第80話 伝えておこう
本日は朝と昼の二回更新となります
その日の午後。天は病院の裏手にある霊園墓地に足を運んだ。もっとも、霊園と呼ぶには少々こぢんまりとしていたが。そもそも弔いの聖地に広さや派手さなどは必要ない。死者が静かに眠れて、死者を悼む場所として在ればいい。花と緑に囲まれた霊園には、どこが寂しい風が吹いていた。
「…………」
立ち並ぶ暮石を見守るようにそびえる木の根元までやって来ると、天はその場でしばし黙祷を捧げた。
「こんな葬儀も、たまにはいいだろうさ」
ふいと口を開いたのは、天の真横に立っていた羊獣人の女性、婦長であった。
それからくくくと忍び笑いが続いた。
これは彼女ではない。婦長の隣にいた細身の男性だ。
「その言い方は、いささか不謹慎じゃないかい?」
「うるさいね」
婦長はそちらを見向きもせず舌打ちする。
「あんたは黙って自分の仕事をしな」
「仕事といっても、ただの立会人だけどね」
白衣姿の優男は肩を竦めながら、ことさらのんびりした口調で言った。
「あれだけ病院のほうが騒がしければ、こっちに来る人もそうそういないだろうしね」
「病院が騒がしくて良いだなんて、あんたこそ医者としてちょっと不謹慎じゃないかい」
それは随分と気安いやり取りだった。
「別に良かったとまでは言ってないけど? 僕はただ、客観的な事実を述べただけさ」
「本当にあんたは昔から口が減らないよ」
ただの病院の医者と看護師というだけでなく、この二人にはもっと深い繋がりがありそうだ。天は一瞬そんなことを考えたが、その思考が長続きすることはなかった。
「我らが主なる三柱の神よ、この魂に永遠の救いと、安らかなる眠りをお与えください」
年若い墓守が祈りの言葉を捧げる。それは小さな葬儀だった。墓守を含めて人の集まりは三人だけ。これはラビットロードではごく一般的な光景だ。死者を尊ぶ国民性を持つラビットロードでは、死体はなるべく綺麗な状態のまま埋葬される。なので病院に霊安室のような施設はなく、かわりにこういった霊園やそこを管理する墓守、墓石を建てる職人等が病院というシステムに組み込まれていることが多い。そして病院で死者を弔う場合、大概その者は身寄りがない。またはあっても何かしらの事情でそばにいないケースがほとんどだ。それを考えれば、少数でも葬儀に身内の姿があるのはまだ幸せと言える。
「……」
「……」
真新しい墓石の前にうずくまり、墓守と共に死者に祈りを捧げる二人の女性。格好こそ同じ黒装束だが、見た目の年齢はかなり離れていた。それこそ親子ほどに。天と婦長と男性医師は、少し離れた木の陰から、その葬儀を静かに見守っていた。
「あの子の母親の主治医が、あんたで助かったよ」
「まあ、ペイル病の患者は大抵僕のところに回ってくるからね」
婦長が小さな声で呟くと、医師は自嘲気味に肩を竦めた。最初から助かる見込みがない患者を受け持つ。それが医者として一体どれほどの苦悩なのか、天には想像もつかない。
「花村さんには感謝しています」
ふと、男性医師がそうこぼした。
「こんな奇跡を目の当たりにできる日が来るなんて、まるで夢のようだ」
「……」
昨夜もそうだった。この医師の男性は。すべての事情を知った途端、鬼の首でもとったように大喜びし、一も二もなく協力を申し出た。こちらが頼む前に。自ら進んで。天としてはありがたかったが、同時にわずかだが違和感を覚えた。
『僕にできることがあれば何でも言ってください』
患者のため。そう言われればそうかもしれない。だが他にも何か、もっと別の理由がある。天はこの医師の態度を見て、そんな気がしてならなかった。
「実を言うと、僕らの息子もペイル病の発症者だったんです」
「!」
天は思わず瞼を持ち上げる。そしてそんな自分よりも、更に激しく動揺した者がいた。
「ロハン!」
おそらくはこの男性医師の名前だろう。目尻を吊り上げた婦長がそちらを睨みつける。
「僕は『僕ら』としか言ってないよ」
「あんたは……!」
婦長は苦虫を噛み潰したような顔でロハン医師を見る。こう言っては不謹慎かもしれないが、いろいろと腑に落ちた。
「笑顔が素敵な子でした。笑うとえくぼができて。ペイル病に発症したとき、息子はまだ六歳だった……」
遠い過去を見つめるように、ロハンは空を仰いだ。
「日に日に衰えていく我が子に、僕らは何もしてやれなかったんです」
「…………」
当時のことを思い出しているのだろう。空を見上げて語り続ける彼も、顔を地に伏せて押し黙る彼女も、身を引き裂かれた方がまだマシだ、とでも言いたげな表情をしていた。
「自分の無力さが悔しくて堪らなかった。運命を呪いさえしましたよ。こんな理不尽なことがこの世にあるものかと。それから必死になって、ペイル病の研究をしました。いまだなんの成果もあげられてませんが――でもようやく一矢報いた」
僕は何もしてませんがね。ロハンはあははと頭を掻いた。それから細身の医師は不意に顔を伏せて、ぽつりと漏らした。
「それがまともな治療法でないのが、残念ではありますが……」
「……」
そして黙り込む二人に――
「――伝えておこう」
天は言った。
「お二人の想いは、俺が伝えよう。フィナ様に直接。必ずだ」
「「…………」」
二人はしばらくキョトンとしていたが。やがてどちらからともなく頭を下げて、声を揃えて「よろしくお願いします」と言った。その姿は医者と看護師というよりは、父親と母親のそれだった。
「あの、このことはアンナには」
下げた頭を上げながら呟いたのは婦長だ。
天は独り言を口ずさむようにこう返した。
「さて、俺は先生から『僕ら』としか聞いていないからな」
くくくと忍び笑いが聞こえた。それが誰のものかは言うまでもなかった。
「……これだから男ってやつは」
羊の巻き角をガリガリと掻きながら、しかし婦長は笑っていた。釣られるように、天とロハンも笑い出した。そしていい年をした大人たちは、声を殺して笑い合った。
昼下がりの霊園には、 いつしか心地よい風が吹いていた。




