第85話 不死身の兄
「フフフ、そうしているとまるで本当の兄妹のようですね」
天とラムがぴったり寄り添うように立っていると、微笑ましい光景に笑みを浮かべた彼女に声を掛けられた。
「おかあ……お、お姉さんっ」
「はい、私はあなたの遠い親戚のお姉さんですよ。けっしてあなたのお母さんではありませんよ」
ラムが盛大にビクッとする。自称親戚のお姉さんはニコニコ顔で話しているが、声がまったく笑ってない。なるほど確かにこれは怖い。ラムが年の割に礼儀正しいわけだ。天はひとり納得する。
「まあこの場にいるのは身内だけだ。そこまで神経質になる必要もないだろ。それにもし何かあっても、こちらでフォローする」
「ところで花村様にお願いがあります」
天はそれとなくラムを擁護したが、自称お姉さんは相変わらずのニコニコ顔で取り合わなかった。もしかしたら怒っているのかもしれない。ラムが自分をほったらかして、Tシャツの細目とばかり話しているから。
「ひぅ」
と可愛らしい悲鳴が聞こえた。出所はもちろん、現在進行で天の腰にしがみついている猫耳の少女である。
……これはアレだ。父親が下手に娘を庇って娘の立場が余計に悪くなるアレだ。
ラムをこれ以上怯えさせるわけにもいかないので、天はなるべく当たり障りのない受け答えをすることにした。
「俺にお願い?」
「はい」
と、お姉さんは頷く。
天は顎に手を当てた。
「願いか。あまり安請け合いはできないが言ってみてくれ」
「では、ラムと兄妹になっていただけませんか」
「は?」
「え⁉︎」
これはラム。
「あ、あたしと天さんが兄妹ですぅ!?」
当然のことだが、ラムは黒い猫耳をピンとさせるほど驚いていた。
「あたしと天さんが、兄妹……!」
ただしこちらは困惑気味の天と違って、どこか喜んでいるようにも見える。
「お願いできますか?」
「いや、お願いできますかって……」
天は思わず乾いた声を出してしまう。
「どうでしょう? そこまで難しいお願いではないと思いますけど」
「少なくとも俺の生まれ故郷でそれを言ったら、まず冗談にしか受け取られんぞ」
「ここは自由の国ラビットロードなので、何も問題ありませんよ」
強気だ。このニコニコお姉さんはどこまでも強気だ。
――リナが言ってた通りの国民性だな。
天は頭をガシガシと掻いた。北陸ラビットロードでは数多の種族が暮らしている。獣人や半獣人をはじめ、人間、エルフ、ハーフエルフ。他には古き血族の末裔なんてのもいるらしい。そしてそれらすべてを区別せず自国の民として受け入れているのが、ラビットロード国主、亜人の女王ルキナである。
そんな彼女の理念の一つに『国民は誰でも家族になれる』というようなものがある。
天から言わせれば博愛主義もいいところだが、おおらかな性格――リナは大雑把と言っていたが――の人型が多いラビットロードでは、これが普通に受け入れられていた。まあ早い話、ラビットロードでは簡単に国民同士が義理の親子、ないしは義理の兄妹になれるということだ。天もそのことは知識として知っていたが、まさか自分自身が話を持ちかけられるとは夢にも思わなかった。
「花村様はあの時におっしゃいました、天涯孤独の身となるこの子のことを助けたいと」
「……」
顔を顰めずにはいられなかった。続くセリフが容易に想像できたからだ。
「そういうことでしたら、花村様とラムが兄妹になれば万事解決しますね」
一方のお姉さんは、いっそう顔をニコニコさせて言った。
「不死身の兄がいれば、ラムが天涯孤独になることはありませんもの」
「……ズルくないか、その言い回しは」
「フフ、花村様ほどではありませんよ」
精一杯の抵抗を試みるも、返し刀の斬れ味は抜群だった。
「……はぁ」
ことさら深い溜息を吐きながら、天は言った。
「いずれにしろ、そいつは俺達だけで決めていい事じゃないだろ」
「はい。おっしゃる通りですね」
そして大人達の視線が、その少女に向けられる。
「ふぇっ⁉︎」
白いワンピースの裾から黒猫の尻尾を揺らめかせ、ラムは慌てふためいた。
「ラム。あなたはどうしたいの?」
「あ、あたしは……」
母の穏やかな問いかけが、娘にいくらかの落ち着きを取り戻させる。そして――
「――あたし、ずっと前から天さんみたいなお兄ちゃんが欲しかったんです!」
ぎゅっと小さな手に力を込めて、ラムは天のTシャツに顔をうずめた。猫の耳まで真っ赤にしての告白だった。
「花村様、これでもまだ首を縦に振ってはいただけませんか?」
「いいや」
そこだけは首を横に振って、天は答えた。
「流石の俺でも、この状況下で決定を覆すのは不可能だ」
抱きつくラムの頭を撫でてやりながら、天は潔く白旗を上げた。
「良かったですね、ラム。頼もしいお兄さんができて」
「あー‼︎」
ピキピキ。お姉さんのニコニコフェイスに青筋が浮かぶ。元気いっぱいの我が子が人の話をまったく聞いてないせいだろう。天は新しくできた妹に、それとなく目配せした。しかし当の本人はまるで気づかず悲鳴を上げるばかりだ。その原因は。
「おお、お料理がなくなってますぅうう!」
見れば、たっぷり用意されていたはずのパーティー料理がほとんど消えていた。
「これは……ッ」
「うう、お肉のお料理も、お魚のお料理も、デザートも無いですぅぅ」
この世の終わりを嘆くかのように、ラムは大テーブルに並べられた空っぽの皿を見つめている。このレストランはビュッフェ形式ではあるが、食べ放題ではない。酒などのドリンク類は飲み放題だが、主食やデザートは会場に用意されたもので終わりだ。ただし、それでもパーティー用に作られた料理だ。量はそれなり以上にあった。仮にこの会場にいる全員が各種類の料理を三人前ずつ食べたとしても、なお余るほどの分量は準備されていたはずだ。それが今や薬味のパクチーくらいしか残ってない。しかしながら、新米兄貴は犯人に心当たりがあった。
「…………」
彼女はさりげなく口元をナプキンで拭きながら、そっぽを向く。やはり犯人は身内の中にいた。
「うぅぅ、あたしの大好きなマシュマシュもどこにも無いですぅぅ!」
「なあラム。ちなみにそれどんな料理だ?」
「ええっと、白いお芋のお料理ですぅ」
「……」
間違いない。あのマッシュポテトだ。
「(……花村様は、早い者勝ちという言葉をご存知ですか?)」
「(……いや知ってるが、流石にこれはないと思うぞ)」
「(……冒険士の世界は厳しいものです。一瞬の油断が命取りになると、夫も常々言っておりました)」
「(……それで?)」
「(……これは私からこの子への最後の教育なんです。ということでセーフですね)」
「(……どこの世界に教育で娘の大好物を食べ尽くす母親がいるんだよ。アウトだよ。完全にアウト)」
「(……そういう花村様だって、あんなにもりもり食べていらしたではありませんか!)」
「(……俺は焼きそばだけだよ! 他は全部あんただよ!)」
細目とニコ目が激しいアイコンタクトの応酬を繰り広げる傍ら、ラムは酷く残念そうに俯いていた。そして少女は、ぽつりと呟く。
「お兄ちゃんと一緒にマシュマシュ食べたかったですぅ……」
「……待ってろ」
この時、天の中で何かが弾けた。
「兄ちゃんが追加の料理を頼んできてやる」
言うが早いか、天はフロントに向かって歩き出した。いまだかつてない使命感と義務感が己を駆り立てる。
育ち盛りの妹の面倒を見るのは、兄の務めである。




