第65話 闇の新勢力
そこは昏い海に囲まれた暗黒の島。冷たい黒の大地。暗い灰色の空。島の中心には巨大な城が下界を見下ろすかのようにそびえたっている。この島に存在するたったひとつの住所。ホラー映画さながらの雰囲気を醸し出す闇の妖気を帯びた魔城は、今宵はいつにも増して不吉な気配を周囲に漂わせていた。
「ふむふむ。なるほどね〜」
西洋アンティーク風の豪奢な椅子の上に胡座をかきながら、伝説の傭兵と謳われた美しき化け物――『大戦鬼』こと花村戦は、手元の資料に目を落とした。大きな長テーブルが置かれた広間にはざっと数えただけでも二十名近くの男女がいる。しかしこの場で席に座ることを許されているのはただ一人。上座に坐る彼だけだ。
「つまり今現在こっち側で突出している勢力は二つ。こないだ僕が会ったあの蝙蝠マント君のとこと、まだ僕が会ったことがない第三使徒って奴が仕切ってるとこ。ねぇシザー」
「はっ」
と、戦の背後に控えていた漆黒の執事が慇懃に腰を屈める。
「この二つの勢力って、戦力的にも大体同じぐらいなのかな?」
「これはあくまでも私個人の見立てになりますが、第三使徒が率いる派閥の方が僅かながら力関係は上でございます」
親愛なる紅髪の主人に水を向けられ、真っ黒な執事服を着た長身の眼鏡男子――特等星第六使徒シザーフェンは、嬉々として自らの意見を述べる。
「実際、数年ほど前までは両者の力は拮抗していたのですが、ここ最近になって第三使徒の勢力が急激に力をつけまして」
「へぇ〜、何かあったの?」
「それはですね……」
「戦様。私にも発言の許可をお許しいただけますでしょうか?」
大きな胸を揺らしながら二人の会話に割って入ったのは、ダイナマイトバディにピチピチの軍服を着た耳長のブロンド美女。彼女の名はジェミリア。このたび戦が設立した邪神軍新部隊【羅刹】の正規メンバーである。使徒の間ではあまり人気のないオーク系統の魔物を好んで使役することから、他の管理者達からは『オーククイーン』などと呼ばれ奇異の目で見られている。
「うん。いいよ♪」
読んでいた資料をぽいと放り投げると、戦は満面の笑みをジェミリアに向けた。
「ありがとうございますですわ」
「……」
シザーフェンの恨めしげな視線を華麗にスルーし、ジェミリアは優雅な仕草で一礼してみせた。
「第三使徒と第四使徒。双方の戦力の一番の鍵となるのが、互いのトップに与する『統括管理者の格』だと思われます」
「うんうん。それでそれで」
「以前からこの二大派閥にはトップの他にそれぞれ一名ずつ、特等星使徒たる統括管理者が所属しておりますわ」
「キャハハ。それなりのボスには中ボスがついてくるのが定番だもんね」
戦は好奇心に目を輝かせ、椅子の上で胡座をかいたまま身を乗り出す。話のさわりだけで見事上官の興味を引くことに成功したジェミリアは、いっそう得意気にその大きな胸を張った。
「第三使徒の派閥には第八使徒が、そして第四使徒の派閥には第七使徒が属しています」
とは眼鏡を持ち上げてシザーフェン。
「この二者の統括管理者が、各々の勢力のナンバーツーとしての役割を担っていますね」
お邪魔虫の介入は許されてしまったが、彼とてこのまま引き下がる気はさらさらなかった。
「うーん。そこだけ聞くと結構いい感じに戦力が分かれてる気もするけど。3番と8番、4番と7番ってな感じでさ?」
「「はい」」
可愛らしく小首を傾げる主人に、シザーフェンとジェミリアは同時に頷いてみせた。
「仰るとおり、これまではその二対二でほどよいパワーバランスが取れておりました」
「ですがそこへ新たに一名ずつ、両陣営に統括管理者が加わったのですわん」
「へぇー! ちなみにそれって何番と何番?」
「「5番と13番でございます」」
これまた声を揃えて、シザーフェンとジェミリアは主のニーズに合わせた返答をする。
「こちらの二名の統括管理者は、ほぼ同時期に各勢力への加入を表明いたしました」
「戦様ならすでにお気づきかとも思われますが、第三使徒の側には第五使徒、第四使徒の側には第十三使徒という形で、各々の派閥が新たに統括管理者を獲得したのですわん」
「あー、それだと確かに開きが出ちゃうね」
納得がいったと戦も失笑を浮かべる。
「一応手札の数は三対三だけど、5と13じゃ比べようもないもんね」
「「はい」」
そして例のごとく、示し合わせたかのように同じタイミングで返事をする両者。何気に息ぴったりである。
「もともと第三使徒と第五使徒は旧知の間柄でしたので、それほど驚くこともなかったのですが、第四使徒と第十三使徒の方は少々意外でしたね」
「え、なんでなんで?」
戦は先ほどにもまして目を輝かせ、シザーフェンの方を振り返る。シザーフェンは勝ち誇ったように答えた。
「基本的に第四使徒は、自分と同じく一桁数字の特等星以外は統括管理者として認めておりません。ですので、彼が明らかに格が下がる第十三使徒を自陣に迎え入れたのは、私としても予想外の出来事でした」
「なんでも第十三使徒は、もとは第四使徒の血族だったらしく、使徒になる前から両者は交流があったようですわ」
「へぇ〜」
戦は再びジェミリアの方を向いた。と同時に、シザーフェンはあからさまに顔を引きつらせた。この勝負、より主人の興味を引いたのは確かにシザーフェンの方だったかもしれない。しかし、より完璧な答えを提示したのは確実にジェミリアの方であった。
「……その情報は私も知りませんでしたね」
「実はつい最近、第十三使徒と対話をする機会がございまして。そのときに『彼女』から色々と話を聞かせてもらいましたの」
今度は私が勝ち誇る番だ、とでもいいたげに豊満なバストをこれでもかと張って見せるジェミリア。片や悔しさに顔を歪ませるシザーフェン。室内に不穏な空気が流れる。
「先日入手したばかりのフレッシュな情報がまだいくつかございますわん」
一瞬の沈黙の後。ジェミリアは綺麗に修復された右手を大きな胸に当てながら、再び優雅に一礼した。
「もしこのまま私に発言をお許しくださるのなら、それら全てをこの場でお話しいたしますが……いかがでしょうか戦様? それに第六使徒様も」
「私に敬称は不要です。そして伺いを立てる必要もね」
極めてシリアスな顔つきで眼鏡を押し上げながら、シザーフェンは言う。
「我らが最も優先すべきは戦様であり、その他への気兼ねなど無用の長物。すべて無視して構いません。もちろん、この私自身も含めてね」
なによりも優先すべきは戦。そうはっきりと断言するシザーフェン。戦の侍従としての揺るぎない矜恃が、そこにはあった。
「キャハハハハハ! 僕、シザーのそういうとこ大好きだよ♪」
「光栄至極にございます」
そして漆黒の執事は恭しく一礼した。
「じゃあ話の続きを聞かせてよ、ジェミィ」
「…………かしこまりましたわん」
この時この場にいる大半の者が、ジェミリアの背後に激しい炎が燃え上がる幻覚を見たという。
◇◇◇
「ふむふむ。なるほどね〜」
そしてあらかた資料に目を通し、可愛い部下達から情報を集めた後、戦は一つの結論に辿り着いた。
「うん、どの勢力も僕らの敵じゃないね」
と、戦は椅子の背にもたれ掛かりテーブルの上にどかりと両足を乗せた。手を頭の後ろに組みながらのこの姿勢は、戦が長話を終えたあとのお決まりのリラックスポーズだ。
「ふん。大した自信だな」
鼻を鳴らしながらそんな言葉を吐いたヤツがいた。ちらりと見ると、無駄にでかい部屋の扉の前に妙齢の女が立っていた。ああアイツか。戦は一瞬で興味を無くすと、視線をテーブルの上に戻した。
「確かに属する統括管理者の質はここが全勢力の中でトップかもしれんが、逆に言えばそれだけだ。所詮は急造。いくら見かけが立派でもハリボテでは意味がない」
長テーブルの上座から少し離れた場所で一人喋り続ける女。どうやら戦の眼中に無いオーラにまるで気づいてない様子だ。
「オレを入れて一桁ナンバーの統括管理者が三人いるとはいえ、それは第三使徒のところも同じだ。あまり舐めてかかると痛い目を見るぞ」
灰色の短髪に黒い眼帯。迷彩柄の軍服がやけに似合っているが、だからどうということもない。確か第九使徒とか呼ばれてたっけ? と比較的新しい記憶の引き出しを開けながら戦はヒラヒラと手を振った。
「僕がいれば、そんな連中の所属人数なんて関係ないから」
「なッ⁉︎」
「仰るとおりでございますね」
目を剥いて怒りの表情を浮かべる9番とは対照的に、涼しげな顔で戦の言葉を肯定したのはシザーフェン。実際、彼自身も戦の言うところの『そんな連中』の中に含まれているのだが、主人の言葉に腹を立てるという思考回路はこの眼鏡執事の中には存在しないようだ。
「6番よ、貴様はそれでいいのかッ⁉︎」
「いいもなにも、戦様が仰られたことは単なる事実ですからね」
と、シザーフェンは肩をすくめる。
「極論を言ってしまえば、戦様が腰を据えた勢力がイコールで使徒最強の勢力になりますからね。その他の顔ぶれなどはさして重要ではないのですよ」
「さっすがシザー! わかってるー!」
話が早い部下はそれだけで財産といえる。このシザーフェンと自分を引き合わせてくれた点に関してだけは、戦は雇主である邪神に心から感謝していた。
「ふん。全くもって情けないことだな」
ただし、いい気分というやつは、いつだって水を差されるリスクと隣り合わせだ。なまじ上がった状態から突き落とされる分、平時よりもタチが悪い。
「貴様といい、2番といい。貴様らには統括管理者としての誇りはないのか!」
「……………………………あのさ」
と。
「キミ、さっきからちょっと煩いよ?」
そして、部屋の空気が一瞬で凍てついた。
無機質な声を響かせ戦は表情を消し去る。
史上最凶の人型。大戦鬼の降臨であった。
「まま、待て‼︎ どど、どうしてオレだけ文句を言われるのだ⁉︎」
途端に呂律が怪しくなったのは9番こと第九使徒。彼女は強張った顔で、自分と違って戦から比較的近くの立席を選んだ同僚の一人を指差した。
「そそ、そこの女だって、さ、先ほどから大いに口を出しているではないか!」
「ジェミィの場合は進言。キミの場合は茶々入れ。意味が全然違うから」
9番の指摘をばっさり切り捨てると、ジェミリアが嬉しげに戦に会釈をした。そもそも彼女の場合はちゃんと戦から発言の許可を得ている。そういう部分からしても、両者は比べるまでもないのだ。
「き、気分が悪い。オレはこれで失礼させてもらうぞ!」
そんな捨てゼリフを残し、眼帯の女は足早に部屋から出ていった。ああだからドアの前に陣取ってたんだ、と逃走経路をさりげなく確保していた彼女に戦は初めて感心した。
「よろしかったのですか、戦様?」
「うん。ほっといていいよ」
追いかけてシメておきますか? と目配せするシザーフェンに、戦は「大丈夫だよ」という視線を返した。
「あれくらい脅かしてやれば、次からはだいぶ大人しくなるでしょ」
「戦様がそう仰るのであれば……」
「ま、さすがにまた『横にまっぷたつ』にはなりたくないと思うしね♪」
キャハハハと楽しげに笑う戦に、
「はっきり申し上げますと、私はあの者が戦様の配下に相応しいとは到底思えません」
「……」
シザーフェンが横目で窺った先には暗色のヴェールの淑女が静かに佇んでいた。第二使徒マーヴァレント。彼女は戦が直々にスカウトした邪神軍最強の使徒である。そして例の第九使徒をスカウトしたのは他でもない彼女だ。つまり、シザーフェンの言葉は遠回しにマーヴァレントへ向けられたものだった。
「あれはあれで使い道があるんだよ」
そう答えたのは戦。
「使い道、でございますか?」
「うん」
戦は頷く。別段助け船を出したわけではない。素直にそう思っただけだ。
「ああいうタイプはね、そこそこの仕事を与えとけばそれなりに役に立つんだ」
「なるほど。使い勝手のいい雑用というわけですか」
他にも周囲に使徒――しかもそのほとんどが9番よりも等級が下――がいる中で、シザーフェンは平然と同僚の株を下げる言い回しを選んだ。しかしてこれは戦も同じである。
「そういうこと。なにより扱いが超簡単」
それにね、と戦は天井を仰ぐように背後に控える二人の従者の顔を見上げた。
「きっとあの子は、僕とマーヴァとシザーがいる限り絶対に僕らを裏切れないよ。キミもそう思ったから彼女をスカウトしたんでしょ――マーヴァ?」
「はい」
それは本日一発目となる秘書の声。彼女はこちらから話しかけない限り、大抵だんまりだ。そして口を開いたとしても必要最低限のことしか喋らない。さりとて、戦はそんな彼女のことが嫌いではなかった。
「それはそうと、統括管理者か……」
実を言うと、少し前からそのキーワードが頭から離れないのだ。こういう時、戦は大概面白いことを考えつく。それは確信にも似たある種の直感。これまで自分を一度として裏切ったことのない、頼りになる相棒だった。
「……あっ」
そしてその戦友は、今日も今日とて戦の信頼に応えてくれた。
「僕、面白いこと思いついちゃったかも♪」




