第49話 たかがLv100
「来たか」
「思ったより早かったわね」
鮮やかなレッドカーペットの上を悠然と歩く、二人の男女がいた。
「ま、普通に考えて静観はありえんわな」
「それはそうでしょうとも」
軽口を叩きながらも、天は一分の隙もない足運びで、一堂邸中央館の長廊下を進む。その隣を優雅に歩くのは一堂家の女当主、一堂真冬だ。二人が前から歩いてくるだけで、屋敷の者達が条件反射のように道を開ける。双方の背後に各々の身内を引き連れ、集団の先頭を行く天と真冬の足取りには僅かながらの揺らぎもない。
「すべては想定内ですわ」
「ああ、単なる想定内だ」
両者とも、徹夜明けとは思えぬ威風堂々とした佇まいを見せていた。
「瀬川さん。中央館、西館、東館の全館に至急連絡。私の許可が出るまで各々の屋敷から一歩も外に出ないよう、家の者達に伝えてちょうだい。もちろん使用人も含めてね」
「かしこまりました」
「ハゲ。お前もそっちについて行け。いざというときは屋敷の方はお前に任せる」
「承知しましたぞ」
それぞれの主人の声に合わせ、グラスと瀬川が即座に行動を開始する。時刻は朝の十時を過ぎたばかり。一行が朝食を終えて今後のことについて話し合おうとした矢先に、物々しい集団が一堂家の門を叩いたのだ。
「こっちから挨拶しにいく手間が省けた」
「でも、まさかグレンデ将軍を使者として寄越すなんて、ローレイファ様もそれだけ本気ということかしら」
帝国軍最強の猛将グレンデ。英知の英雄ローレイファと同様、エクス帝国でその名を知らぬ者はいないであろう超大物。そんな人物が部隊を率いて訪ねてくる理由など一つしかない。天の足取りがさらに力強いものへと変わる。
「丁重におもてなしせんとな」
「ええ、それはもう」
自分のセリフを取られる形となったが、真冬は別段気にしなかった。そう。十中八九グレンデは天に会いに来たのだ。一堂家当主の真冬に話がある。セイランの元婚約者である弥生に事情を聞きたい。それらはすべて建前であってメインではない。真冬はそのことを弁えていた。
「どうやら、向こうは俺の戦力を知っているようだ」
「そのようですわね」
だからこの点においても同意せざるを得ない。誰もが認めるエクス帝国最強の男と、その将が率いる精鋭部隊。いくら皇族の顔に泥を塗られたとはいえ、たかだか一貴族を相手にこの戦力の投入は過剰もいいところだ。恐らくローレイファが息子セイランと弥生の結婚を急に認めたのも、天が淳や弥生達と以前チームを組んでいたことが大きく関わっているのだろう。真冬は今回のことで、そこまで当たりを付けていた。
「なんなら、この場はこちらに丸投げしてくれて構わんが」
熟考に沈んでいた真冬に、天は言った。
「真冬殿も徹夜明けで辛いだろう。今からでも仮眠をとって、ゆっくり休んでいてくれ」
「ご冗談を」
真冬はくすくすと笑う。こんな面白いものを見逃す手はない。ぜひ特等席で観戦させてもらおう。真冬の言葉が決して家長としての責任からくるものではないことを、訊ねた天も分かったのだろう。天はおどけるように肩を竦める。
「いいのか? 下手をすれば軍隊とやり合うことになるが」
「あら、それなら何も問題ないはずだわ」
真冬はにこりと微笑んで言葉を重ねた。
「この一堂真冬に牙を剥くものは、たとえ大国の軍隊であろうと殲滅する。あのとき天殿は、確かにそう仰られたもの」
「そうだったな」
これは一本取られたと、天は一つ頷いた。
「真冬殿の身の安全は、俺が保証しよう」
「うふふ。頼もしいわ」
真冬はうっとりした顔でそう述べた。
◇◇◇
一堂家本邸の敷地には大まかに分けて三つのルートが存在する。それぞれのルートが中央館、西館、東館へ続く道を示している。どれも美しい緑に囲まれた道みちだ。
そんな邸内の道中を満喫する、ひとりの男がいた。
「んー、実に清々しい空気だ」
灰の破壊者の異名を持つ、五大勢力の一角たる帝国軍の大将軍、グレンデである。
「喜べ諸君。本日は絶好の散歩日和だ!」
「仕事でなければですがね」
「は、ははは……」
朝のうららかな陽光の下。栄えある帝国軍の三将校が中央館へのルートの行軍を開始したのは、天達が動き始めた頃とほぼ同時刻であった。
◇◇◇
「全くもって理解に苦しみますね」
肩まで伸びた金色の髪をかきあげて、青年の軍人は露骨にぼやいた。
「皇族の面子を潰されたのは分かります。しかしその報復を行うにしても、なぜ我々が動く必要があるのですか?」
「言葉を慎みたまえ、クロイス少佐」
グレンデは己の副官、クロイスを太い笑みとともに窘める。
「本日我らが行うのは、あくまで平和的な話し合いだ。その点を履き違えてはいけない」
「大隊まで引っ張り出しておいて、よく言いますね」
「あれは保険だよ。現に屋敷の門をくぐったのは、ここにいる三者だけではないかね」
にやりと部下にそう返して。グレンデは自分とクロイスの前を歩く、エルフの女性軍人に声を掛けた。
「ミリンダ大尉」
「はっ!」
案内役として前を行くミリンダが、器用に歩きながらグレンデの方を振り向いた。
「うむ。君はやはり魅力的な女性だ」
「は……え⁉︎」
不意打ちを食らったミリンダは生真面目な表情を崩し、長い耳の先端まで赤く染め上げた。そんな彼女の反応を楽しむように、グレンデはにっと太く笑った。
「昨晩はフラれてしまったが、どうかね? 今夜あたり、また誘わせてはもらえまいか」
「い、いえ、それは」
「グレンデ将軍」
助け船を出した、という訳でもないだろうが。上官の悪癖に慣れきっている副官が、顔色ひとつ変えず二人の会話に割って入る。
「そろそろ教えていただけませんか? 我々第一大隊が動く必要のある、本当の目的を」
「和睦と偵察。叶うことなら引き抜きもだ」
グレンデはあっさりとそれを認めた。
「そして俺自身が興味を持った。是非ともその男に会ってみたいと思ったのだ!」
グレンデの灰紫の瞳には強い意志の光が満ちていた。クロイスは処置なしとでも言うように、額に手を当てて嘆息する。
「相手が貴族と平民なら、城塞なり皇宮なりに呼びつければ済むでしょう」
「文句があるなら、俺ではなく我らが司令官殿に言いたまえ」
結局はそこに行き着く。クロイスはむぐっと押し黙り、さも不機嫌そうに芝生の道を歩いて行く。詰まる所、このエリート将校は最初から全部分かっていたのだ。そのうえで気心の知れた上司に愚痴をぶつけているのだ。
「しかし未だに信じられませんね。Lv100に到達した人型がこの世にいるなんて。グレンデ将軍や魔皇エインですら、Lv75がせいぜいだというのに」
「この情報に関する信憑性は、極めて高いと思われます」
そう述べたのはミリンダだ。
「私はその話を、シスト大統領の口から直接お聞きしましたので」
「ああ、そういえば君は以前、私達の留守中に冒険士の皆様方を我らが帝国にお運びしたんだっけ?」
クロイスの言葉には皮肉という名の棘があった。ミリンダは俯きがちに視線を逸らしながら「……はい」と返事をする。
「あのときシスト大統領から聞かされたお話が真実であれば、セイラン殿下が敗れたのも頷けます。実際の話、素手で折られたという件の銀鋼器のレイピアを、私も現場で見ていますので」
「なにか特殊なスキルを持っているだけだと思うがね。噂の出所がシスト王で、その者が冒険士なら、少なからず情報操作はされているだろうし」
この議論については帝国軍の上層部でも意見が割れていた。もっとも大半の者はクロイスと似たり寄ったりの考えだ。ミリンダの意見は少数派と言っていい。さらに彼女も百パーセントそれを信じているかといえば、微妙なところだろう。つまりは皆が半信半疑。簡潔に言えば、それが帝国軍の花村天に対する統一意見である。
「だからこそ、この目で確かめるんじゃあないか!」
違うかね諸君、とグレンデは一際力強い足音を立てて前進し。そしてぽつりと呟いた。
「まあ、もうその必要はないかもしれんが」
「「?」」
クロイスとミリンダが顔を見合わせる。
「君達は感じないのかね」
そう言ってグレンデは前方を睨み据えた。
「くくく。この肌がひりつくような感覚、さしずめ猛獣の檻にでも入れられた気分だ」
この先に一体どれほどの化け物が待ち構えているというのか。未知への期待と嵐の予感に、グレンデはごくりと喉を鳴らした。
◇◇◇
……なんだアレは?
「これはこれは、一堂家の当主殿自らお出迎えとは痛み入る」
「こちらこそ。帝国軍が誇る誉れ高き猛将、グレンデ様にご足労いただけるとは思いもよりませんでしたわ」
……人なのかアレは?
「この度のことは誠に残念に思っている」
「当家も突然の話に混乱しておりますわ」
……アレがたかがLv100だと?
「お二人は社交界でも広く知られた婚約者同士であった。それがまさかこのような結末を迎えようとは。いやはや心の痛むことだ」
「本当に。我が孫娘弥生とセイラン殿下との結婚が破談になったことは、当家としても無念でなりません」
普段よりも口数が多くなっているのが自分でも分かる。
「まさに悲劇だ。しかして、それは男同士の決闘によって決められた約定と聞く」
「私も当人達からそう聞き及んでおります」
それはこの目の前にいる絶世の美女の気を引くためか? 違う。
「であるならば、第三者の我々が口を挟むのは、いささかならず無粋と言わざるを得ないだろう」
「はい。まさしく仰る通りかと」
それは自軍の優位性を示すために考えを巡らせているからか? 違う。
「ただ同時に、こちらにも立場というものがあるのでね。そのあたりをご理解いただけると有難い」
「ええ、もちろん重々承知しておりますわ」
それは彼女、一堂真冬の背後にいるアレへの緊張を隠すため……胸の奥底で蠢く怖気を紛らわすためだ。
「――なあ」
不意に発せらた男の声。グレンデは咄嗟に愛用のハルバードを抜きそうになった。
「なんでここに管理者がいるんだ?」
しかしてそのTシャツ姿の男は、こちらを見てすらいなかった。




