第48話 来訪者
「こんな素晴らしい日に宴の席を設けないなんて、大罪だわ」
冒険士協会零支部特異課の殲滅担当こと花村天と、一堂家の現当主たる一堂真冬。両者の協力関係も無事に成立し、真冬がこの世界初の『英族』へと至った後。諸々のお祝いとして、一堂家当主の真冬が心づくしの晩餐会を開いてくれた。
会場はそのまま貴賓室が使われた。
参加者はもちろん、事情を知る関係者のみだ。ただ、何分急な話だったので、最初は屋敷のコック達も難色を示した。だが――。
「できるわよね?」
真冬のこの一言により、すぐさま大量の料理が部屋に運ばれてきた。最高級霜降りのステーキ、焼きたてのローストチキン、見るからに本格的なピザやスパゲッティ、湯気の立った白身魚のスープ、みすみずしい野菜に色とりどりの果実。一流レストランさながらのディナーに皆が舌鼓を打った。
「兄様もここにいらっしゃれば……」
「淳もあんなことがなければね……」
「お姉も弥生お姉様も、その言い方だと誤解を招くから」
それから食後のコーヒーや他愛のない雑談など、真冬達は思い思いの時間を過ごしていた。そして時計の針が午後の十一時をまわった頃。宴もお開きという雰囲気の中――
「――そろそろ始めるか」
天が突然、次のようなことを言い出した。
「これからここにいる皆に『練気法』という特殊な呼吸法を教える」
さて腹も膨れたところで、と天はあらかじめ定められていたことのように一同の注目を集めたのだ。
「各自、俺とのパーティー登録を完了し次第開始する。悪いが今夜は全員徹夜だ。それから『練気法』を既に身につけている者は、他の者のサポートに回ってほしい」
「かしこまりました」
「私でお役に立てるのなら、喜んでお手伝い致しますわ」
「ああ、だからさっき瀬川さんとハゲ兄をわざわざ呼び戻したんだ」
いきなり教官モードに突入した天。居住まいを正しつつこれに応じたのはシャロンヌとマリーだ。そして晩餐会には普通に参加していたリナが、高級そうな焼き菓子をヒョイヒョイとつまみながら、納得の声を上げた。ちなみに現在リナに代わって貴賓室の見張り役をしているのは一堂家のメイド長、瀬川執事長の娘、ステラの母にあたる人物だ。余談だが、ステラは執事長の祖父よりもメイド長の母親のほうが怖かったりする。そんなステラが、給仕をしながら驚きの声を上げる。
「私や祖父も、花村様とパーティー登録をするのですか⁉︎」
「そうしないとスキルを授けられんからな」
天は生徒の質問に答える先生のようにフランクに説明した。
「『練気法』はともかく『状態異常無効』の方は俺とパーティー登録をしないと授けられない。わかったら早く準備してくれ」
「そんないきなり……え? 状態異常無効?」
ステラは目をパチクリさせながらその言葉を復唱する。なお真冬は既にステラの発言禁止令を解いている。なのでこの程度なら一応ギリギリセーフだ。
「お二人には、真冬殿の護衛として最低限の力を付けてもらう」
天は理解が追いつかない状態のステラを放置し、言葉を続けた。
「これはその為に、必要な措置だと思っていただきたい」
「承知いたしました、花村様」
瀬川は恭しく一礼すると、当然のように天の指示に従った。天がなぜ瀬川やステラにまで自分の秘密を明かしたのか、こちらはその意味を正確に理解したのだ。なお、天が真冬のことを『一堂殿』から『真冬殿』と呼び方を変えたのは、単に本人から「私のことは真冬とお呼びください」とリクエストされたからだ。決して深い意味はない。少なくとも天はそう思っている。ただどこかのエルフな秘書さんは、その際一瞬だけ鋭い目つきを真冬に向けたという。
「ちなみにどちらも『ゴッドスキル』だ」
「「ゴゴ、ゴ、ゴッドスキルッッ!?」」
天がさらっと告げると、何人かが驚愕の声を上げた。ゴッドスキルとはLv5以上のスキル全般をさす。当たり前だが、その獲得難易度はべらぼうに高い。それがいっぺんに二つも覚えられるなど普通なら考えられない。それこそ、吐くならもっとマシな嘘を吐けと罵られるレベルだ。だがしかし、今この場にいる者達は、曲がりなりにも天の素性を知る者達だ。
「まあ、練気法はスキルというより技なんだが」
そんな天の補足などもう誰も聞いちゃいない。若い娘達は、我先にとパーティー登録の準備を始めた。その中には当然のことながらステラの姿もあった。現金な孫娘を見て瀬川が表情を消していたのが印象的である。
「ご教示を賜りますわ、天殿」
真冬はティーカップを手にしたまま親しげに微笑んだ。既に「気」という概念を知っているためか、はたまた天に絶対の信頼を寄せているからか。彼女は誰よりも優雅に振る舞っていた。
◇◇◇
「このようなスキルが存在したとは!」
流石というべきか、最初に練気法を覚えたのは着流し姿の聖騎士、グラスであった。
「体内に力を蓄えるこの感覚、魔装の形成段階に似ていますな」
「……この短時間でゴッドスキルの習得に至るとは、さすがは帝都学園伝説の卒業生といったところですか」
挑むような笑みを浮かべてグラスに近づいてきたのは燕尾服の麗人、ステラである。
「私は現十英傑の一人、瀬川ステラと申します。お会いできて光栄です。暁グラス殿」
「その者はとうに死にもうした」
あっさりそう告げると、ハゲ頭の騎士はスタスタと部屋の隅に移動する。彼の右手には次なる課題、禁書という名の企画書が握られていた。残されたステラは「え?」という表情で固まってしまう。
「本物って、そういう意味だったんだ……」
「……この事も、兄様には黙っておいた方が良さそうですわ」
「絶対にそうした方がいいです。きっとどのお話も、淳お兄様では受け止めきれないですから……」
ジュリ、弥生、ミリーの順に今にも口から魂が出てきそうな重たい声を発する。仲良く同じテーブルについていた三人貴族娘は、ステラの後ろ姿を眺めながら、これまた仲良く溜息をついた。
「天は淳を呼ばなかったんじゃなくて、呼べなかったんだね。なんとなく腑に落ちたのだよ、ボク」
「はい。世の中には知らない方が幸せなこともたくさんありますわ」
「ていうか、なんでアタシがこの場にいるわけ⁉︎ どう考えても部外者だからアタシ⁉︎」
そしてとうとうミリーがブチ切れた。
「キミは使える。そう判断した」
「うふふふ。お目が高いですわ」
天がしれっと答えると、真冬が愛想よく相槌を打った。まるで買い手と売り手のやり取だ。二人の絶対者は上座のテーブルに鎮座していた。傍らにはそれぞれ瀬川とシャロンヌが控えている。この剛の空間に足を踏み入れるには、それなり以上の人生経験が必要だ。
「うう、マリー叔母さまぁ……」
「大丈夫よ。そのうち慣れるわ」
助けを求める姪に人生経験豊富な叔母からのアドバイスといえば、そんな毒にも薬にもならない教訓だけだった。まあこれはある意味自業自得だろう。
「なんなのよあの態度は……死んでるって本人目の前にいるじゃない……それに弥生お嬢様達も……呼ぶもなにも、淳お坊ちゃまは今そんな状態じゃないでしょうっ」
「あら、淳さんの体ならもうとっくに治ってるわよ?」
暗い顔でブツブツ呟きながら戻ってきたステラに、真冬が「何を言ってるの?」とばかりに首を傾げて見せた。ついでながら、天はまだ『そのこと』を真冬には話していない。
「少し考えれば分かることだわ」
一同の視線を集めながら、真冬は言った。
「天殿が我が家にお越しになった理由なんてそれ以外に考えられないもの。そして天殿は今この場にいる。何故なら用を終えたから。なら淳さんの体は、もう完治しているに決まってるわ」
「あー、これは天兄がマックスで口説くのも頷けるのです」
「だろ?」
真冬の非の打ち所のない推理に、練気法のデモンストレーション要員として天の隣に待機していたリナが感嘆の声を上げる。そんな妹分に、天は肩をすくめて見せた。
「うふふ。それと天殿には、うちの次男夫婦も大変お世話になったようで」
「「!」」
皆の視線がまたも真冬に殺到する。中でもとりわけ驚いているのはジュリとミリーのハーフエルフ姉妹だ。
「うそ、なんで?」
「ボ、ボクは喋ってないのだよ!」
慌てるポニテ娘とツインテ娘をよそに。
「貴女達の顔つきを見れば、いやでも分かるわよ。二人とも以前とは全然違うもの」
真冬はくすりと笑う。
「マリーさんはさすがに意識しているみたいだけれど、それでもまだまだ甘いわ」
「……」
「そういえば、少し前に別館訪問の申請が出されていたわね。その訪問日も、昨日あたりじゃなかったかしら?」
「……恐れ入りました」
「やれやれ、こいつはトップシークレットなんだがな」
肩を落として早々に白旗を上げたマリーに目配せしながら、天は苦笑と共に『それ』をドバイザーから取り出した。
「ミスリルの剣よりはいくらか硬いが、それでも俺にとっちゃ紙粘土みたいなもんだ」
「まあっ」
ごとりとテーブルに置かれた首輪型の魔導具。その残骸を見て真冬が目を輝かせる。天はわずかに声を低くして言った。
「わかっているとは思うが、この事はくれぐれも内密に頼む」
「もちろん心得ておりますわ。後ろにいる二人共々、決して他に口外しないと誓わせていただきます」
その後ろの二人、正確にはその内の一人だが、度重なる驚愕のためか、眼鏡をずり下げて酸欠状態の金魚のように口をパクパクさせていた。
「そ、それではミレーナ叔母様はっ!」
驚きと期待の入り混じった瞳でジュリとミリーを見たのは弥生だ。
「うん、まあ、そういうことなのだよ」
ジュリは頬をぽりぽり掻きながら言った。
「弥生お姉様。機会があれば、今度ご一緒に別館に参りませんか? きっと母も喜ぶと思いますわ」
そしてミリーがそう述べた瞬間。弥生は感極まった表情で二人に抱きついた。彼女がこのように感情を爆発させるのは非常に珍しいことだ。それが一堂家当主、真冬の面前となれば尚更だろう。しかしそれでも、弥生はその気持ちを抑えきれなかったのだ。
「良かった、本当に良かったですわ……!」
「ちょ、弥生。苦しいからっ」
「あぁ、弥生お姉様に抱きしめてもらえるなんて、まさに夢見心地ですわ」
言っていることこそ真逆だが、弥生に抱かれながら照れ臭そうにしてるのはジュリもミリーも一緒である。今の彼女達からは、苦楽を共にしてきた身内だけが持つ絆のようなものが見受けられた。
「あなた達。戯れ合うのもその辺にして、そろそろ練気法の訓練に集中しなさい」
眼鏡を持ち上げながらそう言ったのはマリー。締めるところはきっちり締める。それが年長者の役目である。ただし、この時に限っては怖い叔母様の声からいつもの厳しさが微塵も感じられなかった。
「シャロ。コーヒーを淹れてくれないか。眠気覚ましにとびきり苦いやつがいい」
「かしこまりました、マスター」
そんなこんなで夜は更けていく。
「なんと! ステータスにこのような秘密が隠されていたとは!」
最終的に、初日で練気法習得と企画書読破の二つの課題をクリアできたのはグラスと真冬、そして瀬川(祖父)だけであった。
◇◇◇
そうして翌朝。その男はやって来た。
「ここかね」
それは猛獣の唸り声にも似ていた。一堂家本邸の大門を見上げながら、男は言う。
「うむ。いい。この堂々たる門構え、実に見事なものだ。流石は一堂家。名家の名に恥じぬ立派な玄関じゃあないか」
男を先頭に、赤と黒の軍服に身を包んだ一団がその行進を止める。朱色の門の前に集まったのは見るからに物々しい集団。辺り一面に戦場の匂いが立ち込める。およそ清々しい朝とは無縁の雰囲気を醸し出している彼等の胸には、帝国軍切っての精鋭部隊、特科第一大隊の証たる双頭の獅子を象った銀の勲章が鈍い光を放っていた。
「ミリンダ大尉」
「はっ」
朝の光を浴びてキラキラと輝く金髪を揺らし、男のもとに駆け寄ったのは、エメラルドの瞳をした女性の軍人であった。
「君は若のお供で、これまでも何度かこの家に来たことがあると聞いたが?」
「は! つい昨日も来たばかりであります!」
「よろしい。では早速、我らの訪問を取り次いでくれたまえ」
「了解しました!」
堂に入った敬礼を披露した直後。ミリンダと呼ばれる女性軍人は足早に門へ近づき、慣れた手つきでタッチパネル式の呼び出し魔導具を操作する。
「ああミリンダ大尉。先方にはこう伝えてもらえるかね」
灰色の髪を櫛で整えながら、にやりと獰猛な笑みを口元に浮かべて、かの来訪者は言い放つ。
「帝国軍のグレンデが来たとな」




