第47話 英族
【人型強化計画】
――こちらの世界には「レベル」という概念がある。
――こちらの世界には「トレーニング」という概念がない。
――こちらの世界には「スキル」という概念がある。
――こちらの世界には「技」という概念がない。
――こちらの世界には「魔力」という概念がある。
――こちらの世界には「気」という概念がない。
これらについては必ずしも明確でない部分もある。だが、あえてここでは確信という言葉を使わせていただく。
「スキルと技は、同じものではないか」
「ではスキルとは、レベルも上げず、魔石も使わず、儀式も行わないで身につけられるものなのか?」
例えば上記のような問答があったとする。これに対し、こちらの世界の大半の者はNOと答えるだろう。何故なら彼等にとって魔技や剣技などのスキルは、レベルアップやドバイザーのランクアップによって習得するのが常識だからだ。
しかし、これは我々の世界では「技」とは言わない。
技とは習い、磨くものだ。レベルアップのおまけで自動的に身につくものでは断じてない。あちらの世界のいち格闘家として断固抗議する。とまあ、前置きはこの辺で止めておくとしよう。
命題。ではこちらの世界に「ない」ものを全て「ある」に変えた場合、この世界の人型は一体どのように変化し、またどのような進化を遂げるのか?
著者 花村天
◇◇◇
「……」
真冬はその企画書の1ページ目に、再び目を通した。
『俺と一緒に、世界を変えないか?』
真冬の心は稲妻に打たれたように痺れていた。真冬の体は炎に焼かれたように熱いままだ。天の言葉は決してはったりではない。彼から渡された資料に目を落としながら、真冬はそれを確信する。事実、そこにはこの世界の常識を覆すほどの事柄が、いくつも記載されていた。
「字が読みにくかったり、内容が分かりづらかったらすまない。何分学がなくてな」
「……問題ございませんわ」
やっとの思いで吐き出した言葉は、お世辞にも気の利いたものとは言いがたい。天のほうは相変わらずの調子だが、今の真冬は軽口を叩く余裕すらなかった。真冬の手には件の資料と共に汗が握られていた。
学がない? 冗談じゃない。
こんな知識を持っている時点で、こんな事を考えつく時点で、その頭脳も精神も賢者と呼ぶに相応しい。更には魔装剣技を素手で受け止め、そのままミスリルの武器を腕力のみで破壊する驚異的な身体能力。まさに理不尽の塊である。
……英雄の血を引く生粋の皇族でも、手も足も出ないわけね。
真冬は読み終えた紙の資料をそっと手元に置くと、冷めた紅茶で構わず喉を潤した。優雅さとは程遠いが、高ぶる気持ちを鎮めるには案外役に立つ。
「正直、強いショックを受けておりますわ」
「だろうな。だがこれは紛れもない真実だ」
「ええ。それはもう十二分に承知しておりますわ」
嘘ではない。真冬は『それ』を身をもって知った。
「一度目を通した上で、この企画書が禁書に指定された理由がよく分かりました」
「ご理解いただけて何よりだ」
苦笑を浮かべる真冬に、天はしてやったりの表情を浮かべ返してくる。普段とまるっきり逆の立場に置かれながらも、真冬は不思議とどこか心地よいものを感じていた。
「初めは、このような資料を安易に見せて平気なのだろうか、とも思いましたが」
「お察しの通りだ。資料の中で洩れて不味いものには予めロックがかかっている。三柱様は存外そういった工夫に余念がない」
「そのようですわね」
早い話、天から渡された資料には規制がかかっていた。それはずばり情報規制。それも人型という種として抗えないほどの強力なもの。真冬が資料を読みながら何気なく口にしようとした言葉、質問、それらはことごとく却下された。見えない力により発言を規制された。真冬は『それ』が禁忌なのだと瞬時に理解した。故に真冬は、企画書内の数多もの情報の選別を既にあらかた済ませていた。
「概念がないとそこには書いたが、同じ言葉ならどちらの世界にも存在する」
「ただその言葉が指し示す意味が互いの世界で異なる、つまりはそういうことですわね」
だからこのように話を振られても、まごつくことはない。天は「さすがだ」と言わんばかりに一つ頷いた。
「例えば『魔力』という言葉は、俺の世界では『人を惑わせる力』という意味で使われることが多い」
「こちらの世界でもその使い方は間違いではないけれど、一般的かといえば決してそうとは言えないわ」
真冬は言った。
「『レベル』や『ステータス』にしてもそれと同じことが言える」
天はドバイザーを操作し、その項目を開いてテーブルの上に置いた。
Lv 120(第三段階)
名前 花村 天
称号 格闘王
種族 伝説超越種
最大HP 44000
体内LP 1150万
力 940
耐 999(+1998)
敏 921
知 150
:
:
:
立ち位置的にその馬鹿げたステータスが見えてしまったのだろう。背後から悲鳴を噛み殺すような気配があった。おそらくはステラだ。失態続きの部下だが、真冬は声を上げなかったことを密かに評価してやる事にした。
「俺の世界では、こんな風に個人のステータスは数値化されていない。無論こうして見ることもできない」
「それはそれは」
なんにせよ、彼との『商談』を邪魔されなければ、真冬としては何でもいいのだ。
「モンスターを倒して、その経験値でレベルを上げて、ステータスを上げる。そんなのはこっちじゃフィクションの中だけの話だ」
「ただその代わりに、そちらの世界ではレベルを上げずとも、ステータスを上げる方法が存在する」
「ああ。俺はレベルに関係なく、人型を強化する方法を知っている」
天は頷きながら言った。
「断言するが、人は魔物と戦わなくてもステータスを上げられる。そして俺はその人型強化理論、トレーニング方法を知っている」
これがこの計画の最大の焦点となる。
「それ故に花村様は、これほど超人的な力をお持ちなのですね」
「そういうことだ」
真冬の言葉を咀嚼するように、天は首を縦に振った。
「先にも述べたが、もともと俺の世界ではレベルという概念がない。極端な話、全人類がレベル1だ」
「なればこそ、そちらの世界では肉体や技術を向上させる術が発達した」
「そう。そしてそれらを踏まえた上で、この世界にはレベルが存在する。スキルが存在する。ドバイザー等数多くの人類を強化する手段が存在する」
「そんな互いの世界の歴史と英知を合わせたら、果たして我々人型にどのような変化をもたらすのか、また世界はどのような変貌を遂げるのか。ああ、興味が尽きませんわ」
「同感だ」
それが人型強化計画。
「このプロジェクトは、かの三柱様も強く推進しておられる」
「はい」
「だが生憎と、俺には知識はあっても、その事業を起こすだけの資本も、労働力も、経営のノウハウも何もない」
「だからこそ、この私と、一堂家の力が必要ということですわね?」
「その通りだ」
一堂家はもともと商人の家だ。そこから帝国の名門貴族にまで成り上があった。貿易に不動産、ホテル経営やレストラン経営、他にも様々な事業を世界規模で展開している。そんな一堂家の現当主である真冬は、エクス帝国でも有数の資産家だ。スポンサーとしてこれほど適した人材もいないだろう。
――この事業は莫大な利益を生むわ。
そして、真冬の中では既に成功のビジョンが見えていた。全く新しい概念に基づいたステータスの上げ方。トレーニング器具をはじめとした異世界の英知の結晶の数々。それに加えて三柱神の後ろ盾まであるのだ。ここまでお膳立てされて結果を出せなかったら、その者は無能以下の生ゴミだ。そうなると、残る問題は利権の配分だが。
「ああそれと、この事業に関する権利うんぬんは全て一堂殿が決めてくれて構わない。なんならそっちが全部持っていってもいいぞ」
「「なッ⁉︎」」
いくつかの声が重なる。思いもよらぬ天の申し出に素っ頓狂な声を上げたのは、真冬だけではなかった。
「俺の目的は、あくまで今回の一件の責任を取ること、そして一堂殿を協力者として引き込むことだ。これ以上何か望んだら、バチが当たるというものだろう?」
「……」
さすがの真冬も、これにはただただ唖然とするばかりだ。
「一堂殿は少し勘違いをされているようだ」
そんな真冬を見て、天は軽く肩を竦める。
「俺が淳達の立場を守るためだけにこの話を一堂殿に持ちかけた、そう思ってないか?」
「……違うと言うのですか」
「それだけで出会ったばかりの人間に、こんなアホみたいに個人情報を公開するわけがないだろ」
真冬は思わず鼻白む。天がいきなり態度をがらりと変えたからだ。この時、天が何を言いたいのか真っ先に気づいたのは、真冬の背後に立っていた瀬川だった。白髪の老執事は表情をまるで崩さずに、心の中で笑ってしまう。天のその態度は、真冬が「心外だわ」と瀬川に愚痴を言うときとそっくりだった。
「例えばの話をしよう」
天はテーブルの上に置いたままのドバイザーの画面、正確には自分のステータスを指差しながら言った。
「例えば一堂殿が個人で帝国と事を構えたとしよう。その際、誰か一人だけ他者の助力を得られることになった。この者は一堂殿にとってたった一人の貴重な人材だ。帝国の大軍に勝利するための手段、唯一の戦力だ。この人選いかんで、一堂殿の命運が決まると言っていい」
そこで単刀直入に訊くが、と天は真冬にこんな質問をした。
「果たして一堂殿は、俺以外の者にその大役を任せるだろうか?」
「ッ‼︎」
真冬は大きく目を見開いた。それが答えだった。
「この人型強化計画を進めるにあたり、俺はある権限を三柱様から与えられた」
真冬の口答を待たず、ぴんと人差し指を立てながら、天は言った。
「たった一人、この計画を成功に導くためのパートナーを決めて、その者に『英雄と同格の立場を与える』権限だ」
「「!」」
これにはマリーやグラスも驚いていた。ここにきて未だ眉ひとつ動かさずにいるのはシャロンヌぐらいなものだ。この程度でいちいち動じていては、この男のメイドは務まらないというところか。
天は僅かに微笑みながら、真冬に言った。
「一目見て、あんたしかいないと思ったよ」
「ぁあ、ああ……」
真冬は感激に打ち震えていた。天の飾らない態度が、本心からの言葉が、再び真冬の胸を熱くさせる。
『今夜の俺はとことんツイてるらしい』
『あんたは俺と手を組む。これはもう決定事項だ』
そうだ。天は最初から自分を、真冬自身を見ていたのだ。成金貴族。帝国の皇族や貴族達は、真冬のことをそのように揶揄した。世間の声も似たようなものだ。しかし天は一目見ただけで、真冬に最高の評価を下した。これ以上の人材はいないと判断したのだ。
「一堂殿。人型の可能性ってやつを見てみたいとは思わないか?」
そう問いかけながら、天は右目の瞼だけ持ち上げた。普段の彼は両目とも閉じているような細目なので、その仕草はウインクをしているようにも見える。
「今なら最前列の特等席が空いてるんだが」
「……本当に、あなた様はどこまで私の心を乱せば気が済むのかしら」
真冬はついクスリと笑ってしまう。彼の言う通り、答えなど最初から決まっていた。
「弥生さん、ジュリさん。よくやりました」
そして孫娘達の方を見て、真冬は言った。
「この縁を我が家にもたらしてくれた貴女達と淳さんに、一堂家の当主として心から感謝を申し上げます」
「もも、勿体ないお話でございますわっ」
「ボ、ボクも、じゃなくて私も! 身に余る栄光です!」
「それを言うなら勿体ないお言葉だから、身に余る光栄だから……」
弥生とジュリの間にいたミリーがぼそりと呟く。二人が動揺しまくっているのは久方ぶりに言葉を発したから、という理由だけではないだろう。
「今この場にいない淳さんも含めて、我が家での皆さんの立場は、この一堂真冬が保証します」
そこまで言って、真冬はおどけた調子で片目を瞑った。
「息子達には私から言っておくから安心していいわ。三人とも、これからは自分の好きなようにお生きなさいな」
「「……ご当主様……」」
弥生とジュリは感無量とばかりに身を震わせ、喉を震わせる。思えば孫達とまともな会話をするのも随分久しぶりだ。真冬はまるで憑き物が落ちたように清々しい気分だった。
「花村天殿」
親愛を込めてその名を口にすると、真冬は丁寧に頭を下げた。
「一堂家の代表として、このお話、謹んでお受けいたしますわ」
「では」
「はい。ともに世界を変えましょう」
真冬は晴れやかな笑顔でそう答えた。
「聞いての通りだ。フィナ、マト、ミヨ!」
天は立ち上がり、高らかに言った。
次の瞬間、部屋の景色が消失する。
代わりに現れたのは白と光の世界。
それはまさに白昼夢のような光景。
不意に頭上から三つの声が届いた。
「ダーリン! なんで女なんか選ぶんじゃ!」
「カカカ、けどこの人選はハナマルだぜい」
「はい。私の目から見ても、彼女ほどの適任者は他におりません」
神々しく輝く黄金色の後光が、白紙の世界をまばゆく照らした。一堂家の面々は、皆一様にあんぐりと口を開けて、その舞台に釘付けになっていた。
かくして、かの存在達は地上に舞い降りたのだ。
「あー、時間もないことじゃしな。さっさと済ませてとっとと帰るのじゃ」
「年中ヒマなくせして何言ってやがんでい」
「ふて腐れ女神は放っておきましょう。――では一堂真冬、前へ」
真冬は促されるまま、吸い込まれるようにふらふらと前に出る。
「あぁ、偉大にして至高なる方々よ……」
そしてドレス姿のまま神前に跪いた。かの存在達は平伏する真冬の頭上に手をかざす。瞬間。星色の光粒が流星の雨となり、真冬に降りそそいだ。それはあたかも、宝石のようにきらきらと真冬の全身を彩った。
「知識神ミヨの名のもとに、あなたに英雄と同格の権限を与えます」
「創造神マトの名において、オメェに英雄と同一の地位を与えるよい」
「生命神フィナの名にかけて、おぬしに英雄と同等の生を与えるのじゃ。それと、くれぐれも儂のダーリンに色目を使わんように!」
それは至高なる神々の言葉。
《我ら三柱の名のもとに、たった今この時より、一堂真冬を『英族』として認める》
それは新たなる人型の進化の道筋。
「三柱神地上代行者、花村天の名にかけて誓おう」
握りしめた拳を胸にあて。
「たった今この時より、俺は一堂真冬と友誼を結ぶ」
天は言った。
「貴女に牙を剥くものは、たとえ大国の軍隊だろうが、残らずこの手で殲滅してやろう」
これにて、花村天劇場は想像の斜め上を行くフィナーレを飾った。




