第41話 二人の絶対者
「あらあら、それはまた随分と面白いことになっているわね」
長い黒髪に透けるような白い肌。蠱惑的な魅力を漂わせるかの美女は、実に楽しげに微笑みながら、椅子の背もたれに身を沈める。
「それで、今はどんな感じになっているのかしら?」
「はい、奥様」
美女の背後に立っていた燕尾服の翁が、慇懃に腰を折って流暢に答える。
「まずこの件に関する皇宮の対応ですが、今のところまだあちらからのコンタクトはございません」
「そりゃあね。向こうだってまったくの寝耳に水でしょうから、そんなすぐには対処できないわよ」
「はい」
「そうね……事後処理等諸々の事情を鑑みれば、皇室がこちらに接触してくるのは、早くても明日以降じゃないかしら?」
「左様でございますか」
老執事は当然のように彼女の言葉を受け入れると、腰を折ったまま報告を続ける。
「つい先程、和臣様が屋敷にお戻りになられました」
「あら、思ったよりも早かったわね」
「どうも皐月様に呼び出されたようです」
「それで、うちの愚かなる長子とその嫁の反応は?」
「奥様とは真反対でございます」
「でしょうね」
彼女はクスクスと笑う。
「あの二人が今どんな顔をしてるのか見ものだわ」
「現在ミリーお嬢様がお二人のお相手をなされています」
「あの娘も存外苦労人よね」
「ミリーお嬢様は、あのお歳で周囲への配慮ができるお方ですので」
「ほんと、周りが無能ばかりだと大変だわ」
まるで他人事のように彼女は言い捨てる。
「で、肝心のあの子達はどうしてるの?」
「弥生お嬢様、ジュリお嬢様、淳様は、お三方とも東館にある淳様の自室におられるとのことです」
初老の執事は下げていた頭を上げる。
「和臣様と皐月様が、直ちに本館に来るようにとお呼び立てされているそうですが、弥生お嬢様はいまだ淳様の自室からお出になられないようで」
「まぁ、あの子達の器量じゃこの事態は受け止めきれないでしょうね」
「それが、どうもそういう訳ではないようです」
「どういうことかしら?」
彼女は執事の顔にちらりと目を走らせる。
「なんでも、昼間現場に居合わせた東館のメイド達の話によれば、弥生お嬢様とジュリお嬢様と淳様は、重傷を負われたセイラン殿下の応急治療にすら立ち会うことなくその場を後にしたそうです」
「それって逃げたのとは違うの?」
「はい」
執事はひとつ頷いて答えた。
「これもメイド達から聞いた話ですが、お三方とも逃げたというよりは、何か他に用があるといった素振りだったそうです」
「あら、随分余裕があるわね」
「私も実際にこの目で見たわけではありませんので、確かなことは言えませんが」
「ふぅん、あの箱入りちゃん達がねぇ……」
物思いにふける主人の邪魔はせず、しばしの間を置いたのち、彼女の有能なる執事――瀬川は言った。
「奥様。マリー様が奥様とのご面会を希望されております」
「あら、やっとまともに話ができそうな人の名前が出てきたわ」
返事は分かっていたが、瀬川は形式に則り主人に伺いを立てる。
「いかがなされますか、奥様?」
「会うわ」
一堂家当主、一堂真冬は静かに椅子から立ち上がる。
「いずれにしても、彼女から話を聞くのが今のベストでしょう」
「承知いたしました。では、そのように」
そう言って、瀬川は恭しく頭を下げた。
「それにしても、公衆の面前でエクス帝国の皇族をしばき倒すなんて、一体どんなお馬鹿さんなのかしら」
妖艶な黒い瞳を期待に輝かせ、真冬は書斎の扉を開けるのであった。
◇◇◇
淳の部屋を出ると、天は開口一番に外で待機していた人物に声を掛ける。
「世話をかけたな」
「いえ」
部屋の前に立っていたのは、ショートボブの紫髪が特徴的な見目麗しいメイド。天の有能すぎる右腕、シャロンヌである。
「悪いな。お前らばかりに働かせちまって」
「滅相もございません」
恭しく一礼しながらシャロンヌは言った。
「只今マリーとリナが一堂家当主のもとへ出向いております。念のため、私とあの男はこちらに残らせていただきました」
「そうか」
天はゆっくりと頷いた。誰にも邪魔されず自分が友人達と過ごせたのは、ひとえに彼女のおかげであり、陰で動いてくれていた仲間達のおかげだ。天はそれを疑わなかった。
「さて、休憩時間は終わりだ」
天は肩を回し、首をこきこきと鳴らした。
「早速、休ませてもらった分を取り戻しに行こうか」
「マスター。ここは我らにお任せください」
使命感に満ちた声で、シャロンヌは言う。
「本日はこのまま彼等とお過ごしくださいませ。事後の処理は、我らが責任を持ってお引き受けいたします」
「そいつはありがたい提案だが、却下だ」
天は当然のことのように、シャロンヌの提案を跳ね除ける。
「自分がやった事に対して責任をとるのは当然の義務だ。そして俺には今その義務が発生している。どちらにしろ、ここの当主とは一度話をするつもりだった」
「かしこまりました」
シャロンヌは食い下がることなく主人に頭を下げる。やる気に満ちあふれているのは彼女達だけではない。その事を即座に察してくれたようだ。
「私も参りますわ」
「当然ボクも行くのだよ」
天とシャロンヌがその場を離れようとすると、背後のドアが開いた。部屋から出てきたのは二人の少女。弥生とジュリだ。
「二人には淳についててほしいんだが……」
「そういう訳には参りませんわ」
「そうそう。これはもともとボクらの家の問題なんだ。荷物みたいに置いてくなんて許さないのだよ」
弥生とジュリは、天の提案を断固として拒否した。
「殿下との婚約解消の件は、私が直接ご当主様に話さなくてはならない事ですわ」
「それにボクと弥生がいた方が、中央館にもすんなり入れるし、きっと大御婆様にも会いやすいのだよ!」
二人の瞳には強い意志の光が宿っていた。
「マスター。彼女達を連れて行くのは私も賛同いたします」
シャロンヌが廊下の奥に目を向けながら進言する。
「実は先ほどから、屋敷の使用人達が再三にわたり彼女達との接触を試みております」
「つまり、俺達がここからいなくなれば、どちらにしろ二人は連れて行かれるわけか」
「はい」
シャロンヌは静かに頷く。天は「致し方ないか」と後ろ頭を掻いた。
「オーケーだ。二人とも一緒に来てくれ」
「はいですわ!」「了解なのだよ!」
少女達は花が咲いたような笑顔を見せる。
「いいですか貴女達。くれぐれもマスターの邪魔はしないように。分かりましたね?」
「は、はい!」
「えっと……」
鋭い眼光で釘を刺すメイドさんに、ジュリは上擦った声で返事をし、弥生はおずおずとある事を訊ねた。
「失礼ですが、あなた様とは以前どこかでお会いしたことがありますでしょうか?」
「シャロンヌです。貴女達と同じく冒険士をしています」
「……え?」
その瞬間、少女の時間は止まった。
「過去に何度か『月刊冒険士』の表紙を飾ったことがあります。恐らくはその時にでも私の顔を見たのでしょう」
「――ぇえええええ‼︎⁉︎」
そしてまた少女の時間は動き出した。
「シャ、シャロンヌさまとは⁉︎ ああ、あのSランク冒険士の⁉︎ じょ、常夜の女帝シャロンヌ様でございますか⁉︎⁉︎」
「うん。普通はそうなるよね」
ジュリは哀愁を帯びた顔で、慌てふためく親友の肩にそっと手を置くのだった。




