第46話 人型強化計画
「俺はこの世界とは異なる世界、異世界からやって来た人間だ」
まずはじめに、の冒頭からとんでもないワードが飛び出す。
「それを踏まえた上で、これから話を進めさせてもらう」
こともなげに告げられた真実。自分は何者なのか、という一番の疑問を早々に解消させる大胆不敵さ。恐れを知らぬ威風堂々とした態度。それが絶対的強者の在り方。これがこの男の真骨頂。お城のような屋敷で。登場人物のほとんどが美男美女。その身を包む衣装も鮮やかに飾り付けられた一級品ばかり。そんな中ひとりTシャツ姿で偉ぶる神経は伊達ではない。
「さてご一同、覚悟はよろしいだろうか?」
かくして、花村天劇場の始まりであった。
◇◇◇
「え、ちょ、なにその異世界って⁉︎」
最初に声を爆発させたのはジュリ。あまりに突拍子もない話に、忍耐力の低いハーフエルフの娘は早くも平静さを失う。もっとも、声を上げてしまったのは彼女一人というだけで、驚いている者は当然他にもいる。広々とした客間の真ん中に置かれた長椅子。そこに向かい合わせで座る天と真冬をはじめ、一堂家本邸中央館の貴賓室には合わせて十人の男女がいた。その半数近くが、予想だにしない事態に愕然とした表情を浮かべている。そんな中、今にも溜息をつきそうな顔で口を開いた者がいた。
「奥様からの緊急の呼び出しと聞いて、急ぎ馳せ参じたのですが」
真冬の背後に立っていた執事服姿の若い娘が、眼鏡の下に胡乱な目つきを作る。その声は呆れ半分、疲れ半分といった感じだ。
「これはまた、いつもの奥様のお戯れか何かでしょうか?」
整った中性的な顔立ち。肩まで垂れた明るい栗色の髪。すらっとしたスレンダーなボディ。年齢は十代後半から二十代前半ほどか。その容姿と相まって、女だてらに見事に燕尾服を着こなしている。
彼女の名は瀬川ステラ。
名門一堂家の執事長、瀬川の孫娘だ。そして同時に、彼女は真冬の孫姪でもある。さらに詳しく言えば、真冬の弟の息子と瀬川の娘との間にできた子供だ。なお、一堂家では家の者と使用人との色恋を禁じていなかった。ただし、だからといって誰しもが一堂の家人を名乗れるわけではない。むしろ一堂の姓を与えられない者の方が圧倒的に多い。ステラもその中の一人だ。ただ、彼女の場合は少し立場が特殊なのだが。というのも、ステラはもともと一堂の姓を与えられる側の人間だった。
『瀬川家は、あくまでも一堂の家を支える家柄でございます』
それは長年にわたり真冬の執事を務めてきた瀬川が、初めて主人に対して意見したことであった。結果、真冬が折れた。ステラの母である瀬川の娘も、これを了承した。ステラもその話を幼い頃に両親から聞かされた。
しかしステラは祖父を恨みはしなかった。
ステラの父親は思うところがあるようだったが、ステラ自身は祖父の志に幼いながらも深い感銘を受けた。そして思った。いつか自分も祖父のような立派な一堂家の執事になるのだと。それが瀬川ステラ。帝都サリバー学園の『十英傑』にまで上り詰めたほどの才色兼備、瀬川家きっての才女の根底にあるものだ。
「……」
そんなステラの憧れの祖父も、ステラと同じく真冬の背後に控えていた。まずどうしてこの二人がこの場にいるのか、という話なのだが。天は真冬との交渉を始める前に、彼女にある申し出をしたのだ。
『この場に一人呼び戻したい奴がいる』
そして彼はこう続けた。
『その代わりと言ってはなんだが、一堂殿も自分が信を置く部下を二人ほど呼んでくれないか』
天のこのリクエストに応え、真冬が呼び寄せたのが、彼女の腹心の部下である瀬川とその孫娘ステラであった。
「あなた達、一体誰の許しを得て発言しているのかしら?」
「「――!」」
びくん、とステラとジュリが揃って肩を弾ませる。一堂家の絶対者、一堂真冬の吐き出した吹雪のような冷淡な声が、娘達を一瞬で氷漬けにしたのだ。
「花村様。我が家の者が大変失礼しました」
「構わない。彼女達の反応は至極まっとうなものだ」
天が真冬の謝罪を受け入れた直後。真冬の背後にいた執事長の瀬川が、無言で頭を下げる。孫娘が大変失礼を致しました、そんな声が今にも聞こえてくるようだった。才気に溢れる未来の執事長候補と言っても、瀬川から見ればステラはまだまだ半人前の未熟者ということだろう。
「いきなりこんな事を言われて、信じろという方が無理な話だ」
天は鷹揚に承知していると答えて見せる。事実、天の言葉を肯定するように、貴賓室にいたミリーなどはもちろん、天と付き合いのあるジュリや弥生ですら「妄言だ」「信じられない」という顔をしている。
「だが、どうか俺の話に最後まで付き合ってもらいたい」
「もちろん拝聴しますわ」
しかし真冬だけは、無邪気な子供のように笑っていた。
「感謝する」
天は会釈と微かな笑みを返した。
「…………」
そして天が部屋に一人呼び戻した人物。この場に呼び寄せた信を置く者。自らをハゲと名乗る不出世の天才騎士――暁グラスは、天の背後で毅然とした姿勢で、己が主君の声に全身全霊を傾けていた。
――大事な話がある。お前にも聞いてもらいたい――
騎士は歓喜した。この場への参列を許されたことに。主君の信頼を勝ち取ったことに。その話がいくら荒唐無稽だろうと関係ない。すぐ隣に女であるシャロンヌがいても気にならない。騎士グラスにとって、主君である花村天の傍に立つことこそ、何事にも代えがたい栄誉だからだ。
「この交渉の場において、俺は決して嘘はつかないと誓おう」
天は凛とした声で宣言する。そうして名門貴族の当主、一流の執事達、誉れ高き聖騎士の青年、貴族の娘らが聞かされたのは、この世界の裏の裏事情であった。
◇◇◇
半時ばかりが過ぎた。シャロンヌが部屋の内部に音声遮断の結界を張り、リナが見張り役として扉の外に立った。万が一、和臣と皐月が目を覚まして貴賓室に押しかけてきた場合、また気絶させて構わないと真冬からの了承も得ている。そんな完全防備の中で行われた花村天と一堂真冬の対談は、規格外れ。この一言に尽きた。
「……瀬川さん。ここにいる全員分のお飲み物を用意してくれるかしら?」
「かしこまりました」
外にいるリナの分も含めて、という真冬の指示に従い、瀬川が一礼と共にその場を離れる。
「……」
その間。瀬川の孫娘であるステラは、動く素振りすら見せなかった。ついでながら、真冬はこの祖父と孫娘の二人の執事を、それぞれ「瀬川さん」「ステラさん」と呼ぶ。従ってステラが微動だにせず主人の背後に控えたままなのは、この場合正しい。逆に「自分も手伝います」と勝手に持ち場を離れようものなら、ステラは祖父から厳しい叱責を受けていたに違いない。しかしこの時。ステラがその場から動かなかったのは、いな動けなかったのは、もっと別の理由からだろう。
「人型と邪神軍との戦争が、世界規模で勃発する?」
震える声でそう呟いたステラを、今度は真冬も咎めなかった。
「その助っ人として、天さんはこの世界とは別の、この世界と瓜二つの異世界から呼び寄せられた……」
「……だから天には魔力がなかったんだ」
「いやさ? いくらなんでも話が飛躍しすぎだから……こんな話どう受け止めろっていうのよッ」
ステラの言葉を皮切りに、弥生が、ジュリが、ミリーが恐れおののくように呻き声を上げる。英雄王の第一秘書マリー、Sランクの冒険士シャロンヌ、一国の騎士団長を務め上げた暁グラスらとは違い、ただの貴族とその従者でしかない少女達に『その話』はあまりにも重すぎた。真冬は孫娘達の様子を横目でうかがい、また天に視線を戻した。
「あの子達には、少々刺激が強すぎたかもしれませんわね」
「俺についてはともかく、奴等との戦争のほうは遅かれ早かれ知ることだ」
天は毅然と言った。
「なら、危機を回避するための予備知識として知っておいた方がいい」
「仰る通りですわ」
確かに知っておいて損はない話だ。真冬は仲良く身を竦めるステラと三人の孫娘らをよそに、天の主張をすんなり受け入れた。天は言葉を続ける。
「実際、俺達が西大陸を出る直前にも、ソシスト共和国とタルティカ王国の国境が大型の魔物の群れに襲撃された」
「「!」」
弥生達の顔色がまた一段階青くなる。だからという訳ではないが、天は矢継ぎ早に顛末の後半部分を口にした。
「こちらは既に対処済みだ」
その知らせを受け、少女達がほっとしたのも束の間。
「ただそういった状況を鑑みれば、戦争はもう始まってると言ってもいい」
「それでは、一月ほど前に、エクス帝国に現れたあの二体の〔ヘルケルベロス〕も――」
「当然、奴等が絡んでいる」
そして更に部屋の体感温度が下がる。
「つい先日のことだが、俺は向こうの幹部を二人ほど狩った。そのうちの一人が、間接的にだが例の一件に関わっていた」
「その情報、帝国軍総司令官のローレイファ様が聞きつけたら、きっと喉から手が出るほど欲しがるでしょうね」
真冬は薄笑いを見せる。天は肩をすくめながら言った。
「親父殿にはもう話した。あとはそっちで勝手にやってくれだ」
「うふふ。よろしかったのですか、そんな話を私どもにしてしまわれても?」
「問題ない。なんなら、何かあった際の交渉材料にでもしてくれ」
「承知しましたわ」
天と真冬は軽く談笑していたが、話の内容は下手をしなくても国家機密クラスだ。二人ともそれを分かった上で平然と話しているのだからタチが悪い。
「皆様。お茶のご用意ができました」
銀色のワゴンを引いた老執事が人数分のお茶とお茶菓子を持って貴賓室に戻ってきたのは、孫娘ズの口の中がカラカラになった頃であった。
「皆様のお口に合えばよろしいのですが」
余談になるが、瀬川祖父の淹れた紅茶は美味かった。それこそ、最初にシャロンヌが淹れたそれよりも数段上だった。
「っ……」
その事に本人も気づいたのだろう。完璧主義な美メイドは、出された甘みのある紅茶を渋い顔ですすっていた。
◇◇◇
皆が出された一杯目のお茶を飲み終え、ちらほらと二杯目をおかわりする者が出てきた頃である。
「さて、ここからが本題だが」
天は心持ち身を乗り出し、一服の終わりと話の再開を告げる。「まだ本題じゃなかったの⁉︎」そんな顔をした者が何人かいたが。それを気にする天ではない。ちなみに正面にいる真冬は、いつでもどうぞとばかりに居住まいを正した。こちらは流石の貫禄である。
「一堂殿はドバイザーをお持ちか?」
「もちろんですわ」
天のその質問は、帝国貴族に対して下手をすれば侮辱とも取れるものだったが。天がこの世界の常識に疎いのは、彼の素性を知れば納得もいく。真冬は笑顔で応えて、ドレスの袖から、深いアメジスト色に輝くドバイザーを取り出して見せた。
「一堂殿。俺とパーティー登録をしてもらいたい」
一瞬の沈黙。
「ああ、すまない。まずはこちらを見てほしい。――シャロ」
「かしこまりました」
結構な数の者が固まる中。シャロンヌは音もなく天の背後から歩み出ると、あるものを真冬の前に差し出した。
「これは?」
「まあ、一言で言うと『企画書』だな」
真冬が怪訝な顔で訊ねると、天は彼女が手に取った厚みのある紙の束に目を向け、そう答えた。
「この計画について、一堂殿の率直な意見を聞かせていただきたい」
「……見たところ、まだ何も書かれていないようですが?」
真冬は冷ややかに言った。頭の部分を紐で留めただけの簡素な企画書をペラペラとめくりながら。書類の中身は全て白紙だった。
「その企画書はそのままでは読めない」
「あぁ。そのためのパーティー登録と」
「そういうことだ」
得心がいったと微笑を浮かべた真冬に、天は頷きを返した。
「三柱様から『待て』がかかってな」
「……といいますと?」
「ソレを安易に他者に見せるなと、御三方から釘を刺されてしまった」
天はわざとらしく肩をすくめる。そして三柱神の名前が出て表情を強張らせる真冬へ、次のように解説した。
「こちらとしてはセーブして書いたつもりなんだが、結果的に『禁書』に指定された。ついでに言うと、その中には三柱様から教えられたこの世界の真理に加えて、俺の世界の知識の一部が記載されている」
「それはまた……」
真冬は手の中にある白紙の企画書に目を落とし、息を呑んだ。それが一体どれほどの価値を持つものなのか、帝国の女大商人と呼ばれた真冬に分からないわけがなかった。
「だが、もともと企画書なんてのは他人に見せるためにあるもんだ。だいたいそんな情報制限をされたら、俺がこの世界に来た意味がない」
「……故に苦肉の策として、花村様とパーティー登録をした人型に限り、その情報の開示が許されると」
「やはり一堂殿は話が早い」
言いながら天はどこからか自身のドバイザーを取り出すと、静かにテーブルの上に置いた。そのドバイザーは、月明かりにも似た青白く神秘的な光を放っていた。
「こっちの準備はもう整っている。あとはそちら次第だ」
「……わかりました」
真冬が返答に窮した時間は数秒ほどだ。
「それでは、こちらも直ちに準備しますわ」
「奥様⁉︎」
絶叫のような声を上げたのは真冬の背後に控えていたステラである。
「このような話を信用なさるのですか⁉︎」
「ええ。そうよ」
真冬はそちらを見向きもせず、白く細い指先でドバイザーを操作する。そんな主人を見て、ステラは声を荒げて進言した。
「失礼ながら、この方の話はあまりにも信憑性に欠けております。パーティー登録など危険です!」
パーティー登録を行う。それは平たく言えば個人情報の流出だ。ステータス、ドバイザーランク、無線番号、限られた範囲内なら相手の現在地を特定することも可能だ。これらのことから、パーティー登録はよほど信頼できる者同士でないとまず行わない。特に真冬のような地位も名声も財もある者なら、余計慎重にならなければならない。
なのについさっき知り合ったばかりの男とあっさりそれをしようというのだ。
実際、大国の王族貴族や英雄の情報は、裏に流せば高値で売れる。真冬の側近であるステラが慌てて止めに入るのも無理からぬ話だろう。しかし。
「その話を信じるか信じないか、それを決めるのは私だわ」
「ですがっ!」
「これで二度目ね、ステラさん」
真冬の薄い唇に、冷たい笑みが刻まれる。
「さすがに三度目は無いと思ってちょうだいね?」
「……!」
そしてステラは本日二度目となる氷漬けを味わう。祖父の瀬川が、そんな孫娘を尻目に溜息をかみ殺すような表情を見せたのは言うまでもないだろう。
◇◇◇
「紙に、文字が……」
それは確かに白紙の紙束だった。 それは確かに企画書へと変わっていた。真冬は一心不乱に書類のページをめくる。力強い文字の羅列が、星屑のように煌めく数多の知識が、目の奥に、頭の中に深く刻み込まれていく。今夜だけで幾度衝撃を受けたか、もう忘れてしまった。自分の心臓がこれほどまでに激しく高鳴ることを、初めて知った。資料を持つ手に自然と力が入る。真冬は湧き立つ興奮と武者震いに唇を震わせ、その企画書のタイトルを口にした。
「……『人型強化計画』……」
ごくりと。
真冬は喉を鳴らした。その時である。
「一堂真冬殿」
夢と現の境で、真冬はその声を聞いた。
「俺と一緒に、世界を変えないか?」
昨日までの退屈だった日常。それが幻のように崩れ去っていくのを、真冬は感じた。




