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「悪」を割り当てられた女の美学

作者: 月森香苗
掲載日:2026/02/08

 悪には悪の美学がある。

 作中の悪役令嬢に転生したか憑依したかは分からない。少なくともこの体の女の子の記憶があり、これまでに抱いてきた感情がわかる反面、自認として「私」が存在している。


 悪役令嬢。

 物語の主人公を善とするならば、それに敵対するだけで悪とされる存在。成程、言い得て妙である。

 体の持ち主ではなく「私」の記憶を読み解くと、このようなパターンの時には、それまでの行いを反省して善人になる。もしくは関与しないなどの対処をするそうだ。


 しかし、「私」はそんな事こそしない。

 「悪」を宛てがわれるなど、なんて素敵なのだろう。

 子供の浅知恵の悪など生温い。児戯でしかない。本当の「悪」はもっと苛烈に、もっと華麗に、もっと優雅に、もっと残酷であるべきだ。

 何故本人を甚振る。本人以外を追い詰め、追い詰め、時に命を奪い、本人以外を巻きこんで絶望を何故与えない!

 苦しみを与える最良は、本人が苦しまず、本人以外が苦しむことなのに!


「ごきげんよう、皆様」

「ロクサリーヌ様、ごきげんよう」

「ご機嫌麗しゅうございますわ、ロクサリーヌ様」


 「悪」は美しく、聡明で、人々の心を掌握するからこそ輝くのだ。独りよがりのそれは「悪」になりはしない。

 圧倒的なカリスマ性で思考を誘導し、「私」の役に立とうと、「私」の視界に入ろうと必死になるその姿を褒めれば、我こそはと競い合う。

 飴と鞭は適切な時に的確に行うのが良い。





「ロクサリーヌ!貴様、アンナを虐めたそうだな!卑劣な女め!」


 婚約者である男は傍らに男爵家の娘を連れてやって来た。

 学園に在籍する者が利用出来る食堂は、貴族の子女が毒の心配もなく安心して食事が出来る貴重な場所であった。

 ここでの食事ですら社交術を学ぶ授業の延長のようなもので、点在している教師が何気無さを装いながらチェックしているのを学生の大半は承知している。

 尤も、理解出来ていないものもそれなりにいるのだが。


 この展開は知っている。物語に描かれていたから。大声を出して周りの目を気にしない醜態はなんと見苦しいことか。

 食事は済み、食後のお茶を堪能している最中に押し掛けてきた無礼さを咎めようとも思ったのだが、醜態を晒して自滅していきたいというのであれば協力してあげようと見逃す事にした。


「わたくしが誰を虐めた、と?」


 傍に侍っていた令嬢がすかさず扇子を差し出してきたので微笑みを与え、見苦しさの欠片もなく優雅に広げた後、口元を隠す。


「ここにいるアンナをだ!しらばっくれるな」

「なぜ、わたくしがその方を虐めますの?」

「私の愛を一身に受けるアンナが憎いのだろう!嫉妬深い女の醜さよ!」

「ロ、ロクサリーヌ様、私が憎いのは分かります!殿下に愛されている、私が憎いのですよね?でも、そんな事をしても殿下の愛は得られません!」


 さも勇気を振り絞ったように涙目で訴えるけれど、それがどう言う意味を持つのかを分かっていない浅はかさには、いっそ感激してしまう。

 貴族たるもの、発言一つに注意することは幼い頃より叩き込まれているはずだけれど、そうでないからこのような愚行に走れるのだろう。

 本人達にとっては尊い愛なのだろうけれど、それを聞かされる方からしたら、馬鹿では無いの?と思うほどにどうでも良いことであった。

 当たり前の事だけれど、彼らに向ける視線は厳しい。


「まあ。まあまあまあ!皆様、ご覧になって下さいませ。不貞を自白されましたわ!」

「ええ、間違いなく、聞きましたわ」

「なんて事かしら……」

「我が家への婿入りの立場でしかないのに、何故わたくしが貴方の愛を必要とするのかしら?とても面白いですわね」


 ふふ、と笑えば周りが同調するように笑い始める。

 誰もがロクサリーヌの家にこの婚約者である王子が婿入りするのを知っている。それも、王家からのごり押しである事も。


「我が家は別に王家と繋がる必要などありませんのよ?ただ、陛下が殿下の将来を憂いてせめてもと、わざわざ王命を使ってまで繋いでくださっただけ。貴方様でなくてもわたくしの婿になりたい方はいくらでもおりますのに、なぜ、貴方様の愛が与えられないからと嫉妬するのか……」


 分からないわ、と目を細めて言えば、カッと顔を赤らめた婚約者。あばずれ女はその男の腕にしがみついているけれど。

 王子にも辛うじて友人はいたはずだけど、最近その姿を見なくなってきた。まあ、当然だけど。離れていくに決まっている。沈む船に乗り続ける事をしない潔さは良い。

 いつもであれば人の気配によるざわめきはあれど、大声を出しての騒ぎなどない食堂。

 カツカツと靴を鳴らしてやって来たのは教師の一人。あばずれ女の担任教諭であった。


「食堂で何をしているのですか……ああ、カーネル君。ここに居たのですね。何度呼び出しても来ないから困っていたのですよ。何時までも教諭室に来ないのでここで伝えます。君は退学処分となりました。速やかに寮を出て下さい」

「え……な、何故ですか!?」

「ロクサリーヌ!貴様、何をした!?」

「ハインツヴァイン君は関係ありませんよ。カーネル君の退学理由は学費の未納なのですから」

「未納……え?」

「学費の支払い猶予期間を過ぎても納付されなかったので退学です。君のご家族は遠方にお住まいで王都に来る金銭も捻出できないとの事で手紙で退学に関しての書類提出がなされました。

随分と前からこの件で呼び出しをしていましたし、授業終わりにも教諭室に来るよう何度も伝えたのに来ませんでしたので、支払いの意思無しと判断され、既に除籍済みです。速やかに退寮してください。

ああ、騎士殿、彼女です。寮まで送り届けてください」


 何やら叫んだりしているけれど、騎士は王家から派遣された国王にのみしか命令権が無いので王子の命令など一切聞かない。元々王子が側室どころか妾妃の子で王位継承権の無いただの王子でしかないから相手にもしていない。

 腕を掴まれた娘は髪を振り乱しながら逃げようとするも、体格の良い騎士達に為す術もない。


「わたくしを虚仮にしておいてこれまでと変わらないなど有り得ませんわ。我が公爵家は貴方様を必要とはしておりません。それどころか、己の立ち位置を見極められず不貞をする浅はかさは家門を貶めかねないと判断せざるを得ません。次期公爵として一族並びに派閥の者を守る立場として、貴方様を受け入れる訳にはまいりません。この件、父に申し伝えますわ」


 せめて婿入りするのが側室生まれの第二王子であれば、側室様のご実家との兼ね合いなども考えられたのに。この王子の母親の実家は男爵家。害虫のように家の利益だけを貪ろうとしかねないのでここできっちり縁を切らせてもらう。

 王命で無理矢理婚約させたのに立場を弁えさせなかった国王陛下の資質にも問題がある。妾妃として迎え入れる分には良いが、よりにもよって婿入り先に公爵家を、それも内定で婚約話が進んでいるのを知って割り込んだ時点で忠誠心の喪失を理解していれば良かったのに。


 まあ、アンナが退学した遠因はロクサリーヌにあった。彼女では無く彼女の家を困窮させた。罪悪感なんて欠けらも無い。あんな娘にした家には責任が生じる。

 前世での常識を今に持ち込むことはしない代わりに、倫理観も持ち込まない。人は誰もが平等である、などこの世界には存在しない。


「皆様、これ以上は他の皆様に迷惑になるわ。行きましょう」


 ロクサリーヌが立てば一糸乱れぬ動きで彼女の周りに座っていた令嬢、そしてそこから少し離れた場所に座っていた令息達が立ち上がる。

 ロクサリーヌの忠実なる下僕の彼らはロクサリーヌの手足となる事に喜びを感じ、また、学園において彼女の身を守る盾でもあった。


「身の程を弁えていればよかったものを。価値の無い貴方の唯一誇るべきものはわたくしという婚約者でしたのに、それすら理解出来ない者などいりませんわ」


 隣国の皇帝の孫である母と、三代前の王家から興った公爵家の血を継ぐ父を持つロクサリーヌは愚かな王子よりも遥かに優れた血統を有している。名ばかりの王子とは違う。

 何故物語のロクサリーヌはこんな愚か者二人に醜態をさらしたのだろう。堂々としていれば良いだけなのに。

 きっと物語の中のロクサリーヌは愚かだったのだろう。「悪」になれなかったのだ。


 男爵令嬢本人には手を出さない。その代わりに彼女の周りを陥れるだけなのに。

 何人かはその中で死んでしまったけれど、仕方ない。恨むならば身の程を弁えなかった娘を恨みなさい。

 お金だけはあった家を困窮させるなど楽だった。商会の主要人物達を削りながら販路を潰していく。端から少しずつ削られていき気付けば逃げ出せない程の借金を抱えるまでに落ちぶれる。

 金が無いなら学園には通えない。戻った家には追い打ちのように我が家から慰謝料の請求がなされる手筈となっている。

 そこで娘の家族は理解する筈だ。我が子が公爵家の令嬢にして次期公爵の婚約者に手を出した愚行を。

 家の破滅の原因は損なわれること無く、王子から与えられた煌びやかなドレスを着て戻ってくる。その時に家族はどう思うだろうか。

 兄の婚約は白紙となり、結婚していた姉は離縁され、爵位も土地も返上して平民にならざるを得なくなったのは。


 破滅を望むのであれば、本人に手を出すものではない。

 その周囲を陥れて力を削ぎ、そこに突っ込めば良いだけ。

 ついでに妾妃の家も没落させたので、王子とその母の行き場はない。歳をとった妾妃は国王にとって飽きた存在となっていた。もう少し早くに飽きてくれていたらこんな婚約を結ぶ必要もなかったのに。

 腹立たしかったので国王の学園生時代からの馴れ合いの延長にいた腹心の部下とやらの家を尽く落ちぶれる寸前まで追い詰めた。気心の知れた友人達が登城する暇も無くなった国王はきっと気付かないだろう。

 この件に関してロクサリーヌは流石に父の手を借りた。大人の世界に手を出すにはロクサリーヌの経験が少なすぎたので。


 当然、王子との婚約は無かったことになった。王子有責の破棄でも良かったのだが、一線を超えている訳でもなかったので。

 ただ、婚約締結当時はまだ妾妃への愛があったからこそ、私的な感情で無理矢理に王命で結んだその事実は消えない。

 由緒正しい公爵家に意味の無い婚姻を、私的な理由で王命を利用した責任は追及された。

 王家と繋がる利点も何も、ハインツヴァイン公爵家は王家の血が流れている。何の意味があるのか。




「久しぶりだね、ロクサリーヌ嬢」

「ニクス殿下……お会い出来て光栄ですわ」


 隣国の皇帝である曽祖父から水面下で打診された、別の国の王子との婚約。訳ありの王子だが、婚姻するだけの価値のある王子で婿として最適だった。あと少しの所で国王に邪魔された。

 その時からロクサリーヌは国王も王子も力を削いで表舞台から排除すると決めていた。

 本来のロクサリーヌは婚約者の王子が好きだったようだけど、「私」はニクス殿下に恋をした。



 元のロクサリーヌとて「私」にとっては邪魔な存在だったから、彼女の体の記憶はさておき、感情は邪魔で仕方なかった。

 「私」の方が貴族らしく振る舞えてると思うけれど、答え合わせは出来ない。愛する人を取られたくないからと稚拙な虐めをして破滅した物語のロクサリーヌ。そんな事を「私」は許せない。

 「私」は一目で恋した彼の為に綿密な計画を立てた。必ず婚約を白紙にすると誓って。


「貴方があの日、必ず俺を迎え入れるから待っていてと言ってくれたからね。待っていたんだ」

「まあ。恥ずかしいわ。淑女らしくありませんわね」

「俺よりも理想的な王子らしい君の言葉が嬉しかったんだ。ロクサリーヌ嬢、今でも俺は貴方に迎え入れてもらえるだろうか?」

「ええ、もちろんですわ。わたくしの愛しい方」


 公爵家の広大な庭園には真っ赤な薔薇が見頃を迎えていた。ロクサリーヌの艶やかな黒髪を彩る赤い薔薇は最も美しい一輪を剪定したもの。

 赤地に黒のフリルやレースを施したドレスは毒々しいのに、華やかな顔立ちのロクサリーヌを引き立てていた。

 金髪碧眼の王子様らしい外見をしたニクスが片膝をついて乞い願えば、ロクサリーヌは恋する乙女の顔でそれを受け入れた。


 「悪」を定義づけられたのならば、逃げるでもなく、改心するなどもせず、美しく、華麗に、綿密に、時に残酷に、「悪」らしく振る舞うべきだ。


 そもそもの話、「悪役令嬢」なんて言葉は如何なものかと思う。優雅さの欠けらも無い、頭の悪そうな言葉ではないか。

 同じ「悪」ならば「悪女」の方が言葉の響きとしても素晴らしい。妖艶で大人びていて、己の欲望のままに望むように人を支配する印象のある「悪女」こそ、「私」が求めたものだった。




 ロクサリーヌ・ハインツヴァインは10歳の時に王国の第三王子と婚約をしたが、18歳の時に白紙撤回された。

 通常であれば女性が如何なる理由であれ婚約が無くなれば瑕疵となる時代に、ロクサリーヌは何一つとして傷とならなかった。それは彼女がハインツヴァイン公爵家の惣領娘であった事が大きい。


 婚約者であった第三王子は婿入りにも関わらず通っていた学園にて不貞行為を行い、その結果彼は公爵家より拒否された。

 元々身分の低い妾妃の子であり王位継承権を有さない王子だった為、ハインツヴァイン公爵家への婿入りが出来なければ母の実家を頼るところだが、その時没落していた為行き場を無くした。

 最終的に王家が所有するいくつかの土地の内、小さな領地と男爵位を与えられる事となった。

 次期公爵の夫となるべく勉学に励んでいればまた違ったのだろうが、学ぶ事から逃げ続けた王子がまともに領地を治められるとは思われていなかった。事実、王家より政務官が数名派遣され、王子もとい男爵はお飾りのようなものであった。

 王子の不貞相手であった女性は、実家の商会が多額の負債を抱えた為、学園に通い続ける事が不可能となり退学した。更に、王命による婚約は白紙撤回された為に無かったことにはなったが、そもそも王命を軽んじる行為や公爵令嬢を貶める発言などの慰謝料を請求される事になった。

 令嬢のその後は不確かであるが、家族の手で殺されたとも、借金の返済の為に悪い噂しかない商人に嫁がされたとも言われている。


 国王は私情を優先して、本来は慎重にせねばならない王命を軽率に使用して意味の無い婚約を結ばせた事、そしてそれがやはり誤りであった事などから責任を追及された。

 国王の腹心の部下はその時、領地にかかりっきりで傍にいる事が出来なかった。結果として、王太子が成人して婚姻をし、子もいる事から退位を迫られた。


 ロクサリーヌ・ハインツヴァインはサルモア王国の第二王子を婿として迎えた。夫となったニクスはロクサリーヌをこの上なく大事にし、愛したという。


 ロクサリーヌには多くの信奉者がいた。彼女を崇拝し、敬愛する姿に誰かは「まるで洗脳だ……彼女は悪女のようだ」と囁いたそうだ。

 それを後に聞いたロクサリーヌは機嫌よく「あら、よく分かっているじゃないの」と微笑んだという。

悪役令嬢より悪女の方がなんか響き好きなんですよね。

作中に入れ忘れていましたが、ロクサリーヌが男爵令嬢を陥れるのは公爵も承知の上で、貴族らしくどう人を使うかの試験的なものがあります。

そこで人の命が奪われていても気にしてはいません。そういう世界だからです。

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本人には直接手を下さずに追い詰めるあたりは貴族らしいやり方で納得ですね。公衆の面前で浮気宣言をする王子相手に取り乱すのは公爵令嬢としてあまりにお粗末ですし、権力があるならもっと上手く立ち回れて当然です…
キリスト教布教前の魔女同様、「悪」も本来悪いものじゃないのでは?と思わせる誇り高さ。 実際、上部分が古墳とか墓室の象形文字で、その下に心をつけて墓室に臨んだときの心を示すのが始まりで、 「わるい・いま…
主人公がニクスに過去告げた言葉が凄く雄々しいですね でも滅茶苦茶カッコいいと思う
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