第58話 一堂邸の戦い
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーッッ‼︎‼︎』
広大な緑の敷地に、血に飢えた魔物達の咆哮が轟き渡る。超重量級のモンスター兵団による行軍は比喩ではなく大地を揺るがし、激しい地響きを巻き起こした。邪神軍の先遣隊としてはまさに申し分のない勢力。ただその醜悪な見た目から華は皆無ではあるが。
これは相対する人型勢が担えば良い。
「とりあえず〔マウントバイパー〕と〔マンティコア〕は、あたしとシャロ姉が担当した方が良さそうなの」
「ふむ。よろしければ理由を聞かせてもらえるかね、フロイライン」
「私とリナには『状態異常無効』のスキルがあります。つまり〔マウントバイパー〕の毒牙も、〔マンティコア〕の毒尾も、我々には通用しません」
「そういうことなのです」
「なるほどな」
首をコキコキと鳴らしながら、大戦斧を肩に担いだ灰髪の偉丈夫がずいっと前に出る。続いて、犬獣人の女武闘家と女帝の風格を携えた紫髪のメイドも、易々と目の前に引かれた死線を踏み越えていく。
「ならば、俺は〔ケルベロス〕とその周辺を受け持とう」
「それじゃあ〔マウントバイパー〕軍団はあたしが担当するのです」
「私は〔マンティコア〕ですか……少々物足りませんが、あの中では一番のアタリと言えなくもありませんね」
そして駆け出す三人の強者。
「ちょうどいい。狼型とは少しばかり因縁がある。この機会に鬱憤を晴らすとしよう」
「昔から蛇の扱いは得意なのです。まぁさすがにあのサイズの相手は初めてだけど」
「私のやるべき事は決まっている。かの魔獅子の首を取り。この勝利を我が偉大なるマスターに捧げるのだ」
グレンデ、リナ、シャロンヌは各々の標的に向かって、怪物どもが跋扈する戦場を縦横無尽に駆け巡る。
《斧技・裏大蛇》
《闘技・螺旋貫手》
《刀技・花狂乱舞》
第二次人魔大戦。後世に語り継がれる人と魔の歴史的戦い。かの大戦の記録は後の世に数多く残されるが、公式、非公式ともにその初戦として挙げられる戦いはひとつだった。
世界歴五〇一九年・一堂邸の戦い
その決戦の火蓋が、今まさに切って落とされたのであった。
◇◇◇
「随分あっさり了承なさるのね」
「というよりも、約束だからな」
天は軽く肩をすくめてそう言った。戦場のど真ん中を特等席と豪語し、涼しげな顔をしてその戦いを観戦する真冬に。この戦いに参戦したくてウズウズしていたシャロンヌを天のもとまで連れてきた――そそのかしたとも言う――のも他でもない彼女だ。早くも人のメイドに貸しを作っているあたり流石としか言いようがない。天は心の中で苦笑した。
「約束?」
「敵があいつらで対処できる力量なら、俺は極力手を出さないことにしてるんだ」
「ああ」
真冬は得心がいった様子で。
「あまり天殿の力に頼りすぎては、下の者が育ちませんものね」
「……まあ、そういうことだ」
下の者、という表現に多少思うところもあったが、天はひとまず頷いておく。もともとシャロンヌは天の従者で、リナは天の一番弟子だ。ならば真冬のこの言い回しも間違いではないだろう。
「うふふ」
天の歯切れの悪い反応を楽しむように真冬は言った。
「一つ、天殿のことが分かった気がするわ」
「何がだ」
「あなたは身内に意外と甘い」
言って真冬はくすりと笑う。
「……とにかく、俺はこの線を越えてきた奴だけを狩ればいい」
天は頭をガリガリと掻きたい衝動に駆られながら、自らが抉り抜いた大地をつま先で二度叩いた。
「あらあら、グレンデ将軍やシャロンヌ殿の武力を突破しても、その先に待ち構えているのが天殿だなんて。本当に、相手が気の毒でならないわ」
「といっても、あそこにいる三人の手に負えないような奴はもういないがな」
「では、やはりあのチェルノボーグという邪教徒は、グレンデ将軍やシャロンヌ様よりも強かったと?」
するりと会話に入ってきたのは天の隣に立っていたミリンダである。なんというか、聞き耳を立てていたのがバレバレだった。
「あ、その、よろしければお聞かせ願いたいのですが……」
自分でも厚かましいと思ったのだろう。ミリンダは遠慮がちにボソボソと声をくぐもらせる。彼女はグレンデの命令で貴族および民間人の警護という名目で天と真冬に張り付いていた。もちろんそんな必要がないのはお互い百も承知の上だ。つまるところ、ミリンダの本当の任務は天に対する情報収集なのだろう。そのことが筒抜けなのも互いに理解している。なので天がそれに付き合う義務も無ければ、義理も無いのだが。
「あくまで俺の見立てでの話になるが?」
「! ぜひッ!」
興奮した勢いで体すれすれまで身をすり寄せるミリンダ。それ見てそばにいた真冬がほんの少しだけムッとしていたが。天はとくに気にすることもなく、帝国の女将校の質問に答えてやった。
「もしあのまま戦っていたら、多分二人とも負けてただろうな」
「……‼︎」
さらっと告げられた真実に、ミリンダの顔から見る間に血の気が引いていく。しかし言葉を濁しても仕方がないので、天はそのまま自分の考えを解説した。
「あれは相当の場数を踏んでる。佇まいを見れば一目瞭然だ。加えて長年にわたり敵組織の中で諜報活動を続けてきた実績もある。その狡猾性と周到性から、こういった奥の手があることも容易に想像できた」
だからこそ天は必要最低限の情報だけを抜き取り、早々にチェルノボーグとの勝負を決めたのだ。結果として相手が予想以上に根性を見せて、その切り札を使わせてしまったわけだが。
「それになにより、最初の人型の状態ならともかくその次の魔物の形態は『戦命力』が5000を超えていた。となると、シャロが加勢してもちょっとばかし厳しい」
「せんめいりょくが5000?」
「察するに、モンスターのレベルや身体能力を数値化したもの、といったところかしら」
「その見解で概ね合ってる」
聞きなれぬ言葉に首を傾げるミリンダの隣で、真冬が好奇の目をこちらに向けてくる。天は苦笑まじりに察しがいい新メンバーの声に応じた。どうやらこの話は、真冬にとっても興味を引く内容だったようだ。
「それもあの《生命の目》というスキルが与える効果なのでしょうか?」
この問いかけはミリンダ。
「そうだ」
とひとつ頷きながら、天は具体例をいくつか挙げてやる。
「手近な魔物を戦命力で表せばヘルハウンドが250前後、クレイジーキャットが500ちょい、あとはオークキングが大体1500ぐらいだ」
「D、C、Bとモンスターのランクが上がるにつれて、その戦命力の値も倍々に増えていくわけね。興味深いわ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
声を上げて話の腰を折ったのはミリンダ。
「それではAランクのモンスターでもその数値は3000ほどなのですか⁉︎」
「一概に言えばそうなるな」
天が答えると、今度こそミリンダの顔から完全に血の気が失われた。人界の最大脅威である災害級モンスターですら、推定される戦命力は3000前後。実際、天がかつて倒した同じ管理者であるバンザムの戦命力は、人型の状態で2330、魔物化しても3000までは届かなかった。つまり魔物形態のチェルノボーグは、単純にその倍近くの戦力を有していたことになるのだ。
「ぞっとしない話だわ。そんな存在が、長年のあいだ国内に潜伏していたなんて」
真冬の顔からも笑みが消える。戦命力の数値がAランクの魔物の約二倍。であるならば災害級モンスター二体分の脅威に匹敵するのかといえば、話はそう単純ではない。
「おそらく変身後のチェルノボーグは、奴が召喚した二体のヘルケルベロス、などという生易しい相手じゃない」
「でしょうね」
「…………、」
天の言葉に相槌を打ちながら真冬が肩をすくめる。その隣ではいまだミリンダが顔色を失ったままだ。
「Dランクモンスターのヘルハウンドが二体いても、Cランクモンスターのクレイジーキャットには敵わないもの。それと一緒だわ」
「…………同じように、たとえクレイジーキャットが三体いたところで、準災害級モンスターのオークキングに勝つことはまず不可能です……」
身を振り絞るようにミリンダが言葉を吐き出す。そう。レベルやステータスが倍違えばそれは遥か格上の力量差を意味する。戦闘のプロである彼女がそれに気付かない道理はない。つまり、管理者チェルノボーグはAランクモンスターすら足元にも及ばぬ実力の持ち主ということだ。
「帝国に未曾有の大災害をもたらしたその力は、伊達ではなかったというわけね」
「誠に遺憾ではありますが、受け止めねばなりません」
真冬とミリンダは、少し離れた場所に転がっているその老魔の亡骸を見やる。結果的には天に瞬殺されたが、かの古の邪教徒は、最強の管理者と豪語するだけの実力を確かに待ち合わせていたのだ。
「でもそうなると」
と、真冬が天の顔を覗き込んだ。
「それをあっさり一蹴した天殿は、一体どれほどの力があるのかしらね」
好奇心旺盛な黒い瞳が天を見つめている。
この真冬の疑問はある意味当然と言えた。
しかし。
「生憎とあのスキルは、自分の数値までは見れない」
「あら、残念」
真冬の口から短い嘆息がこぼれる。すぐ隣で聞き耳を立てていたミリンダも、心なしか残念そうな顔をしていた。
「まあ、5000より上なのは間違いない」
天は適当に答えてこの話題を打ち切る。実際のところ、天はすでに主神たる五千円札の女神からソレを聞き出している。したがって答えようと思えばソレを答えること自体は可能だ。だが、天は今のところソレを特異課のメンバー以外に教えるつもりはなかった。
……レベルやステータスならまだバラしても問題ないだろうが、こっちはあまりにも差が開きすぎてるからな。
圧倒的な力は、それだけで他に対して強力な武器にも抑止力にもなる。しかし同時に恐怖の対象にもなってしまう。これを善ととるか悪ととるかは人次第だが。大概のものはまず後者を選ぶ。天はこれまでの人生経験からそれを学んでいた。知っていた。強大すぎる力は必ずしも敬われるとは限らないのだ。ならば真冬はともかく、大国の軍関係者であるミリンダにソレを教えるわけにはいかない。
本気を出せば50万を超えます。
などと、口が裂けても言えない。
「……そういえば、少し気になったことがあるのですが」
ミリンダが怪訝な顔でこちらを見上げてくる。
「“闘技”とはなんなのでしょうか? それに“大蛇”というスキル名も気になりました」
「……」
それはある意味、天にとって自分の戦力以上に訊かれたくない案件だった。
「私の記憶が正しければ《大蛇》はLv3の斧技スキルだったはずなのですが」
「……エルフってやつは本当に耳がいい」
「え? あっ、も、申し訳ございません!」
ミリンダは慌てて謝罪の言を口にした。自分が盗み聞きしていたことを、自分からバラしたことに気がついたようだ。
「だから、俺がガキの頃に考えた“技”だよ」
そこは聞いていなかったのかと。天は決まり悪げに答えた。
「あんたんとこの大将の斧さばきを見てたら無性にやりたくなった。それだけだ」
「は、はぁ」
「あと闘技については、」
天は言いながらある人物を顎でさし、
「実際に見たほうが早い」
そう答えた。
「あの方は、先ほど雄叫びを上げていた獣人の……」
「見てろ」
訝しげに目を細めるエルフのエリート軍人に、天は言った。
「あいつは今日、人型の歴史を変える」
そして最後に真冬もそちらを向いた。
「興味深いわ」
三人の視線の先には、見上げるほどの巨大な毒蛇に挑むリナの姿があった。
◇◇◇
「ところで真冬殿に一つ耳寄りな話がある」
「あら、何かしら」
「俺の知り合いに鉱夫の元締めがいてな。誠実な人柄で信頼の置ける人物だ。彼は鉱夫達が暮らす村で村長もしている。ちなみにその村では質の良い鉄が格安で手に入るんだ」
「それはそれは、今のうちにツバを付けておく必要がありますわね」
「村名はフラワー村だ。ぜひ定期契約を検討して貰いたい」
「ええ、それはもう。特に村の名前がとても気に入ったわ」
「…………」
なんだこいつら。帝国軍の女将校は本気でたじろぐほかなかった。歴史にも残るであろう大戦の最中、隣にいる約二名が普通に商談を始めたのだ。
ローレイファ閣下! このTシャツ男はもちろんですが、一堂家の当主も大概ですよ!
帝国軍特務諜報部所属・ミリンダ大尉。
彼女の聞き耳という名の情報収集は続くのであった。




