかし、ひと目で変わったことを確認して歓声をあげた。



 頭上の空は真っ暗だ。だが、そこには『びっしり』と『ひしめく』などと表現できるくらいの星が煌めいている。


 見えるのが星空だけだが今はそれで充分だ。



「こんな星空、久しぶりだねぇ。今まで地上の火のせいで見えなかったから」

「やっぱ、キレイなもんだな」

「空気も以前より涼しいです」

「本当に……」


 感動で泣きそうになり、胸のガラス玉をギュッ抱き締めた。


「ーー、ーーー……」

「あぁ、そうだ。それ、今すぐ【惑星】に送ろう」

「そ、そうだね! それが目的だもんね!」


 危うく、自分たちの使命を忘れそうになって、彼らは慌てて庭の中央へと歩き出した。



「……『女神』、これを受け取ってください。あなたが困った時は、私たちが全力で助けるから」


 ピシッ!

 ピシピシピシピシピシピシ…………


 願うように空へ掲げると、ガラス玉にいくつもの細かいヒビが入っていく。


 パシンッ!


 シャボン玉が弾けるようにガラス玉が割れた。


 次の瞬間、ふわりと辺りにガラスの粉塵が舞うと、中のリボンが空中へと登っていく。それはかなり高くまで、豆つぶくらいになるとパンッと空で分解され四方へと飛んでいった。



 まるで流れ星のように、図書館の敷地の外へと落ちていくのを全員で見守る。


「これで、私たちの仕事が終わったね」

「一応な。あとは『館長』が帰ってきた時に出迎えるだけだけど…………」


 そう言って【143】は全員を見回す。


「俺、たぶん早死にするから、あとはお前らで頑張れ」


「ーーーッ!? ーーー!!」

「ちょっ……何言ってるのよ!?」

「え? なんの冗談だい?」

「えー……キツいなぁ」

「どういうことでしょうか?」


 一斉に抗議の声をあげる仲間に少年は言う。


「俺のエネルギー量、もうそんなに無いんだよ! 働かせ過ぎだ、少しは早めに休ませろ! バーカ!!」


 ふんっ! とそっぽを向いて、スタスタと館へと歩き出した。仲間たちも苦笑いしながらついて行く。だがその途中、



「あ! 流れ星だ!」


 星空の中に、先ほどのリボンに似た光の筋が何本も降り始めた。彼らは足を止めて再び上を見上げる。


 流星群はしばらくつづきそうだ。


「…………お前ら、“巡った”らどうしたい?」


 ぽつりと質問が投げられた。


「ーーー、ーー……ーーー」

「そうですか、わたしもそうです。すぐに逢えればいいですね」


「自分はこのままでも良いけど…………でももう少し、物理的に強くなりたいなぁ。君みたいに」

「お前、何があったんだよ…………おれは、世界のあちこちを歩きたい。『リリ』は?」


「私はさっき言った通り。幸せにしたいし、幸せになりたい」


 尋ねた本人は黙ってそれを聴いていた。そして、小さく笑うと呟く。


「俺は、それが叶うか見届けてやるよ」


 どうやら、これが彼の願いらしい。



 それから、みんな黙って星空を見上げる。

 星の音が聞こえそうなくらいに、この世界には何もない。



 ――――また、“巡った”世界でみんなに会えますように。


 必ずと念を押すように、『リリ』は何度も星空に願った。




次回、最終話です。

そのあとに、余談あり。

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