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第54話 その真打ちの名は

「これは決まりですね」


 その光景を見ながら、ステラは断言する。一堂家の執事兼現役十英傑の少女は、どこか誇らしげに眼鏡を持ち上げた。


「やっぱり凄いのだよ、グレンデ将軍は!」


「はいですわ!」


 そして今にも「キャー!」と黄色い声援を送りそうな勢いではしゃいでいるのは、名門貴族の令嬢コンビ、弥生とジュリである。


「管理者かなんだか知らないけど、所詮はグレンデ将軍の敵じゃないのだよ!」


「ええ。グレンデ将軍が味方をしてくだされば、これほど心強いことはありませんわ!」


「一時はどうなることかと思いましたが、グレンデ将軍がこの場にいてくれて、本当に良かった」


 ジュリ、弥生、ステラの順に歓声にも似た声を上げる。罪深き国賊に鉄槌を下す、見紛うことなき祖国のヒーローの姿。それはエクス帝国の国民である弥生達にとって自慢であり、誇りそのものなのだ。手に汗を握る少女達の横顔には書いてあった。どうだ、これが我らが帝国のグレンデ将軍だと。


「このまま上手くいけば、それが一番なのは確かだけど……」


「……相手は邪教徒の幹部の一人。そう簡単にはいかないでしょうね」


 早くも勝利を確信したとばかりに浮かれ合う娘達を尻目に、そう呟いたのはリナとマリー。二人のBランク冒険士の女傑は、決して楽観できる状況ではないと囁き合う。


 そしてそんな彼女達の不安に呼応するかのように、眼前で繰り広げられる激闘に変化が訪れたのだった。



 ◇◇◇



「ぬうっ」


 嵐のようなグレンデの猛攻が、突然ピタリと止んだ。


「やれやれ、大事な一張羅が台無しだ」


 しかしそれはグレンデの言うところの、標的を破壊し尽くしたから、という訳ではなかった。


「……今度はどんな手品を使ったのかね?」


「手品とはご挨拶ですね」


 老紳士は足元に落ちていたシルクハットを拾い上げると、軽く払ってから頭の上に乗せた。グレンデとの戦闘の余波で飛ばされたそれは、両者が戦っていた場所から、20メートル以上は離れた花壇の上にあった。


 チェルノボーグは、いつの間にかそこに立っていた。


 たった今まで絶体絶命の状況に立たされていたずなのに。不気味な笑みを浮かべる白髪のジェントルマンは、グレンデの目の前から一瞬にしてそこまで移動したのだ。


「《空間魔技》」


 と、凛とした美しい声が届いた。


「邪教徒が得意とする空属性の魔技。この中には、空間転移をも可能にするスキルが存在します」


 説明口調で口を挟んだのは、常夜の女帝シャロンヌであった。


「使用するには相当量の魔力を必要としますが、その者は管理者。これを単独で行えても何ら不思議はないでしょう」


「つまりは最初にミリンダの大烈火を無効化したのも、その《空間魔技》を用いたと」


「……ご解説どうも」


 シャロンヌの見解にグレンデが納得顔で頷き、チェルノボーグが面白くない顔をして首を竦めた。


「まあそういう訳です。この術は燃費が悪いので、あまり乱用したくはないのですよ」


「……なるほど。その術があれば、南大陸から東大陸への移動も可能というわけだ」


「そういう事です」


 グレンデが眉間に皺を寄せて吐き捨てたセリフを、チェルノボーグは軽薄な笑みと共に拾い上げる。


 件の災いが起こる数日前。


 グレンデが東大陸を離れる際、当然その副官であるクロイス――チェルノボーグが化けた――もまた、指揮官の補佐役として南大陸のナスガルド王国までついて行った。だから当時の彼には完璧なアリバイがあった。


 しかし、もしも相手が高度な転移術を使えたなら、話は大きく変わってくる。


「あれほどの長距離を移動したのは、わたくしも初の経験でした」


 老爺の管理者はさも得意気に語った。


「でもまさか、たった一度行って帰ってくるだけで、それまで蓄積してきた魔素の半分近くを消費するとは思いませんでしたがね。これも初めての経験ですよ」


「空間移動なら、どんな嵐も関係ない、か」


 呟いたグレンデの口元は皮肉げに歪んでいた。エクス帝国が二体のヘルケルベロスに襲われた事件とほぼ同時期、記録的な嵐が南大陸で猛威を振るった。激しい大雨と強風で土砂は崩れ、海は荒れ、南大陸に在する国のほとんどの交通網が麻痺した。これにより、ナスガルド王国に訪問していた帝国軍も一週間以上ものあいだ足止めを食らった。グレンデの帰国が大幅に遅れた原因の一つである。


「あの嵐も貴様らの仕業かね」


「さて、それはどうでしょう」


 チェルノボーグは薄い笑みを張りつけるばかりだ。


「しかし良かったのかね」


「何がです?」


「その《空間魔技》を使えば、今すぐこの場から逃げ出すことも可能だろうに」


「くふふ、逃げるなんてとんでもない」


 そして異変が起こった。


「言ったでしょう、あなた方にもう生き延びるチャンスは残っていないとね!」


「ッ!」


 突如チェルノボーグの体が肥大化した。

 グレンデが動いたのはその直後だった。


「ハァアアアーーッッ!!」


 相手との距離を一瞬で詰めると、グレンデは全身に力を込めて、ハルバードで斬りつけた。強烈な悪寒が背筋を這いずり回る。頭の中ではひっきりなしに警報が鳴っていた。理屈ではない。直感で理解したのだ。アレは全力を注いで阻止せねばならない、と。


「もう遅い」


 ガキンッ!


 グレンデの大斧が易々と弾かれた。武器やスキルを使われたわけではない。その全身を覆う暗黒の魔力に阻まれたのだ。


「まだだ!」


 グレンデは攻撃の手を緩めなかった。こちらも一撃一撃に魔力をのせ、爆撃のような連打をお見舞いする。しかし。


「無駄ですよ」


「ぬぅ……っ」


 今度はグレンデの巨体ごと後方へと吹き飛ばす。そしてチェルノボーグは最後の仕上げとばかりに、漆黒のシルクハットを頭上に投げ上げた。


「できれば“この姿”にはなりたくなかったのですがね――」


 妖気を孕んだ声が、大気を冷たいものへと変える。


「――『灰の破壊者』に『常夜の女帝』までいるとなると、やはりあのままでは、少しばかり分が悪い」


 真っ赤な血の色に染まった目。鋭く伸びた爪と牙。肥大した肉体は着ていた衣服を突き破り、赤黒く変質した肌を人目に晒した。


「今さら後悔しても遅いぞ、虫ケラども」


 チェルノボーグの姿は、既に人型のそれではなくなっていた。


「……なにかね、アレは」


「正式名称までは知りませんが、我々は『鬼人化』と呼んでいます」


 図らずも自分の足元まで飛ばされてきたグレンデに、シャロンヌは答えた。


「あの形態になった邪教徒は、あらゆる能力値が一段階から二段階ほど向上すると考えていいでしょう」


「素晴らしく分かりやすい説明だな」


 グレンデは苦笑しながら立ち上がると、再びハルバードを構える。


「ところでマドモアゼル。奴はどうも我らの共闘を警戒しているようだ」


「そのようですね」


 と、シャロンヌはどこか冷めた口調で返事をする。


「どうかね? ここはひとつ、我ら二人であの化け物の期待に応えてやるというのは」


「お願いします、シャロンヌ様!」


 敵から目を離さずシャロンヌに誘いをかけるグレンデ。そして今や彼の副官代わりのミリンダもまた、協会屈指の実力者であるその冒険士に必死に嘆願した。


「どうかそのお力を、今一度、我が帝国にお貸しください!」


 エルフゆえに、その禍々しくも強大な魔力を肌で感じとってしまったのだろう。ミリンダの顔にはありありと恐怖の色が浮かんでいた。


「その必要はありません」


 時が止まる。二人の軍人は意表を突かれたように固まった。その予想外の返答に。グレンデとミリンダは、思わずシャロンヌの方を見やった。


 しかし彼等が声を発することはなかった。


 シャロンヌの言葉の真意。それが、それそのものが――道を開けるように横に退いたメイドの背後から、ゆっくりとこちらに近づいて来たからだ。



「選手交代だ」



 くたびれたTシャツに古ぼけたジーンズ。

 さも普段着でコンビニにでも行くような。

 この局面において尚も揺るがぬ太太しさ。


 味方に希望を、そして敵に絶望を与えるため……その男はやって来た。


「全員下がってろ。あとは俺がやる」


 その真打ちの名は、花村天といった。

 

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