第二十四話
「……しょ…………起き……」
頭の上から掛けられる声と、身体を揺り動かされる振動が伝わる。
目を開けると、ふわふわの金髪の少女が心配そうに彼の顔を覗き込んでいた。図書館にいる『子守り』のプログラムの【844】である。
「所長、大丈夫ですか?」
「…………う……」
重い頭を押さえながら、何とか身体を起こすことができた。
立ち上がろうとしたが、イスに座った状態で机に突っ伏して寝ていたせいで、背中から腰にかけて鈍い痛みが走って尻もちをつく。
彼は自分が何をしていたのか、すぐには思い出せずに辺りを見回した。
部屋の明るさも温度も、ここへ来た時と同じように見える。
「【844】……今、何時……?」
「えっと、現在は…………」
教えてもらった時間を聞いて、彼は大きく息を吐いてイスの背もたれに仰け反った。想像したよりも、かなりの時間が経過していたので驚いた。
「ここで、そんなに眠っていたのか…………」
「はい。兄から邪魔をしないように言われていたのですが、所長さんがあまりにもこちらから出られないので、私だけで様子を見に参りました。申し訳ありません……」
「いや。心配してくれて、ありがとう…………下手をしたらもっと眠っていたかもしれない」
もしかしたら、『眠っていた』というよりも『気絶していた』という方が正しいかもしれない。
――――それくらい、あの『知識』は危ないものだったのか……。
キラキラ光るビー玉が頭を過ぎり、気軽に考えていた自分にゾッとした。
「休憩室に移動されますか? よろしければ、今すぐに飲み物と何か軽食を用意いたしますが……」
「あぁ、ありがとう…………あ、いや…………」
ふらふらと立ち上がると、彼は本棚の方へと歩き出した。
「少しだけ、本が読みたいんだ。後で声を掛けてもらってもいいだろうか……?」
「わかりました。では、ご用意ができたらまた来ますね」
にっこりと笑って一礼をすると、【844】は廊下への大扉から退室していった。
「………………………………」
再び独り残されると、恐ろしいくらいの静寂が訪れる。歩く度にただの足音が鐘の音のように響き、鼓動と息づかいにさえ気を遣ってしまいそうだ。
――――……本、どれを読めばいいかな。
そう考えながら歩いていくと、進路方向の奥にある本棚がぼんやりと光っているように思えた。
迷わずその本棚に近付き、並んでいる背表紙を確認した。全て、随分と古びた紙の本だ。
――――今から何年前の?
背表紙を撫でると、何冊かの本の題名が浮かんでくるように見えた。
「ははっ…………便利じゃないか……」
一冊手に取り、開いて読み始める。
彼はそのまま、長い時間その場に立ち尽くして動かなくなった。
…………………………
………………
所長が『永久図書館』を訪れて、早一週間が経とうとしていた。
【472】が久しぶりに『ホーム』である図書館に戻った時、閲覧室の大扉の前では【844】が困った顔でウロウロと歩き回っているところだった。
何かあったのかと尋ねると、所長が寝食も忘れる勢いで閲覧室から出てこないという。
「……それで? 所長はずっと本を読み耽っているのかい?」
「はい。日の三分の一でも、休憩を挟んでくださればいいのですが…………いつの間にか休んで、ほんの少しの仮眠後はずっと…………」
「ふぅん……まぁ、自分がちょっと声掛けてみるから、そんなに心配しないでよ」
「ごめんなさい……」
「君は悪くないんだから謝らない」
「はい……」
項垂れる【844】の肩を軽く叩き、【472】は静かに閲覧室の扉を開けた。
「さて、所長は何処かな……」
部屋に入ってすぐに置いてある大きなテーブルには、何十何百冊と本が積み重なっていたが、肝心の所長の姿が見当たらない。ぐるっと見渡して、その範囲に彼がいないことを確認すると、【472】は奥の蔵書へと歩き出した。
おびただしい数の、高さ3メートルはある本棚を一列ずつ覗き込んでいく。
所々灯りは点いているが、全体的に通路は暗くて先が見えにくい。
「いつもは楽しいけど…………こういう探しものの時、大量のアナログ物体って大変だよね」
図書館では世界の記録を全て『特殊技術』によって保存しているが、その他に閲覧のために具現化させている形態をこの閲覧室に置いている。
その素材は石、紙、電子など時代に合わせてわざわざ変える拘り様だ。そのせいで、閲覧室はこの【永久図書館】では一番大きい部屋になった。
現代では無駄に思えるスペースだが、『記録と知識』を『記憶と智識』として、保存し閲覧できるようにするのが目的のためだ。
当時の媒体にこそ意味がある……というのが、館長が代々受け継いできた思想である。
その館長の思想を各々で少しずつ受け継いだのが、この図書館にいる【番号】で呼ばれる『プログラム』たちだった。
ここの管理と整頓を任されているのは主に、本の扱いに慣れている【472】と【844】だ。
他のプログラムは出入りこそ許可されてはいるが、情報の修復や複製は勝手にできないことになっていた。
奥へ奥へと進んでいくと、そこにぼんやりと明かりが見える。遠くの先の中二階になっている場所に、本棚の前に立つ人影があった。
「いた。おーい!」
閲覧室にいるのは彼らだけなので、【472】は遠慮なく大声で所長を呼んだ。しかし、その人影は声に応じようとせずに微動だにしない。
――――……おかしい……所長?
異変を感じ取り、少年はその場所へと瞬間で移動する。目標が定まれば電子レベルで動けるのが『プログラム』のいいところだ。
トン。
本棚の近くに降り立つと、やはり居たのは所長である。
「………………所長?」
もう一度呼び掛け、背中をつつくが反応が無い。
所長は【472】の呼び掛けにも応えずに、ただひたすら本棚の前で分厚い本と向き合っている。
「…………………………」
【472】は思い切り眉間にシワを寄せて、その場から一瞬で消えた。
いや、一瞬で移動したのだ。
「【844】! リリは……【827】はまだ帰ってない!?」
廊下へと移動した【472】は、そこで待っていた【844】に慌てた様子で尋ねる。
「え……えっと、たぶん、帰りは夕方以降になると思います。“今日は徹底的に遊んでくる!”と言っていたので…………」
「しばらく帰ってこないか…………」
「あの……どうかしましたか? まさか、所長さんに何か……?」
「………………」
珍しく険しい顔の【472】を見て【844】は、何か大変な事が起こっているのかと血の気が引いた。
「はぁ……」
数十秒の沈黙の後、ため息が聞こえる。
「じゃ……【143】は?」
「兄様なら……」
「俺なら、ここにいるが?」
「「っ!?」」
コツコツコツ…………
まるで予め呼ばれて来ていたかのように、二人の前に【143】が現れた。
彼は妹をチラッと見ると、いつも以上に冷静な声で彼女に言う。
「【844】悪いが、外してくれるか? それで、リリと【655】が帰ってきたら、二人にここへ来るように伝えてほしい」
「わかりました。兄様」
一礼をして、【844】は【143】が来た廊下の奥へと消えていった。
静まり返った廊下に、ピリピリとした空気が流れているようだった。
「で? 俺に何か用が有るのだろう?」
「…………君さ、所長に何かした?」
「何も」
「なら、所長に何か与えたんじゃないのかい?」
「……………………」
真顔のままでピクリとも表情を変えないことに、それが図星であると悟った【472】は少しだけ顔を顰めた。
しかし【472】はすぐに笑顔になって、固まって動かない仲間を見据える。
「その顔、久しぶりに見たよ」
「……………………」
「君が『館長代理』以前は『真偽の番人』と呼ばれていたのを思い出すねぇ」
「………………やめろ」
ピクリと【143】の眉が吊り上がる。
「なんで? 昔はそれを誇っていたじゃないか。白黒はっきりつけたがる、実に君らしい――――」
「やめろって言ってんだろっ……!」
広い廊下に、声が反響して消えていく。
余韻が完全に消えると、大理石の廊下は物音一つしない。
しばらくして、一喝した【143】は肩で息をしながら俯いた。すかさず、【472】は彼に問い詰める。
「言ってよ、所長に何をあげたの?」
「…………別に、大したものじゃない」
「ダメ、言って。事と次第によっては、リリに怒られるじゃ済まないんだよ?」
この二人は他の『プログラム』よりも付き合いが長い。
こういう時は、責任感の強い【143】が何かを一人で抱え込もうとするのを、強引に【472】が引っ張り出して共有しようと試みる。てこでも動かない仲間に、リーダーはいつも根負けしているのだ。
「はぁ…………所長が『調べものがしたい』って言うから、この図書館の蔵書の『目録』の一部を渡した」
つまり、【143】が与えたのは、この図書館で資料を調べるために“何を読めばいいのか”が分かるためのもの。
膨大な数の資料から、目当てのものを探す『検索能力』ようなものだった。
「肝心の中身じゃなくて?」
「物事の『答え』なんて、人それぞれだろう?」
ムッとした表情で【143】は閲覧室の大扉を睨んだ。
「それが所長の“本当に望んだもの”だった。俺は『意味ある質問』に答える…………自分の質問を理解している奴にしか、その質問の“本当の答え”を与えない」
「そうだったね、それが君の“決まり事”だ。当てずっぽうな質問に、迂闊に真実を答えてしまわないように…… だね」
【143】は、質問の答えそのものを与える前に、質問者がその答えを扱えるか見極めるのが役目だ。
真実を求めて質問をする者に、“的外れな答え”や“偶然”を与えてしまわないように。
「でも、所長は大丈夫? このままじゃ確実に身体壊すんじゃないの?」
「……この事態はある程度想定していた。少し疲れるかもしれないけど、リリが戻って来れば大丈夫だ。あいつはリリに言われれば、すぐに作業を止めると思う」
実は【143】も所長を心配して、別の部屋から閲覧室を確認していたらしい。現地では【844】が声を掛けて様子を見ていたから、本格的に何かあったら対処するつもりだったようだ。
「そう? じゃあ、彼女の帰りを待つ。だけど、もうここでの調べものは終わりにさせた方がいい…………これ、見てくれる」
「…………ん?」
【472】が片手を空中でスライドすると、そこにはある人物が映ったモニター画面が現れた。
「これ…………」
「現在の『大統領』だよ。この世界は彼がリーダーになって人類を回している」
『大統領』を見た【143】は、不機嫌そうに口許を歪めた。
「いや、知ってる知ってる。こいつのことは嫌なほど調べ尽くした。これは単なる『傀儡』だ」
「うん、そうだね。問題はコレが話してる内容だよ」
モニターの『大統領』は少し興奮気味に何かを演説している。
演説……しかし、その話し声に【143】が首を傾げる。
「ん? こいつ、何言ってんの? さっきから訳わかんねぇんだけど?」
「あ、君でも理解できない?」
「……ノイズが酷い。声が二重に聴こえる」
「なら、これをこうして………………」
【472】は映っている『大統領』の顔をデコピンするように指で打ち付けた。弾かれた画面の横に、まったく同じ画が現れる。
「片方ずつ動かすから、よく聴いててね」
「わかった、やってくれ」
二人の少年は、画面を食い入るように見詰めた。
…………………………
………………
窓からの光が極端に減り、図書館のあちこちに明かりが灯された頃。
「ただいま! 所長は……所長はどこ!?」
廊下をバタバタと走る音が響く。
血相を変えたリリが、目的地まで必死に駆けていた。
「おいリリ! 慌てるなよ!」
「【827】待って……!」
「リリさん、走ると危ないですよ」
彼女の少し後ろを【655】【844】【915】が追い掛けている。
「あっ! 【143】!」
「あぁ……おかえり」
廊下に立つ少年は、少し沈んでいるような表情をしていた。
「あの子は? 閲覧室にいるのね!?」
「うん、でも待て。その前に聞いてほしいことがあるんだ…………」
「え? 何?」
扉に手を掛けようとした少女を引き止めて、その目の前にモニターを出現させる。
「これは……?」
「…………所長が、これから受け止めなきゃいけないこと」
バタバタと他の仲間も追い付く。
「とうとう始まった。みんな………………“備えて”くれ」




