第84話 また俺と
「こんなところでお一人で食べていては、味気なくありませんか」
そんな声を掛けられたのはパーティーも宴もたけなわという頃。会場の隅っこという名の定位置を確保した天のほうへ近づいてきたのは、若い人間の女性だった。いや、正しくは若く見える人間の女性と言うべきか。
「花村様も、あちらの席に混ざられてはどうです?」
女性はにこりと笑いかけてきた。こちらの思考を読んだ上でその笑顔を見せているのなら若干怖い。落ち着いた口調と物腰が印象的な女性だった。ちなみに顔は綺麗だが、人目を引くほどの派手さはない。せいぜい村一番の器量、あるいは訳あって貧困層に身を落とした元良家のご婦人。まあ後半は天の勝手なイメージではあるが。女性は穏やかな眼差しを天と、そしてラムのいるテーブルに順々に向けた。
「ご覧の通り、十分楽しんでるよ」
相も変わらず適当に料理を皿に盛ってはムシャムシャやりながら、一定のペースで酒をあおり、天は当たり障りのない社交辞令を口にする。女性はくすりと笑った。
「とてもそうは見えませんが」
「……」
「お隣よろしいでしょうか?」
訊ねつつ天の横に陣取る女性。グイグイと距離をつめてくる。しかしてそれほど嫌な感じがしないのは、ひとえに彼女の人柄によるものだろう。
「私、看護師になることを決めました」
強い決意に満ちた顔で、彼女は言う。
「ほんの少しでも、自分と似た境遇の患者さんの支えになれればと」
「そうか」
彼女らしい。そんな感想を述べるにはいささか付き合いが浅いかもしれないが、それでも天はそう思った。
「ところで花村様」
「ん?」
「あなた様は、どうしてあの子のことを避けているのですか?」
「…………」
天は酒を飲みながら全身を強張らせる。飲んでいたのは喉を焼く強い酒だが、あからさまにビクンとなったのは別の理由からだ。
「あの子が何か、花村様を困らせるようなことをしでかしたのでしょうか?」
「いや、そういう訳ではないんだが……」
それは天が今一番触れてほしくない話題だった。ちなみに彼女が言う『あの子』とは彼女の娘さんのことだ。
「ああ見えて、あの子は周りのことをよく見てるんですよ」
「……知ってる」
コップの中の酒をちびりとやりながら、天は呟いた。実際にその『あの子』は今もこちらをチラチラ見ている。まあ、彼女が言っているのはそういう意味ではないだろうが。とにかく、その子はこの立食パーティーが始まってからずっと天のことを気にしていた。更に言えば、三日前に行われた例の葬儀のあとから幾度となく天との接触を試みている。しかしそれらすべてを天は何かしらの理由をつけて回避した。ごめん今ちょっと用事があるから的なやり方で。いわゆる大人の常套手段だ。
「花村様は、ラムのことがお嫌いですか?」
「言っただろ、彼女は俺の恩人なんだ」
天はぶっきらぼうに答えた。
「だいたい、俺が嫌いな奴の見舞いに行くような出来た人間に見えるか」
「フフ、それもそうですね」
女性はまたくすりと微笑む。どうも調子が狂う。
「俺のことより、そっちこそいいのか? せっかくのラムとの最後の夜を……ブッ」
飲んでいた酒をあやうく吹き出しそうになった。いや少しばかり吹き出してしまった。
「病み上がりの身内を放って冒険に出かけるような薄情な子なんて知りません」
女性は言った。その手にはいつの間にか小山のように料理が盛られた皿が。そして次の瞬間には、大量のマッシュポテト風のジャガ芋たちが細身の女体の中に消えていく。
「まったく、そんな所ばっかりあの人に似るんだから」
「……」
天は思った。ラムは母親似だ。他はどうか知らないが、胃袋だけは確実に母親似だ。
「……あ、あのぅ」
他人のやけ食いをしばし眺めていると、おどおどした声が背中から聞こえた。
――それが誰かは知っていた。
――声を掛けられることも分かっていた。
天はゆっくりとそちらを振り向く。どうやら年貢の納め時のようだ。
「ラム、少し話がある」
「え⁉︎ は、はいです!」
ラムが虚を突かれた子猫のようにビクッとした。そりゃそうだ。自分から声を掛けた相手に先に話があるなんて言われれば、それは驚くだろう。天は深く反省する。ただ驚きながらも返事をして、こちらの話を聞く姿勢を見せているのは、如何にもラムらしい。
「そのな、あの夜のことなんだが……」
天は歯切れの悪い言葉と共に頭を掻いた。
あの夜のこととは、ハルネ村で別れた時の一件である。天はそのことをずっと謝りたかった。ラムに再会したら真っ先に謝るつもりだった。しかし予期せぬ事態から、謝罪を行う前にラムに強い恩義を抱かせてしまった。これはフェアじゃない。こんなタイミングで謝れば、ラムは天を許すしかなくなる。天は頭を抱えた。もちろんラムに恩を売るつもりなどない。だが見方によってはそう思われても仕方がない。この三日間、天がラムのことを避けてきたのはそんな理由からだった。
いいや、これは単なる逃げ口上だ。
本当に自分が悪いと思うなら、一も二もなく頭を下げるべきだ。天は腹を決め、目の前の少女に向かって深々と腰を折った。
「ハルネ村でのことを、今この場で正式に謝罪したい」
「天さん……」
そして。
「ラム、あの時はすまな――」
「――忘れちゃいましたッ!」
ラムは大声で、天の言葉を遮った。
「あ、あたし、馬鹿だから全部忘れちゃいました!」
必死になって訴える少女の顔には、相手を気遣う優しさがあった。
「天さんと淳さんたちが一緒にいるのは、そういうことなんですよね? だったらあたしはもう何も言いません! あの夜のことも、全部全部忘れちゃいましたから!」
「ラム……」
棒立ちになったままの天に、ラムがひしっと抱きつく。
「ありがとうございます、天さん……いっぱいいっぱい助けてくれて。本当に本当にありがとうございますですぅ……っ」
「……」
ああそうか。この子はずっと感謝の気持ちを伝えたかったんだ。自分が謝罪の気持ちを彼女に伝えようとしてたのと同じく。ならば今この瞬間、自分がラムに伝えるべきことは謝罪の言葉でも、ましてや感謝に対する返事でもないだろう。
彼女が心から待っている言葉は、きっとそれらではないはずだ。
「……なあ、ラム」
ラムの頭に手をのせて、天は言った。
「もしよかったら、また俺と冒険をしてもらえないだろうか?」
「っっ……はいです!!」
そこには、咲き誇るような笑顔があった。




