第50話 その者の名は
「管理者?」
胡乱げに首を傾げたのはジュリ。彼女が今いる場所は一堂邸中央館の玄関先。一堂家次男夫妻の長女は社会勉強という名目で真冬に出迎え組のメンバーに抜擢された。妹のミリーとは別行動だ。ちなみにミリーは瀬川やグラスらと共に混乱する屋敷内の対応にまわされた。そうだ。妹は今もそっちで頑張っているのだ。
「ちょっと天。いきなり何わけのわからないことを言ってるのだよ」
場違いなのは自分でもわかってる。だが自分もミリーに負けてられない。ジュリが天を注意しようと動いたのは、そんな若々しい使命感からだった。
「だいたい天はさ――」
「動いちゃだめよッ!」
その時、天に近づこうとしたジュリに大声で待ったをかけた者がいた。
「マ、マリーさん?」
「絶対その場から動かないで、ジュリさん」
鋭い警告を発したのは彼女の叔母、大統領秘書官、そして現役のBランク冒険士でもあるマリーであった。
「弥生さんにステラさんも、いいわね?」
「か、かしこまりました」
「こ……こちらも承知しました!」
ジュリの両隣にいた弥生とステラも、ほとんど条件反射のように頷いた。マリーの口調や態度は相手に緊張感を与えるものだった。
「シャロ姉」
「わかっています」
リナとシャロンヌがすっと前に出る。二人は少女達を背中にかばう位置へ移動した。
「屋敷の中はハゲ兄だけで大丈夫かな?」
「問題ないでしょう」
そう答えたシャロンヌの声に淀みはない。
「あの男は腐ってもマスターがその実力を認めた人型のひとり。万が一に備えて屋敷に結界は張っておきますが、これもおそらく徒労に終わるでしょう」
その言を引き継ぐように、リナは言った。
「どうせ天兄とあたしらで、一匹残らず狩り尽くすの」
「そういうことです」
二人の女冒険士の横顔は、ぎくりとするような戦士のそれに変わっていた。
◇◇◇
「これは穏やかではないな」
あっという間に形成された対立の構図を前に、しかしグレンデは涼しげな顔に微笑さえ浮かべて、大仰に肩を竦めてみせる。
「こちらとしては、なるべく事を穏便に済ませたいのだがね」
「……」
天はその声には応えず、無言で真冬の隣に立った。
「ふむ。団体で押しかけた手前、信じてはもらえんかもしれんが、少なくとも我々の側には武力行使の意志はない」
グレンデは対峙する真冬からそちらに視線を移し、言葉を続けた。
「我々が本日一堂家を訪ねたのは、あくまで平和的な話し合いをするため――」
「悪い。少し黙っててくれ」
「ッ!」
そこで初めてグレンデの顔が強張る。
「俺が今用があるのはあんたじゃない」
「……っ」
ただしそれは怒りの面ではなく、何か圧倒的な力に押し負けたかのような、そんな様子だった。
「真冬殿も、少しの間この場を俺に預けてほしい」
「承知いたしましたわ」
真冬は一歩後ろに下がると、当然のことのようにその場を天に譲った。こちらは優雅な笑みをいまだ絶やさぬままだ。
「……さて」
天は決して『その者』から視線を外さなかった。ジュリに話し掛けられていた時も、真冬やグレンデとの会話のあいだも。天はずっと『その者』だけを見ていた。
「もう一度訊くが、何故ここに管理者がいるんだ?」
「それは私に言っているのですか?」
さも不思議そうに小首を傾げたのは、グレンデの背後にいた二人の軍人――そのうちの一方であった。
「他にいないだろ」
ふっと失笑を洩らし、天は言った。
「本人はうまく化けているつもりなんだろうが、残念ながら俺の目は誤魔化せん」
「はぁ、私には先ほどから貴方が何を言っているのか、さっぱり分からないのですが」
「ま、いきなりこんなことを言われても、素直にはいそうですとは言えんわな」
「……よく分かりませんが、私が今日この場に罷り越したのは、あくまでグレンデ将軍の付き添いですよ」
細身の軍人は溜息をつくと、いかにも困ったという顔をしてグレンデの方を向いた。
「将軍からも何か言ってあげてください。これでは肝心な話が一向に進みません」
「ふむ」
グレンデは太い指で顎を撫でながら、ちらりと天を窺い見る。天は先刻までの態度を改めるように、おどけた調子でこう述べた。
「もしかすると、そっちにとっても面白い情報が手に入るかもしれんぞ」
「では許可しよう」
「グレンデ将軍⁉︎」
上官の快答ぶりに、金髪の軍人は非難がましく声を上げる。
「別に構わんだろう」
決して大きくはなかった声は、しかし有無を言わさぬ迫力があった。
「こちらの目的が果たせるならば、話をする相手は俺である必要はない。違うかね?」
帝国軍きっての闘将は、無精髭の伸びた顎を撫でたまま、その者に問いかける。
「し、しかしですね」
「若を叩き伏せた男自らのご指名とは、実にありがたい話じゃないか」
そこまで言って、グレンデの鷹のような目がぎらりと光る。
「それとも、このまま話を続けると何か都合の悪いことでもあるのかね?」
「っ……」
石のように押し黙る部下に、灰色髪の将官は命じる。
「我々のことは気にせず、彼と思う存分語り合いたまえ――クロイス少佐」
その者の名は、クロイスといった。




