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第51話 Tシャツの悪魔

 一堂邸東館。絢爛たる屋敷の中は朝から騒がしかった。家の者達の怒号や使用人達の慌ただしい足音が、邸内のあちらこちらから聞こてくる。


「館から一歩も出ちゃだめなんて……」

「どう考えてもただ事じゃないわよね」

「これってやっぱり、昨日の一件が関係してるのかな?」


「「「それしかないでしょ!」」」


 母屋と離れをつなぐ渡り廊下を忙しなく行き交うのは、帝国の名門一堂家に仕える若いメイド達。


「そういえば、誰か淳坊ちゃんのところに知らせに行った?」

「え、必要ないでしょ」

「確かに。あのお体じゃ、屋敷どころか部屋から出るのだって一人じゃ無理よ」


「「「それもそうね」」」」


 お喋り好きの彼女達の声は、そのまま屋敷の離れにある淳の部屋まで届いていた。


「どうなってんだよ、いったい⁉︎」


 蓑虫のようにビクビクしながら、淳は頭から布団を被ってベッドで丸くなっていた。


「なんで誰も帰ってこないんだよー!」


 昨夜から自室で一人待機中の少年は、神々しいほどの美貌を情けなく歪め、ひたすら泣き言を繰り返す。


「……屋敷の外には一歩も出るなって、絶対にヤバイ状況だよなぁ」


 何度か外の様子を探ろうと試みるも、彼の蚊のような度胸がそれを許さなかった。


「やよい〜、早く帰ってきてくれよ〜」


 悲しいかな、シスコンは妹が絡まないとポテンシャルを発揮できない生き物なのだ。とその時――


 ――トゥルルルルルルルルルルルルル!


 室内に無線の呼び出し音が鳴り響いた。

 淳は飛びつくようにドバイザーに出る。


「や、弥生か⁉︎」


『ミリーですわ』


 無線の相手は少年の妹ではなく、少年の従妹の少女であった。


『淳お兄様。ご快復おめでとうございます』


「あ、ああ」


 ミリーの大人対応に、淳も幾分か落ち着きを取り戻す。弥生じゃなかったのは残念だったが、身内からの快気祝いの言葉は素直に嬉しかった。


『それと只今、帝国軍の方々がお見えになっていますので。淳お兄様は今しばらくお部屋にいてくださいまし』


「帝国軍!?」


 しれっと告げられた事実が、再び貴族の少年を混乱させる。


「そそ、それって大丈夫なのかよッ⁉︎」


『大丈夫ですわ』


 ミリーはあっさり断言した。


『そちらはご当主様が対応してくださいました。ですので、何も心配ございませんわ』


「ご、ご当主様が……」


 淳はごくりと喉を鳴らす。


「あ、あのさミリー」


『なんでしょうか?』


「その、やっぱり真冬様は……昨日のことを怒ってるよな?」


 先刻までとはまた別の緊張感を持って、淳が恐る恐るそのことを訊ねると。


『大丈夫ですわ』


「…………え?」


 ミリーは今一度、なんなら先ほどよりもきっぱりと断言した。


『ご当主様は、とっくの昔に花村様に懐柔されましたので』


「はあ⁉︎」


 なんだそりゃと淳はベッドから転げ落ちそうになる。そんな従兄の心情を腹の底から理解したのだろう。


『ほんとあり得ないから、あの人』


 ミリーの声は無線越しでもはっきりと分かるほどげんなりしていた。


『アタシ、昨日だけで人生三回分は驚いた気がするしッ』


「え、えっと、ミリー?」


 いきなりがらりと雰囲気を変えた二つ下の従妹に戸惑っているうちに。


『この度、当家はめでたくTシャツの悪魔に乗っ取られました。以上ですわ』


 プツンと無線が切れた。


「一堂家が……乗っ取られたって……」


 淳は茫然としながら、すぐそばにあった鏡に目を向ける。


「アイツ……今度は何やりやがったんだよおおおおおおおお⁉︎」


 そこには、相も変わらずダイヤモンド級ヒロインにしか見えない、超絶美少女顔の少年が映っていた。



 ◇◇◇



 一堂邸中央館。エントランス野外庭園。


「これからお前に、いくつか質問をする」


「妙なあだ名を付けられたと思ったら、今度は初対面でいきなりお前呼ばわりですか?」


 まぁいいですがね。その者は芝居がかった仕草で肩を竦めた。対する天は、相変わらずその者、クロイス少佐と呼ばれる帝国軍の将校から片時も目を離さずにいる。薔薇の花壇を挟んで向かい合う地味顔の青年と二枚目軍人。極めて険悪な空気があたりに漂う中。その質疑応答は始まった。


「では初めに、お前は『バンザム』という人物を知っているか?」


「さあ、知りませんね」


 誰ですかそれ? とどこか人を小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべて、クロイスはわざとらしく首を傾げる。


「では次の質問だ」


 天は気にせず質問を続けた。


「お前はバンザムのことを知っているか?」


「……ぷはっ、あはははははははははっ!」


 嘲りを帯びた高笑いが庭園に響き渡る。


「聞きましたか将軍? 彼は今、同じ質問を繰り返しましたよ?」


「うむ。そのようだな」


「くくく、全くとんだ茶番だ」


 やれやれとばかりに失笑しながら、クロイスは金色の前髪をかきあげる。


「おおかた正当な決闘で決まったことに口を出すなとか、その手の子供じみた価値観からくる嫌がらせでしょう。はっ、全くもってくだらない。この男は最初から我々と真面目に話すつもりなどないのですよ、将軍」


「ふむ。どうしたのかね、クロイス少佐。早く彼の質問に答えたまえ」


「ッ――‼︎」


 驚愕の顔を向けてくる部下に、グレンデは太い笑みを浮かべながら言った。


「同じ質問、大いに結構じゃないか。確認を徹底することは、我々軍人にとっても大切なことだ」


「で、ですが!」


「クロイス」


 重厚な声が反論を突き返す。


「君はそのバンザムなる者を知っているのかね? それとも知らないのかね?」


「……知りません」


 吐き捨てるように言って、クロイスは憎々しげに天の顔を睨んだ。


「では次の質問に移る」


 しかしその程度では、この男の鉄面皮に傷一つ付けられない。


「バンザム、この名に聞き覚えはあるか?」


「〜〜ッ!」


 そしてとうとう、


「だから! そんな管理者など知らないと、先ほどから言ってるでしょうがッッ!!」


「アウト」


 獲物が罠にかかった。


「はあ? なんですかそのアウトとは?」


「あー、お前はちょっと黙っててくれ」


 天はクロイスとの話を勝手に切り上げ。


「次はこっちの軍人さんと話をするから」


「は、私でありますか?」


 いきなり指名されたエルフの女性軍人は思わずといった様子で自分の顔を指さした。


「ミリンダ大尉。お相手して差し上げろ」


 間髪を容れずそう命じたのはグレンデ。


「おっと、もちろん普通の話し相手だ。服は着たままで構わない。無理に色気を出す必要もないから安心したまえ」


「そ、そのようなことは、将軍に言われずともわかっておりますっ!」


「大尉さん」


 声を荒げて顔を赤くするミリンダに、天は何事もないかのように話し掛ける。


「あんたはバンザムという名を聞いて、真っ先にどんな人物像を思い浮かべる」


「えっ! そ、そうですね……」


 ミリンダはあたふたしながらも、それほど時間をかけずに天の質問に答える。


「対象が男性である可能性が高い。私が思いつくのはそれぐらいでしょうか」


「グッド」


 その答えは、天にとって満足のいくものであった。


「そう。バンザムという名前はどちらかといえば男のものだ」


「はい」


「ただしそれ以外の情報が欲しいとなると、調べるのにそれなりの時間が必要だろう」


「……私もそう思います」


 ミリンダが神妙な顔で頷く。もともと優秀な軍人なのだろう。すでに彼女は天が何を言いたいのか察しているようだ。


「これらを踏まえた上で、俺とそこにいる男との会話には、一つおかしな点があった」


「……はい。実を言うと、私もそばで聞いていて違和感を覚えました」


「はあっ⁉︎ どこかだい⁉︎」


 クロイスが堪らず口を挟む。ミリンダは取り乱す上官に対して、躊躇いがちに言った。


「クロイス少佐は、その……管理者なるものをご存知なのですか?」


「……‼︎」


 クロイスは固まる。


「そんな管理者は知らない。お前は確かにそう言った」


 そこへ静かに獲物を追い詰めるような冷淡な声が流れる。そこにはTシャツ姿の悪魔がいた。


「お前はバンザムなど知らないと答えた」


「………」


「だがバンザムが『管理者であること』を知っていた。この矛盾はどう説明するんだ?」


「っ……」


 クロイスは重苦しい表情で口を閉ざすばかりだ。


「そろそろ観念してはどうかね、クロイス少佐」


「グレンデ……将軍」


 暗く濁った瞳で自分を見上げる部下の青年に、グレンデは淡々と言った。


「君はバンザムなる者を知っている。そして恐らくは、君自身も彼の言うところの管理者なのだろう。ここまで感情を表に出してしまったのだ。もはや言い逃れはできんよ」


「…………」


 顔を伏せて押し黙るクロイス。彼が天の質問に真面目に答える気がないのは誰の目から見ても明らかだった。当然これは天本人も承知の上だろう。だから天は、最初から質問に対する答えを求めていなかった。天が真に求めていたもの、それはその質問をしたときの相手の反応、回答者の見せる僅かな感情の揺らぎだ。


 ……帝国軍将校がこんな初歩的な手に引っかかっていては世話がないな。


 グレンデは心中で苦笑した。軍にもこれと似たような尋問術は存在する。加えてクロイスは極めて優秀な軍人だ。少なくとも普段の彼ならば、これほど簡単にボロを出したりはしないだろう。よほど動揺していたのか、はたまた今しがたの質問が核心を突いた内容だったのか。


「ともあれだ」


 逃げ道を塞がれた己の副官と、憎たらしいほど平然としている件のTシャツ男。二人を交互に見ながら、グレンデは不敵に口角を吊り上げ。


「まんまと一杯食わされた君の負けということだ、クロイス少佐」


 厚みのある声でそう告げるのだった。


おかげさまでブックマークが300件に到達しました。皆様ありがとうございます!

また評価などもつけていただき感無量です。

アクセス数もコツコツ増えているのが励みになっております。読んでくださり本当にありがとうございます!



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