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第53話 王者の務め

「クロイス先輩のかたきッッ!!」


 激情に駆られるままエルフの女将校は手を振りかざした。次の刹那、放たれた怒りの業火が大気を焼く。


 《大烈火玉》


 Lv3の火属性魔技。まともに食らえばCランクモンスターをも屠る火炎の剛球が、賊めがけて問答無用で襲いかかる。


「やれやれ、まだ自己紹介も途中だというのに」


 とくに慌てた様子もなく、シルクハットの老紳士は指をパチンと鳴らした。


「なっ⁉︎」


 その瞬間、ミリンダの憤怒の形相が驚愕のそれへと変わる。


「軍人という生き物はどうも血気盛んでいけない。これだから、あなた方には男も女もないと言ったのですよ」


 まるで手品のように。ミリンダが放った攻撃はどこかへ消えてしまった。否、目の前の老夫が跡形もなく消し去ってしまったのだ。


「ミリンダ大尉。君は下がっていたまえ」


「グ、グレンデ将軍」


 先走る背後の部下を諌めつつ、グレンデはハルバードを握る手に力を込める。


「どうやらこの者は、一筋縄ではいかぬ相手のようだ」


「さすがは帝国軍のグレンデ将軍、と言いたいところですが……やはり、あなたも現状を正しく理解していらっしゃらない」


「なに?」


「一筋縄でいかぬ相手ではない」


 と。


「このチェルノボーグは、あなた方では到底敵わぬ相手なのですよ」


 その台詞を言い終わると同時に、見ただけで体の芯まで凍りつかせるような陽光を食らう暗黒の魔力が、チェルノボーグの五体から溢れ出した。


「禍々しいな……」


「芸術的である、そう言っていただきたいものですね」


 そう言ったチェルノボーグの魔気はさらに勢いを増す。対するグレンデは臆することなく、むしろ嬉々として、大胆不敵に歩を進めていく。


「これは久々に壊しがいのある獲物だ」


「果たしてどちらが獲物なのか、傲慢な愚者に教えて差し上げますよ」


 直後に響いたのは雷鳴にも似た衝撃音。灰銀の刃の閃きとともに。グレンデの大斧が大地を揺さぶる。


「なんだ、ミリンダの時のように受けてはもらえんのかね」


「あなたにサービスは必要ないでしょう」


 一刀両断の型で振り下ろされたハルバードを紙一重で避けると、チェルノボーグは軽やかなステップでグレンデの背後に回り込もうとする。しかしそうはさせまいと、百戦錬磨の将は素早く斧をかち上げ、巨大な白刃を横に薙いだ。互いにゼロ距離。ほぼ隙間のない空間で繰り広げられる攻防。それはさながら華麗な闘牛士と荒ぶる暴れ牛を思わせる。


「相変わらず酷い戦い方だ。品性の欠片もない」


「目の覚めるような猛攻、そう言ってもらえるかね」


 死闘のさなか交換される軽口。二人が怨敵同士なのは違いない。しかし彼らが精鋭部隊の将と副官という間柄で、それなり以上に長い時間を共に過ごしたのもまた事実である。


「まったくあなたという人は、減らず口だけは達者ですね」


「心外だな。女性の扱いにも長けていると付け加えたまえ」


 両者の間にはどこか気安さがあった。


「ああそういえば、クロイスという軍人はとても愉快な青年でしたよ」


 この瞬間までは。


「彼はあなたに強い憧れを抱いていたようです。わたくしから見れば極めて理解しがたい感情ですがね。女の尻ばかり追いかけている猿同然のあなたでも、彼にとっては紛れもないヒーローだった」


「……」


「彼は最後の瞬間まであなたを信じていましたよ。二年もの間、偽物に騙され続けてきたあなたのことをね」


 戦いながらも饒舌に語るチェルノボーグ。

 一方のグレンデはぴたりと口を閉ざした。


「帝国にはグレンデ将軍がいる。実に滑稽な断末魔だった。あなた方帝国人はそれしか言えない。その上で敵に情報を提供していては世話はありませんね。ああ、彼自身は何も喋っていませんよ? 念のため言っておきますがね。単に覗いただけです。彼の頭の中を、直接ね」


「……減らず口が達者なのはどちらだ」


 ぼそりと呟く。グレンデの雰囲気はそれまでと明らかに違っていた。


「おや、お気に召しませんでしたか? あなたのことを心から慕っていた副官の末路を、せっかく教えて差し上げたというのに」


「……下衆め。その四肢を引き裂いて、虫のように地に這い蹲らせてくれよう!」


 グレンデはその相貌に鬼を宿す。感情を制御できないほどの敵意と殺意。怒りに任せた渾身の一撃が、チェルノボーグに迫る。


「それを待っていましたよ!」


 だがしかし。グレンデの力任せの大振りは豪快に空を切る結果となった。


「ぬぅ……」


「馬鹿め!」


 それは致命的なミス。かくしてチェルノボーグは、ついにグレンデの背後を取ることに成功した。が――


「――いいや、馬鹿は貴様の方だ」


 刹那、灰色の戦慄が戦場を駆け抜ける。


 《斧技・裏大蛇(ウラオロチ)


 突如として軌道を変えた大斧。直後。巻き起こる大旋風。花壇に咲き誇る薔薇の花びらが、赤い粉雪の如く舞い散る。


 そして始まる狩りの時間。


 まるで飢えた大蛇のように。変幻自在の斬撃が完全に獲物を捕らえた。


「クッ!」


 獲物を喰らい尽くさんと猛り狂う無数の斬打が、華奢な老人の五体を飲み込む。それはまさに計算し尽くされた戦術の妙。罠にかかったのはチェルノボーグの方だった。


「上官たるもの、部下の期待には応えねばなるまい」


 グレンデは太く笑って、そう言った。怒涛の連打を敵に浴びせながら。相手の魂すら破壊せんとばかりに。敵討ちなどというつもりは毛頭ない。だが期待されてはやらねばなるまい。それが将の、王者たるものの務めである。


「グレンデ将軍!!」


 感極まったように、ミリンダがその名を叫んだ。


「ふむ。麗しき女性から声援も送られた。ならばあとは、目の前にいる悪者を破壊し尽くすのみだ」


 人呼んで灰の破壊者。その猛攻は衰えるどころか、激しさを増すばかりだ。


「ぐっ!」


 嵐のごとく降り注ぐ斬撃の雨の中。


「……やはりこのままの姿では、いささか分が悪いようですね……」


 しかし追い詰められた老魔の口元には、冷たい氷のような、黒い笑みが刻まれていた。

 

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