第83話 あれから四日
「「「かんぱーい!」」」
その日の夜。ラムが勤める病院から少し離れた場所にある野外レストランで、諸々の打ち上げやら送別会等を兼ねた立食パーティーが開かれた。参加者は、天、リナ、淳に弥生といった零支部の面子と病院関係者数名。ちなみに婦長とロハン医師はそこに含まれていない。天は二人を誘ったが、両方とも仕事が忙しいからと断られた。もっとも、婦長は不謹慎だと眉をひそめていたので非番でも来なかった確率が高いが。ロハンの方は本気で残念がっていた。なんでもここのレストランのフルーツケーキが大好物らしい。後で何個かホール買いして差し入れでもするか。そんなことを考えながら、天は周囲に目を向ける。そして――心の底からげんなりした。
「……からしマヨネーズと合いそうだな、この料理」
皿に盛った焼きそばのような料理をもりもり食べながら、天は全力で現実から目を背ける。というのも、
「それにしても丸くなったわよね、あんた」
「その台詞、そっくりそのまま返すのです」
「あ、このお料理、すごく美味しいですわ」
「本当ですぅ! とってもおいしいですぅ!」
広々と開放感のあるパーティー会場は、ものの見事に紅一色。聞こえてくるのは若い娘の声ばかりだ。これはどう見ても女子会である。女子会に一人放り込まれたおっさんの構図である。
「はあ⁉︎ あんたまだアレとつるんでるの⁉︎」
「うん、まぁ……」
「アタシ、前に言ったよね? アレとは縁を切ったほうがいいって!」
「うん、まぁ……」
ちびりちびりとコップに入った酒を舐めながら、リナは無気力に同じ返事を繰り返している。対して、その向かいにいるアンナは酒瓶を片手に完全に目が据わっていた。もとから酒癖が悪いのか、それともラムが冒険士に復帰すると言って落ち込んでいるのか。あのペースを見るに後者が有力と思われる。ちなみにアンナの言う『アレ』とは零支部のキツネ担当のことだ。これはリナから聞いた話だが、レディース時代の両者の仲は最悪だったそうだ。
「ねえ〜、ちょっと聞いてんのリナ〜!」
「あのさ、アンナ」
「あん、なによ?」
「悪酔いもほどほどにしないと、昔お前が年中恥ずかしいマスクをつけてたことラムにバラすのです」
「やめてぇええ! それだけはやめてぇええ! 他の誰に言ってもいいからラムちゃんにだけは言わないでぇええええ!」
ダブル犬耳娘は、何だかんだで二人きりの同窓会を楽しんでいる模様だ。
「なんか騒がしいな、向こうの席……」
「きっとお姉様もアンナさんも、久方ぶりに再会できたことが嬉しいんですわ。うふふ。私達と一緒ですね、ラムちゃん」
「はいです!」
そしてこちらも再会を喜び合うチーム美少女。もといチーム一堂のメンバー達。
「あとはジュリがここに居れば、一応全員揃うんだけどな」
「仕方ありませんわ。ジュリさんには大切な用事がございますから。でも、やっぱりジュリさんが居ないと少し寂しいですわ」
「あたしも、早くジュリさんに会いたいですぅ」
淳、弥生、ラムの順にこの場にいないジュリへの想いを語ると、三人はまた思い思いに食事を楽しむ。夜の暗さの中、あのテーブルの周辺だけキラキラと光り輝いて見えるのは果たして目の錯覚だろうか。いや。何気なくそっちに視線を向けた酔っ払いの犬耳看護士が「まぶしっ」的なリアクションをしていたので、少なくとも天の気のせいではないものと思われる。
「まあ、ジュリも資格停止の解除手続きは全部終わらせたって言ってたし。ラムの看護師の仕事も今日までだし。それになにより、みんな揃って『零支部の見習い』になったんだから、会おうと思えばいつでも会えるだろ」
「それもそうですね。――では改めてよろしくお願いします、ラムちゃん」
「は、はいです! こちらこそよろしくお願いします。淳さん、弥生さん!」
美の天使たちがキャッキャウフフと戯れている。さながら至高の芸術を描いた一枚の絵画のような光景。見ているだけで心が洗われそうだ。これは最近知ったことだが、『生命の玉』で治療した人型は美化される。表現ではない。本当の意味で美しくなるのだ。
「うふふ、兄様もラムちゃんもすっかり見違えてしまいましたわ」
とは、うっとりと二人を眺める弥生の弁。
事実として、かの神具は対象の病気や怪我は無論のこと、死滅した毛根や肌のシミ、果ては体のわずかな歪みまで完璧に治してしまう。例えるなら、中古のボディーを新品に交換してさらに極限まで磨き上げる感じだ。これが天のような顔面偏差値低空飛行者ならさして変化もないだろう。だがしかし――。
「え? そ、そうかな?」
「はうぅ、自分ではよくわからないですぅ」
もしそれが超美形の貴族の少年なら、あるいは天使のように愛くるしい猫耳の少女ならば、そのビフォーアフターは半端ではない。
「お二人とも、お肌なんてすべすべを通り越してピカピカで……ラムちゃんなんてもうお持ち帰りしたいくらいですわ!」
「お、おい弥生。ちょっと落ち着けって! 目つき怖いから、ヨダレ垂れてるから、心の声も漏れちゃってるから! というか最近キャラおかしいぞ、お前⁉︎」
「ふぇ? ええっと……あ、あたしもお持ち帰りは大好きです!」
本来なら自分もあそこに混ざるべきなのだろうが――無理だ。こけし顔の中身三十代にあのキラキラ空間は地獄だ。パーティー開始直後からあそこだけは無いと頭の中で警報がひっきりなしだ。
「天のやつ、何であんなとこに一人でいるんだよ? ……まあ別にいいけどさ」
淳がぷいっと顔を逸らしながらも、仲間に入ってもらいたそうにこちらを見ている。確かに、あのグループには自分以外の男が唯一存在する。しかしそれは甘い罠だ。騙されるな。そいつがこの会場で一番女の子してる。
「あー、カイトが恋しい……」
天は呟いた。会場の隅っこで。ビュッフェスタイルのテーブルに並んだ、色とりどりの料理を皿に盛ってはもりもりやりながら。
先日、自慢の相棒がリザードキングを弓の一撃で仕留めた。
天にとってはこのうえなくホットな話題である。ただ、あまりにもその話を振りすぎて絶世の美メイドをムスッとさせてしまったことは、素直に反省している。
……そういや、ハゲの奴はもう向こうに着いたかな。
ふとそんなことを思った。名と髪を捨てて一行の旅に加わった、残念担当のイケメン騎士。彼は今この場にいない。といよりもこの国にいない。あれからもう、四日が過ぎた。
「……美味いなコレ」
白く濁った異国の酒をあおりながら、天はその時のことを思い出す。
それは一行がラビットロードに到着した翌日、早朝のことだった――。
◇◇◇
「――主君。このハゲの一生に一度の我儘をどうかお許しくださいませ!」
明け方だった。グラスが酷く深刻そうな顔をして、ホテルの天の部屋を訪ねてきた。そして天が部屋のドアを開けるやいなや、彼はその場で土下座した。
「どうか小生を、アシェンダ姫のもとへ‼︎」
早朝の人気のないホテルの廊下に、確固たる決意を示した大音声が響き渡る。
「何卒、何卒後生のお願にございますぞ‼︎」
とりあえず静かにしろと言っておいた。今何時だと思ってんだこのハゲ、とまでは言わなかったが。
「申し訳ございませぬ……しかし姫のことを思うと、居ても立ってもおられず」
気持ちは分かるが、いついかなる時でもモラルは大切だ。現在一行が宿泊しているホテルは、ラビットロードの玄関口とも呼べる駅のそばに建てられた、それなりに格式のある宿だ。宿泊客も多い。防音はされてあるのだろうが、そういう問題ではない。何よりも天自身、以前いた世界で武者修行中に一番迷惑だったのが、安宿で寝てる時に廊下で騒がれることだ。日本ではあまり見かけないが、海外では「またかよ」と寝起きの悪態が口に馴染む程度には遭遇した。何度か実力行使で黙らせたこともある。まあそれはさておき、天はひとまず土下座中のハゲを立たせて部屋に招き入れた。
「主君! どうか、どうかこのハゲをアシェンダ姫のもとへ向かわせてくださいませ!」
そしてまた土下座である。ちなみにアシェンダのことをグラスに話したのは他でもない天だ。当時のランド王国騎士団団長であった暁グラスを追い詰めるために、ランド王国第二王女アシェンダを亡き者にしようと企てた連中がいた。たまたま現場を通りかかった天がこれを阻止し、アシェンダを助けた。現在彼女は零支部で保護している。などなど昨日の晩にあらかたグラスに教えた。
「何卒、平にお願い申し上げますぞ!」
その結果この有様である。ひとまず声のボリュームを下げてほしい。下手をしなくても近所迷惑、もといお隣さん迷惑だ。天はひとつ溜息をつくと、無駄な前置きをすべて省いて言ってやった。いいよって。
「誠でございますかッ!」
うん、だから静かにしろ。天は高ぶるハゲを落ち着かせながらもう一人の従者、シャロンヌを部屋に呼んだ。
「お呼びでしょうか、マスター」
それから二秒と経たず完璧メイドがやって来た。まあ近くにいたからね。さっきから気配を殺して廊下で待機してたからね彼女。天は音もなくドアを開けて入ってきたシャロンヌに、王女アシェンダを匿っている場所、フラワー村までの移動手段を手配するよう命じた。
「かしこまりました」
恭しく主人に頭を下げると、紫髪のメイドは再び音もなく部屋の外へ出て行った。物音一つ立てないとはこのことだ。これだよ、これ。朝っぱらから喧しい男のほうの従者にも少しは見習ってほしいものだ。
「何から何まで申し訳ございませぬっ!」
ゴッと額を床に打ち付けて、体全体で謝意を表明する土下座ハゲ。いい加減静かにしないとマジで怒るよ?
とはいえ、実際のところ、グラスの行動は――喧しいのはともかく――あらまし天の予想通りだ。というより、この高潔直情を絵に描いたような青年に真実を話せば、こうなることは分かりきっていた。だから天は、これまでアシェンダのことをグラスには伏せておいた。
では何故、今になってそのことを彼に話したのか。
理由は二つ。一つは、単純にグラスが信頼するに足る人物だと判断したから。そしてもう一つは、拠点の防備を固めるためだ。零支部のホームに一時帰宅した際、天は思った。
こっちに戦力が偏りすぎだ。
これはこの旅に出る前から思っていたことだ。そして一度帰ってその考えがより強くなった。というのも、最近邪神軍絡みの事件が多い。やたらと多い。中でも西大陸に至っては週一ペースで歴史の教科書に採用されそうな大事件が起こっている。ランド王国に現れたリザードキング然り、ソシスト共和国で暴れたオークキング然り、タルティカ王国の国境を襲ったモンスター軍団然り。まあこれらの事件も、今のカイトとアクリアなら対応はそう難しいことじゃない。だがもしも満を持して管理者クラスが出てきた場合、あの二人だけでは打倒は難しい。
現在のところ、零支部で管理者クラスと互角以上に渡り合えるのは、天を除けばリナとシャロンヌの二名。
もれなく全員旅行中である。これは良くない。ロイガンやサリカも中々のツブだが、まだ戦力としては心許ない。エレーゼとあわせて帰宅ついでにパーティー登録と『練気』のさわり程度は教えたが、せいぜい通用するのはBクラスまでだ。天がラビットロードからホームへ帰り着くまでおよそ二時間弱。せめてその間までの時間稼ぎができる人材はいないものか……。
あ、ハゲがいた。
人柄は言うまでもなく、既に練気を習得済みのグラスなら実力的にも申し分ない。そうと決まれば早速ハゲの説得を、いや待て。それよりもアシェンダのことを話したほうがグラスには効果的だ。彼女の事情を知れば、きっとあの底抜けの騎士道男は自分から行きたいと申し出る。
そして結果は、案の定であった。
「主君、このご恩は生涯忘れませぬ!」
グラスは感謝の度合いを表すかのように深く深く頭を下げる。いささか良心が痛まないでもないが、向こうに着いたら嫌でも両者は対面するのだ。互いの事情を知るのも遅いか早いかだけの違いだろう。ならばこのタイミングで話しておくのは決して悪いことではない。ただひとつ気がかりなのは、グラスがアシェンダのことを思いのほか気にかけている点だ。おそらく、二人は城でも特別親しい間柄だったのだろう。
くれぐれも暴走するなよ。そんなフラグいらないからな。お前にやってほしいのはアーシェの護衛とカイト達のサポートだけだ。
天は念入りに釘を刺しておいた。
「ははッ!! しかと心得ましたぞッ!!」
そして今日一番の激声が朝の宿を貫く――
――ブチッ。
「今何時だと思ってんだ、このハゲ!」
とうとうブチ切れた格闘王の鉄拳が、イケメン騎士のハゲ頭に重い重い一撃を浴びせたのだった。




