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第43話 変革

 一堂家本邸中央館・特別貴賓室。


 そこは豪邸を絵に描いたような空間であった。広々とした室内。見るからに高価そうな調度品の数々。高い天井には巨大なシャンデリアが優雅にきらめいている。


「弥生さんは、まだいらっしゃらないのですか‼︎」


 そんなゴージャスな部屋に負けず劣らず贅沢を尽くした衣装で身を固めた、いかにも気が強そうなつり目の女性が、本日何度目かになる金切り声を上げた。


「た、ただいま屋敷の者が東館まで迎えに行っております。今しばらくお待ちを……」


「そのセリフはもう聞き飽きたました‼︎」


「ヒィッ」


 そしてまた一人、屋敷の使用人が部屋から出て行く。


「無線もつながらないのか?」


「そ、それが、どうも弥生お嬢様は、こちらで用意したドバイザーを使われていないようでして……」


「困った娘だ」


 そう言って首を振ったのは、口元に清潔感のある髭を生やした長身の男性。彼の周囲では、やはり複数の使用人がオロオロとしていた。怒号が飛び交い、忙しない足音が鳴り続ける。見かけの華やかさとは対照的に、部屋の中は殺伐とした雰囲気に満ちていた。


「もうこれ以上待っていられませんわ!」


「そうだな。私達が直接東館に出向いた方が早い」


 と。


「お待ちくださいませ、和臣様、皐月様」


 慌ただしく部屋を出て行こうとする両者を呼び止める声があった。


「奥様は、お二方に退室の許可を出されておりません」


 他の使用人達とは明らかに異なる反応。一堂家の執事長、瀬川は窘めるようにそう言った。


「瀬川さん。今はそんな事を言っている場合ではないと思うがね」


「そもそも貴方が下の者をきちんと教育していないから悪いのよ!」


「申し訳ございません」


 理不尽な八つ当たりだが文句を言う訳にもいかない。瀬川は頭は下げず、目礼で謝罪を済ませた。


「まったくあの子は何を考えているの⁉︎」


 だからという訳でもないだろうが、皐月の顔はますます険しくなり、その言葉使いもより乱暴なものへと変わる。


「セイラン殿下との婚約を破棄するなんて、絶対に認めないわ!」


「当然だ」


 まるで皐月の顔色を伺うように、和臣は妻の言葉に合わせて深く頷いた。


「マリーさん!」


 そして怒りの矛先は、とうとう中立的立場にある彼女にまで向いた。


「貴女は、この騒動の責任をどう取るおつもりなの‼︎」


「お言葉ですが、今回の決闘は双方合意の上で行われたものです」


 マリーはそちらを見向きもせず、事務的な口調で答えた。


「第一に、先に武器を抜いたのはセイラン殿下の方です。彼はその流れで仕方なく殿下のお相手をしたに過ぎません。それは先ほどから申していると思いますが?」


「そんな理屈が通ると思っているの⁉︎ 相手はエクス帝国の第二皇子なのよ‼︎」


「通るも通らないもありません。これはもう起きてしまったことですので」


 今さら四の五の言っても始まらない。さすがは大国の大統領秘書官。マリーの態度は実に堂々としたものだった。


「ようやく、ようやくこれで一堂家の汚点を拭うことができると思ったのに!」


 一方の皐月は、今にも地団駄を踏まんばかりの形相でマリーを睨み据える。


「あの女といい貴女といい、あなた達は姉妹揃って疫病神だわ‼︎」


「全くだな」


「…………」


 貴賓室の隅にいたミリーは無言のまま表情を消していた。先ほどから延々とこの繰り返し。皐月がヒステリックに声を上げ、その度に和臣が相槌を打つ。マリーはまるで動じていなかったが。


「皐月様」


 瀬川は無機質な声で言った。


「奥様の御前です。お控えください」


「わ、私が悪いとおっしゃいますの」


 皐月の顔が一瞬で青ざめる。その言葉は一堂家の者にとって最後通告。この家において当主である一堂真冬は絶対だ。たとえ何があっても、真冬に対する無礼は許されない。


 ――そんな絶対者の様子が、少し前からおかしかった。


 今しがたの事にしてもそうだ。いつもなら皐月がお家のタブーを口にする前に、真冬が先回りして警告を与える。瀬川の出番など回ってこない。瀬川は失礼にならない程度に、部屋の中央の長椅子に座る主人の顔を窺い見た。そして老執事は眉をひそめる。


「奥様?」


「………」


 強い意外感と驚きから、瀬川は思わず呼びかけてしまう。真冬の顔にいつもの余裕はなかった。真冬はひどく緊張していた。真冬の執事を務めて数十年、瀬川はこんな顔をした主人をいまだかつて見たことがない。


「――()た」


 不意に声が発せられた。マリーの付き添いで来ていたリナという獣人の娘だ。彼女がひとかどの人物であることを、瀬川は一目見た時から気づいていた。


 ……歳こそ孫娘と同じくらいですが、やはり彼女は只者ではありませんな。


 リナはこの部屋を訪れたその瞬間から、ずっと扉の前に立っていた。終始無言で。マリーが真冬や家の者達に一連の経緯に関する事情説明を行っている間も、皐月が和臣を伴い喚き散らしている間も。リナは一貫して傍観者の立ち位置を崩さなかった。


 ――しかし。


 一度口を開き、たった一言呟いただけで、リナは場に秩序と静寂をもたらした。


 コンコン。


 貴賓室のドアがノックされたのは、それから間もなくのことだった。



 ◇◇◇



「――!」


 真冬は思わず長椅子から腰を浮かせる。その者を視界に入れた瞬間、真冬の胸は大きく唸った。


「ご当主様。一堂弥生、只今参りました」


「弥生さん! 貴女は今まで何をしていたのですか⁉︎」


「弥生。私達は混乱している。これは一体どういうことなんだ」


「申し訳ございません、お父様、お母様。ですが、どうかセイラン殿下とのことは、ご理解いただきますようお願い申し上げます」


「理解なんて出来るわけがありません!貴女は一堂家の長男の娘として、セイラン殿下と夫婦になるのです!」


「そうだ。今さら殿下との婚約を破棄するなどと、馬鹿も休み休み言いなさい」


 家で飼ってる小鳥たちが何やらさえずっているようだが、今はそちらに価値を見出せなかった。


 アレはなに?


 真冬はごくりと息を呑む。体はいまだ氷漬けにされたかのように動かない。しかして同時に目を奪われた。ソレは先頭に立って部屋に入ってきた弥生の背後にいた。


「――」


 その出で立ちだけ見れば質素の一言。この部屋にいる誰よりも見すぼらしい身なりをしている。しかしその圧倒的なまでの存在感は神々しさすら感じさせた。真冬の目には立ち昇る黄金のオーラがはっきりと見えた。ソレは間違いなくこれまでの自分の人生の中で初めて出会った存在。王族とも英雄とも違うナニか。人の力の範疇を超越したモノ。ただ一つ断言できることは、先刻から感じていた言い知れぬ戦慄は――この青年が原因だ。


「驚いたな」


「――ッ!」


 真冬の心臓が、ドクンと一つ高鳴った。


「事前に聞かされてはいたが、まさかここまでの人物だったとは」


 その言葉は、間違いなく真冬に贈られたものだった。


「私は一堂家当主、一堂真冬と申します」


 気づけば椅子から立ち上がり、胸に手を当てて、真冬は慇懃に自己紹介をしていた。


「どうぞお見知り置きください」


 そして普段なら絶対に使用しない挨拶の言葉を継いだ。かつてエクス帝国の皇帝に謁見した際にも口にしなかったセリフだ。案の定というか、真冬の一連の行動に周りにいた家の者達は唖然としていた。だが真冬は気にしなかった。それよりも込み上げてくる喜びを止められなかった。おかしな話だが、今日初めて会ったその青年に認められたことが、国から貴族としての地位を与えられた時よりも何十倍も嬉しかったのだ。こんな気分になるのはいつぶりだろう。少なくとも五年前に夫が死んでからは一度もない。真冬は今、自分でも驚くほど興奮していた。


「冒険士協会零支部所属、花村天です」


 彼は他の者には目もくれず、一直線に真冬のもとまでやって来た。一見それは非常識にも思える振る舞いだが、真冬は当然のことだと受け入れた。トップがトップと話をするのは至極当たり前のことだからだ。


「うふふ。私としたことがとんだ誤解をしていたようですわ」


「誤解?」


「はい」


 真冬はにこやかに答える。


「虎の尾を踏んだのは、皇族のお坊ちゃんの方でしたのね」


「……どうやら、今夜の俺はとことんツイてるらしい」


 その瞬間、天の顔から表の仮面が剥がれ落ちるのを真冬は見て取った。


「一堂家の当主殿が、これほど話の分かる人物とは思わなかった」


「最上級の褒め言葉として受け取らせていただきますわ、花村様」


 これが、この世界に大いなる変革をもたらす二人の出会いであった。

 

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