こんなのぜったい間違ってる!
◆
「わたしの親友に・・・何か用?」
その時。
わたしの目を見た宮本葵は、人に向かってボールを打ったことなど、まるで悪びれる様子もなく。
「怖ぁい。か弱いあおちゃんをそんな目で睨まないでよぉ」
宮本葵は猫なで声でそう言うと、両手を口の前で軽く組むようにして脅えていることを強調する。
かと思えば、次の瞬間には。
「あたしとふみちゃんの間に入ってんじゃねぇぞ三下ぁ! ああ!?」
嫌悪の感情を爆発させたように叫んで、こちらを威嚇してきた。
「用があんのはふみちゃんだけなんだよぉ! さっさと消えてくんない?」
情緒不安定、猫かぶり、二面性。色々な言い方はあるけれど・・・。
「・・・文香が脅えてる」
「は?」
「分からないの? あなたと会ってから、文香、少し震えてるんだよ」
―――危険な子だ、という事だけは伝わってきた。
「それに」
わたしは右手に持っていたボールをちらりと見やって。
「こんな歩道で、人に向かってボールを打つような人と文香を2人きりには出来ない」
この子がやった事は、いきなり人に殴りかかったことと同じことだ。いや、それより何倍も性質が悪い。
ラケットやボールは人に危害を加えるための道具じゃない。
まして、仮にもテニスプレイヤーが道具を悪用するなんて、とても認められる行為じゃなかった。
「ハハッ。アンタ面白いねぇ」
だから、宮本葵がそこで再び激昂しなかったのは、ある意味予想外の出来事だった。
「文香のこと、なんでも知ってるんだって思い込んでるそのツラが最高に面白い」
彼女はあえてトゲのある言い方をして、手に持っていたラケットを右手に持ち替え、首の後ろで担ぐようにして。
「アンタのその目、大っ嫌い。まっすぐで汚れてない、世の中の綺麗な部分だけ見てる良い子ちゃんの目。虫唾が走るね」
「残念だよ。あなたの事、雑誌で見てかわいい子だなって思ったのに」
「そういうところが上っ面しか見てねえっつってんだよ」
そこまで言いあったところで、お互い1ミリたりとも視線を外さず、にらみ合いの時間が数秒ほど続いた。
宮本葵はこちらを見下すように、顔を少し上げて。
わたしはそれを真っ直ぐに、真正面から。
「・・・まあいいや」
彼女はふっと息を吐きながら、くだらないと言った様子で顔を横に振った。
「"道場破り"のつもりが、ふみちゃんにばったりと会っちゃったから、感情的になっちゃった」
彼女はラケットをラケットケースに仕舞うと、キュッとファスナーを上げ。
「またね、ふみちゃん。次に会う時もビビッてブルッちゃってたら、あおちゃん幻滅だからね」
そう言って振り返りながら、厭な笑顔を浮かべ、ご丁寧に手を振りながら帰って行った。
彼女の姿が見えなくなるまで睨んでいたら。
「・・・ごめんなさい、嫌な思いをさせたわね」
後ろからそんな弱い声が小さく飛んできた。
「いいよいいよ。わたしが勝手にやった事だから」
わたしは文香の方に振り返ると、すぐに文香の両手を握って笑いかけた。
「わたしの方こそごめん。・・・変に話がこじれちゃったかも」
そう言って少し目を俯けるが。
「私を守ってくれた有紀が謝ることなんて一つも無いわ」
文香はわたしの顔を覗き込みながらそう言ってくれた。
「・・・あのボール、明らかに頭を狙ってた」
改めてあの時の事を思い出してみる。
高さといいコースといい、確実に文香の頭を狙っていたのは言い逃れができないはずだ。
そして何よりも悔しいのが。
「コントロールもスピードもパワーも、凄くレベルの高いボールだったんだ」
こんな言い方はしたくないけれど、あのボールがただのサーブだったら。
それは1年生とは到底思えないくらいのモノだった。
「でも、ううん。だから、こんなの絶対間違ってる」
悔しくて、悔しくて。
―――ボールを握る右手が震えていた。
「あの力がある人が、こんな風にボールとラケットを扱うなんて・・・!」
残念だ。ただ、ひたすらに残念。
才能や技術があっても、その人物の意志が間違っていれば力も間違ったものになってしまう。
―――その、わたしの震える右手を。
「改めて、謝らせて。貴女と全く関係ないことで嫌な思いをさせたことに違いはないわ」
文香は両手で包み込んで、強く握っていたボールからわたしの指を1本1本、ゆっくりと離してくれる。
「文香のせいじゃないよ」
「・・・違うの」
文香はそこで首を横に振ると。
「有紀がこんな事をされたのを見せられて、腹が立たないわけがない・・!!」
その時の文香の声色は。
試合に負けたことを引きずっていた先ほどまでとは比べものにならないほど―――
「文香―――」
目を開き、下唇を噛み締めて、それでも視線はまっすぐと前を。
常に"今とは違う何か"を見ていたような儚さや危うさは、一切無くなっていたのだ。
「葵は、私が倒す。あの子が何をしてこようと、正々堂々コートの上で決着をつけてやるわ」
わたしは、直感した。
文香はもう、これで立ち直ったと。




