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第40話 和解

 一堂家本邸東館の中庭。ほんの少し前まで騒然としていた園内は、今は本来の姿を取り戻し、深い静けさに包まれていた。


「はい。まだ公式ではありませんが、セイラン殿下と弥生さんの婚約は解消されました」


 冒険士協会会長秘書、マリーは神妙な面持ちでドバイザーの通信機能を使用する。


「幸い死人は出ておりません。……はい。双方への連絡はこれから行います」


 天とセイランの決闘の後。一人その場所に残ったマリーは、事の顛末をすぐさまシストに報告していた。


「――はい。セイラン殿下はすでに治療を終えて、皇宮にお戻りになられました」


 あくまでも冷静な口調で、マリーは上司への報告を続ける。そして。


「会長。こちらの対応はお任せください」


 インテリ風の眼鏡を押し上げながら、マリーは声に力を込める。自分でも驚くほど、自然にその言葉を口にしていた。不思議と不安は微塵もなかった。あるのは心地よい達成感と、燃えるような使命感だけだ。


「いざとなれば、責任は取らせていただきますわ」


 後悔はありません。言外にそう告げて、マリーはシストとの通信を切った。まず向かう先は、一堂家本邸の中央館だ。


「さあ、次は私がお仕事をする番よ」


 その足取りは決して軽いものではないが、マリーの心に迷いはなかった。



 ◇◇◇



 決闘後。天、淳、弥生、ジュリの旧パーティーメンバーの四人は、屋敷の離れにある淳の自室まで戻って来ていた。別に誰が言い出したわけでもない。ただ自然とそうなった。柔らかな乳白色の部屋で一息つく四人。


 静かだった。


 あんな事があったばかりだ。外は蜂の巣を突いたような騒ぎになっている。ただこの部屋の中だけは、とても穏やかな雰囲気に包まれていた。


「お前、あんなに強かったんだな」


「自慢じゃないが、俺は生まれてこの方一度も喧嘩に負けた事がない」


 なんだよそれ、と車椅子の少年は呆れたように笑った。


「ミスリルの武器を素手で壊すとか、出鱈目にも程があるだろ」


「勿体無いことをしたとは思ってる」


 少年と向かい合わせで座るTシャツ姿の青年は、軽い調子で肩をすくめる。


「あっちから賠償の請求書が届いたら、こっちも壊れた武器のリサイクル料金を請求するつもりだ」


「いや、そういう問題じゃないと思うぞ」


「もちろん折った剣も回収させてもらう」


「いやだからそういう問題じゃないだろ」


 まるで十年来の友人のような。二人の間には互いに遠慮気兼ねしない気安さがあった。


「「……」」


 そしてそんな二人の傍らでは、豊かな黒髪を腰まで垂らした少女と、長い金髪を後ろで束ねた少女が、男達の語らいを静かに見守っていた。


「あれをやると手っ取り早いんだ。武器と一緒に相手の心も折れるから」


「お前って本当に性格が悪いよな……」


「これでも心を痛めているんだが」


「嘘つけよ」


 二人は揃って破顔した。


「相手はエクス帝国の皇子だぜ?」


「それを言ったら、俺は神様直属の部下だ」


「お前、いつの間にそんな出世したんだよ」


「分からん。気づいたらそうなっていた」


「最初あの山奥で出くわした時もそうだったけど、お前ってつくづく得体の知れない奴だよな」


「よく言われる」と青年は言った。

「なんだよそれ」と少年は返した。

 二人の間にしばし静寂が流れる。

 そして……


「……なあ、淳」


 天は真剣な顔でそれを訊ねる。


「どうしても首を縦に振っては貰えんか?」


「……」


 淳は答えず、ただ目を伏せた。


「これは俺のエゴだ。俺が勝手にそうしたいだけだ。当然見返りは求めない。お前が俺に恩を感じることも何一つない」


「……わかってるよ、そんなこと」


 淳は俯いたまま、肩を震わせる。


「最初からわかってた。お前が俺のことを心配して会いに来てくれたことも。お前が無償で俺のこの体を治そうとしてることも。お前があのとき俺達を助けてくれたことも。本当は初めから全部わかってたんだ……」


「……そうか」


「でも、でもさ、あぐっ」


 淳は痛みに身を捩り、車椅子から転げ落ちそうになる。


「兄様⁉︎」

「淳ッ‼︎」


 弥生とジュリが慌てて淳の体を支えようとした。が、誰よりも早く少年の体を抱きとめたのは、彼の目の前に座っていた少年の親友であった。


「淳、治療を受けてくれ。頼む」


「でも……」


 淳は声を絞り出すように言った。


「……俺は弥生の兄ちゃんだから、お前を許しちゃダメなんだ」


「許さなくていい」


 と。


「俺を憎んだままで構わない。俺を許す必要はどこにもない」


「……」


 淳の体を抱きとめながら、天は言った。


「お前の体が元に戻るなら、俺はそれで構まわない」


「…………弥生。ごめん」


 淳は項垂れるように、天の胸に顔をうずめた。


「こいつ、お前に酷いことしたけどさ」


「……はい」


「でも、おれ……どうしても天のことが嫌いになれないんだ……」


 淳は泣きながら言った。


「大丈夫ですわ、にいさま」


 弥生も泣きながら言った。


「私も、天さんのことが大好きですから」


 そして少女は、花が咲くように笑った。


「うぅ、ボグも! 天のことも、淳のことも、弥生のことも、ここにいないラムのことだって! みんなみんな大好きなのだよーー!」


 我慢できずに会話に入ってきたジュリの顔は既に涙でくしゃくしゃになっていた。それから各々がひとしきり泣いた後、淳がおもむろに口を開いた。


「なあ、天」


「なんだ?」


「悪いんだけどさ。この体、治してもらってもいいか?」


「兄様ッ!!」「あつしー!」


 弥生とジュリが、一斉に淳の方を向いた。


「ほら、こんな体じゃ大事な妹もろくに守れないしさ」


 淳はどこか照れ臭そうに、動く右手で鼻の頭をかいた。


「その、頼めるかな?」


「お安い御用だ」


 天は言った。


【生命を司りし一柱フィナの銘の下。かの者が眷属、花村天の名において、ここに《神具 生命の玉》の使用を許諾する】


 紡がれた言霊は、奇跡の陽光を呼びよせる生命の唄。神々しくも眩い光が、傷ついた少年の体を優しく包み込む。腕の中で血色を戻していく友を見て、天はようやく安堵の笑みを浮かべた。


「また会えたな、淳」


「いきなり何言ってんだよ。でも、俺もまたお前に会えて嬉しいかな……天」


 彼等の和解は、ここに果たされた。

 

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