第82話 リハビリ
「クゲェェ!」
と汚い唸り声を上げながら。
Dランクモンスター・リザードマンが。
棍棒攻撃を繰り出した。
ブォン!!
空を薙ぐ、豪快なスイング音。
それは同時に、豪快な空振りを意味する。
―――そしてまた、勝負の決着もついた。
尤も、これが勝負と呼べる代物かどうか。
それもまた、きわめて微妙なところだが。
ひとまず、とりあえずは、決着であった。
【Fランク冒険士対Dランクモンスター】
肩書きだけ見れば、圧倒的に魔物側有利の対戦カード。しかして勝負の結果はまったくの真逆である。それはさながら、木の枝に実った果実でも取りに行くような、そんな工程を経て終了した戦闘。人型を見つけるなり襲いかかってきた、凶暴極まりない蜥蜴の魔戦士の首を、歩きながら無造作に素手で捥ぎ取って――Fランク冒険士、花村天は呟いた。
「これで十三」
断末魔の声もなく、首なしの体になったリザードマンがその場に崩れ落ちる。そこへまだ温かい生首を放り投げ、魔物の亡骸をひとまとめにすると。
「収納ボックスの容量はまだあるか……しかし今日半日使ってみたが、どうにも違和感が消えんな。やはり、手に馴染んだものと比べると動作に遅れが生じる」
言いながらも流れるような動きで協会から支給されたドバイザーを操作し、天はリザードマンを収納する。
場所はウサの森。
霧深い、鬱蒼とした魔の森は、言わずと知れた特A級の危険地帯。天が今いる場所は森の比較的浅いエリアではあるが、地元の人々からすればさして変わらぬ恐怖スポット、魔物の巣窟である。
「さて」
塩気の強い干し肉をかじりながら、天は周囲にいる魔物の気配を探る。ラビットロードでは「死にたかったら森へ行け」という格言じみたブラックジョークのネタにされる程度には、ここウサの森は危険な場所なのだが。
「この辺りは今のであらかた狩り尽くしたようだな。――もう少し奥に行ってみるか」
このTシャツ男にとっては、こんな森はただ広いだけの格好の狩場でしかなかった。
◇◇◇
「あいつマジックロープも無しに森へ入っていったけど、本当に大丈夫なのかよ……」
淳が呆れ半分、心配半分といった感じで呟いた。両手に軍手をはめて、背中に特大サイズのカゴを背負って、ほとんど獣道のような雑草の生い茂る小道を歩きながら。ちなみにマジックロープとは市販のサバイバルキットにも入っているごくごく一般的な魔道具、有り体に言えば命綱のようなものだ。
「あ、見つけたのです」
と前を歩くリナが、すんすんと鼻を鳴らしながら苔に覆われた地面を指差した。よく見ると、地面には苔以外にも赤紫色の草がちらほらと生えている。こちらは周りに生えている他の雑草とは少しばかり毛色が違った。
「やっぱり『ソール草』なの」
リナがパチンと指を鳴らす。
ソール草。薬草摘みの定番とも言える野草の一種。各種ポーションや傷薬、他には病院で使う点滴などの材料にもなる。とにかく需要が高いため、どこでもそこそこの値段で買い取ってもらえるありがたい草だ。またソール草を含めた『数種の薬草摘み』は冒険士の間ではお馴染みのクエストで、見習いの冒険士や一線を退いた者達の貴重な収入源となっている。非常にポピュラーな仕事だ。
「さあ二人とも、日が暮れる前にどんどん摘んじゃうのです」
「了解ですわ、リナお姉様!」
淳と同じく軍手にカゴを背負った採取スタイルの弥生が、皇族の元許嫁、名門貴族の御令嬢等々の肩書きを完全に放棄し、元気よく土ごとソール草を引っこ抜いてはカゴに入れていく。
「うふふ、張り切っていきますわ」
久しぶりの冒険士としてのお仕事、加えて憧れのお姉様との共同作業、たとえ見習い御用達のF級クエストでも弥生はいつになくテンションが高かった。一方――。
「……薬草摘みの依頼はまあ仕方ないとしても、何もこんな場所でやらなくたって……ひっ!」
ガサッと近くの茂みから、野うさぎが顔を出した。そして情けない声を上げて大袈裟に体を仰け反らせる淳と目が合うと、
「キュ?」
うさぎさんは絵本のような可愛らしい仕草で首を傾げて、ふたたび茂みの中へと戻っていった。
「……」
男としては最高にカッコ悪い姿だが、見た目が絶世の美少女なので最高に可憐な姿に仕上がっている。ただそれが本人にとって救いになるかどうかは別問題だが。
「淳は弥生と一緒に採取に専念して。周囲への警戒はあたしがするから」
「……了解」
沈んだ声で返事をすると、淳はおずおずと肩を縮めてソール草の採取を始めた。何事もなかったように指示を飛ばしたのはリナの優しさだ。それぐらいは淳にも分かる。そしてわざわざこんな場所――ウサの森の入口付近で薬草摘みをしているのは、いってみれば淳と弥生のリハビリのためだ。そのことも、淳は薄々気づいていた。
Bランクモンスター・リザードキングとの戦闘と大敗。
その経験、記憶は、淳と弥生にとってトラウマとも言える心の傷だ。特に淳はそれが原因で一度は死にかけて寝たきりになった。そのため、
「ギャー、ギャー(鳥の鳴き声)」
「ひ、ひぃ!」
どうしても、魔物やこれに類似するものに対して過剰に反応してしまうのだ。
「ハァ……ハァ……ッ」
淳は顔を真っ青にして胸をおさえる。対人は平気でもモンスターや大型の野生動物などを前にすると、もはや平常心ではいられなくなっていた。
「ご安心くださいまし、兄様」
怯える兄に寄り添いながら、弥生が言う。
「リナお姉様が共にいてくださるのです。それに天さんも『この辺りのモンスターは狩り尽くす』とおっしゃっていましたし、なんの心配もございませんわ」
「そ、そうだな」
妹の弥生に励まされながら、しかし淳の心は晴れなかった。いくら頭では安全だと分かっていても、体に刻み込まれた記憶が恐怖を煽り、心を蝕んでいく。実際の話、そういったことが原因で前線に戻れなくなる者は少なくない。とりわけ冒険士の間ではよくあることだ。だから少々荒療治ではあるが、天とリナは淳達を連れて意識的に魔物の多い場所を選び、冒険士の仕事をこなしているのだ。
「……恵まれてるよな、俺」
淳はぽつりと言った。
「はい。私達はとても恵まれておりますわ」
「そう、だよな」
弥生の力強い言葉に、淳はぎこちなく頷いた。冒険士の世界は実力社会だ。欠陥を抱えて生きていけるほど甘くも優しくもない。本来ならば、問答無用で戦力外とパーティーを追い出されてもおかしくはないし、文句も言えない。なのに天やリナはもちろん、あのシャロンヌですらその事をあげつらうような素振りは微塵も見せなかった。逆に皆、形は違えど根気よく自分達兄妹の心のケアをしてくれる。その気遣いには、素直に頭が下がる思いだった。
「ラムちゃんがもうすぐ戻ってきますわ」
弥生は心から嬉しそうに言った。泥だらけの顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「そうしたら、また全員一緒に冒険士ができますね、兄様」
「そうだな」
今度はしっかりと頷いて、淳も弥生に倣うように、せっせとソール草を自分のカゴに入れていく。そうだ。また以前のように皆で冒険士を続けるためにも、こんなところで立ち止まってなどいられない――。
「チュウ」
「ひぅ!」
苔だらけの岩のかげから、ネズミが一匹顔を出した。
「チュ?」
「……。」
ネズミ君はつぶらな瞳で淳を見上げると、また岩のかげに姿を消した。
「……帰ったら筋トレしよう」
淳はか細い声でそう呟くのだった。
◇◇◇
「ウルルゥゥ……!」
Cランクモンスター・クレイジーキャット
巨猫の魔獣は見るからに殺気だっていた。
己の縄張りに入った侵入者を排除すると。
残忍な森の殺し屋は、二股の尾を揺らし。
次の瞬間には、獲物に襲いかかっていた。
ガシッ、シュパッ。
そして次の瞬間には命を採取されていた。
酷く呆気なく、薬草でも摘み取るように。
ガシッと頭を掴まれて。
シュパッと首を刈られた。
こうして森の殺し屋はその生涯を終えた。
【Fランク冒険士対Cランクモンスター】
死ぬ気か。やめとけ。勝負にならない。事情を知らない冒険士達は、口を揃えて言うだろう。見習いが身の程をわきまえろ。そんなものは結果を見るまでもない。殺されるに決まってるだろ。ある意味では、その通りとも言える。
「十七」
数字を数える無機質な声。出会って五秒で決着。あまりにも一方的な結末。ただし勝ったのはCランクモンスターではなく、Fランク冒険士の方だった。
「これで打ち止めか」
天は言った。例のごとく瞬殺したクレイジーキャットを、仕事用に支給されたドバイザーに入れて。使い込まれて色あせた画面の右上には、空き容量ゼロの文字が表示されている。どうやら、本日のリハビリはここまでのようだ。
「戻るか」
天はあっさりと狩りを終了し、森の入口の方角へ踵を返した。半日かけて森から間引いた魔物は数えて十七体。この数が多いのか少ないのか、いまいち要領を得ないが。渡された狩り用の収納ボックスに空きはない。ならばそこそこの成果はあげられたと見ていいだろう。
「…………」
ふいと足を止めて、背後を振り返り、暗い森の奥に目を向ける。
しかしそれもほんの数秒のこと。
天は走り去った。深い霧の中を。森が宵闇に沈む前に。仲間達の元へと。
◇◇◇
「……なあコレ、薬草摘みの報酬でいいんだよな?」
「そのはずですわ……」
受け取った分厚い報酬袋に目を落とし、淳と弥生は呆然とする。
「二人の気持ちはよく分かるのです」
と、リナが同じくはち切れんばかりの報酬袋を片手に苦笑する。
「でもウチって基本的に仕事の報酬は山分けだからさ。今日の依頼料はソレが一人分なのです」
「「……」」
ソレに目をやり、やはり唖然とする淳と弥生。そんな二人をチラチラ見ているのは、仕事帰りの冒険士やら協会の職員達。さすがラビットロードの冒険士ギルドというだけあって、そのほとんどが獣人かそのハーフだ。だから人間種の、それも目の覚めるような美少年と美少女の、そのうえ見るからに貴族といった感じの二人がもの珍しいのは違いないだろう。
「おい聞いたか? 森の新記録が出たってよ」
「ああ。あそこにいる奴らだろ」
「バカ、奴らとか言うなよ!シメられんぞ」
ただ今回の場合は、彼らが注目しているのは別の理由からだ。
「ウサの森で一日に十七体のモンスターを討伐するなんて、前人未到の大記録ですよ! ぜひ皆さんでお写真を撮りましょう!」
「丁重にお断りする」
先ほどから、天はネズミ耳の受付嬢につかまっていた。
「前回の記録が八体。Aランクの冒険士達がこの日のためにと集まって、丸一日フルに使ってです」
「そうか」
「しかもなんと、そのチームにはあの『高貴なる血の乙女』――ブリジットさんや『魔技英展』サズナさんもいらしたんですよ」
「そうなのか」
「にもかかわらず、彼女達の記録は破られてしまったんです。それも倍以上もの差をつけられてっ。これはもう快挙を通り越して事件です!」
「そうか」
「とにかく凄いんです! 討伐数十七なんて! 普通なら森に一週間近く潜って達成する数ですよ!というわけで記念撮影しましょう!」
「断る。早く生成した魔石をよこせ」
仲間以外にはとことん無愛想な男である。
「へ? 魔石買い取ってもらってないの?」
間の抜けた声を上げたのは淳だ。
「そりゃそうなの」
と肩を竦めながら、リナが言った。
「仮に魔石を売ってたら、こんな報酬料じゃきかないのです」
ウサの森の討伐依頼――森に生息する魔物の間引き――は北大陸の常時クエストだ。なので各モンスターの討伐料は通常よりも二割から三割程度安く設定されている。しかしそのかわりに、森のモンスターの魔石買取価格はかなり高めだ。というのもウサの森に生息する魔物は、高濃度の魔素を常に体内に取り込んでいるため魔石の質がいいのだ。そのため、大手の魔石業者が高ランクの冒険士を雇って討伐させたモンスターを買い取る、なんてこともままある。つまるところ、森での魔物狩りはその討伐報酬よりも、魔石集めがメインと言っていい。
「それにきっと天兄のことだから、討伐したモンスターの魔石はどれも『最良』品質だろうし」
「じゅ、十七体すべてでございますか!?」
弥生が驚くのも無理はなかった。倒した魔物から最良品質の魔石を得るには、その肉体をなるべく綺麗な状態で残し、かつできるだけ早く倒さなくてはならない。体を欠損させればその分得られる魔石量は減るし、戦闘を長引かせればそれだけ相手が魔素を消耗して魔石の純度が落ちる。つまり天は以上の条件をすべてクリアした上で、十七体ものモンスターをたった一日――正確には半日――で単独討伐したことになる。淳と弥生が薬草摘みをしているあいだに。二人のリハビリのついでに、だ。
「ちなみに十七って数字も支給されたドバイザーにそれしか入らなかったってだけ。もしドバイザーの容量が無限にあって、なおかつ天兄が本気を出せば、多分記録はもっとずっと上なのです」
「「……」」
そしてまた貴族の兄妹は絶句する。なお薬草摘みの稼ぎは一日頑張って二万円そこそこが相場だ。淳と弥生も二人合わせてそれくらいだった。
「まぁ何というか、ウチで仕事をすると絶対に一度は通る道だからさ。そこは慣れて。ていうか諦めてほしいのです」
色々と打ちひしがれている教え子達の肩をポンポンと叩いて、リナが言う。
「悪い。待たせた」
そこでようやく受付嬢から解放された天がやって来て、
「じゃあ早速、報酬の取り分を決めよう」
と、魔石がギッシリ詰まった皮袋をジャラリと持ち上げて見せた。
「……俺は遠慮しとく」
「……私も辞退させていただきますわ」
「ごめん天兄。それは流石にあたしも要らないのです」
「そ、そうか?」
間髪を置かず、淳、弥生、リナが首を横に振った。その拒否オーラは、狩りの絶対王者を一瞬たじろがせるほどのものだった。
「これで見習いなんておかしいだろ……」
「詐欺もいいところですわ……」
「そこはあたしも同感なのです」
余談だが、この日を境にリナと一堂兄妹の師弟関係が大幅に強化された。
「……こうなったら仕方がありません。これから徹夜で各大陸の冒険士名簿をチェックして、協会が管理してる皆さんの顔写真を使わせてもらいます!」
そしてこれも余談だが、件の記録を打ち立てた冒険士の集団が全員レンジャーと勘違いしたネズミ耳の受付嬢は、とうとう天や淳達の顔写真を入手することはなかった。
「……こうなったら、仕方ありません……」
さらに後日、受付嬢は最終手段として薬草摘みとウサの森のモンスター討伐依頼の受注者、Bランク冒険士リナの個人写真を新記録達成者の額縁に入れた。
「あのネズミ、やりやがったの……」
それを知ったリナが自力でその記録を塗り替えるのは、まだもう少し先の話であった。




