第70話 魔導列車の旅
険悪ムード、というほどではないが若干ピリピリした空気が室内に漂う。
「それじゃあ、リナさんは俺達にも問題があったって言うんですか?」
「むしろ無いわけがないのです」
寝台車のベッドを椅子がわりにして差し向かいで口論を繰り広げているのは、このたび無事に冒険士への復帰を果たした――正確にはまだ冒険士免許は停止中だが――淳と、彼の教育係を買って出た零支部のスーパーお姉さん、リナである。
「納得できませんね、そんなの」
「でも事実だから仕方がないの」
先ほどから二人はずっとこんな調子だ。
「お、お姉様。お紅茶か何かお淹れいたしましょうか?」
二人の様子をそばで見ていた弥生は、こちらも若干ハラハラしながら、それとなく話題を変えようとした。が。
「今はいらないのです」
「俺には……いやいい」
取り付く島もなかった。ちなみに淳のほうは「自分には聞いてくれないのか」的な目で訴えかけてきたが、弥生がうるんだ瞳でリナを熱く見つめていたので諦めてくれた。
――素っ気ないお姉様も素敵ですわ!
と、弥生が心の中で黄色い声を上げたのはここだけの話である。
「ともかく、俺はこの件に関しては譲る気はないんで」
「譲るとか譲らないとかそういう問題じゃないのです」
まるで聞き分けのない子供と言い聞かせる大人の構図だ。弥生はリナの横顔に見惚れながらそんなことを思った。窓の外を流れるロマンチックな夜景もこれでは台無しである。
……こうなると兄様はますます意固地になるんですわ。
それを知っている弥生は密かに肩を落とした。
「……せっかくのお姉様とのロイヤルトレインですのに」
貴族の少女は口の中でそっと呟く。
現在、弥生達は世界最大級の魔導列車――ラビット号の中にいた。
◇◇◇
東大陸と北大陸の国境を越えるには大まかに分けて二つのルートが存在する。
一つは、現在リナと弥生達が乗っている世界で最も利用者数が多い魔導列車ラビット号で国境を越える、正規ルート。
一つは、北の国境に広がる大森林ウサの森を抜けて北大陸に入る、サバイバルルート。
もっとも、近年ではサバイバルルートを通って北大陸を行き来する者などまずいない。というのも、ウサの森は世界最大規模の超危険区域に指定されており、一般人はおろか熟練の冒険士ですら滅多に近寄らない場所だ。一度足を踏み入れたら二度と帰ってこられないとまで言われている。事実、霧深い森には凶暴な魔物や猛獣がうようよいる。おまけにこの森は途方もなく広い。その面積は小国のランドならすっぽりと収まるほどだ。そんな馬鹿でかい死の森を国境越えのためだけに突っ切ろうと考える者など、どこにもいない。つまりこれは、実質一択のようなものなのだが。
「国境を越えるだけで丸二日かかるだぁ?」
一国ほどもある森を大きく迂回しなければならないということは、当然その分長距離を移動することになる。さらに北の女王ルキナが掲げる『自然はなるべく残そう政策』によって、北大陸に隣接する地域には極端に道路が少ない。なので動力車で移動という手段も取れないのだ。これには天も頭を抱えた。
「関東圏から東北に移動するだけで50時間はねぇだろ……」
超遅い電車に乗って超遠回りする。例えるならそんなところか。近代化が進んだ日本社会を生きてきた天にとって、それは苦行以外のなにものでもなかった。なまじこれまで前の世界と大した齟齬もない生活を送ってきた分、反動も大きい。ただそうはいってもここは異世界だ。いくら日本と似ているといっても別の世界だ。そこは割り切らなければならない。天はすぐに頭を切り替えた。結果。
「いったん支部に帰るか」
天のみ列車の移動時間を使って一時帰宅という極めて謎の行動に出た。
「パーティー登録さえしてればお前らの位置は把握できる」
一行の誰かが北大陸に渡れば、その気配を追って現地に辿り着ける。それが天の主張だった。
「んじゃ、ちょっくらカイト達の様子を見に行ってくる」
そして駅のホームから走り去っていった。例によって線路の向こうからやってきた魔導列車など鼻で笑うような速度で。天のとんでも行動に免疫のない淳や弥生などは、目を点にして固まっていたが。
「はいはい。みんな列車に乗り込むのです」
こういった事態に慣れきっている犬耳のお姉さんが、すぐさま仕切り役にまわった。
「とりあえず、まずは部屋割りを決めちゃうのです」
リナはいつも通りテキパキと動き、テキパキと指示を出す。そうしてシャロンヌとグラスは各自一人部屋。リナと弥生と淳は、三人一緒の代わりに真冬が用意してくれた中でも最上の一室、先頭車両のロイヤルスイートで二日間の列車の旅を過ごすことになった。
「ふたりとは一度腹を割って話したかったから、ちょうど良かったのです」
デキる女教官、リナは言った。
◇◇◇
「天が俺達のチームを抜けたのは、全部あいつの身勝手な行動が原因ですよ」
女神級の美貌に不貞腐れた表情を貼りつけて、淳はプイッと横を向いた。つまりはそれが本日のお題である。
「俺や弥生は何も悪くないです。絶対に、間違いなく!」
「本当に?」
「うッ……」
心を見透かすようなリナの問いかけに淳が言葉を詰まらせる。その傍らにはオロオロする彼の美妹、弥生の姿があった。
「確かにね。天兄は圧倒的に言葉が足りなかったと思う。そこは間違いないのです」
リナは頷きながら言った。
「チームを抜けるにしてもそう、天兄がとった行動はひどく手前勝手で卑怯なやり方だと思うのです」
「じゃ、じゃあ!」
「でも逆に言うと、天兄の側に問題があったとすれば、そこだけだよ」
「……‼︎」
心臓を射抜かれたように淳は固まる。それは貴族の少年の子供じみた主張とは明らかに違う。リナの言葉には人生の後輩の口をつぐませるだけの重みがあった。
「淳はさ、天兄にチームの『盾役』を任せてたんだよね」
「……はい」
「それってさ、天兄が自分からやりたいって言ったの?」
「…………」
淳は答えなかった。それが答えだった。
「つまり淳や弥生は、チームの仲間がやりたがらなかった役割を無理矢理やらせてたってことだよね?」
「……はい、ですわ」
口を閉ざしたままの淳に代わって答えた弥生の表情は沈痛そのものだった。チームの内部分裂。これは冒険士のあいだではよくある話だ。そして大抵の場合、その原因は双方に存在する。もともと弥生は十分そのことを分かっていたのだろう。ただ自分のことで怒ってくれている兄を邪険にできず、これまで口に出せずにいたのだ。
だがリナは違う。
間違っていることは間違っているとはっきり言う。なぜなら今のリナは、彼等のことを教え導く教官だからだ。
リナは淳の目をまっすぐに見つめて、言った。
「キミは仲間を対等に扱っていなかった。それが天兄がキミ達のチームを抜けた一番の原因なのです」
「で――でも!」
と、淳はまだ納得できない様子で声を荒げる。
「天には魔力がなかったから! あいつに盾役を頼んだのだって、あいつの身が心配だったからで! お、俺はチームのリーダーとして仲間の命を危険に晒したくなかっただけで!」
「矛盾してるよね、それ」
両手を広げて必死に弁を振るう淳を、リナは容赦なく一刀両断する。
「パーティーの中で最も死亡率が高いのはタンク。つまり盾役なのです」
「っ……」
青ざめた顔でたじろぐ淳に、
「理由は言うまでもなく、敵の攻撃を一身に受けなければならないから」
と更に追い討ちをかける。その間リナは淳から片時も視線を外さなかった。
「しかも魔力がないってことは、ドバイザーが使えないってことなのです」
「うっ」
少年の美しい顔が苦悶に歪んでいく。それは痛いところをこれでもかと突かれたような反応だった。天は今でこそ生命の女神フィナの計らいにより自分のドバイザーを持っているが、淳や弥生達と出会った当初はラムが契約したものを借りている状態だった。これはこの世界では丸腰とほぼ同義である。
「なのにキミは天兄に盾役をやらせた。ある意味一番やらせちゃダメな役回りを彼に担当させた。逆に攻撃役には一切参加させなかった。なんで?」
「そ、それは……」
天の特質や戦力を鑑みれば、盾役は決して悪い選択肢ではない。ただそれはあくまで結果論だ。そもそも当時の淳達は、天の特異性にまるで気づいていなかった。そしてなにより、たとえ魔力がゼロだからといって、魔物への攻撃を禁じる理由にはなりえない。他に何か別のワケがあるのは明白だった。
「経験値レベリング」
「!!」
リナが呟くように指摘すると、淳はギョッとした表情で固まった。
経験値レベリング。それは魔物を倒した際に得られる経験値の分配システム。それは同じパーティーのメンバーが均一にレベルを上げるための機能。そしてそれは冒険士に関わらずこの世界でパーティーを組むほぼすべての人型が利用している、いわば初期設定のようなものだ。ドバイザーに登録さえすれば誰とでも経験値を分配できる。少しの魔力さえあれば誰でも簡単に使える。この機能さえあれば皆平等にステータスを上げられる。それが経験値レベリングである。しかし――。
「天兄には魔力がないから、このシステムを使用できなかった」
「…………」
顔を真っ青にして俯く淳。少年が追い詰められているのは誰の目にも明らかだった。
「そして魔力がなければ、当然ドバイザーの契約儀式を行うこともできないのです」
しかしこの時、リナは核心に踏み込むことを躊躇わなかった。
「自分専用のドバイザーを持てなかった天兄は経験値レベリングの設定ができなかった。これだと万が一、天兄が敵にとどめを刺してしまった場合、他のパーティーメンバーには経験値が入らない」
「……ッ」
淳が苦痛に耐えるように唇を噛みしめる。
それでもリナは、容赦なく糾弾を重ねた。
「だからどうしても、天兄に敵を倒させるわけにはいかなかった」
分かってる。これ以上は第三者が口を挟む領分を超えている。
「そんな事をしたら、チームの力も自分のレベルも一向に上がらないから」
しかし今のままでは、自分はともかく他の特異課のメンバーが納得しないのだ。
「キミはこの事実を伝えもせず、ただ天兄のことを『便利な肉の盾』として使ってた。それを踏まえた上で、まだ自分達にはまるで非がないなんて言うの?」
「っ……」
彼等を本当の仲間として零支部に迎え入れるには、これは必要なことなのだ。
「に、兄様」
「…………」
心を丸裸にされた貴族の少年は黙ってうなだれるしかなかった。打ちひしがれる教え子に、リナは最後に一言。
「そんなのは本当の仲間じゃないのです」
そして立ち上がると、リナはそのまま部屋を出ていった。
◇◇◇
部屋を出た後。リナはラビット号の中央車両に設けられた酒場まで足を運んだ。
「やっぱりここに居たのです」
「……」
外は夜だが、それとはまた違った薄暗さとモダンな雰囲気に包まれた店内。カウンターテーブルに席が四つのみ。こぢんまりとした酒場だった。カウンターの中では黒いベストに蝶ネクタイをした壮年の男性がグラスを磨いている。見た目はほぼ人間種だが、この列車で働いているということは恐らく何かしら混ざっているのだろう。そんな取り留めもないことを考えながら、リナはお目当ての人物に話しかける。どこで何をしていても絵になる年の離れた友人は、今夜もその艶やかな存在感を遺憾なく発揮していた。
「お酒臭いシャロ姉って、意外にレアかも」
「……放っておきなさい」
シャロンヌは、バーカウンターの端席にひとりで座っていた。




