第44話 灰の破壊者
「いきなりやって来てなんなのですか、貴方は!」
怒気を孕んだ攻撃的な声が上がった。
「身の程をわきまえなさい‼︎」
「全くだ。一堂家の当主に対して、無礼にもほどがある」
「大体なんですかその下品な身なりはッ! ここは貴方のような下賎な輩がくる場所ではありませんよ!!」
「お、お待ちください、お父様、お母様。その方はっ」
「そうか。君が弥生をかどわかしたという例の冒険士か」
「なっ、この者が⁉︎」
弥生の制止も耳に入らない様子で、いかにも貴族然とした風体の男女が、剣呑な目つきで天を睨む。
「なるほど。今しがたの振る舞いといい、見るからに素行が悪そうだ」
「シスト様のお気に入りだが何だが知らないけれど、貴方のせいで一堂家は破滅よ!」
弥生の両親からの刺すような敵意。加えて貴賓室の中にいた屋敷の使用人達からの奇異の視線が、一斉に天に向けられる。
「マリーさん。ご迷惑をおかけしました」
しかし、天はそれらを全て無視した。
「おかげさまで、無事に目的を果たすことができました」
「それは何よりですわ」
マリーは穏やかに微笑むと、真冬の正面を天に譲るように席を立った。
「て、天。ちょっと不味いってば!」
慌てて駆け寄ってきたのはジュリだ。
「この方はうちで一番偉い人だから。一堂家のご当主様だから……!」
「見れば分かる」
小声で耳打ちしてきたジュリに、天はどうという事はないと返事をした。
「他の奴とは何もかもが違いすぎるからな」
「うふふ。そのお言葉、そっくりそのままお返しいたしますわ」
そして再び、天と真冬は向き合った。
「この度は色々とご迷惑をおかけして申し訳ない。もし許されるならば、事の顛末や諸々の事情等を含め、一堂家の当主殿とお話がしたいのだが」
「伺いますわ」
「ご当主様⁉︎」
「正気でごいますか、母上?」
真冬の笑顔の即答に、弥生の両親は驚きと困惑に顔を歪める。
「和臣さん、皐月さん。あなた達はもう出ていってくれて構わないわ」
そんな二人の方を見向きもせず、真冬はハエでも追い払うかのように手を振った。
「んなっ⁉︎」
「母上。どうか納得のいく説明を賜りたい」
「あら、聞こえていなかったのかしら?」
真冬は息子の質問に対し、さも不思議そうに小首を傾げて見せる。
「私はこれからここにいる花村様と大事なお話があるのです。ですから、あなた達二人は速やかにこの部屋から出ていけ、そう言っているのよ」
「そんな! ご、ご当主様は、我々よりもその男を優先すると仰るのですか⁉︎」
「それはいくらなんでも横暴だ。いくら母上でも、そのような理屈が通るとでも」
「もちろん思っているわ」
真冬は薄笑いを浮かべる。
「私にはそれが許されるの。そして“彼”にもそれが許されるのよ」
「お……横暴よ、そんなの! 認められるもんですか!」
「言うとおりだ。この際はっきりと言わせていただくが、ここ最近の母上は少々度が過ぎている。父上がご健在だった頃は――」
「――シャロ」
ぼそりと。
天は口の中で呟いた。
次の瞬間。
《闇撫》
不可視の暗闇が生み出された。
そして訪れたのは突然の静寂。
一瞬の静けさが座敷内を覆う。
続いて――。
ドサッ、ドサッ。
と、重いものが倒れるような音が二度つづいた。床に倒れ込んだのは二名の男女。皐月と和臣は、そのまま静かに寝息を立てはじめた。
「お父様、お母様⁉︎」
弥生が悲鳴にも似た声を上げる。一方。
「あらあら大変。誰かこの二人を医務室に連れて行ってちょうだい」
その言葉とは裏腹に、真冬の声は相も変わらず余裕そのものである。
「リナ、ハゲ。お二人を運んで差し上げろ」
「アイアイサー」
「承知しましたぞ」
天が指示を出し、リナが皐月を、グラスが和臣を各々抱きかかえる。
「医務室へは私がご案内させて頂きます」
そして真冬の背後に控えいた執事が慇懃に口を開いた。その流れるような対応についていけるのは、この中でも少数派に属する者だけだ。「貴女達も私と一緒に来るのです」という老齢の執事の合図で、固まっていたメイド達もようやく動き出した。
それからものの数分もしないうちに。
豪奢な部屋の中は、ごく一部の関係者のみの静かな空間となった。
「ご苦労をおかけしました」
「こちらこそ、出過ぎた真似をしたようで申し訳ない」
天は真冬が言った「苦労」の意味を履き違えなかった。真冬は妖艶に微笑む。
「時間は有限ですもの。無駄なものは積極的に取り除くべきだわ」
「同感だ」
そうして二人は、示し合わせたかのように向かい合わせで席に着くのだった。
◇◇◇
エクス帝国の首都サリバー。その最北に位置する巨大な赤の要塞。帝国城塞。
『エクス帝国第二皇子セイランが、非公式の決闘で完膚なきまでに叩きのめされた』
この夜。帝国城塞は第一級警戒態勢さながらの物々しい雰囲気に包まれていた。国内に超大型のモンスターが現れたわけでも、法十字教会の上層部がアポなしで視察に訪れたわけでも、聖騎士団から合同演習の申し入れがあったわけでもないのに、だ。
「あの愚息は、私の胃を酷使させる天才ですか?」
帝国軍の最高司令官、ローレイファは司令室のデスクで項垂れながら、呪詛にも似た声を洩らした。
「よりにもよって、かの人物と事を起こしてしまうなんてっ」
「申し訳ございません閣下。私がついていながら……」
デスクの前に立っていた女性の軍人が、ローレイファに深く頭を下げた。彼女は帝国第二皇子警護のSPの一人。ドラ息子の監視役としてローレイファが密かに潜り込ませていた腹心の部下である。
「現場に居合わせていなかったのならば、貴女に非はありません」
「しかし争いの気配には気づいていました。私が出入口の警備などに拘らず、あの時セイラン殿下のもとまで馳せ参じていれば、こんな事にはっ」
「そうですね。せめてあの始末におえない愚息が事に及ぶ前に、私に一報を入れてくれればとは思いました」
「申し訳ございません……」
彼女は重ねて頭を下げる。普段のローレイファならもう少し言葉を選ぶのだが、こんな状況でいちいち部下のケアまでやっていられない。先の『ヘルケルベロス双襲の災い』からまだ一月も経っていない。いまだその傷跡はエクス帝国の各地に生々しく残っている。そんな中での今回の騒動だ。ローレイファは実の息子に殺意すら覚えた。
婚約解消の件は正直どうでもいい。
確かに皇族としての面子は潰されたが、こちらは情報操作でどうとでもなる。自分にとっても汚点には違いないが、馬鹿息子にはいい薬になったのでイーブンとしておく。ローレイファは息子の婚約破棄をその程度にしか認識していなかった。さしあたり問題なのは――セイランが敵に回したその相手だ。
「グレンデを呼びなさい」
手元に用意された熱いコーヒーを一気に飲み干し。ローレイファは言い放った。
「グ、グレンデ将軍でございますか⁉︎」
「そうです」
驚いて顔を上げた部下に、ローレイファは鋼鉄の声で告げた。
「相手は史上初のLv100到達者。ならば、こちらもそれ相応の対策を講じる必要があります」
「で、ですかこの時間帯ですと、将軍は『御部屋』のほうに」
「私は今すぐ呼べと言ったのです」
「! はっ!」
反論は認めない。ローレイファの迫力に女性軍人は慌てて敬礼を行い、駆け足で司令室から出ていった。
「この件を任せられるのは、帝国広しといえどもグレンデをおいて他にいないでしょう」
ローレイファは天を仰いでひとり呟いた。
◇◇◇
その部屋は異様な熱気に包まれていた。
「やれやれ、姉上もたいがい無粋者だ」
特大のベッドマットが敷かれた薄暗い部屋には、十数人もの女たちが横たわっていた。
「昔からそうだ。姉上は弟遣いが荒い。こちらの都合などいつもお構いなしだ。こちらが頭が上がらないことを心得ているのだ。まこと姉というものは始末におえん」
人間、エルフ、獣人、皆が皆汗まみれでぐったりしている。
「人がせっかくこうして英気を養っているというのに――諸君もそうは思わないかね?」
返事はない。周囲から返ってくるのは浅い呼吸音ばかりだ。
「……ああ承知した。すぐに向かうと姉上に伝えてくれ。それはそうと、君も今度ひとつお相手を……はは、切られてしまったか」
軍用無線の向こう側からも色よい返事はもらえなかった。大部屋の中央で胡座をかいていた壮年の男は、いよいよ観念したように腰を上げる。
「すまないが諸君、今夜はこれでお開きだ」
味のある重厚な声が広い室内に響いた。男は分厚い筋肉に覆われた裸体を適当にタオルで拭くと、赤と黒で統一された軍服に袖を通す。
「我が姉君は待たせると鬼女と化すのだ。ああいや、普段の姉上は、主である知識の女神ミヨ様に勝るとも劣らぬ優美な方だがね」
男は鼻歌混じりにオイルを手に取り、乱れた灰色の髪をオールバックに固める。
「それにしても、結婚が決まった花嫁を力尽くで奪い取るとは、なかなかどうして見所がある男じゃないか」
灰紫の瞳がぎらりと光る。髪と同じく灰色の無精髭に囲まれたその口元には、野獣のような笑みが広がっていた。
「これは直接会って名乗らねばなるまい」
身に纏うは王者の風格。数多の者がひれ伏す中を、鋼の獅子は悠然と闊歩する。
「俺が帝国一の雄、グレンデ将軍であると」
帝国軍最強の矛。
灰の破壊者、グレンデ出陣。




