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第66話 凶報

 天が西大陸を離れて一週間余りが過ぎた。この日の朝、冒険士協会零支部支部長を務めるAランク冒険士カイトは、フラワー村の村長宅を訪れていた。


「それでは、この話を進めさせて頂いてもよろしいでしょうか?」


「勿論ですじゃ」


 白髪頭の老夫、ポンズは柔和な好々爺の表情を浮かべて頷いた。


「我々としても、願ってもないお話です」


「わかりました。では彼にもそのように伝えておきます」


 そう言って爽やかに微笑むカイト。


「それにしても、まさかあの帝国の名門貴族と商売をする日が来ようとは。ほんの少し前までは想像もできませんでしたぞ」


「俺も彼とチームを組んでからは、そんなことの連続ですよ」


 カイトが出された茶を啜りながら苦笑すると、フラワー村の村長ポンズは愉快げに笑った。


「ほっほっほ、そうでしょうなぁ」


「ええ。彼のやることはいつもこちらの想像の斜め上を行きますからね。そのたびに思いますよ。ほんの少し前までは、と」


 木彫りの椅子に腰掛けながらカイトとポンズは穏やかに微笑み合う。


「しかし本当に良かったのでしょうか?」


 短い雑談を交わした後、ポンズが心配そうに訊ねてきた。


「こう言ってはなんですが、この村にあるものといったら、鉱山でとれる鉄鉱石と売り物にもならん屑鉄ぐらいですじゃ。正直とても貴族様を相手に商いを行えるとは……」


「その鉄が重要なんですよ」


 天は決して情けや贔屓でこの話を持ってきたわけではない。そのことをカイトは丁寧に説明する。


「これから始める新事業で、最も必要となる物のひとつが鉄です。だから兄さんは、鉱山経営が盛んで、なおかつ信頼の置けるこのフラワー村を先方に売り込んだんですよ」


「ふむ。たしか『トレーニング事業』とおっしゃいましたか」


「はい」


 カイトは頷きながら言った。


「この事業が軌道に乗れば自ずと鉄の需要も増えます。そうなれば、素材の安定供給源の確保は一つの優先事項として揚げられます」


「なるほど」


「だから向こうも、今のうちに大きな鉱山やそこで働く鉱夫達と長期的な契約を結ぶ必要があるんです。つまりこれは、きちんと双方に利益のある話なんですよ」


「それでしたら良いのですが……」


 まだ完全には納得していないようだが、それでもポンズはにこやかに笑った。


「なにはともあれ、村を代表して御礼申し上げますじゃ。これでこの村もより豊かになりましょう」


「はい」


 カイトは自信に満ちた表情で頷く。ポンズは座ったままカイトに頭を下げた。


「毎度のことながら、花村様や零支部の皆様には本当によくしていただき、感謝の念に堪えませんですじゃ」


「それはこちらも同じですよ」


 カイトは静かに頭を下げ返した。


「アーシェの件も含めて、ポンズ殿や村の皆さんには本当に感謝しています」


「なんのなんの、家内もかわいい孫娘ができたと大喜びです」


「それについ先日も、こちらの関係者を複数村に受け入れてもらって」


「ほっほっほ、一時とはいえあのような華やかな方々を村に迎え入れられて、村長として鼻が高いというものですじゃ」


「そう言っていただけると、俺やアクリアも助かります」


 爽やかな苦笑いを残して、カイトは立ち上がる。


「それでは、自分はこれで失礼します」


 涼しげなエルフの青年は、そのままポンズに別れを告げた。



 ◇◇◇



「お、おはようございます、カイト様!」


「やあ。おはよう、アーシェ」


 帰り際。家の玄関先で待ち構えていたかのように現れた身なりの良い幼女を見て、カイトは思わず顔を綻ばせる。彼女の本名はアシェンダ。ランド王国の第二王女。故あって今はこのポンズの家に厄介になっている。アーシェというのは念のための偽名だが、カイトはどちらかというと気安い愛称としてその呼び名を使っていた。


「あの、本日はアクリアお姉様は……?」


「アクリアは外せない仕事があってね。今日は俺だけなんだ」


 アシェンダがそのことを訊ねるのは分かりきっていた。なのでカイトは予め用意していた回答を即座に提示した。


「そうでございましたか……」


 案の定、アシェンダはしょんぼりと肩を落とした。


「アクリアも残念がっていたよ。自分も可愛い妹に会いに行きたかったって」


「そ、そんな、可愛いだなんて」


 アシェンダが気恥ずかしそうに頬を赤らめる。彼女の表情が幾分か和らいだのを見計らって、カイトはとっておきの情報を小さなお姫様に提供した。


「今日は無理だけど、明日時間ができたら改めて会いに来る。アクリアからの伝言だよ」


「本当でございますかっ!」


 パッと少女の顔に一輪の花が咲いた。その反応はカイトにとっても喜ばしいものだ。


「最近、アクリアがよく笑うようになったんだ」


 カイトはアシェンダの頭に手をのせて、小さな声で呟いた。


「君のおかげだよ、アーシェ」


「え?」


 アシェンダが不思議そうにこちらを見上げてくる。カイトは自然と笑みをこぼした。そう。すべてはこの小さな姫君のおかげだ。


「これからもアクリアと良き関係でいてくれるかな?」


「は――はい! もちろんでございます!」


「ありがとう」


 カイトはアシェンダに心から礼を述べて、ポンズの家を後にしたのだった。



 ◇◇◇



「カイト様」


 村を出ようとしたカイトを呼び止める声があった。今日はよく声をかけられる日だな。そんな事を思いつつ、カイトは咄嗟に立ち止まって、そちらを振り向く。控えめな足音とともに近づいてきたのは、長く艶やかな紫色の髪をした男装の美少女とメイド姿の金髪美女。彼女達はこのフラワー村に滞在しているもうひと組のプリンセス一行である。


「エレーゼさん、それにサリカさんも」


「ご機嫌麗しゅうございます、カイト様」


 見た目通りの優雅な仕草で少女はカイトに一礼する。彼女の名はエレーゼ。シャロンヌの実の妹であり、ミザリィス皇国の元皇女でもある。そして彼女の背後で無言でカイトにお辞儀をしたのは、エレーゼの世話役を務める元皇室侍女のサリカだ。


 なんというか違和感が凄い。


 カイトは思わず苦笑してしまう。アシェンダも大概だが、こちらはまた別格である。


「サリカ。酒場の面接と職場見学は何時からだったかしら」


「本日の正午ちょうどでございます、エレーゼ様」


「でしたらまだ多少の時間の余裕がありますね」


「はい」


「しかし油断は禁物です。何事も第一印象が大切。お店には三十分前に向かいましょう」


「仰せのままに」


 ただそこにいるだけで絵になる。そんな気品と華を兼ね備えた二人組である。控えめに言っても、こんな山奥の小さな村にはまったく不似合いと言わざるを得ないだろう。


「どうですか、この村での暮らしは?」


「素晴らしいです!」


 エレーゼが途端に目を輝かせる。カイトとしては無難な質問をしたつもりだったが、どうやらそれは彼女にとって最も触れてほしい話題の一つであったようだ。エレーゼは興奮気味に語り出した。


「最初にこの村を訪ねてきたとき、食事を朝昼晩食べ放題と言われて耳を疑いました。しかもそれが、毎日続くだなんて!」


「……え?」


「あとは三時のおやつに振る舞われる塩クッキー。これもクセになる美味しさです!」


「三時のおやつ、ですか……」


「そうだ、昨晩おすそ分けしてもらった村特産のキノコの煮物もとても美味しいくて! とにかくこのフラワー村は最高ですっ!」


「そ、それはよかった」


 見事に食べ物の話ばかりである。


「エレーゼ様」


「あっ」


 サリカが小声で耳打ちすると、エレーゼはハッと我に返った。どうやら彼女が体を治して真っ先に手にしたものは食欲らしい。エレーゼはコホンと一つ咳払いをした。


「この村の方々には、従者共々とてもよくしてもらっています」


「それはなにより」


 無難なところに着地した話をいちいち混ぜ返すこともなく、カイトは迅速に次の話題へと移った。


「ロイガンさんは、もう会場に向かわれたようですね」


「はい。今朝早くに」


 言いながらエレーゼはくすくすと笑う。


「試験を受けるなど数十年ぶりだと、大いに緊張しておりました」


「ロイガンさんなら問題ありませんよ」


 カイトはいい加減と思われぬ程度の気軽な口調で、太鼓判を押す。


「こちらの試験は難関とされていますが、彼の実力ならレンジャー資格の取得はさほど難しいことではないでしょう」


「そうでなくては困ります。わざわざカイト様に推薦状まで書いて頂いたのですから」


 そう言って、エレーゼはわざとらしく胸を張って偉ぶってみせた。カイトは少しきょとんとしてエレーゼを見つめる。その後、二人はどちらともなくクスリと笑い合った。


 本日。エレーゼの従者である元皇国騎士長ロイガンは、冒険士レンジャー資格特別取得試験を受けるために協会本部の試験会場に赴いている。そしてアクリアもまた試験の監督役として会場入りしていた。


「この試験に合格すれば、晴れてロイガンも冒険士の仲間入りというわけですね」


「ええ。付け加えれば、同時にCランク冒険士の資格も得ることになります」


 冒険士レンジャー資格特別取得試験。それは年に一度行われる冒険士協会最難関の試験のひとつである。平たく言えば、冒険士ではない一般の者がいきなり『レンジャー』の資格を得るための、特別枠の入会テストだ。


「冒険士にもこういった飛び級制度が存在したのは、少々驚かされました」


「Aランク以上の冒険士の推薦が必要になりますがね。それと、確かシャロンヌさんもこの試験の合格者の一人ですよ」


「まあ」


 エレーゼが分かりやすく顔を綻ばせた。やはり自慢の姉の話は彼女にとっても耳に心地よいものらしい。ちなみに帝国のセイレスや最年少Aランク冒険士のサズナなども件の試験の合格者だ。ただこれはとくに話す必要はないだろう。そしてカイトが同じAランク冒険士でありながらアクリアと違って試験官を免除されたのは、推薦状を書いた冒険士は監督役には選ばれない、というのも教える必要のない事実である。


「本当に、花村様や零支部の皆様方には何から何までお世話になって、感謝の言葉もありません」


「こちらこそ、皆さんが助っ人として駆けつけてくれてどれほど心強いか。我々との連携を強めるためにロイガンさんは冒険士の資格まで取ってくださって、頭が下がる思いですよ」


 つい先程もこんなやり取りをしたような気がする。カイトがそんなとりとめもない事を考えていると。


「受けた恩に報いるのは当然のことですわ」


 そう言ったエレーゼの瞳には一瞬カイトが気圧されるほどの、並々ならぬ意志の光が宿っていた。


「そしてそのためにも、ロイガンには是が非でも試験に合格してもらわねばなりません」


 静かだが、確固たる決意を秘めた視線がカイトを見つめている。なるほど。彼女は確かに女帝シャロンヌの妹である。


 ………………ウォーン


 瞬間、ゾクリと悪寒めいたものがカイトの背筋を走り通った。彼の優れた聴覚が、その不吉な音響を拾い上げたのだ。


「これはっ!」


「カイト様?」


 熟練の冒険士カイトが『それ』を聞き間違えるはずもない。エルフの美丈夫は弾かれたように遠くの空に目を向ける。その直後。


 ウォォーーーン!!


 けたたましいサイレン音がのどかな山里に鳴り響いた。



『緊急警報、緊急警報。ランド王国シイベルト街道付近で〔リザードキング〕が確認されました』



 平和な朝の一幕は唐突に終わりを告げる。


『繰り返します。ランド王国シイベルト街道で、Bランクモンスター・リザードキングが確認されました』


 かくして、カイトのもとに凶報が届いたのであった。

 

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