第68話 リザードキング再び
真昼間にもかかわらず静まり返った市街地の中心部。普段ならそれなりに人が行き交う交差点も、今は暗い夜道より人気がない。不気味な静けさが辺りに漂う中、その静寂を破るように、がらんとした道の向こうから動力車のエンジン音が聞こえてきた。
「そこの十字路を右に曲がってください」
「かしこまりました」
動力車を運転するサリカが小さく頷いてハンドルを切る。メイド姿のエルフのドライビングは優雅で無駄がなかった。基本なんでもできる系の人なのだろう。流石は大国ミザリィスの女官に選ばれるだけの人材だ。カイトは助手席で感心しつつ、次の指示をサリカに送る。
「ここを抜けてあとは道なりに進めば目的地に辿り着きます」
「承知しました」
サリカが再び、今度は神妙な顔で頷く。
「すみません、サリカさん。付き合わせてしまって」
「緊急事態ですので」
サリカは素っ気なく言った。そして義務的な口調でこう続ける。
「これはエレーゼ様のご命令でもありますので、カイト様がお気になさる必要はございません」
「そうでしたね」
カイトは苦笑を浮かべた頬をぽりぽりとかきながら窓の外に目を向ける。周囲に人の気配は無い。こうして街中を走っているのも現在はカイト達を乗せた動力車だけである。
「流石にもうこの辺りには誰もいないな」
カイトは独り言のように呟く。ランド王国に緊急警報が発令されてから三時間あまりが経過した。もともとこの国は魔物の生息する危険区域が多いため、こういった事態への対応は早い。三時間あれば地域住民の避難が完了していてもいい頃合いだ。
――日が落ちる前にケリをつける。
すっと……カイトの顔つきが普段の爽やかな好漢のものから、狩人のそれへと変わる。
「サリカさん。そろそろ『奴』のテリトリーに入ります」
「了解しました」
舞台はランド王国・シイベルト街道。
Aランク冒険士カイトと元ミザリィス皇国皇宮侍女サリカは、太陽が頭上にきた正午きっかりに、リザードキング討伐のため現地入りを果たしたのであった。
◇◇◇
「ねぇー、やっぱりマズいよー」
「大丈夫だって」
無人となったシイベルト街道を我が物顔で闊歩する短髪短パンの少年。その後ろをおずおずとついてゆく三つ編みローブの少女。柔らかな陽光が二人を照らしている。はたから見ればピクニックそのものだが、ここは今や特A級の立ち入り禁止区域だ。川に沿った広い街道を少し歩いたところで、少女はもう何度目かになる制止の声を、少年の背中に投げかける。
「こんなことしたら、また先生に叱られちゃうよー」
「大丈夫だって。要はうまく立ち回ればいいだけじゃんか」
少年の名はノボル。少女の名はチエ。年はともに十二歳。二人とも半年ほど前に冒険士になったばかりの所謂ルーキー達だ。
「ここでなんかの役に立てば、先生だって絶対に俺らのこと認めてくれるって」
「はぁ、ノボルっていつもそればっかりだよねぇー」
「なんだよ。チエだって少し前までは、先生に認められたいって毎日言ってたじゃんか」
「それは、そうだけどさ……」
チエは口ごもりつつ、しかし後半部分は迷いを捨てたように言ってのける。
「デコピン先生との約束はどうするのよ?」
「うっ」
そして今度はノボルが口ごもりる番だ。
「一人前になるまで自分達だけで勝手な行動を起こすなって、あのときデコピン先生に言われたじゃない」
「ううっ」
腰に手を当てながらまくし立てるチエ。後ずさるノボル。ちなみに『デコピン先生』とは以前ノボルとチエが師に内緒で勝手に引き受けた冒険士の依頼中に出会った、魔物をデコピン一発で倒す、とある規格外の青年のことだ。
「ノボルは男のくせに、男同士の約束を破るんだ」
「いや、それはその……」
呼び名はともかくノボルとチエは彼のことを憧れの冒険士の先輩、そしてもう一人の先生として密かに慕っていた。まあ、実際のところノボル達の方がその彼よりも冒険士としては先輩だったりするのだが。
「そ、そうだ!」
と、ノボルが思いついたように言った。
「デコピン先生には勝手に依頼を受けるなって言われたけど、自分達だけで行動するなとは言われてないぞ!」
「屁理屈だと思うな、それ」
チエは半眼でじっとノボルを睨む。
「お、俺らが事前にモンスターの情報を色々集めれば、後からくる討伐隊の人らが戦いやすくなるだろ!」
「逆に邪魔だって怒られるよ、きっと。今の私達じゃ足手まといにしかならないし」
「うっ、先生はCランクの冒険士だから、今回の討伐隊にも絶対に選ばれるだろ……」
ぼそぼそと口の中で呟いた後、ノボルは意を決したように声を張った。
「俺らが斥候の役割を果たせば! それだけ先生が生き残る可能性も増えるじゃんかッ!」
「斥候とか、難しい言葉知ってるんだね」
一方でチエの反応は白けたものだった。
「で、本音は?」
「ここで役に立つところを見せれば、先生が所属する『銀の翼』に入れてくれるかもしれないじゃんか! ――あっ」
「やっぱりそんな事だろうと思った」
と呆れながらチエ。少年が堅苦しい言い回しをするときは、決まって本音が別にあるときだ。案の定、ノボルは「へへへ」とごまかし笑いをしながら頭をかいている。
………………グロ……
この時、未熟な冒険士である二人は理解していなかった。
「ん、今なんか聞こえなかったか?」
「え、別になにも」
猛獣のテリトリーで声を上げて騒ぐ。それが一体なにを意味するのか。
……グロロロロ
そして無知な子供である彼らは知らなかった。
「お、おい、川の中に何かいるぞ」
「うそ、なにあの大きさ……っ!」
かの魔物が、水中を移動できることを――
――ザバンッッ!!
街道沿いに流れる河川から巨大な水柱が立ち昇る。荒れ狂うように波打つ水面。そして顔を出したのは、文字通りの怪物だった。
「グロロロロロ……」
大きな爬虫類の目玉がギョロリと動く。ノボルとチエは固まった。爆風のような水しぶきを全身に受けながら、それでも二人は動くことができなかった。
「にに、逃げなきゃ、は、早く!」
「で、でも、足が、動かないよっ」
川から這い出てきた『ソイツ』にひと睨みされただけで、少年と少女は、易々と絶望という名の恐怖の鎖に縛りつけられたのだ。
「グロロロロロロロロロロロローーッ!!」
リザードキング。巨大な鰐を思わせる準災害級の魔物は、地獄の咆哮と共にその姿を現したのであった。
◇◇◇
「……いた」
助手席のカイトの声に、動力車を運転していたサリカは無言で頷く。突如前方から飛来した凶悪な圧力。動力車の防音ガラス越しにも伝わる烈しい雄叫び。そこから導き出される結論は一つしかない。
「……あの時みたいな失態はもう犯さない」
カイトが呟く。その声は小声とも言えぬ微かなものだったが、サリカの耳には届いた。
「ッ――!」
しかし続けざまに視界に飛び込んできた光景に、サリカの意識は否応なくそちらに向けられることとなる。
――何故こんなところに子供が⁉︎
遮蔽物のない開けた道に出たところではっきりと確認できた。ターゲットの出現と、逃げ遅れたであろう二人の子供の存在を。
「住民の避難は、すべて完了したのではなかったのですか?」
「おそらく彼等は避難する方ではなく、住民を避難させる側だったんでしょう」
非難めいたサリカの疑問の声に、カイトは淡々とした調子で答える。
「身なりからして彼等は冒険士です。そして冒険士なら、たとえ子供でも避難誘導として現場に居合わせても不思議じゃない。途中で周囲の目を盗んで抜け出せば、現場に戻ってくるのもそう難しいことじゃありませんよ」
「……っ」
それは冷静な分析だった。だが同時に薄情な物言いでもあった。サリカはカイトの達観した態度に少なくない憤りを覚えながら、横目で彼を睨みつける。
瞬間、サリカは思わずドキリとした。
「本当に、何から何まであの時と一緒だな」
そのエルフの青年の横顔は、まるで英雄譚に出てくる騎士のように、どこまでも凛々しかった。
「サリカさん。ここで停めてください」
「か、かしこまりました!」
ほとんど反射的に、サリカの足はブレーキペダルを踏み込んでいた。




