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第45話 交渉の時間

「瀬川さん、でよかったんだっけ?」


「はい、リナ様」


 リナは中央館の医務室を出たところで、扉の脇で待機していた初老の執事、瀬川に声をかけた。


「お喋りに付き合ってほしいのです」


「この老骨でよろしければ、喜んで」


 瀬川は胸に手を当てて慇懃に会釈した。リナは微笑みを返す。


「一堂家の当主様ってどんな人なのか、教えてほしいのです」


「奥様、でございますか」


「そっ」


 リナは頷く。この執事ならば、リナのお喋りの意図、情報交換の申し出を履き違えることはないはずだ。


「そうでございますね……逆にリナ様の目には、奥様はどのように映られましたか?」


「単純な強さはともかく、一目見て寒気を覚えたのです」


 質問を質問で返される形となったが、リナは別段気にしなかった。


「初めに見たときは、こんな人型が天兄の他にもいるんだって思った。あれは努力とか経験とかとは別次元にいる類の人種。それでいてルキナ様やシスト会長みたいな英雄とも違うタイプ。なんというか、生まれながらの勝利者って感じなのです」


「……ご慧眼、感服いたします」


 瀬川の声色はリナを本気で称えているように思えた。


「でも、妙な違和感があったのです」


「と言いますと?」


「うまく言えないけど、あの人はどこかやる気がないというか、生気がないというか」


「……」


 リナの何気ない指摘に、瀬川は今度こそ言葉を失っているようだった。


「……五年前。奥様の最愛の夫、和尚(かずひさ)様がお亡くなりになられた時のことです」


 しばしの沈黙の後、老執事は語り始めた。


「奥様はたいそう嘆かれました。しばらくの間は食事も喉を通らず、悲しみに沈まれておられました。あのとき奥様は最愛の旦那様と共に、生きる意味の一つを失ったのです」


「最愛の人との死別、気力を失くす理由としては十分過ぎるのです」


「はい。お二人は、それはそれは仲の良い夫婦でございましたので」


 そう言って瀬川が腰を折る。


「うーん、こう言うと偏見かもだけど、貴族とかの結婚てそういうのとは無縁と思ってたのです」


「奥様が旦那様とご結婚なされたのは、奥様が十三の誕生日を迎えたばかりの時です。その頃はまだ、一堂家は今のような地位を確立してはおりませんでした」


 瀬川は当時を懐かしむように目を細める。


「奥様は幼い頃から先を見通す力に長けておられました。今思えば、旦那様への求愛も近い将来持ち込まれる数多くの縁談を見越しての行動だったのやもしれません」


「他人に勧められるぐらいなら、さっさと自分で相手を見つけちゃおうとか、そんな感じかな?」


「左様でございます」


 瀬川は目礼しながら答えた。リナは思案顔で顎に手を添える。


「もの凄い行動力と決断力なのです」


「奥様は昔からそうでございました」


 瀬川の優しい笑顔に、リナもつられて表情を緩めた。


「でもそうなると、あの三人娘を残したのも何か意味があるのかな?」


「それは……」


 瀬川が笑みを崩して口ごもる。三人娘とは弥生、ジュリ、ミリーの三名だ。彼女達は真冬に「部屋に残れ」と命じられ、現在貴賓室にいる。他に部屋に残っているのはシャロンヌとマリーだが、こちらの二人と違い、リナはいまいち分からなかった。貴族三人娘をあの場に残した真冬の意図が。


「仮に残すとしても、弥生ちゃん一人で十分だと思うのです」


「……」

 

「このままだと、あのヒステリック夫婦が起きた時にまた面倒くさいことになるの。自分たちを差し置いてー! とか」


「……奥様は楽しんでおられるのです」


 瀬川は観念したように言葉を吐き出した。


「奥様はそうして紛らわせているのです。旦那様を亡くされた失意と、退屈な日常を」


「ああ、それなら問題ないのです」


「は?」


 きょとんとした顔で自分を見返してきたロマンスグレーのナイスミドルに、リナはにっと親指を立てて、こう言った。


「天兄と一緒にいれば、退屈なんて絶対しないから」



 ◇◇◇



 今夜は素敵な夜になりそうだ。


 真冬は彼のメイドらしき紫髪の美女が淹れた紅茶を一口飲んでから、これからメインディッシュの皿に手を伸ばすような心地で話の口火を切った。


「お話を伺う前に、花村様に一つ確認しておきたいことがありますわ」


「ああ。一堂殿のお察しの通りだ」


 真冬の思考を先回りするように、目の前に座る青年は平然と言った。


「今回のことは頭のてっぺんから足の先に至るまで、全てただの『茶番』だ」


「やはりそうでしたか」


 視界の端で、弥生とジュリがギョッとしているのが見えた。辛うじてミリーだけは僅かに顔を引きつらせる程にとどめていたが、それでも瞳の奥を覗けば動揺していることがはっきりと分かる。真冬はいささか白けた気分になった。だからお前達は駄目なのだ。この程度のことなら真冬は一瞬で看破できる。してしまう。虚偽を続けても意味がない。むしろ心証を悪くするだけだ。ここにいる三人の孫娘に限らず、大半の家の者達は真冬とそれなりに長い時間を共にしても、その事に気づけない。真冬を単なる権力だけの独裁者として恐れる。


 しかし、天はこの短時間で真冬の本質を見抜いた。


 これが持つ者と持たざる者の差なのだ。真冬はつい顔を綻ばせてしまう。


「では花村様は、なにゆえセイラン殿下と決闘などを?」


「アレは処理するべきと判断した」


 ぞくりとした。


「ひとまずほどほどに壊しておいたが、次に来たら確実に処分するつもりだ」


「……あのお坊ちゃんが、一体何を?」


 真冬の顔から笑みが消える。鋭利な緊張感が場を支配した。天はかすかに怒気を滲ませた声で答える。


「アレの手に落ちたら最後、淳は死ぬよりも辛い地獄に送られる」


「「「!」」」


「でしょうね」


 三人の孫娘が部屋の隅で狼狽する中、真冬はしれっと頷いた。そんな事は少し考えれば分かることだ。


「皇族が用意した最新の医療設備と治療。確かに聞こえはいいけれど、それを取り仕切るのはあくまでもあのセイラン殿下と、殿下の息のかかった者達ばかり。そんなところに放り込んだら、淳さんは一生飼い殺しにされるでしょうね。弥生さんを繋ぎ止めておく道具として」


「そう。アレに預けても淳の体が治ることはまずない。ただ死なない程度に生かされ続けるだけだ」


 天は断言する。真冬もこくりと頷いた。


「生かさず殺さずで一生誰かの監視下に置かれる。確かに淳さんからすれば、それは死ぬよりも辛い地獄と言えなくもないわ」


「アレは平気でそれができる人種だ。自分の欲望を満たすためなら、どんな手段でも笑って使うだろう」


「弥生さんがずっと渋っていた婚姻を二つ返事で了承したものだから、さらに増長したのでしょうね。昔はもう少し可愛げがあったのだけれど」


「場合にもよるが、情に流される形で従順になりすぎるのは悪手だ。この手段は有効ですと相手に言っているようなものだからな」


「仰る通りですわ」


 そこまで話して、真冬はまた紅茶に口をつける。弥生が顔面蒼白になりながらもこちらを睨んでいるのが分かった。そう。真冬は最初から分かっていた。何もかも知っていた。


 ――しかしだから何だというのだ?


 言ってみれば、この件はすべて孫達の自業自得。身から出た錆だ。チャンスは与えた。それをものに出来なかったのは淳やジュリのほうだ。セイランの甘言に乗せられたのは弥生自身だ。それをこちらのせいにされても困る。真冬はただ知っていたに過ぎない。相手は腐っても皇族の中の皇族。いかに真冬でも抗うことはできない。淳の破滅の運命は決まっていた。この結末は変えられない。そう思っていた――


「――よって俺はアレを排除すると決めた」


 この人外の怪物が現れるまでは。


「アレは淳達にとって害にしかならない。そう判断した。だから潰すことにした。どんな手段を使ってでも」


「……」


 虎の尾を踏むどころの話ではない。エクス帝国第二皇子セイランは『竜の逆鱗』に触れたのだ。真冬はこの時、そのことを悟った。


「安心してくれ。責任は取るつもりだ」


 先刻までとは打って変わり、その声には熱が戻っていた。彼は自分のカップに口をつけながら言葉を続ける。


「ただ、それには一堂殿、あなたの協力が必要だ」


「私の?」


 真冬は思わず怪訝な声を返してしまう。自分は責任を取ってもらう側であって、決して責任を取る側ではないからだ。


「今回の件に関しては、俺はすべての責任を取ろうと思っている」


「ああ、そういうことですか」


 納得した。真冬はカップをソーサーに戻しながら言う。


「確かに私の協力があれば、この家の者すべてを黙らせることは容易でしょう」


「話が早くて助かる」


 そう言って天もソーサーにカップを置く。


「俺が一堂殿に望むものは、一堂家全体の制御と抑制。および一堂淳、一堂弥生、一堂ジュリの家内での優越的立場の保証」


「…………こちらのメリットは?」


 たっぷり十秒の思案を挟んだ真冬の問いかけに対し。


「この俺、花村天との友好関係」


 天は即答した。


「――賭けてもいい」


 そして天は真冬の目をまっすぐ見て。

 不敵に、ふてぶてしく、こう続けた。


「あんたは俺と手を組む。これはもう決定事項だ」


「ッ!」


 その瞬間、真冬の脳裏に在りし日の記憶が蘇った。


『あなたは私と夫婦になるの。これはもう決定事項よ』


 かつて真冬が愛する夫に贈った言葉。

 それは三十年以上も昔の話であった。

 自信と希望に満ち溢れていたあの頃。

 幼い自分と、目の前の青年が重なる。


「さあ、交渉の時間だ」


 真冬の心は、魂は……このとき確かに震えていた。

 

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