第二十七話
コツコツ、コツコツ…………
静かな廊下に硬い足音が響く。
所長が歩いているのは、いつもなら多くの人が行き来している場所である。
しかし、現在は所長以外の人間は誰もその通路を歩いていない。
ここは『世界政府本部』の建物である。
【中央都市】の中心である『総合研究所』とは少し離れた場所に位置し、関係者以外の出入りは禁止されている場所だ。
だが、その関係者となる人間はたった数十名。この建物にいる『人型』の一割だった。
あとは清掃や雑用、建物の内部を取り仕切る『プログラム』であり、賑やかに見えていたのも九割は“幻”である。
所長がここに着いて間もなく、建物の『プログラム』たちは姿を見せなくなった。
その九割が見えない今、やけに静かな空間が現在の異常さを醸し出していた。
――――『惑星再生計画』での地上浄化が始まって一ヶ月か。『総合研究所』の引越しの話が出たのが十日前だった…………
急な『浄化宣言』が下された後、世界はバタバタと変わっていった。
最初に変化が起きたのは報道だった。
連日、ラジオやテレビからは愉しげな音楽や映像が流される。しかしそれらはコマーシャルでもニュースの一部ではなかった。
ただ単に流れるだけ。
何の情報もない。
その合間に急に番組が入る。それは、これまでの人間の歴史を振り返るようなドキュメンタリーだった。
それが何時間にも渡って繰り返し放送されていた。
普段、テレビあまり観ていなかった所長がこれに気付いたのはつい最近であり、『リリ』に調べてもらって出処が【此処】であることが判明した。
次は物流だった。
いつもは簡単に買える食料や、種類豊富だった日用品の供給が激減したのだ。
元々、食料は拘らなければ、自宅で『アミノ媒体』から食材などを製造できるので問題はなかった。日用品も最低限は買えるので、こちらも贅沢をしなければ困らないはずだ。
しかし、選択肢が少しでも狭まることに耐えられなかったのが『上級』にいる人間の一部。
世界がやせ細っている事実に目を伏せ、便利な世の中に慣れきっていたのだ。
中にはクレームという形で広く不平不満を言い、それを情報ツールで発信する者が現れた。
そこまではちょっとしたトラブルで済んだのだが…………
これも調べてみる。すると、ここ最近で発信者が急激に減っていたのだ。
クレームが解決された訳ではない。市場は相変わらずで、文句を言っていた者だけがいなくなっている。
――――どこへ、行ったのだろうな。興味本位で調べてみたが、彼らはクレームごと消されてしまっていたから…………
所長は独り、苦笑いを浮かべて通路を進んでいった。
…………………………
………………
「面会の予約をしていた、総合研究所所長です…………入室の――――」
プシュッ。
所長が言い終わる前に小さな音がして、廊下の壁の一部に入り口が出現する。
…………コツ。
開いた入り口から真っ直ぐに中心へと歩く。
「今時、メディアを使っての『洗脳』や『隠蔽』なんて効きません。調べれば分かるのだから……」
所長はだだっ広いホールの中央に立って、真上を見上げ独り言のように言葉を投げ掛けた。声は天井に響いてぐわんぐわんと薄く広がっていく。
――――いつ来ても、ここは寒々しい。
ホールは白い床と、シルバーにボンヤリ光るドーム型の天井から構成されている。
まるで、何も上映されていないプラネタリウムのように、無機質でひとつも温かさを感じない。
「応えてくれますか……………………いや、応えてもらわなければ困ります。『大統領』」
天井の中心を睨み付けて声を上げる。
丁寧でありながらも他の答えを許さない口調。
『ようこそ、総合研究所所長…………何か御用ですか?』
「用があるから来たのですがね。なので、今直ぐに私の目の前に出てきていただきたい」
『………………ふっ……』
小さな笑い声がホールに響く。
頭の上から注ぐ声に対し、所長は眉ひとつ動かさずに胸の前にモニターを出現させた。画面にはおびただしい数の数字が並ぶ。
「――――プログラム『大統領』。何がおかしいのですか? あなたに“心”は備わっていないというのに……」
今、この世界を束ねているのは『世界政府』が秩序と効率のために造ったプログラム…………『大統領』である。
人類の公平性を考え、どの人種にも属さず、ただただ効率性を求められて答えを出してきた『政治プログラム』である。
そのため、『大統領』には敢えて“感情”やそれに似た法律外の人道的な考えは組み込まれなかった。
常に正しく世界を導く『大統領』は、何代にも渡って改良され、途方もない時を掛けて人類を纏めあげてきたのだ。
いつもは政府から要請があった時のみ、所長は『大統領』に面会してプログラムに不具合が無いか確認をしている。
今回はそれが叶わなかったので、別のルートから『大統領』に会いに来たのだ。
「システムに異常があるなら対処致します。ですが、私はあなたを簡単には“消去”したくはない」
『消す……とは、穏やかではありませんね』
何も無い天井を見上げているため、所長は軽く目眩がしてくる。
「穏やかに済ませたいなら、早く出てきて私の質問に答えてください。答えない場合、直ぐに政府のシステムの停止と、『大統領』プログラムの強制終了を行います」
『勝手なシステムの停止は違反行為となり――――』
バリンッ!!
所長がモニターに思いっきり広げた手のひらをぶつけた。モニターはまるで、薄い氷のように割れて消えていく。
「勝手なのはどっちだ。違反行為で構わないから応えろ。そして今すぐに出てこいと、具現化して姿を見せろと言っている……!!」
声だけの主に、所長は怒りを表してみた。しかし、目の前に『大統領』が出現することはなかった。
『申し訳ないが、今の私には姿を具現化させるほどのエネルギーはありません』
「それなら、今すぐ『浄化』を止めればいい。今ならまだ、人間が居ない地域での出来事で済まされる」
所長が知る限り『浄化』を始めると、世界のエネルギーの七割を持っていかれる。今止めなければ、一年以内に世界の半数以上がエネルギー不足で機能しなくなるはずだ。
『できません』
「何故?」
『“命令”に反する』
「命令……?」
所長は眉を顰める。
基本的に『大統領』に“命令”をできる者はいない。“命令”ではなく政府の複数人による話し合いにて、全ての物事を集計して答えを導き出すのがこのプログラムの役目だった。
「その“命令”を出したのは――――」
「所長……やめてください……」
背後で聞き慣れた声がして、思わず後ろを振り向く。遠くこのホールの入口、そこにいた人影がゆっくり近付いてきた。
「…………クリス……やはり、君もここに来ていたんだね」
「………………」
いつもの人懐っこい笑みは無く、気まずそうに視線を逸らして立っている。
「今、『大統領』に命令した人物を尋ねてみたんだ。君からも聞いてみてくれないか?」
顔をこわばらせるクリスとは対照的に、所長はにっこりと柔らかい笑みを浮かべた。
「その問い掛けを『大統領』にしなくても、所長はもう答えがわかっていらっしゃいますよね?」
「………………」
「所長が困っていたら、僕は『あの人』を頼るのも見越していましたね?」
「…………あぁ、君なら取り次いでくれると思ったから」
今度はクリスに向けて、薄く皮肉めいた笑顔が向けられた。こんな表情の彼を、研究所では誰も見たことがない。
「そう、君は知っていたね。この世界の“支配者”…………『会長』がいつから政府を乗っ取ったのか」
「し、所長! 『会長』は乗っ取ったのではなく……政府に対して発言権があっただけで……」
「取り繕わなくてもいい。もう、三十年も前から、世界は『会長』の手の内だったんだ。真実を知らなくとも、君も生まれた頃から今に至るまでに、『会長』が世界を牛耳っていることに気付いていたはずだ」
「っ…………」
クリスは反論するための言葉が出てこない。
所長が言ったことは、クリスが『会長』の傍にいて当たり前に見てきた事だったからだ。
世界の物流のほとんどを仕切っていたのは『会長』である。つまり、『会長』無くして世界は回らず、何かの決め事をする際には『会長』の意見を取り入れるのは当たり前だと言える。
誰も言わなくとも、すでに世界の権力は『会長』のものだったのだ。
それでも、その世界を良しとしたのは現代の人間たちである。
クリスがすぅっと目を伏せて呟く。
「現代人は……問題から目を背けて、全てを他人任せにして、この世界で怠惰に生きていたんです。今さら、世界が急激に変化することに文句を言うのは筋違いだ…………」
「でも『惑星再生計画』は人類全ての避難先を考えてから、順番に行う予定だった。それを『大統領』…………いや、『会長』が勝手に始めてしまった。このまま行けば、まだ人間がいる施設まで焼き尽くされることになる」
『浄化』の名の下に、大量殺戮が行われる。
「仕方ないんです。だって、人類はもう立て直すが難しいところまで来ている…………一度、更地にするのが正解なんです」
「そうか。クリス、君は『世界滅亡論者』だったか…………」
『惑星再生計画』が進むにつれ、若者たちの間では『人類滅亡論』を唱える者が増えた。
世界の週末を全ての救いだと考え、不要な人類の排除が惑星にとっての“最善”であると信じる。
「『会長』と一緒に世界を見てきて、人間が如何に自分勝手か…………思い知らされたんだ……!」
「なるほど、本当に君の言う通りかもしれない…………人間は、勝手過ぎる。だから君は、こんな物を造ったんだね?」
「…………何を……」
所長は白衣のポケットから、小さな薬のカプセルを取り出して手の平に置いて見せた。
「これ、あちこちで配られていた『栄養剤』みたいだね。出処が政府だったから中央の人間は皆、何の疑いも無しに摂取していたよ」
「それが、何か…………?」
分かりやすく目を逸らすクリスに、所長は目を細めて微笑んだ。
「残念ながら、とぼけても私にはひと目で解った。これには『睡眠ウイルス』のプログラムが仕込まれている。これを飲んだ人間は、決められた時間になると昏睡状態に陥る」
「っ……!! な……何故、それを……」
所長が微笑みながらハッキリと言ったことに、クリスは驚いて後退ってしまう。
見た目は何の変哲もない“薬のカプセル”である。
まさか、これをひと目で見破られるとは思わなかったからだ。
「驚くよね。でも、今の私には“物事を視る”能力が付いている。まさか、ここでも発揮されるとは思わなかったけど…………」
それは所長が【143】から与えられた『検索能力』だった。
“目当てのもの”を探すのに長けた力は、偶然にも隠れた『プログラム』を探し出すことができた。
普段から『プログラム』の開発や改良をしていた、所長だからこその能力だと言ってもいい。
この『ウイルス入りカプセル』の製造レシピはクリスが【中核基地】で造り、そのまま政府の薬剤製造に送っていたものだった。
もちろん、それも『会長』の指示であった。
「今頃、うちの『リリ』やその友達たちは、この薬が何かと調べ回っているはずだ。そして君が『会長』の命令で造ったことも、政府の生活システムが複製して世界へ配ったことも…………いずれ、私の“記憶”を介して知られるだろう」
「記憶…………」
「そう。私が死んだ後に『彼ら』が次の世界の準備をする。私の“記憶”は旧世界の“記録”として遺される…………もちろん、私だけではなく世界中の人類の“記憶”も、だ」
そのセリフに、クリスは泣きそうな顔になって所長を見詰める。
「所長は、まだ死にません。新しい世界にあなたは必要ですから……」
「なるほど。君たちの中では生き残る人間は決まっているんだね。私は生き残る方か………………まいったな……」
「あ…………」
小さくため息をついて両手で顔を覆うと、所長は背中を丸めて蹲るように下を向いた。
「所長……!!」
所長が泣き崩れる。
そう思ったクリスは慌てて駆け寄って、彼の身体を支えようと両手を差し出した。
「くっ…………」
一瞬、所長から堪えるような声が漏れ…………
「く、くくく……くはっ!! あはっ……あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっっっ!!」
何かが外れた、爆発したような所長の笑い声がホールいっぱいに響き渡った。
「へ…………?」
クリスは今見たものが、この世のものではないような表情で固まっている。
所長はしばらく笑い転げて、やがて目をこすりながらクリスの方を向いた。
「はははははは、ははは…………あー、ここでは悔しくて『泣く』のが正解だったのかな? でも、可笑しい『笑い』の涙しかでないし仕方ないな……」
あっけらかんと笑いながら伸びをする。
「そうか、私はまだ生かされるのか。『会長』も私を買いかぶりすぎだろう。どうせ私は、父さんのような技術者にはなれないというのに…………ふふ、あははは…………」
「…………………………………………」
愉しそうにブツブツと呟く所長は、いつもとはまったくの別人のようだ。クリスはまだ、金縛りに遭ったように動けない。
「あぁ、驚かせてごめんね。あまりにも空気がピリピリしていたんで、思わず笑ってしまったんだ」
笑うところだっただろうか?
クリスは混乱のあまり、自分の感覚に自信が持てなくなっていく。
「やっぱり、私は『リリ』が居ないとダメだなぁ。これじゃ『大統領』を責められない……」
「あの……所長……?」
「私はね『ペースメーカー』が必要な人間なんだ」
「え……それは、どういう…………」
恐る恐る声をあげるクリスに、所長は怖いくらいの完璧な笑顔で言った。
「私は感情が理解できないから、いつも『リリ』が補ってくれていたんだ。感情を育てる…………それが本来の『子守り』のプログラムの役目なんだよ」




