第36話 招かざる客
一堂家本邸の東館。玄関前。シミひとつない白塗りの高級車が、屋敷の駐車スペースを素通りして直接玄関先に停車した。
「……」
「……」
時を同じくして。彫刻のような美貌を持つ二名の男女が、ただならぬ気配を携え、東館の待合室に置かれた長椅子からすっと立ち上がる。
「待つのです」
すかさず彼等を止めたのは、その場でだだ一人座ったままの獣人の娘だ。彼女は淡黄色の犬の尻尾を揺らめかせ、仲間達に落ち着けと目配せする。
だが、二人は引かなかった。
「なんびとたりとも、マスターの邪魔はさせません」
「左様」
それが従者としての自分達の矜恃だと目で訴え返すシャロンヌとグラスに、しかしリナも譲らなかった。
「ここで騒ぎを起こしたら、無理を通してあたし達の同席を認めてくれたマリーさんの顔を潰すことになるのです」
「「……」」
リナの鋭い指摘が、使命感に駆られる騎士とメイドをその場に縫い止める。
「うん。二人が警戒するのも分かる。あの動力車からは少し嫌な感じの匂いがするの」
「ならばっ」
二階の待合室の窓から玄関を見やり、テーブルに頬杖をついて呟くリナに、グラスが焦りの色を濃くして食ってかかろうとする。
「でも、アレは何かに使えそうな気がするのです」
だがしかし、リナの獣の笑みがグラスの攻勢を許さなかった。
「それは勘ですか?」
「もちろん」
打てば響くようなリナの快答に、シャロンヌはふうっと細長く息を吐いた。そして。
「分かりました。あなたがそう言うなら、今はまだ動くときではないのでしょう」
「……こちらも承知しましたぞ」
シャロンヌとグラスは渋々とではあるがリナの説得に応じる。ただ二人して立ったままなのはせめてもの意地か。この二人は案外似た者同士かもしれない。リナはつい苦笑してしまう。
「むむ」
その時グラスが窓の外に目をやり、顔を険しくさせた。動力車からぞろぞろと降りてきたのは、いかにも屈強そうな黒服の男達。そして最後に出てきた銀髪の青年の姿を認めると、今度はリナとシャロンヌが揃って眉をひそめた。
「あれはエクス帝国第二皇子セイラン」
「それって、確か『炎姫』の……」
「はい。あの者はセイレスの実弟です」
「そんでもって、例の弥生って子のフィアンセだっけ?」
「そちらについては私も詳しくは知りませんが、なんでもセイレスの弟は、自分の許嫁に大層熱を上げているそうです」
「あー、なんか色々合点がいったのです」
「ええ。いつかナダイが、この姉にしてあの弟ありとセイレスをからかっていましたが。なるほど、理解できました」
身にまとうのは白のタキシード。乗ってきた高級車と同じく白一色で統一されたキザすぎる出で立ち。まるで自分こそがキミの白馬の王子なんだと豪語するような見るからにアレな大国のプリンスを前に、シャロンヌとリナはただただ目を半眼にして話していた。
「フレイムプリンセス……セイレス……」
そんな女性陣をよそに、グラスはひとり腕を組み、その青々とした頭に疑問符を浮かべ何やらブツブツと呟いていた。それから数秒後、ハゲ頭の騎士は「あぁ!」とひとつ手を叩いて。
「あの一人だけ力不足であった女人のSランク冒険士のことですな!」
思い出しましたぞ、とグラスは軽快に笑った。
「そういえば四六時中シスト様につきまとっていたので、小生は初めの頃、あの者をタチの悪いストーカー女と勘違いしたのですぞ」
「「……」」
その歯に衣着せぬ物言いは、とりあえず女性陣二人の比ではなかった。
◇◇◇
「よりによってこんな時にっ」
屋敷の玄関から聞こえてくる複数の足音をエルフの長耳で拾い、マリーは今にも舌打ちしたい気分を言葉に変換した。
「もうッ、間が悪いにも程があるわ!」
「やっぱり本日もおいでになられたんだ、セイラン殿下」
すぐ隣にいたミリーが得心顔で失笑を洩らした。聡い姪は叔母の言動から瞬時に事情を察したようだ。ちなみに二人は今、淳の部屋の前の長廊下にいる。
「でもどうして? 一堂家の貴賓室は中央館にあったと思うけれど」
「一秒でも早く弥生お姉様に会いたいとか、そんなところじゃないですか」
なんたってあの殿下だし、とミリーは半笑いのまま肩をすくめる。
「でもちょっと意外かも。あの怖いメイドの人なら、相手とか関係なく結界とかで足止めしそうだから」
「多分リナさんが止めたのよ。シャロンヌさんも彼女の言葉なら耳を貸すだろうし」
「へぇ〜、あの獣人のお姉さんってそれなりに凄い人だったんだ」
「それなりどころじゃないわ」
マリーは素っ気ないほどきっぱり言う。
「リナさんは180超えの知能に加えて、Cランクモンスターを素手の一撃で倒す実力の持ち主なのよ」
「……え?」
「天さんという例外を除けば、七人目のSランク冒険士は彼女にこそ相応しい、これはシスト会長とシャロンヌさんが声を揃えて言っていたことね」
「…………」
「こう言うと安易に聞こえるかもしれないけど、リナさんは正真正銘の天才なの。それと彼女は怒らせたら多分シャロンヌさんよりも怖いわよ」
「ふ、ふーん」
マリーの解説が終了する頃には、ミリーの顔はこれまでにないほど引きつっていた。大方昨日の一件を思い返しているのだろう。世の中には知っておいた方が得な情報と、知らない方が幸せな情報がある。このマセた姪にとって件の情報は完全に後者だったようだ。まあ自業自得なので不憫には思わないが。
そんなことよりと、マリーは落ち着きなくその場をうろうろしてしまう。
「とにかく、これは最悪の展開だわ!」
「いえいえ。これはひょっとすると最高の展開かもしれませんよ?」
にししと笑い、ミリーが口に手を当てる。一時の精神的ダメージからもう立ち直ったらしい。マリーは自分の姪の可愛げのなさを再確認した。
「いかにも悪巧みしてますって顔ね……」
「花村様からは了承を得ておりますので」
マリーのジト目にミリーはお澄まし調で対応する。よく姉のミレーナが、ミリーは母親にも父親にも似ないで叔母に似た、などと話すことがある。私は子供の頃こんなにひねくれていたかしら、とマリーは指でこめかみを押さえた。
「また昨日みたいに、私に引っ叩かれるとは思わないの?」
「そのときは甘んじて受けますわ」
覚悟ありとのこと。マリーはひとつ溜息をつき、指先で眼鏡を押し上げた。
「いいわ。目をつぶってあげる。あなたと天さんの邪魔はしないわ」
「ありがとうございます、マリー叔母様」
ミリーは優雅に一礼した。
「あ、でも、そうなると叔母様の立場が悪くなるかも。うちの両親はともかく、和臣伯父様たちは絶対になんか言うと思うし……」
「構わないわ」
眼鏡をきらりと光らせ、マリーは言った。
「私への気兼ねは不要よ。だって私がこの家に気を遣う理由はもう何処にもないもの。やるからには徹底的におやりなさい。あとのことは私が責任を持つわ」
「了解。……やっぱりマリー叔母様は、お姉の百倍頼りになる」
ミリーが小さく敬礼しながら何やらぼそりと呟いた。そこで。
「セイラン殿下。こちらは屋敷の離れになりますが、一堂弥生様のお部屋は、たしか母屋の方にあったと思われますが?」
「分かるんだよ、俺には。どこにいても弥生の居場所が。なにせ俺と弥生は、運命の赤い糸で結ばれているからね!」
廊下の角からいくつかの足音が近づいてきた。エルフの叔母とハーフエルフの姪は無言で頷き合うと、どちらともなく会話を切り上げた。
◇◇◇
「やあ、弥生!」
天と弥生とジュリが、三人がかりで治療を拒む淳の説得を試みていた最中。勢いよく部屋の扉が開かれた。
「今日は俺の方から、君に逢いに来たよ!」
甲高い声をあげて部屋の中に入ってきたのは、驚くほど整った容姿をした銀髪の美青年だった。
「セイラン、殿下……ッ!」
「ふふ。君は相変わらず美しいね」
弥生の顔から見る見るうちに血の気が引いていく。雪のような肌をさらに白くさせて青ざめる彼女に、青年は言った。
「さあ、弥生。二人の愛をたっぷりと語り合おう!」
天は一目見て分かった。その者が招かざる客だということを。




