そして始まる物語
早朝に寮から出ると、今日も先輩がそこには居た。
「藍原さん、昨日倒れたって聞いたけれど」
「あれは寝不足が原因だったらしいんです。今日はたくさん寝たので大丈夫です!」
「・・・」
明らかに、心配そうな目で先輩がこちらを見ている。
その目は天使・・・とは少し違う。先輩の言わんとしてることは恐らく。
―――無理な練習をして倒れたことから何も学ばなかったのか、という事。
「・・・でも、今日からは自分のペースで走る事にします」
そんな風に先輩に呆れられたくない。
バカって言われるのは慣れてるけど、わたしだって何も考えられないバカじゃないんだ。
「分かりました。それなら私から言うことは何もないわ」
燐先輩はそう言って、先に走り始める。
すごいなあ。毎朝毎朝、こうやって1人で練習してるのかな。
(・・・いつか、あの背中に追いつける日が)
来るだろうか―――
◆
今日の練習は昨日、わたしの気絶サスペンデッドになった実戦形式練習の続きから。
当然、最初のプレイヤーは昨日、最後の勝者になった万理から。
・・・しかし。
「いやー、さすがスカウト組ナンバー2の深川さんッス」
「バンリ。ワタシの事、少しバカにしてるだろ?」
「とんでもないッス。100パー尊敬、リスペクトッス!」
驚くほどあっさり負けて、おめおめと帰ってくる。
「何やってんだ万理!」
わたしは戻ってきた万理を一喝する。
「気合が足りないよ気合が! もっと本気になれよ!」
「すげー根性論者になってる!?」
「万理はやれば出来る子なんだから!」
なんて、漫才をやっていると。
「弱い犬ほどよく吠えると言うけれど、まさにその通りね」
銀色の髪をふっと文香がかき上げると、キラキラとした粒子が舞ったような気がした。
「次、水鳥!」
「はい、ここに」
優雅に、そして悠々と。
文香がコートに入っていく。
「水鳥文香。1年生の中じゃ別格ッスね」
「別格って何が?」
どうしてか、わたしはムッとして言い返してしまう。
「実力、知名度ッスよ」
「実力はまだわかるけど、知名度・・・?」
わたしは腕組みをして頭をまわす。
「ああ、姉御の地元ってテレビ映ります?」
「バカにしないでよ! 地上波テレビ局が4局もあったんだから!」
そのうち半分はNHKだけどね。
「あー・・・、なんか・・・、田舎ッスねえ」
そしたらムチャクチャ変な顔されたし!
「冗談ッスよ。知名度と言っても所詮小学生プレイヤーッスから。関東の同い年くらいの子の間で、という脚注はつくッス」
「なにそれ。要するに大したことじゃないって事じゃないの?」
「いんや。それがそうでもないんスよね」
万理はにやりと口角を上げる。
「ちょっと上手いだけのプレイヤーの噂が、県境を越えて埼玉まで聞こえてきますかねえ?」
「・・・どういうこと?」
「ウチ、知ってるんスよ。水鳥文香はジュニア全日本選抜でレギュラー張ってたプレイヤーなんス」
―――え。
「それって・・・」
「全国でも屈指のシングルスプレイヤーなんスよ、あの子は」
わたしは視線を万理からコート内に戻した。
すると。
「ゲーム水鳥」
ざわめきすら起こらない。
わたしの時とは意味の違った沈黙がまわりを支配していた。誰も、言葉を出そうとしない。
絶句・・・そんな言葉が正しいだろう。
気づくとその中心には、文香が居た。
「深川さん・・・だったかしら。甘いわね。私を超えたいのなら今の3倍は努力なさい」
そう言って、文香はすっとプレー中に乱れた髪を梳いた。
「私は誰よりも強くなる。ここに居る誰よりも」
その瞬間、一瞬だけど。
文香と目が合った気がした。
確認するほどの時間もない、ほんのわずかな時間。
「・・・ふっ」
そして同時に、今まで淡々と審判をやっていた監督が笑いを零す。
「良いだろう水鳥。お前は1軍に行け。森、由宇! 交代だ、2人ともコートに入れ」
瞬間、さすがに練習場全体が揺れた。
確かに、確かに監督は"自分で実力を見極める"と言った。でも、文香が試合をしたのはたった1ゲーム。それで実力を示したってこと・・・!?
(わ、わたしは18人抜きしたのにぃ!!)
(姉御、心の声が漏れてるッスよ)
でも。
(これが・・・今のわたしと文香との実力差・・・)
監督が決めた事だ。
それを選手のわたしが文句つけるのは違うと思う。
文香を贔屓する意味が分からないし。
逆にわたしが贔屓されない意味も分からない。
「・・・」
コートから出てきた文香。彼女がわたしとすれ違う瞬間。
今度は目を合わせもしなかった。
・・・く。
「これで勝ったと思うなよー! こっから、わたしはこっから這い上がってやるんだから!!」
気づくとそんな罵詈雑言が口から飛び出していた。
なんでだろう。友達なのに、こんなことを思うのは・・・。
どうして文香にだけはこんなに負けたくないと思うのだろう。
(・・・違う)
―――友達だから、絶対に負けたくないんだ。
「ふっ。実力差も分からないなんてかわいそうな犬ね。ま、せいぜい頑張りなさいな」
文香がそう言ったところで。
「よし、これで全員終わったな」
監督のそんな声が聞こえてきた。
実戦形式練習が全員分、終わったようだ。
「・・・水鳥!」
「はい」
呼ばれた文香が、誇らしげに返事をする。
「それと藍原!」
「へっ? はいっ!!」
名前を呼ばれた理由が分からなかったけれど、条件反射で返事をしてしまう。
「お前たちは1軍行きだ。後で私に着いて来い」
・・・へ?
「わ、わたしもですか!?」
「なんだ、不満か」
「いえいえとんでもございません!」
わたしはビシッと背伸びをして敬礼をする。
・・・でも、なんで。そんな腑に落ちない顔をしていたからだろう。
「藍原。お前、始める前に10人抜きしたら1軍にいけるかと聞いてきただろ」
「は、はい。でもあれは・・・」
「私は最初、無理だと判断して相手にしなかった。だが、お前は実際に18人抜きをやってのけたんだ。この1軍昇格は有言実行をした評価だと思え」
つまり・・・?
「あの時、わたしがああやって言ったから・・・?」
昨日のことを思い出す。
―――"10人抜きしたら何かありますか!? いきなり1軍に昇格的な!"
そう言ったのは間違いない。でも、まさか監督が本気にしてくれるなんて・・・。
「なに呆けてんスか姉御! 1軍ッスよ!」
まるで万理が自分のことのように喜びながらそう言ってくれている。
「監督はきっと、姉御のアピール上手な部分を評価したんだと思うッス!」
「アピール上手って。わたしはただ、好き勝手に・・・」
「そこッス! あの自己主張してガンガンいく感じを監督は買ったんスよ! アスリートにとって自己表現って言うのはかなり重要なファクターなんス! 姉御があの時、"10人抜き"ってのを言葉に出して言ってなかったら、この昇格は無かった。これはそう言うことなんスよ」
・・・なんか難しくてよく分かんないけど!
「とりあえずよっしゃー!!・・・って事で良いんだよねっ」
わたしは万歳をするように両手を大きく掲げて、ぴょんぴょんと跳ねてみる。
嬉しすぎて、じっとしてるなんて無理だったから。
「・・・」
それを1人、文香は表情を変えず見つめていた。
「ふふーん」
その仏頂面の美少女に、わたしはビシッと人差し指を差す。
「見たか文香! これが藍原有紀の実力だよっ!」
さっきはバカにしてたけど、これでまさに大逆転。
・・・ひっくり返っては無いけれど。
遠いところへ行ってしまったように見えた文香の足に、捕まる事は出来ただろう。
「ふ、ふんっ。今のうちに調子に乗っておくことね」
そう言って、文香はぷいっとその場を立ち去っていく。
へへ。今回ばっかりは完全勝利だね。
(ここから始まるんだ―――)
道は拓けた。
ここから待っている道こそが、中学テニスの名門校・白桜女子の真髄だろう。
でも、何が待っていようと関係ない。
わたしはわたしのやり方で、エースになってみせる。
目指すはただ1つ、全国制覇。
―――そこまで一気に駆け上がる!!




